ユッコ姉の日記

日々思うことをタリラリラン♪っと・・・。

親を子供の扶養に入れるって・・・

2013年11月19日 11時58分59秒 | 思う事・・・
先日の主人の言葉を聞いて考えた。
自分の親を扶養に入れる事って、主人が考えている程簡単に出来るのかとー
で、早速調べてみましたあ~。

まず分かった事は、親を子供の扶養に入れることは”可能”だという事。
ただし、それにはやっぱり幾つかの条件が付いてきます。
それは、同居しているかしていないかでも条件が変わりますが、
今回我が家は主人の両親と同居していないので、同居していない場合についてのみ書いていきます。

条件① 被保険者から仕送りなどを受けている事。
条件② 年収が、60歳未満は130万円未満、60歳以上と障がい者は180万円未満で、かつ、
     その金額が被保険者からの仕送り額よりも少ないこと。


我が家の場合、舅74歳姑70歳だから年齢条件はOK。となると、年収が180万円未満だけど、
舅達の年収がどれだけあるのかは分からない。
でも、扶養にするには、舅達の年収以上の仕送りをしないといけない。
実際は知らないが、舅は自営だったから、単純に国民年金だけだとすると、毎月6万5千円くらいかな?
そうすると年収78万円だから、それ以上の仕送りをしないといけないってコトだよね?
更に、コレに姑も加わると、単純に倍。
年間、最低でも160万円以上の仕送りをしないといけないことになる。
月10万円以上・・・
ぜえーーーーーーーーーーったいに、ムリ(゜ロ゜)ムリ(゜ロ゜)ムリ(゜ロ゜)ムリ(゜ロ゜)ムリ(゜ロ゜)ムリ(゜ロ゜)ムリ!!!
 
更にまだ、落とし穴があった!
仮に、毎月10万円以上の仕送りをして舅たちを扶養に入れたとする。
すると、舅達は健康保険料を支払わなくて済むので、舅達の生活も少しは楽になる?かと思いきや、
現在は、”健康保険で扶養に入れられるのは、親が75歳になるまで”
だったりする。
75歳になると、すべての人が後期高齢者医療制度に移行し、
同居している人でも家族の健康保険から切り離されるんだそうな。

ええーー!それじゃあウチの場合、舅を扶養に入れても、1年ないじゃない!
姑だって、5年ほどしか期間がないんですけど・・・

ウチのおバカ主人、きっと、こーゆーコト、全然知らずに舅に話してたんだろうな・・・
世の中、そんなに甘くないのよ!
まったく・・・


✩仕事から帰ってきた主人にこの話をしました。すると、
 主「そっか、無理なんや。」と、アッサリ。
 あんたねえ~、お義父さんが断ってたから良かったようなものの、
 もし、お義父さんがその話に乗ってたら、後から「やっぱりダメだわ」では、済まされないでしょーが!
 まったく、大事な事をよく調べもせずに人に話すモンじゃありません!
 
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やっぱり主人は主人でした・・・

2013年11月18日 18時47分55秒 | 思う事・・・
前回の記事で、私は”主人は自分の両親を見捨てられない人”と書きましたが、

”やっぱり・・・”でした。

例の倉庫の話を主人としていました。
主人はまだ迷ってはいましたが、かなり姑の話に傾いている様子でした。

そこで、私が考えた対処法は2つ。
① 主人が新しい倉庫を手に入れて、舅の倉庫は自由に売ってもらう。
② 毎月の支払いが1万円で良いのなら、今までのように”借りている”という状態のまま、
  毎月支払っていた賃貸料を1万円にする事。

①の案は、最終的には主人の資産が増えると言う事と、経費でキチンと落とせる。と言うメリット。
でも、なかなか希望に合う物件が見つからないと言う事と、今後今まで以上にローンが増える。と言うデメリットがあります。

でも②の案なら、我が家には殆どデメリットがありません。
✩毎月の支払額が、新しくローンを組むより断然安く済む。
✩毎月の1万円は今までどおり経費で落とせる。
✩名義を主人に変更しない事で、固定資産税も払わなくて良い。

仮に、姑の話に乗って、名義を主人に変更し、毎月1万円を姑達に支払っていたとします。
最初はそれでも良いかもしれません。
でも、今後もし、舅や姑に介護が必要になった際、誰が面倒を見るのか?と言う事が問題になると思います。
その時に、絶対言われると思うんです!
「お兄ちゃんは倉庫を貰っている。それは生前相続だ。だからお兄ちゃんが親の面倒を見るべき!」とー
確かに、舅の倉庫を主人の名義に変更する事は、”生前贈与”だと思います。
妹達にそう言われても言い返せない・・・
でもその時に、②の案の状態だったら、妹達に生前贈与だと言われる事もないし、
必要なら、その時に倉庫を売って、介護のかかる費用に当てることが可能なのでは?

そんな話を主人にしていました。そして主人に言いました。
私 「あなた、今回の事の根本は、お義父さん達の離婚でも、倉庫の売買の問題でもない、
   お義父さん達の老後をどうするか?って言う事だって分かってる?

主人は苦笑いしてました。
そしてひとこと言ったのです。

主 「だからオヤジに、俺の扶養に入れって言ってるのに、あのオヤジ聞く耳持たないからー」

ギョッとした私・・・

私 「あなた、それって、お義父さん達の今後の面倒をあなたが見るって事だけど、分かってる?」
主 「まあ・・・」(苦笑い・・)

ハア~ やっぱりか・・・
この人、今まで、散々、私に言ってたよね!「オヤジ達の面倒なんか絶対にみない!」って。
結局、昔と変わりなく、この人は何をされても、親を見捨てることが出来ない人ー
私の前では散々親の悪口を言ってても、いざ親の前に出ると、借りてきた猫になる。
変わってないわあ~

まあね、”親を大事にする”と言う事が出来るのを悪いとは思わない。
私だって、自分の親は、やっぱり大事だもの。
でも、な~んか腹立つ!
なんだか、いつも私は主人に騙されている気がするんですけど?

これだから、主人の言う事は信用できない!
最初からその気があるのなら、そう言えば良いじゃない!
長男なんだし、最初からそう言ってくれてれば、コッチだって、それなりの対処を考えるわよ!
いつまで子供みたいに、カッコつけてるのよ!
自分の女房に、見栄張ったってしょうがないでしょうに!

この先 親の面倒を見ていく気があるのなら、話は違ってくる。
倉庫の名義は主人にしたほうが良いし、主人の両親を扶養に入れれば、扶養者控除も受けられる。
そうなれば、毎月舅達に仕送りとして3万払っても元が取れる。
更に言うなら、今キチンと家族全員揃って話し合って、妹達に”主人が親の面倒を見る”事を条件に、
遺産相続放棄の手続きをしてもらうべき。

主人のコロッと180度変わる話に、「またか・・・」と、諦めともつかない溜息をつく私。
もう勝手にしてくれ・・・ ┐(-。ー;)┌ヤレヤレ
これ以上あなたの実家の事に巻き込まれるのはゴメンだわ・・・

悪いけど、私はアテにしないでね。
あなたの親よりも、私は自分の親の方が大事だから。
私の親だって、娘3人 誰が今後の面倒を見るのか分からない状態。
私は長女だし、一番近くに住んでるし、私の両親が今まで私にしてくれたことを思うと、大切にしたいと思ってる。
あなたには悪いけど、私の両親の面倒を見るのに必要なら、あなたと離婚するのも厭わないと思ってるからー
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もう訳がわかりません・・・

2013年11月17日 11時49分06秒 | 思う事・・・
主人の両親の話をイロイロ書きましたが、また、新しい話が・・・
今度は姑から・・・

先日、姑が家に電話をかけてきました。
たまたま私が家にいて電話に出たのですが、その内容は・・・

この前、消防署の人が家に来て、塗装材料の管理について注意があった。
(たぶん、先日の火災の事も有り、消防署が塗装屋関係を注意して回っているのだと思われる。)
やっぱり、自宅に塗装材料を置いているのは危ないし、ご近所にも迷惑になるとイケナイから、材料を倉庫に戻せ。
(そう、未だに新しい倉庫が決まらなくて、我が家にはイロイロ置いてある。
あなたたちも、ヒョロナガにもまだお金もかかるだろうから、もう無理は言わない。
でも、ウチもお金がないと生活していけないから、余裕が出来たらでいいから、1万か2万で良いから入れて欲しい。


随分と、譲歩してきたように思えます。
今回の電話では、”息子が可愛いから”をやたらと言っていた。
私は「詳しい話は聞いてないのでよく分からない。一応主人に言っておく」とー
その後、主人に伝え、主人が姑に電話したところ・・・

この話も、やっぱり、姑が一人で勝手に考えていた事だったみたい・・・
主人が「オヤジは売るって言ってたぞ」というと、
姑は、「そんな事、私が絶対させない!」と言っていたそうな・・・

いや、土地の持ち主は舅だから、舅が売ると言ったら、姑にそれを止める権利があるのかなあ~?
相変わらず、夫婦間での話し合いがキチンと出来ていないようで・・・

私には、主人の気持ちが少し傾いてきているように見えます。私は主人に言います。

私「あなたがさっさと新しい倉庫を見つければ済む話でしょ。
  ま、あなたの実家の事なんだから私は知らないわ。あなたの思うようにすれば良いでしょう。」

冷たいかもしれませんが、今までの結婚生活の中で、主人は私に対してこんな感じでしたので、お返し?でしょうか?
子供たちのいろいろな問題で悩んでいた時も、ヒョロナガが大学に入る時だって、私の実家の事だって、
私がどれだけ悩んでいても、主人は「俺には関係ない。」と何もしてくれなかった。
頼りにしたい時は、いつも突っぱねられましたから・・・

先日の記事でも書きましたが、結婚して5年ほどの間イロイロあった我が家。
その間に、私がどれだけ主人に頼んだか分かりません。「舅の職場を辞めてくれ」とー
通常でも嫁姑は揉める物なのに、更にお金のことで揉め事が起こることに疲れきっていました。
でも、主人は何だかんだ言って、決して辞めることはありせんでした。
この時私思ったんですよ。
”ああ~、この人は私の前では舅や姑のことを悪く言うけど、結局自分の親を見捨てることは出来ないんだなあ~”
だから私は、主人が舅の職場を辞めるコトは諦めたんですよ。
(もっとも、それから数年して、主人は私になんの相談もなくイキナリ舅の職場を辞めましたが・・
 でも自分で塗装屋をやり始めてからも、主人はよく舅と一緒に仕事をしていました。)

「私には関係ない。」と私は言っていますが、きっと今回も、同じようになる気がします。
何だかんだ言っても、主人は両親、特に姑には逆らえないー
舅も、姑に逆らいきれるとは、あまり思えないんですが・・・
だって、舅もある意味、主人と一緒だからです。
仕事以外のコトは何でも姑に任せていた舅は、社会の事を知らなすぎる・・・
親子、似た者同士? というか、そういう風に姑に躾けられた?

今回の倉庫の一件で、一番の根本的問題は、
”倉庫をどうするのか?” でも ”主人の両親の離婚はどうなるのか?”でもなく、
”主人の両親の老後の生活はどうするのか?” と言う事だと、私は思います。
その事を、主人は分かっているんだろうか?
いや、たぶん、分かってないだろうなあ~
目先のことしか考えてない人だし、根本的に考えが甘い人だからなあ~・・・
結局、姑の思惑に、うま~く丸め込まれるんじゃないか? と思っている私です。
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主人の両親の話し・・・2

2013年11月15日 13時26分33秒 | 思う事・・・
姑達にされた事をイロイロ書きましたが、これらはホンの一部です。
他にも、ホントーにイロイロな事をされました。
当時のことを知っている私の妹には、
妹 「すごーい! 地で昼ドライケそう・・・
と言われるほど。

でもね、因果応報とでも言うのでしょうか。
自分がした事は自分に返ってくる。上を向いて吐いた唾は自分の顔に降りかかる。
私達が引っ越したあと、姑にはそれなりの事がありました。

オシメが障害児であることを理由に邪険にしていた姑。
数年後、自分の娘が産んだ子の中に障害児が生まれました。
私の実家にまで文句を言っていた姑。
自分の娘の嫁ぎ先から、同じように文句を言われていました。
親の因果が子に報い?
妹たちには可哀想ですが、私にはそう思えます。


お金に関する揉め事の一番の原因は、主人にあると私は思っています。が、
主人のせいだけでもない。とも思っています。
だって、そういうふうに姑が主人を育てたんですからー

高校を卒業して舅の元で働き出しても、主人は学生の頃と同じ扱いでした。
お給料は姑が管理していた為、主人は学生時代と変わらず姑からお小遣いを貰っていました。
何か高い物が欲しい時は、主人が姑に言うと、姑がお金を下ろしてきて渡していました。
だから本当は、それまで(約10年間)働いていた主人のお給料から、いったいどれだけの預金がされていたのか、
私達は知らないままです。
私達が家を買う時にやっと返してもらった200万円の預金。
これだって、かろうじて主人が覚えていたから返してもらえたものの、主人が覚えていなければ渡してもらえなかったかも・・
経理も預金もすべて管理していた姑。
勝手に主人の預金から借り入れまでしていた人です。
何も知らない無頓着な主人の給料から、他に貯金をしていても、おかしくないと私は思えます。

舅が自営なんだし、いずれは跡を継ぐ身として、それなりにビジネスに関しても教えているだろう。
と思っていた私でしたが、実際はそんなコトは全くなく、主人は単に従業員として扱われていて、
詳しい経理などは一切教えられていなかったんです。
いつも舅と仕事に行っていた主人は、仕事以外のコトは何でも姑に任せていました。
その為、生命保険も、住居の手続きも、結婚式の準備も、全て姑がしていました。
そういった事が、後々、いろいろな問題の原因になったのです。
結局主人は、子供のままだったのです。
社会の荒波に揉まれる事もなく、何も知らないままー

高校卒業後も実家に住み、親と共に働いていた主人とは逆に、
私は親元を離れて遠い場所で一人で生活することを学びました。
主人を見ていて、”絶対に自分の子供達は外に出す!”と決めていました。
自分の子を、こんな社会知らずの人間にしたくない!とー
だから、小さい頃から子供達には、「あなた達は18歳になったら家から出す!」と宣言し、
”目指せ自立”をスローガンに育ててきました。
私が知る社会の事をイロイロ教えてきたつもりです。
でも最近、もしかしたら、そういった事が逆に違う意味で過保護になっていたのでは?と思う時もあります。
ヒョロナガは、まあそれなりに成長してくれたと思います。
オシメも、まだまだ学ばなければならない事は沢山ありますが、それなりに成長していると思います。
心配なのはコデブ。
上のふたりに構うあまり、一番下のコデブにまで私の手が行き届かなかったようで、
コデブは、どちらかと言うと主人寄り・・・のような気が・・・
でも、家を出て半年経った現在、以前よりしっかりしてきたように見えるコデブです。

社会人になって親と同居している方たちを批判するつもりはありません。
その人がどう成長するかは、親次第だと思いますし、それぞれ各個人の問題だと思っています。
ただ私は、自分の経験から、やっぱり一度は、親元は離れてみるべきだと思います。
辛いことも沢山ありますが、自分自身の成長はグンと出来ると思います。
そして何より、人のありがたみが分かる人間になれると思うのですー

主人と結婚してから、姑に言われたことがあります。
姑「kokiyuさんと結婚してから、○○(主人の名前)は、金、金!ってうるさく言うようになった!
(そりゃあ、息子が自分の思うようにならなくなったから気に入らないだけでしょ。と思っていました。)
主人は私と結婚してから、それなりにお金のことを学んだと思います。
ただ、子供の頃から躾けられてきた事はやはり抜けきれず、最近では、ホントに金に煩いオヤジになってきています。
「俺が働いて稼いだ金だ!」と家庭に掛かる費用を物凄く嫌がり、その割には、”預金をする”と言う概念は殆ど無いようでー
自分のお金に固執する割には、税金の事など私が言っても聞く耳も持たず、返って損をしていたり、
目先のお金の事しか考えられない。先のコトは考えようともしない。
もうコイツの経済観念はどうしようもないな~ と、チョット諦めている私です。

✩結局、こんな主人を選んでしまった私が悪い。ってコトになるんだろうなあ~。
 自業自得?
✩でも、主人が主人の両親を嫌う理由、少しは分かっていただけたでしょうか?
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主人の両親の話し・・・

2013年11月14日 14時23分06秒 | 思う事・・・
今日の記事は長~いです。お時間のある時に読んでくださいね。


 ーでは、まずは結婚した時の話からー

今から22年前、私と主人は結婚しました。
お互いの両親の話し合いで、堅苦しいのは面倒だからー と結納はナシになりました。
その結果、結納金も一切ありませんでした。婚約指輪もなし。私が買ってもらったのは結婚指輪のみ。
そして結婚式。
主人の側も私の側もとても親戚が多いので、招待客は9割が親族でした。
親族以外は、主人の友人関係5人程と私の友人関係5人ほどしか呼べませんでした。
それでも、主人の側の方が圧倒的に多い人数でした。
オマケに主人の親族は飲んべいが多く、披露宴ではアルコールの大半が主人の側でした。
なのに、いざ披露宴の費用を支払う時になったら姑が「折半でー」
ウチの親も”嫁にもらってもらう側だからー”と素直に支払ってしまいました。
(ええーーー!結納金も一切貰ってないうえに、披露宴費用も折半だなんて・・・

更に、後から分かった事なのですが、
引き出物の品が、主人の親族側と私の親族側で違っていたんです。
実は、結婚ギリギリまで仕事をしていた私と主人は、引き出物を何にするか姑に任せてあったんです。
その結果、私の親族側はティーカップセットだったのですが、
主人の親族側は、姑が一軒一軒欲しい物を聞いて、それぞれ希望する物を渡していました。
(当然、引き出物にかかった費用は主人の親族側の方が高い。)

更に更に、その後新婚旅行に行った私達。
私は自分の両親から、結婚式で頂いたご祝儀を全て受け取っていました。
でも主人は自分の小遣いだけしか持っていませんでした。
つまり、主人の親族側のご祝儀は、全て主人の両親が持って行ってしまっていました。
ちなみに、結婚式や披露宴、新婚旅行の費用も主人の預金から出ていました。

 ー続きまして、新居編ー
 
結婚式のホンの少し前まで、私と主人の新居は決まっていませんでした。
主人が長男なので”同居”と言う話もありましたが、主人の実家はまだ妹たちもいましたし、私達が住めるスペースはありませんでした。
姑が「すぐ裏のアパートが空くから。」と言っていたのですが、式のひと月前になっても一向に空く気配がありません。
仕方なしに、私の両親が急いで主人の実家近くの借家を探してきてくれました。
その借家の手続きは姑がしました。

やっと新居が決まり、私の両親はタンスや電化製品などの家具一式を揃えてくれました。
(結納金も貰ってないので、全額私の両親のお金。)
主人の両親から貰ったのは、ガスコンロ・ガス湯沸かし器・ガス炊飯器の3つだけ。
(それも全て仕事の経費で落としていたようです。)
主人がこの新居に持ってきた物は、昔から使っていた本棚ひとつ。後は自分の衣類少々だけでした。
主人は印鑑一つも持っておらず、私の両親が「もう一家の大黒柱なのだから。」と、
実印用の印鑑と数珠を主人に買ってくれました。

ここまでで一応言っておきますが、私の実家は決してお金持ちではありません。
むしろ、どちらかと言えば、主人の実家の方が私の実家より少しは経済的に裕福だったと思います。


 ーお給料編ー

結婚した当時主人は、舅が自営でやっている塗装屋で働いていました。事務は全て姑が管理していました。
だからお給料はいつも姑から受け取っていました。
主人が姑に「給料が少ない!」と文句を言うと、姑は「あんたの同級生達と同じくらいの給料を出してるのに贅沢だ!」と言いました。
でも、会社勤めしている同級生と同じ位の金額でも、彼等のは手取りです。
主人の場合、そこから保険や年金など全て支払うので、実際の手取りは同級生より少なくなっていました。
ましてや、3K仕事と呼ばれる仕事をしている主人と、会社勤めの人間が同額なのはおかしな話でした。
結婚してから主人が舅の所を辞めるまでの期間は5年程でしたが、その間にボーナスを貰ったのはたった2回しかありませんでした。
それ以外は、いつも何かと理由をつけては、ボーナスは出ませんでした。
主人が、「なぜボーナスがないんだ!」と姑に文句を言うと、姑は、「売上がないから。」と言います。
でも主人は、毎日舅と一緒に働いていたので、だいたいの仕事量とどれくらいの収入があるのか把握していました。
主人が、しつこく、「これだけの収入があったハズや!」と姑に粘って、やっと貰えたのが10万円。
そんな事が2回ほどあって、その頃ヒョロナガが生まれました。
それからは、姑の「ボーナスなし」の理由が、トンでもない物に変わっていきました。
ヒョロナガの誕生日が11月だった為、冬のボーナスはいつも「ヒョロナガに誕生日プレゼント買ったからお金ない!」と言う理由でした。
5000円ほどのオモチャをプレゼントに買ってくれただけで、それを理由に”ボーナスなし”です。
(それならプレゼントなんていらないからボーナスくれ!と思ってました。
他にも、「親戚の結婚式があったから」とか「仕事用のトラックの車検があったから」とか・・・
コデブが私のお腹にいた時は、8月が出産予定だったのですが、6月の月末に突然姑から電話が掛かってきて、
姑「売上あがってないから、今月から給料5万円カットさせてもらうわ。」の一言で電話を切られ、
2ヶ月後には3人目の子供が生まれるというのに、その月からお給料は5万円減らされました。(モチロン、ボーナスなんてないです。)

主人がお給料のことで姑に文句を言いに行くと、妹たちまで「そんなに給料貰ってるのに贅沢だわ!私だったら万々歳だわ!」と主人を責めました。
(独り身の妹たちと、私と3人の子供を抱えた主人の給料を同じように考えて欲しくなかったです。
当時、主人の妹二人はまだ未婚で実家に住んでいましたが、家には一銭も入れず、自分が働いたお給料は全て自分の為だけに使っていました。
我が家がお給料を5万円カットされた頃、妹達は、50万もする着物を購入したり、30万もする調理セットを購入したりしていました。
(ウチの給料5万円もカットするなら、妹達に家にお金を入れさせろよ!と思っていました。

結婚して5年後、姑から「今後一切、これ以上給料を上げることはないから。」と言われ、
主人は舅の塗装屋を辞め、独立して自分でやっていく事にしました。
高校を卒業してから、ずっと舅の塗装屋で働いていた主人。退職金が在るはずでした。
でも、その退職金は、舅の懐に入って、パチンコで全て使い切ってしまったと言われました。
(果たしてその退職金が幾らだったのかも私達は知りません・・・


 ー預金と保険編ー

結婚した当時、主人は自分の預金通帳を持ってきませんでした。
独身時代、主人の預金は全て姑が管理していて、主人は自分の預金が全部で幾らあるのかもハッキリとは把握してませんでした。
(当時の主人は、銀行のATMの使い方も知らなかったんです。どこのオボッチャンやねん!
結婚してスグに、姑のところに行って通帳と印鑑を貰ってきました。
でも、1通だけ
主人が「もっとあるハズだ。確か200万くらい入った通帳あったやろ。」と言うと、姑は「別に今すぐいらないでしょ。」と言って渡してくれませんでした。
姑から受けとった唯一の通帳からは、毎月生命保険料が引かれていました。
でも、その保険の証書もありませんし、主人は自分がどんな保険に入っているのかも知りませんでした。
主人の生命保険は姑が手続きしていた為、内容も証書も姑しか分からなかったんです。
主人が姑のところに聞きに行きましたが、「ちゃんと入ってるから心配いらない。」と言って、証書を渡してくれませんでした。
仕方なく、ヒョロナガが生まれてから、私が直接姑のところに行って言いました。
私 「子供も生まれましたし、親としてちゃんと自分達でやって行きますので、保険証書を下さい。」
三つ指ついて姑に頭を下げる私に、姑は何だかんだと渋っていましたが、その時言ったのは、
姑 「保険証書は、無くしちゃって何処にあるか分からない。」
驚いた私は、
私 「それは大変!もう子供もいるのに、主人に何かあった時に困ります!
渋る姑から無理やり保険会社を聞き出すと、家に帰ってスグにその保険会社に連絡をしました。
そして、新しい証書を作ってもらって、更に驚くことに・・・

主人には、1億円の保険が掛けてあったんです。しかも受取人は、”姑”。

保険に加入したのは、主人が高校を卒業してスグくらいでした。
つまり姑は、わずか19歳の息子に1億の保険金をかけ、受取人は法定相続人ではなく、”自分”に指定していた!
しかも毎月の支払いは、主人の給料から支払っていた。
もう結婚して子供もいる息子なのに、受取人の名前も変えず、支払いだけは息子にさせていた。
今考えてもゾッとします。もしあの頃に主人に何かあって死んだりしていたら、
私には主人の生命保険は一銭も入らず、乳飲み子を抱えて困り果てていたでしょう。

その後、私は主人の保険を見直そうとしました。
主人の収入からすると、毎月の保険代が高く生活に響いていましたし、保険金の額が高すぎる。と思ったからです。
そこで友人の保険外交員の子に頼んで、1億の保険を止めて新しく別の保険に加入することにしたんです。
数日後、姑がものすごい勢いでウチに怒鳴りこんできました。
姑 「私が入った保険、なに勝手に解約しようとしてるのよ!」とー
なぜ、保険を変えようとしていることが姑に分かったんだろう?と疑問に思いました。
(どうやら最初に入っていた保険の外交員が、解約することに気がつき、契約した姑に泣きついたらしいです。)
鬼のような姑の剣幕に、この時は仕方なく受取人を変更するだけになりました。
数年後、姑の目が届かなくなった頃、全部入り直ししましたけど。

でもその10年後、私は再び驚かされるコトになります。


  ー引越し編ー

結婚して5年ほど経った頃、私と主人は中古住宅を買って借家を出て行くことになりました。
まあ、この家の購入にもイロイロとあったのですが、それはまた今度。
今回は、その時に姑が私達にした話をー

家を買う事になり、私達は姑が預かっているはずの、約200万円が入っているハズ?の、主人の預金を返してくれ。と言いに行きました。
姑はかなりゴネましたが、やっとタンスから預金通帳を出してきました。
でも、その預金通帳からは、勝手にお金が借りられていました。
姑は、「固定資産税を払う時に足りなかったから預金から借りた。まだ返済が全部済んでないから、いきなり来て、今返せと言われても困る!」
と、まるで私達が悪いような言い方をしていました。
主人が怒って、それでもコッチはもう家を買う契約も済ませてあるんだから支払いをしなくてはならない。
とにかく、スグに全額もとに戻して預金通帳を返せ!と。
それから数日して、私達はやっと預金通帳を返してもらうことが出来ました。
ただその際、姑は、私達の預金通帳に戻したお金を、主人の妹の預金から引き出して振り込んだため、
その後、姑と主人の妹の両方から文句を言われました。
また、とりあえず帰ってきた通帳からも、数ヵ月後に借入利息が引かれました。
このとき通帳と一緒に受け取った印鑑が、100円ショップに売っているような、プラスチック製の一部欠けた印鑑だったのをよく記憶しています。

引越しするので、当然それまで住んでいた借家は出ていきます。
その際、入居時に払った保証金が私達のもとに帰ってくるはずでした。
でも、私達はその保証金を1円も受け取ることはありませんでした。

借家の大家さんが主人の実家のご近所の方でした。
姑は、私達が借家を出ることを知って、私達には何も言わず、勝手に大家と話を付け、
私達が出て行った後、主人の妹がそこで一人暮らしをする。
内装など何も触らなくて良いから、保証金なしで名義だけ妹の物に変えてくれ。とー
私達がその事を知ったのは、引越しの当日でした。
新しい家に引越し荷物を持っていった後、キレイに借家を掃除して大家さんちに挨拶に行き、
退去手続きをしようとしたとき、大家さんにそう言われました。
大「あれ?お母さんからそう言われて、名義変更の手続きももうしてあるけど?」
この事を知った主人は姑に詰め寄りました。
主「あの借家に入るときに払った保証金は俺の金だろう!」と。
でも姑は、「あの借家は私が手続きをした。支払った保証金も私が払った!」と言い張りました。
結婚当時、主人の預金は全て姑が管理していたし、入居の手続きは姑が一人で行っていたので、
実際に主人の預金から出たものなのか姑が出した物なのか、私達には知ることが出来ませんでした。

更に、新しい家は蛇口からお湯が出るタイプだったので、それまで使っていたガス湯沸かし器は必要なくなりました。
たまたま私の友人がお湯の出ない家に住んでいたので、私はその友人に湯沸かし器をタダで譲ると言いました。
でも友人が「タダでもらうのは申し訳ないからー」と言うので、2000円で譲る事にしたんです。
でも、どこでその事を知ったのか、姑がまた怒鳴り込んできたのです。
姑「私が買った湯沸かし器を、勝手に人に売るなんて!妹に使わせようと思っていたのに!」
私にしてみれば、結婚した時、結納金もなく家具も家電も全て私の家から出しています。
姑達からはガス器具の3つだけ。それは貰った物。と思っていたのですがー
仕方なく私は友人に断りの連絡をして、私達の後に借家に入居した妹に、ガス器具の3つを渡す事に。
更に、借家の屋根に取り付けてあるテレビのアンテナは、私の実家から持ってきた物だったのですが、
妹がそのまま使うからーと言う理由で、取り外すことも出来ませんでした。


 ー10年後の話しー

結婚してから5年後に引越し、更に5年ほど経った頃、
突然姑から主人に電話があり「印鑑を持って来い。」と言われました。
なぜ印鑑が必要なのか?と主人に尋ねると、
主「さあ~?なんか保険がどうとか言っとったけど?」
首をかしげながら実家に行った主人。
暫くして家に帰ってきた主人に何の用だったのか聞きました。すると・・・

自分が受取人の1億の保険を解約された姑は、私には黙ってこっそり主人に定額保険を掛けていたんです。
モチロン、自分が受取人のー
10年経ち満期が来たらしく、主人の印鑑が必要だったとー

主人に、いつそんな手続きをしたのか?と尋ねると、
主 「そーいえば、昔、何か書類書かされたような気がする~
いくら10年前のこととは言え、記憶も曖昧な呑気な主人に腹が立ちました!
毎月の保険代は姑が払っていたようですが、
妻である私の知らないところで自分の夫に保険金が掛けられていた事に腹立ちと共に恐怖を覚えました。
モチロン、満期金は一銭も我が家に入ってくる事はありませんでした。


長々と書きましたが、これらはお金に関する事だけで、他にも随分いろんなことをされました。
嫁姑の問題はモチロン、子供達の事も、しいては私の実家にもー
一時、私はノイローゼー気味になるほど追い詰められたこともあります。
今となっては、もう昔の話し。
嫌な過去は早く忘れた方が良いし、いつまでも恨みに思っていてもしょうがない。と自分に言い聞かせてきましたが・・・
こうやって書き出すと、やっぱりその頃の事を、こと細かく覚えている自分を思い知らされました。


さて、一番最初の、舅がコデブの誕生日を聞いてきた時、私が「まさか・・・」と思った事。
それは、私達に内緒で主人に保険を掛けていたように、
もしかしてコデブにも保険を掛けようとしているのではないか?という事でした。
保険を預金替わりに加入するのに、なぜ自分達ではないのか?
理由は簡単。被保険者が若い方が毎月支払う保険料が安いから。
なぜコデブなのか?
ヒョロナガもオシメも特定疾患を受けるような病気を抱えています。だから保険に加入するのが難しいのです。
そしてコデブは現在19歳。
ヒョロナガもオシメも何故か二人とも19歳の時に病気を発症しています。
コデブも同じーとは言えませんが、”もしかしたら?”ということを考えると、
コデブが保険に加入するなら、正に”今がチャンス”の気がします。
更に、現在コデブは私達と一緒に住んでいない。
何も分かっていないコデブに、直接書類を書かせても、私や主人にバレる事もない。

「・・・・・・。
いくらなんでも、自分達の孫にそんな事はしないだろう・・・
とは思う物の、
姑達が今まで私達にしてきたことを考えると、
「100%ない!」とは、言い切れないトコロが怖いです・・・


✩久しぶりに沢山の記事を書いちゃいました。
 読んでくれた皆様、お付き合いありがとうございました。


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主人の両親と仕事用倉庫の話し・・・2

2013年11月13日 10時12分06秒 | 思う事・・・
昨日の記事で、仕事用の倉庫を主人の両親が条件付きで譲る話があることを書きました。
そして昨日、舅から主人に電話が掛かってきたのですが・・・
最初に来た姑の話しと、舅の話が違う・・・
ハア~、やっぱりか・・・ と溜息をついた私。

姑の話しは、”名義変更して良いから、自分達が死ぬまで毎月3万円払え。”だった。
舅の話しは、”名義変更して良いから、毎月5万円を10年間払え。”と言う。

離婚の話は一体ど~なってしまったのか、全く説明なし。
でも、やっぱりこの二人は、お互い勝手に話を進めようとしている・・・

電話で話している主人の言葉は冷たかった。
隣の部屋まで聞こえてくるほど、大きな声で舅に怒鳴っていた。
何もそこまでキツイ言い方しなくても・・・ と思っていたのだけれど、
ま、今までが今までだから仕方ないか~。 とも思いました。

ふと、主人がコデブの生年月日を話しているのが聞こえた。
なぜ、舅がコデブの生年月日を聞くのか?
電話を終わった主人に聞いた。
私「何で、お義父さん、コデブの生年月日なんて聞いたの?」
主「さあ~? 保険がどうとかクーポンがどうとか言ってたけど、よく知らん。」
その瞬間、私は思わず呟いていた、「まさか・・・

主人が両親をこれ程にまで嫌うのには訳があります。
正直、私もかなり嫌な思いや辛い思いをしたので、今までこのブログにも書いてきませんでした。
いつまでも昔の嫌な事をグチグチ言っていると、自分もそんな人間になりそうで、
”忘れよう””思い出さないようにしよう”と考えていたせいもあります。
でも、やっぱり主人の両親が私達の生活に関わってくると、その事を棚上げにする訳にはいかないのです・・・
昔、主人の両親が私達に何をしてきたのか、明日の記事から書きますね。


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主人の両親と仕事用倉庫の話し・・・

2013年11月12日 15時10分52秒 | 思う事・・・
先日、仕事用の倉庫に予定していた車庫が家事で燃えてしまった。と言う話を書きました。
あれから、未だに新しい倉庫予定地が決まっていない我が家です。
おかげで我が家の玄関には、山のような塗装用の一斗缶が積み上げられたままです。
仕方なく主人と二人で、新しい倉庫をなんとかしようと探しております。

そんな中、先日、突然主人の母(姑)から我が家に電話がありました。
その内容は・・・

今まで使っていた舅の倉庫を主人の名義に変更して良いから、
代わりに、自分たちが死ぬまで、毎月3万円を払って欲しいー

は?イキナリ何を言い出すのかと思ったら?
本来、今のまま舅の持ち物であれば、舅の死後は主人に相続されるかもしれない物。
でもそれでは舅達の生活費にはならないので、主人にタダで渡すのは嫌だ。と言っていた。
ならば、主人が「買い取る。」と言えば、身内だと安く売る事になるから嫌だ。と言っていた。
要は、主人には倉庫は渡さない。と言う事ですよね?
まあね、舅達は、いま生活する資金が欲しいんだから、舅達の言うのも分かります。
元々、舅の持ち物なんですから好きにしたら良い。と、思ってました。
だからウチは、新しく倉庫を探していたのですが。

そう言っていたハズが、なぜ突然考えを変えたのか?

これはあくまで主人と私の想像なのですが、
倉庫を売りに出したら、簡単に売れて、現金がスグに手に入ると思っていたのではないでしょうか?
でも実際不動産屋に問い合せてみると、土地の価格も思っていたより安い上に、スグに売れるものでは無いことが分かった。
でも生活費は欲しい。
そこで、以前「買い取っても良いぞ。」と言っていた主人の方に目が向いた・・・
まあ~、こんな所ではないかと・・・

でもお~~~、この話には、イロイロと問題が・・・

①まず、この話を持ってきたのが、”姑”だと言うことお~!
 舅と姑の離婚の話はどうなったんでしょう?
 確か、舅に離婚の話を聞いた時、
 自宅は姑が住み、舅は家を出て倉庫を舅が売ってお金にして老後の生活資金にする。と言っていた。
 今回の話は、果たして舅は知っているのか?
 もしかして、姑が勝手に話を勧めているのではないか?
 毎月3万円は誰に払うのか?舅なのか姑なのか?
 根本的なトコロがさっぱり分かりません。

②ふたつ目は、金額が高すぎないか?と言うこと!
 舅現在74歳、姑70歳。仮に二人があと20年生きたとして、主人が毎月3万円払ったら、
 20年で720万円。それ以外に、名義変更する事で主人には固定資産税も掛かってきます。
 今の倉庫の価格としては、ものすご~く良く見積もっても、せいぜい500万円くらいの価値でしょう。
 そう考えると、主人はそれほどの価値がない土地を高~い値段で手に入れることになるんですけど?
 まあ、いつ亡くなるのかは分かりませんが、早く亡くなる事を願うなんて、私は絶対に嫌です!

③三つ目は、この話に乗ると、経費にならない!
 当たり前ですが、もし普通によその土地を購入してローンを組めば、それは経費として控除の対象になります。
 でも姑の話に乗ると、毎月の支払いは、単なる”親への仕送り”になるので、経費にはなりません。
 自営の我が家としては、確定申告の控除額は大きな問題です。

④四つ目の問題は、主人の年齢です。
 ②でも書きましたが、仮に二人が20年生きていたら、その頃主人は67歳です。
 この年齢まで、果たして毎月払っていけるのか?
 って言うか、もう主人の方が年金暮らしの入口なんですけど・・・

こーんな事を考えていると、姑の話は我が家にとってあまり良い話ではないと思うのですが・・・
ウチとしては、主人の年齢の事も有り、新しく倉庫を購入するのなら、10年以内で払いきれる物を望んでいます。
だって、まだ自宅のローンも残ってるし、ボーナスも退職金もないし、
自営である以上、これから年老いていく主人の収入が減っていくことは目に見えていますからー

ただね、こうも思うのです。
仮に他所でローンを組んで倉庫を購入したとしても、主人の両親の老後に全くお金が掛からないワケではないと思うのです。
結局、ローンも払う。親に仕送りもする。なんてコトになるんじゃないか?とも。
それなら、毎月3万ずつ渡した方が結果的に安く済むのではないか?とー
でもきっと、もしそうなったらなったで、主人の妹たちが口を挟んでくるコトも想像できるのです。
たとえ主人が「俺は毎月親に3万円渡してる。」と言っても、
きっと妹達は、「それは倉庫の代金だから別!」って言いそう・・・

そんな事をウダウダ考えていたら、もうメンドクサクなってきました。
主人の実家のゴタゴタに巻き込まれるのは出来れば避けたい。
なら、先のコトは分からないけれど、とりあえず自分たちで別の倉庫を購入した方が良いのでは?
と思っている私の考えって、間違ってるのかなあ?


✩ここまで読んで、”なんでキチンと両親と話し合わないんだ?”って思った方、多いと思います。
 そう、ちゃんと主人が両親の元に行って、家族でこれからの事を話し合うべきだと私も思います。
 でも、皆さんもなんとな~く想像は付くと思うのですが、主人と主人の両親とは、あまり仲が良くない・・・
 特に、主人が両親を嫌っているのです。(二人とも嫌いだが特に姑が嫌い。)
 傍から見ている私としては、”そこまで嫌わなくても・・・”とも思うのですが、
 主人はガンとして聞く耳を持たないです。
 まあ、それなりに理由はあるんですけどね・・・

 
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キャップ療法って・・・

2013年11月10日 18時56分28秒 | 子供・・・
オシメの治療が始まっています。
潰瘍性大腸炎の治療法のひとつ。CAP療法です。
今までに2回受けました。

治療法としては、腕に2本の注射針を刺し、一本から血液を取り出し、取り出した血液を機械に通して、
血液中からいらない物余計な物を取り除いて、もう一本の注射針から再び体内に戻します。
毎週1回。時間はだいたい1時間くらい。
ただ、治療前後の準備や片付けに結構時間がかかるので、2時間は見ておかないといけません。
一回で、だいたい2リットル位の血液を循環させます。

見た目は、透析と同じような感じです。(実際の治療場所も透析室でした。)
(オシメの場合、コレを10回行う予定です。だから来年の年明けまでかかりますね~。
毎回、CAP治療の前に採血があり、それから治療を行うのですが、
体内から取り出した血液の全てが完全に戻る訳もなく、毎回多少の血液が減ります。
治療を行うのは、医師ではなく、臨床工学技士になります。
その方が言ってみえましたが、毎回150~200ml位は減ると言ってました。
つまり、一回のCAP治療で、毎回献血と近いくらいの血液が無くなります。
(そのせいか、オシメは治療後は「少し頭がフラフラするう~(@@)」と言っていました。)

治療に使われる注射針は、結構太いです。
献血の注射針より少し細くらいだと聞きました。
それを一本の腕に2本一度に刺します。
オシメは現在右腕で行っていますが、穴が大きいせいか、注射針の後の痛みが引くのに時間がかかります。
穴自体は塞がっているのですが、仕事で重い物を持ったり動かしたりすると痛むらしいです。
単純に、1週間では痛みが引きません。
なので、その痛みが完全に治り切る前に、もう次の治療回がやってきます。
前回と同じ場所には刺しませんが、血管がある場所は決まっているので、少し場所を移動してまた注射針が刺されます。
オシメの腕を見ていると、真っ白な右腕の内側に注射針の跡があり、ちょっと痛々しいです。
これが後、8回もあるのか・・・と思うと、可哀想になります。

オシメが通う病院の担当医は、CAP治療後に毎回診察があります。
血液検査とCAP治療の結果を見るためです。
まだ2回しか行っていませんが、結果はまあまあ良好らしいです。
出血も最近は少し減ったらしいです。

注射大嫌いなオシメ、毎回顔をしかめて頑張っています。
10回終わったら、ずう~っと良くなっているとよいなあ~。
コメント (2)
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