ユッコ姉の日記

日々思うことをタリラリラン♪っと・・・。

私の出産って・・・(3人目 その3 )

2006年07月15日 15時27分55秒 | にぎやかな出産・・・
いやー、3人目にしてやっと分娩台に乗る事が出来た私。

翌日、医師が病室にやってきて、
「だから、陣痛がきたら、すぐに来るように言っといたのにー。」
と、叱られました。
(でも、早く来てても、同じ結果だった気がするんですけど?

友人達は、ワクワクしながら見舞いにやって来ました。

一部始終を私から聞いた友人達は、大笑い!
「おっかしー、kokiyuらしいー出産!」
「そんなの、分娩台で産んだって言えないよー!」
「いや、一応分娩台の上で生んだんだから、認めてやろうよー。」
「だめだめ、それ認めたら私の負けになるじゃん。」
「えー、そんなのありー?」
あんた達・・・ 人の出産をネタに遊ぶなよー! 

まあ、元々みんなの掛け金は、勝った人がまとめて私に出産祝いとして渡すはずだった。
ということで、全額私が頂きました。

ちなみに、出産場所の候補に上がっていたのは、
自宅・車の中・病室・今度こそ分娩台・病院の廊下などだったそうです。

退院する時、医師に言われました。
「kokiyuさん、だいぶ要領が分かってきましたから、次は絶対に大丈夫ですよ。
 次もぜひウチの病院に来てください!
え~、私、四人目を産まなくちゃいけないんですか~?
さすがに、それはちょっと・・・勘弁してください・・・。

でも、私自身も、今度出産する時は、絶対にうまく行く自信があったりなんかして・・・

一度でいいから、私も隣で産んだ人みたいに、ラマーズ法使って、
主人や看護師に応援されながら、普通の出産がしてみたかったなあ・・・クスン
あ、でももう産みませんよー。
やっと子供達も大きくなって、手が掛からなくなったんですから。

とにかくチョー安産の私は、それ以降、友人が妊娠するたびに呼び出され、
安産祈願と称して、妊婦のお腹を撫ぜさせられる。
という事が続いたのでした・・・。

「私、安産の神様じゃないしー、ちゃんと神社行ってきなさいよ~ 」と言ったら、
「何言ってるの、アンタは安産の神じゃなくて、急産の神でしょ。
 出産で妊婦が長い時間苦しまなくてもいいように来てもらってんのよ!
 アンタと同じように出産したら、安産どころか、
 何処で生まれちゃうか分かんない危険な出産になっちゃうじゃない!」
と、言われてしまいました・・・

  あー、長かった。出産の話は、これでおしまいです。
  ここまで読んでくれた方、あわただしい3人の子供の出産話しに付き合ってくれて、
  どうもありがとうございました
  出産も人それぞれでしょうが、「おもしろかったー」と思っていただけると嬉しいです。

   では、また明日、お会いしましょう。


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私の出産って・・・(3人目 その2 )

2006年07月14日 08時28分49秒 | にぎやかな出産・・・
分娩室のドアをぶつかるようにして開くと、分娩台に他の妊婦さんが乗っている。

「ちょっと、どいて!」
と、その人を分娩台から引きずりおろす私ー。

後ろから走ってきた看護師が
「この人のほうが、先に生まれそうだから、あなたは隣の部屋で寝てて!」
と、妊婦さんを隣の部屋に押し込める!

分娩台によじ登った私は、
「もう、出していいー!?」
「あ、ちょ、チョット待って!」
「もうダメ、出ちゃう!。」
「あ、あ、もう、手袋してるヒマもない! あーーー!」
「おぎゃー!」

はい、出産終了ー。

私は、すぐに分娩台から降ろされて、隣の部屋の妊婦と交代。

「はい、息吸ってー、はいてー、はい、息止めて!」
「〇〇子、しっかり、頑張れ!
「うん、痛いよー。でも頑張るう

隣から聴こえてくる、こんな会話を聞きながら、考えていました。
私だって、ラマーズ法まじめに練習したのに、実際には一回も使ったこと無かったなー。
あれ、私の子は何処行っちゃったんだろ?確か看護師さん一人しかいなかったような?
あ、そーいえば、すっかり忘れてた!ウチの主人は?

周りをキョロキョロしたら、いました。

主人は、私と看護師の後を追いかけてきたらしいのですが、
目の前で、分娩室のドアが閉まって、勝手に中に入る訳にも行かず、
廊下に突っ立っていたらしい。
看護師さんもバタバタで、とても「ご主人どうぞ~。」なんて
悠長に呼んでる暇なかったしねえ。

  ー 次で「出産の話し」は最後だよ ―
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私の出産って・・・(3人目 その1 )

2006年07月13日 07時56分35秒 | にぎやかな出産・・・
3人目が出来た時、私は2人目を産んだ病院を選びました。
普通より早く生んでしまう私は、私の出産に対して、
経験がある病院の方がいいだろう。と考えたからです。

さて、1人目は内診台、2人目は病室のベットの上で出産した私。
友人達は、ひそかに、今度は何処で産むか、賭けをしていたようです

病院の先生には、前回の事があるので、
「kokiyuさんは、とにかく陣痛がきだしたら、すぐ、病院に来るように!」
と、言われておりました。

でも、陣痛がきだしても、私はすぐには行きませんでした。
だって、4時間間隔とかで行ってもねえ。

1時間間隔になって、やっと病院に行った私。
3人目にして、初めて悌毛と浣腸を経験!!
う、恥ずかしい・・・。
初めて、分娩前にお腹の赤ちゃんの心音を聞かせてもらいました。

「まだ、大丈夫そうですね。今、分娩台を1人使われています。
 その方のほうが先に生まれそうですので、一旦、病室に戻りましょう。」

そう言う看護師の言葉に、一瞬不安がよぎりました。
私の病室は、この階のいちばん東側。分娩室はいちばん西側。

でも、まあ、まだ陣痛の痛みもそんなに酷くないし、間隔も15分くらいだから、
もう少し位なら大丈夫でしょう。と、思って病室へ行きました。

今回は、付き添いは主人だけです。
私の母は、「前回でもう充分!」と言って、来ませんでした。
(まあ、あんな経験したんだから仕方ないですね。

病室に戻って、私は主人に
「なーんか、今回はあんまり痛くない気がする。最初の時はもっと痛かったと思うんだけど? 
 今回はイマイチ痛みが弱い気がするんだわ。大丈夫かなあ?」
などと、話していました。

そして、わずか15分後。
「あー、ダメ。 あなた、ナースコールよんでー!!」

あわてて飛んできた看護師さん。
「kokiyuさん、歩ける?!」
ホンの少しの痛みの隙間に、私はベットを飛び降りて、
病院の廊下を端から端まで、股を押さえながら猛ダッシュ!
(今でも、よくあの状態で、あれだけ早く走れたなー。と思います。)

       ― 次に続くよ 
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私の出産って・・・(2人目 その3 )

2006年07月12日 08時08分33秒 | にぎやかな出産・・・
さて、病室のベッドと入院着をベタベタにして2人目を生んだ私。

前の総合病院では、こっぴどく叱られたのですが、
ここは、個人病院。

病院の院長と、看護婦長が病室に来て、平謝りでした。

特に、院長は、自分が診察して、"昼過ぎ"と言ったのに、
わずか、その40分後に生まれてしまったんですからねえ。
そのせいで、主人は出産に立ち会えなかったわけですから。

「先生、私ちゃんと言いましたよね?私は早く生まれちゃう方だって。」
「いやー、ホントに申し訳ない。まさか、こんなに早いとは・・・。
 しかしkokiyuさんの出産は早いですねえ。
 あなたは、早産じゃなくて急産(キューザン)ですね。」

なんじゃそれは?と思いながら、
どうやら私は10分から後が無いらしい事は分かりました。

普通の人は、この10分間隔からさらに何時間も苦しむらしいんですが、
私の場合は、10分間隔まで来ると、いきなり生まれてしまうらしい。

せっかちなのは、私か?子供か?

とりあえず、前回とは全く違う綺麗な個室で、
ご馳走を食べながら、優雅な入院生活を終えたのでした。

ああ、もっと入院していたかった・・・。

次は、3人目(コデブ君)の出産の話しです。
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私の出産って・・・(2人目 その2 )

2006年07月11日 08時48分59秒 | にぎやかな出産・・・
ビニールのシートが来るまで、
看護師は、「まだダメ、もう少し我慢して~!」と、叫びながら
ジタバタして痛がる私の服の中を、手で押さえていました。
シートがきて、あわてて腰の下に敷き終えると、
「だめー、もう出ちゃう~!!」と言う叫び声と共に
私は病室のベットの上で2人目を出産しました。

でも、あれ?、泣き声がしない?

「早く、これ破って!」 緊迫した看護師の声・・・。

やがて、赤ん坊の泣き声が聴こえてきました。
看護師が 「お母さん、今、何時何分ですか!?」
 母、   「え?え?、えーと9時40分です。」
看護師、 「ふう~。(汗を拭き拭き) おめでとうございます。元気なあかちゃんですよ。」
私の母は、自分の娘の出産を目の前で見る結果になりました。

後から母に聞いたのですが、2人目の子は袋子だったそうです。
つまり、袋を破ることなく、胎盤ごと私から飛び出してしまったんです。
母は、大きな肉の塊を見て、自分の娘は一体何を生んだのか?と驚き、
看護師も一瞬、何が出て来たのか分からなかったようで、
ウニョウニョと動く物体を見て、凍り付いていたらしい。
でもすぐ我に帰って、出てきた袋を手で破ったら、やっと子供が出てきたそうです。

(ウィキペディアのフリー百科事典で「胎盤」で調べると写真も載ってます
 内臓系の写真がダメな人は見ない方がいいかも。
 こんな物が出てきたんだから、そりゃ、看護師も母親も驚くよね。
 大きな肉の塊。しかも、これが動いてたんだから・・・

私は、卵の殻ごと産んでしまったんですねえ。
(「あんたは、エイリアンかー!」と、後で友人に言われました。)

出産後、ひと段落着いてから、母が言いました。

「もう、寝てたかと思ったら、いきなり生むんだからー。ビックリしたわよ。
 でも、kokiyuの出産は犬より楽だわ。
 うちのコロ(実家のメス犬)の方が、もっと苦しんで子供産んどったわよ!
 Kさん(主人の事)がいなくて良かったわ。
 出産がこんな簡単な物って思われたら、世の中の女性に申し訳ないわ!」

あのねー、私の出産は犬以下の上に、女性の敵ですかー?
素直に、無事、娘の出産が終わった事を喜んでよねー!
(まあ、目の前で出産見ちゃったんだから、ショックなのはわかるけどさー)

電話で生まれたことを聞いた主人。
「無事、生まれたんなら、ま、いいか。」と
夕方までしっかり仕事をして、夜になるまで病室に来ませんでした・・・。
(フツー、すぐに帰ってくるだろー!!バカー!


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私の出産って・・・(2人目 その1 )

2006年07月10日 07時03分58秒 | にぎやかな出産・・・
1人目の出産で、大きな病院に懲りた私は、2人目は個人病院を選びました。

この病院の院長には、「どうも、私は早く生んでしまう体質らしい。」ということを
初めに伝えてありました。

陣痛がきだして、30分間隔になった頃、私は病院に行きました。
早朝でしたので、夜勤の看護師はもっと間隔が狭まってから来るように言われましたが、
医師に言ってあるから!と、無理やり入院しました。
それに、今度は主人に立ち会って欲しかったので、余裕を持って産みたかったんです。
(今回は早目に病院に行ったので、私の母も来てくれました。)

午前9時。院長が診察に来ました。「うーーん、まあ、昼過ぎですね。」
それを聞いた主人は、
「じゃあ、俺、仕事があるで、一旦現場見てくるわ。昼までには戻るで。」
そう言って、さっさと病院から出て行きました。残されたのは、私と私の母の2人。

前の晩から陣痛でろくに寝てない私は、うつらうつらしては
「アイタタタ・・・。」と目を覚ますという事を繰り返していました。
母は、横でその陣痛の時間をメモしていました。

医師の診察が終わってから、4回目の陣痛で目を覚ました私。
いきなり母に、
「ダメや、生まれる!ナースコール呼んで!」
と、叫びました。

母は、起きるなり叫ぶ私に、アタフタしながらナースコールを押しました。

「どうされました~?。」
のんきなスピーカーの声に、痛がってジタバタする私を押さえながら、
「娘が、生まれそうだって言うんですけど・・・」
(この時、母は、私が寝ぼけてるんじゃないか?と思っていたそうです。)

看護師が2人病室に来て、「じゃあ、ちょっと様子見てみましょね。車椅子持ってきて。」
と、もう1人の看護師に言うのを聞きながら、
私は、「車椅子なんてムリ!もう、生まれる!!」と喚いていました。

私の服の中を覗き込んだ瞬間、看護師は言いました。
「あ、これはもうダメだわ!」
車椅子を運んできた看護師に、
「もうダメ。間に合わん!何かシート持ってきて!」

   ― (2人目 その2)に続きます ―
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私の出産って・・・(1人目 その5)

2006年07月09日 11時06分53秒 | にぎやかな出産・・・
随分、悩みました。
子供に薬を飲ませるかどうか・・・。
人数が多いので、検査の結果が出るまでにかなりの日にちがかかります。
結果が出て、感染が分かってから薬を飲ませては手遅れになるかもしれない・・・
でも、薬を飲ませて副作用で他が悪くなったらどうしよう・・・

結局、ウチは子供に薬を飲ませました。
少しの間とは言え、同室にいたこともあり、感染の確率が高いと思ったからです。
あの人と同室だった時、うちの子を見て、
「触らせて~。」と、抱っこした事もありましたから。

やがて知らされた検査結果は、
感染した子は同じ保育器に長い間入っていた子1人だけでした。ということでした。

それでも、その後、子供が風邪をひいたり、熱を出したりすると、
あわてて病院に駆けつけ、いちいち医師に結核騒動の話をし、結核じゃないか?と心配しました。

ある日、その話を友人にしていたら、彼女はこう言いました。
「大変な目にあったねえ。でも、あの病院で良かったねえ。
 個人病院なら、きっと隠ぺいされてたんじゃない?」
そうか!目からうろこでした!
市が経営する大きな病院だからこそ、隠しきれなかった!
個人病院なら、検査も薬もないのはもちろん、それどころか連絡さえなかった可能性もあった・・・。

うーーん、大変な目にあったけれど、まだラッキーだったってことでしょうか?

子供の誕生日が来ると、今では私より背が高くなってしまった子供を見ながら、
あんな事があったのに、よくここまで成長してくれたなあ~。と、
心から思えるのも、この騒動のおかげかもしれません。

次は2人目の出産の話に続きますー。
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私の出産って・・・(1人目 その4 )

2006年07月08日 09時55分51秒 | にぎやかな出産・・・
退院して1ヶ月もたたないうちに、
突然病院から電話がかかってきました。
「〇月〇日に子供を連れて、必ず病院に来てください。」

なにごと?と思い、指定された日に行ってみると、
そこには沢山の親子が来ていました。
なんと、病院では、結核騒ぎが起きていたんです!

病院の説明はこうでした。

ひと月ほど産科に入院していた患者さんが、実は結核菌を持っていた事がわかり、
その子供にも感染していた事が発覚。
子供は、ずっと新生児室で預かっていたので、
その期間に生まれたほかの子供達にも感染している可能性がある。
だから、全員集めて、感染していないか検査します。

えーー!!子供の数、ゆうに100人以上はいたと思います。

それから、生後1週間~1ヶ月以下の子供達のレントゲンを撮り、手の甲から採血をし・・・。
泣き声の大合唱・・・
私は近くにいた他のお母さん方と、目を潤ませながら話していました。

病院側から名前が出る事はありませんでしたが、みんな気付いていました。
「あの人だよね。」 「うん、他にそんな人いないもん。」みんな、目配せでわかるほどでした。
結核菌の持ち主。
そう、私も同室になった、意地悪でムチャクチャ態度の悪い母親。

「入院してる時も散々嫌な思いさせられたのに、退院してまでもって、どういう奴よ!
「ほんとに、嫌な女!。あの人自分が結核菌持ってるの知ってて、医者に言わなかったらしいよ!
「いい迷惑!うちの子保育器で一緒だった。結核菌うつってたらどうしてくれよう!殴ってやる!

嘘か誠か、本来なら、自分の子が生まれたばかりで、幸せ一杯のお母さん方ばかりのはずが、
ひどい罵詈雑言。
でも、状況が状況なので、鬼にもなりますよね?

沢山の検査の後、病院側から全員薬を渡されました。
「念のため、これから2ヶ月間その薬を子供に飲ませてください。」
1人の親さんが、
「こんな生まれたばかりの子供達に2ヶ月も薬を飲ませ続けて副作用はないのですか?」
と質問しました。
「ない、とは言い切れません。ですから飲ませる飲ませないは親さんの判断です。
 ただ、薬を飲ませず、結核が発症した場合はこちらとしては責任取れません。」

ひえ~、マジですか~・・・。


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私の出産って・・・(1人目 その3 )

2006年07月07日 07時53分17秒 | にぎやかな出産・・・
昨日は忙しくてPC触れませんでしたー。
では、続きです。

とりあえず、なんとか無事に生まれたわが子でしたが、
この病院は、最悪でした・・・。

出産後、私はすぐに母乳が出ませんでした。
看護師には、「ちゃんとマッサージしてなかったんでしょ!」と叱られました。
(でも、研修生がついてた私は、他の人より沢山マッサージしてました。

まもなく母乳は出るようになったのですが、今度は子供がうまく飲めません。
私も初めてのことで、うまく飲ませられなかったのかもしれませんが、
毎日、パンパンに張る胸。痛くてたまらず、看護師に言うと、
「じゃあ、食べないようにしてください。今日から食事は半分で。」
えーー、それでなくても総合病院なので、食事は殆んど病人食と同じ。
薄味で量も少ないのに、それを更に食べるなとー?

お見舞いや、お祝いに、みんないろんなおいしい物を持ってきてくれるのに、
私は指をくわえて見ているだけでした。

相部屋しか空いてなかったのですが、同室になった人は、子供を生む前から入院していて、
生んでからも、熱が出るので子供は新生児室に預けたままの方でした。
その為、私のベットに子供がいて、夜鳴きなんてすると、
「う、うん、!!」と、あきらかにいやそうで・・・
自分の子を手元に置いておけない辛さはわかるけど・・・。ムチャクチャ態度悪い人。

私の元に見舞いに来てくれた人達も、隣のベットに気を使い、みんなそそくさと帰ります。

他の人に聞いたら、この人みんなに意地悪するらしくて、
みんな嫌がってすぐ部屋を変わるんだそうです。
もちろん、私もすぐに移動させてもらいました。

最悪の入院生活も終わり、無事退院。
でも、この病院の本当の恐ろしさは、ここからでした・:・。


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私の出産って・・・(1人目 その2 )

2006年07月05日 11時14分20秒 | にぎやかな出産・・・
なんとか病院の急患受付にたどり着いた私は、その場で、
「あーーーーー!。」と、陣痛の痛みで座り込んでしまいました。

飛んできた数人の看護師にストレッチャーに乗せられたのですが、
看護師達は私が初産と知ると、途端にシラ~っとした雰囲気にー。
(ギャーギャーうるさいな!)というカンジがヒシヒシと伝わってくる・・・。

確かに、初めてで私もかなりパニックになっていたと思います。
でも、破水している上に、太ももの間に何かぶら下がっている物が・・・
私がそれを訴えても、
「はいはい、じゃ、一応見てみますね~。

私の担当だった研修生と私を残して、他の看護師は診察室から出て行ってしまいました。
内診台に乗せられた私は、
「なんかある、なんか足の間からでてる!。」と叫んでいました。
研修生は、「はーい、じゃあちょっと見せてもらいますねー。」とのんびり。
すぐに、研修生は「ちょっと、待っててね。」と言って、診察室を出て行きました。

彼女がドアを閉めて、私は内診台の上に乗せられたまま、一人にされた瞬間!
「バシャーッ。ビチャビチャ!」と言う水音がして、次の瞬間、赤ん坊の泣き声が!!

女性ならご存知でしょうが、産科の内診台に受ける物などあるはずも無く、
私は子供が下に落ちた!と思いました。

「誰か来てー、誰か来てー、誰か来てー!」

冬の朝、5時、産科の病棟に身動きできない私の叫び声が響き渡りました。

バタバタと走ってきた数人の看護士。もう、私は大泣きで、パニック状態です!
次の瞬間、看護師が私に言った事!

「もう、こんな所で産んでまって!」

そう言うと、ポンと赤ん坊を私のお腹の上に乗せました。

その後も、「向こうで用意しとったのに。」「あーあ、掃除大変」「まったく、もう」など、
ブツブツ聞かされました。

私が悪いのか?どー考えても、お前らのミスだろ!!
という、怒りよりも子供の事が心配でなりませんでした。

この時、看護士達は何も言いませんでしたが、幸い、子供は下には落ちていなかったそうです。
私のへその緒が普通の人よりかなり長かった為、
子供はそれが首に巻き付き、足の間から頭だけ出て泣いていたそうです。
(生まれる前に足の間にぶら下がっていたのは、その長いへその緒だったようです

と言う事は、もしへその緒が普通の長さで、子供の首に巻きついていなかったら、
あきらかに子供は診察室の床に叩きつけられていた?
後から、考えれば考える程、恐ろしく、腹立たしかった!!

なにより、生まれて初めて聞いた言葉が、
母親の悲鳴と看護師の「こんな所で産んでまって!」という怒鳴り声だったなんて・・・

自分の子が可愛そうでしかたありませんでした・・・。

ちなみに主人は、駐車場に車を止めて、やっと産科まで上がってくると、
いきなり看護師に 「はい、産まれました。」と、子供を手渡されたそうです。

病院に着いてから、5分後のことでした・・・。


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