切り替えが得意、の私が、ま~だ歌舞伎の余韻をひきずっているみたいなのよ。
地域の行事の「蕎麦打ち」に申し込みをしていたらしいセニョール・ダンを、そこまで
送って行って、帰り道、前回のキムチ作りに、まあまあ納得の私は、近所の農家から
大きな白菜を買って、早速塩漬けよ。日本古来の白菜漬けなら、しっかり太陽にあてて、
甘味を引き出す所なんだけど、キムチは、そこまでしなくてもいいみたいなので、さっ
さと漬け込み。外葉など、捨てる部分など生ゴミ(植物)は、大きなプランターに放り
込んで、堆肥作りよ。
しばらく本なんかを読んでたんだけど、やおらお琴を引っ張り出して、音取り。
ああ、何年ぶりかしら? お正月になると、新年を寿(ことほ)ぐ気持ちで弾くんだ
けど、くも膜下で倒れて以来、爪をつけたことはなかったわ、思い起こしてみたらね。
ピアノ曲「エリーゼのために」くらい有名な「六段」の曲や他の曲の楽譜が見当たらな
かったので、練習曲などで、お茶を濁したんだけど、・・・昨日の興奮、まだ冷めやら
ずなんだと思うのよ。だって、お琴は、いつでも弾ける所にたてかけてあって、毎日目
に止まらない日はないんだけど、一向にそんな気にならなかったのですもの。
昨日の、お三味線や、鼓、の音が心地よくてね。そう、昔、10代の頃、お三味線を
習いたいって母に言ったところ、長唄のお三味線なら許してくれてたかもしれないけど、
「小唄」って、言ったものだから、大目玉を食らったことがあったのよ。
お琴と違って、3本の弦をあやつるのが、なんとも言えず良かったのよねぇ。でも、
「小唄」「端唄」のお三味線は「ダメ!」って。やってたら今頃楽しみが増えてたのにね。
空気が乾燥していると、楽器類は、と言っても、あとはピアノくらいしかわからないんだ
けど、い~い音を出してくれるのよ。澄んだ音色を。
お琴も、音は全部自分の耳で作り出していくのよ。琴柱(ことじ)を立てて、チューニング。
2階から降りてきたウチの宇宙人が、「チューニングが変!」て、言ってお出掛け。
そう、微妙な琴柱の位置で、へ~んな音になっちゃうし、楽器を操れる人は、それがわかる
のよ。昔、私がお琴を弾いてたら、従妹が、「レイコチャン、4番と6番をすこうし上げて
みて!」「10番を気持ち下げて」なんて、本人は、本なんか読みながら言うのよ。
彼女はピアノが弾ける。ウチの愚息共も楽器がいじれるから、気持ち悪いのよね、変な音は。
昔取った杵柄 って、言えるほどの腕じゃあないけど、これからは頻繁に触ろうかなあ、よ。
まあ、十指に余るほどのお稽古事をやらせてもらった私なので、その中の幾つかが、これか
らの旅路の友になれば、言う事なしですものねえ。
和楽器は、楽譜に頼らない、頼れない。まあ、独特な楽譜はあるんだけど、全てこれ「呼吸」。
そして、徹底的に耳。10代後半で師事したんだけど、基本の音が、なんなくとれて、
お師匠さんが驚いてらしたわ。なぜ、すぐ出来たか? もの心ついたころに、母がよく弾いて、
曲に入る前に、当然チューニングする、その音が、10年近く経っても私の耳にこびりつい
ていたのよ。その頃は、触らせてもらえなかったのにね。そう、正に「門前の小僧、習わぬ
経を覚え」状態。これは、躾にも言えることなのよね。理屈以前、体で覚える。それは一生
その人のもの、ってね。
しみじみ、それやこれやを思いながら、爪の先から届く音は、心地よい。
た~だ一つ、すぐ痺れる足に閉口したわ。軟弱になってきてるのよね。椅子の生活で。
正座からの起居は、足腰を鍛えるのよ。お茶の心得がある人は、滅多な事では転ばないわ。
お年を召してもね。
義務教育でも、和楽器を使うようになったらしいわね。
西洋の楽器にはない、深い味わいを聞き取れるようになったら、素晴らしいことだけど、
それって、当たり前なことなのよ。
畳の生活は、背筋を伸ばす所作を、知らず知らず身につけさせてくれるから、必要欠くべ
からずのものね。
昨日の歌舞伎の効果は大きかったのよ。チケットを下さった方にはもちろん感謝だけど、
お声を掛けて下さったケイコサンに感謝だわねえ。ありがとう!
☆ 本日の言葉・・・「昔取った杵柄」「門前の小僧、習わぬ経を覚え」
☆ 本日の曲名・・・「エリーゼのために」「六段」
地域の行事の「蕎麦打ち」に申し込みをしていたらしいセニョール・ダンを、そこまで
送って行って、帰り道、前回のキムチ作りに、まあまあ納得の私は、近所の農家から
大きな白菜を買って、早速塩漬けよ。日本古来の白菜漬けなら、しっかり太陽にあてて、
甘味を引き出す所なんだけど、キムチは、そこまでしなくてもいいみたいなので、さっ
さと漬け込み。外葉など、捨てる部分など生ゴミ(植物)は、大きなプランターに放り
込んで、堆肥作りよ。
しばらく本なんかを読んでたんだけど、やおらお琴を引っ張り出して、音取り。
ああ、何年ぶりかしら? お正月になると、新年を寿(ことほ)ぐ気持ちで弾くんだ
けど、くも膜下で倒れて以来、爪をつけたことはなかったわ、思い起こしてみたらね。
ピアノ曲「エリーゼのために」くらい有名な「六段」の曲や他の曲の楽譜が見当たらな
かったので、練習曲などで、お茶を濁したんだけど、・・・昨日の興奮、まだ冷めやら
ずなんだと思うのよ。だって、お琴は、いつでも弾ける所にたてかけてあって、毎日目
に止まらない日はないんだけど、一向にそんな気にならなかったのですもの。
昨日の、お三味線や、鼓、の音が心地よくてね。そう、昔、10代の頃、お三味線を
習いたいって母に言ったところ、長唄のお三味線なら許してくれてたかもしれないけど、
「小唄」って、言ったものだから、大目玉を食らったことがあったのよ。
お琴と違って、3本の弦をあやつるのが、なんとも言えず良かったのよねぇ。でも、
「小唄」「端唄」のお三味線は「ダメ!」って。やってたら今頃楽しみが増えてたのにね。
空気が乾燥していると、楽器類は、と言っても、あとはピアノくらいしかわからないんだ
けど、い~い音を出してくれるのよ。澄んだ音色を。
お琴も、音は全部自分の耳で作り出していくのよ。琴柱(ことじ)を立てて、チューニング。
2階から降りてきたウチの宇宙人が、「チューニングが変!」て、言ってお出掛け。
そう、微妙な琴柱の位置で、へ~んな音になっちゃうし、楽器を操れる人は、それがわかる
のよ。昔、私がお琴を弾いてたら、従妹が、「レイコチャン、4番と6番をすこうし上げて
みて!」「10番を気持ち下げて」なんて、本人は、本なんか読みながら言うのよ。
彼女はピアノが弾ける。ウチの愚息共も楽器がいじれるから、気持ち悪いのよね、変な音は。
昔取った杵柄 って、言えるほどの腕じゃあないけど、これからは頻繁に触ろうかなあ、よ。
まあ、十指に余るほどのお稽古事をやらせてもらった私なので、その中の幾つかが、これか
らの旅路の友になれば、言う事なしですものねえ。
和楽器は、楽譜に頼らない、頼れない。まあ、独特な楽譜はあるんだけど、全てこれ「呼吸」。
そして、徹底的に耳。10代後半で師事したんだけど、基本の音が、なんなくとれて、
お師匠さんが驚いてらしたわ。なぜ、すぐ出来たか? もの心ついたころに、母がよく弾いて、
曲に入る前に、当然チューニングする、その音が、10年近く経っても私の耳にこびりつい
ていたのよ。その頃は、触らせてもらえなかったのにね。そう、正に「門前の小僧、習わぬ
経を覚え」状態。これは、躾にも言えることなのよね。理屈以前、体で覚える。それは一生
その人のもの、ってね。
しみじみ、それやこれやを思いながら、爪の先から届く音は、心地よい。
た~だ一つ、すぐ痺れる足に閉口したわ。軟弱になってきてるのよね。椅子の生活で。
正座からの起居は、足腰を鍛えるのよ。お茶の心得がある人は、滅多な事では転ばないわ。
お年を召してもね。
義務教育でも、和楽器を使うようになったらしいわね。
西洋の楽器にはない、深い味わいを聞き取れるようになったら、素晴らしいことだけど、
それって、当たり前なことなのよ。
畳の生活は、背筋を伸ばす所作を、知らず知らず身につけさせてくれるから、必要欠くべ
からずのものね。
昨日の歌舞伎の効果は大きかったのよ。チケットを下さった方にはもちろん感謝だけど、
お声を掛けて下さったケイコサンに感謝だわねえ。ありがとう!
☆ 本日の言葉・・・「昔取った杵柄」「門前の小僧、習わぬ経を覚え」
☆ 本日の曲名・・・「エリーゼのために」「六段」