ユッコ姉の日記

日々思うことをタリラリラン♪っと・・・。

丙午の伝説・・・1

2009年05月09日 16時43分52秒 | 思う事・・・
はい。私はプロフィールにも書いてるけど、丙午年生まれです。(詳しくは、2006年6月26日の記事に書いてます。
4月15日の記事にもチラッと書いてるけど、
知人達と生まれ年の話しをしていて、そのメンバーの中に私と同じ生まれ年の中国人がいる事が分かりました。
そこで彼女に聞かれた事ー

中 「ドウシテ ヒノエウマトイウト、ニホンジンハ ヘンナカオヲスルノ?」

この時私は彼女に、『八百屋お七』の話しをしました。
皆さん、『八百屋お七』のお話しはご存知ですか?
まあ、簡単に話しますとお~

時は江戸時代、ある商家に ”八百屋お七”と呼ばれる娘がおりました。
1682年(天保2年)に江戸で「天保の大火」と呼ばれる、大火災が起きます。
この時、某寺へ非難したお七の家族ー
お七はそこで出合った寺小姓と恋に落ちます。
その後、再建された家に戻ったお七は、寺の小姓会いたさに思いつめていたところを
悪い奴に「また火事になれば小姓に会えるかもー」とそそのかされて、家に火を放ってしまいます。
幸い、小火ですんだのですが、付け火は当時の大罪でした。死刑は免れません。
この時、当時の南町奉行所は、恋心故の犯罪であったと同情し、なんとかお七を助けてやりたいと考えます。
そこで、まだ16歳(当時は数え年が使われており、現代で通常使われている満年齢だと14歳)になったばかりであったお七に、
「お七、お前は15歳だろう?」と聞いた(15歳以下の者は罪一等を減じられて死刑にはならない)が、
彼女は正直に16歳であると主張し、お宮参りの記録を証拠として提出までしました。 
その結果、お七は火あぶりの刑に処せられたのでしたー。


まあ簡単に書くと、こんなところでしょうか~
『八百屋お七』の話しは実話です。
ただ、この3年後に井原西鶴により『好色五人女』の中の1人に取り上げられ、
浄瑠璃や歌舞伎などにも使われ、お七の家や非難した寺や相手の寺小姓の名前などはいろんな説があります。
まあ、今となっては真実がどれなのか分かるすべもありませんー

とにかく、この大罪を犯した ”お七”が丙午年生まれだと言う噂がたち、 
”思いつめると何をしでかすか分からない”
”奉公がなんとか助けようとしてくれているのに、それを突っぱねる気の強さ”
などから、
丙午年生まれの女は、『夫を食い殺す』やら『気が強い』などと言われます。

と、こ~んな話しを中国人の彼女に話しました。
彼女は、「ヘエ~ ソンナハナシガ ニホンニハ アルンダア~」と納得していました。

そして次に彼女に聞かれた事ー
中 「ジャア ヒノエウマノ ”ヒノエ” ッテ ナニ?」

ウッ! 知らない・・・

私も前から不思議だったんだよネエ~
たまに見かける、”つちのえ寅”とか ”かのと巳”とか、干支の上についてる言葉は、なんぞや?(??)
で、日本人として中国人の彼女に説明するべく、調べてみましたあ~

あ、でも今日はもう記事が長くなったから、続きはまた明日と言うことでえ~


☆この後、いろいろ調べていった結果、意外な事実が分かって、
 私と彼女は驚くと共に、歴史と言う深い繋がりを感じたんだあ~

参考にしたサイト 八百屋お七物語 ・八百屋お七 ~江戸時代の悲恋物語~ 
           ・八百屋お七 - Wikipedia ・八百屋お七 etc・・・