ユッコ姉の日記

日々思うことをタリラリラン♪っと・・・。

また、頻脈が・・・って

2014年02月27日 10時03分32秒 | 私の病気・・・
今日、また私の”頻脈”が起きてしまいました。
え~と、前回の頻脈が確か9月だった。 その事が書いてある記事→『いろいろありまして・・・』

私はこの日遅番で、ちょうどお昼休憩を終わって午後の仕事に入ってスグだった。
洗濯物を畳んでいたら、イキナリ、”ドクン!” と来た!
あ、ヤバイな! と思ったけど、どうしようもない。
それから急いで職場にあった血圧計で計るけど、何回計ってもエラーになってしまう。
あまりに脈拍数がありすぎて、血圧計が読み取れないらしいー
仕方ないから、事務所の所長に頼んで、サチュレーション(SpO2)を借りて計ってみた。
私の脈拍数、226 ・・・・・
さて、それからは今までと同じ。
息が苦しくなって、喉元が締め付けられるような痛み。
体は動かせるんだけど、ちょっと動くだけでスグに脈拍が跳ね上がり、息が出来ない!

所長が「大丈夫なの?横になってた方がいいんじゃない?」と言ってきたけど、断った。
今までも、横になっていても楽になる事はなかった。
いつも1時間半くらいで治まる。それまでは、とにかくジッとして治まるのを待つしかないのだ。
幸い、今日は昼の勤務者が私を含めて3人いた。
仕事を二人に頼んで、私はフロアーの片隅の椅子にすわり、ハアハアと息をついていた。
今回は、今までよりチョット長かった。治まるまで2時間半かかった。

ようやく脈拍数が120まで下がって、体も楽になった。
事務所に行って所長にサチュレーションを返しに行ったら、所長が言った。

所 「kokiyuさん、大丈夫なの?」
私 「はい、もう120くらいまで治まりました。
所 「明日にでも、もう一度医者に行ってきた方が良いんじゃない?」
私 「でも、発作が起きている時の心電図がないと原因が分からないので、明日行っても意味がないと思いますが?」
所 「でも、何か薬とか出してもらえないの? 
   そんな風に発作が起きる度に休憩したりしてたら仕事に支障が出るでしょ。
私 「・・・。

あのさあ~、たぶん、悪気はないんだとは思うよ。でもさ、何よりもまず ”仕事”なんだね。
私の体の為の薬ではなくて、”仕事に支障をきたさない為の 薬”ですか?
そう思うのなら、つい2時間半前に私に発作が起きたとき、早退させてくれたらいいじゃない!
そしたらスグに病院に行って心電図撮ってもらって、原因がハッキリするわよ!
そしたら、薬だって出るでしょうよ!
だいたい、今日は事務所にも2人も人がいるんだし、私が一人抜けても事務所の人間が手伝ってくれれば、なんとかなるでしょ?
私の脈拍が200を超えても、絶対に「帰ったら」とは言わないで、今になってそ~ゆーコト言う?
それに、”仕事に支障”って、別に頻繁にあるわけじゃない。数ヶ月に1回。それも2~3時間くらいのコトだよ?
オシメが入院した時といい、今回といい、所長!いくら何でも、ちょっと酷くないですか?

ああ、こんな事言われるなら、発作が起きた時に、スグに「帰ります」って言えば良かった。
なんで私、仕事をサボれないんだろう?
なんで私、”仕事しなきゃ”って思っちゃうんだろう?
ついこの前、後悔したばっかりなのにい~

結局、最後まで仕事して帰った私です。19:30

ああ、私やっぱりこの職場辞めようかしら?
もう少し、スタッフを大事にしてくれないだろうか?
なんだか、このままここに勤めてたら、いずれ私、エライ目に合うんじゃないだろうか?


✩ 19時頃、所長が「お疲れ様~」と帰っていった。その時に、
   所 「kokiyuさん、もう大丈夫なの?」と聞いてきた。
   私 「はい。もう治まりました。」
  所長、前回のオシメの入院の時も、3日ほど経ってから、「kokiyuさん、娘さん大丈夫なの?」と聞いてきたね。
  所長も、自分の言った事が後から気になってるのかもしれないけど、やっぱり遅いよ・・・。
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コデブの再就職って・・・

2014年02月26日 14時20分41秒 | 子供・・・
コデブの再就職が決まりました。

少し前の記事の、派遣会社の話しの後、
改めてハロワで紹介された、幾つかの会社の求人情報。
その中の1つに、見覚えのある会社名が・・・

それは、コデブがまだ高校2年生だった時。
コデブが通う高校では、毎年いろんな会社が直接高校に来て、自分の会社を紹介するイベントがありました。
コデブは、ある企業のブースでその会社の人ととても仲良くなったのです。
イベント見学の時間内、ずう~っとコデブはその会社の人と話していました。
翌年も、その会社はイベントにやってきていました。担当の人も同じ人だったらしく、
コデブはやっぱりその会社の人とずっと話をしていました。
そして就職先を決める時、コデブはその会社を希望したのですが、
コデブの成績が足りなかった為、学校の先生からその会社の入社試験を受けさせてもらえなかったんです。
今回、ハロワから紹介された会社の中に、その会社があったのです。
コデブは迷わずその会社に応募しました。
会社に電話した時、応対の電話に出たのは、偶然にも2年前と3年前にブースで仲良くなった人だったそうです。

その後、履歴書を送ると、会社の方から連絡があり、入社試験を受けることに・・・
あれ?ハロワからの求人情報には、”面接のみ”と書いてあるのに、
ナゼか、筆記試験・作文・適性検査・面接・・・
これは、完全な入社試験では・・・

そして待つ事1週間。コデブに採用の連絡がありました。
何とも皮肉な話ですが、高校の時成績が足りなくて入社試験すら受けることの出来なかった会社に、
一年経って、入社できてしまいました・・・

ただ・・・
この会社は幾つかの支社を持っているのですが、
コデブが希望していたのは、ウチから車で10分ほどで着く支社だったのですが、
配属先は、片道車で40分以上かかる支社になりました。
ハッキリ言って、”山”です。
この支社がある地域は、冬になると、そーとー雪が積もる・・・
たぶん、冬になったら、通勤時間は軽く1時間以上かかるでしょうね。
来月から研修とお仕事が始まるそうです。


✩ 今度は長く続いてくれるといいなあ~

✩ コデブの車、4輪駆動にして大正解だった・・・
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コデブの車を買いました・・・って

2014年02月25日 21時48分29秒 | 主人・・・
さて、私がオシメの入院でバタバタしていた時、主人は何をしていたのでしょう?
な~んにもしていませんでした。と、言うか、ずっとお仕事してました。
約10日間ほどのオシメの入院の間、主人がオシメの元に来たのは、最初の1日だけ。
その後は、退院するまで一度も顔を出さなかったんですよ!

そして、私がオシメの入院と、自分の仕事と、オシメの新居の手続きに追われている間に、
ナント主人、コデブの車を購入してました!

主 「明後日 納車だから、おまえ コデブを自動車屋まで連れてってやってな。」
私 「ハア?」

主 「だって俺、その日仕事でコデブを連れていけないからさあ~」
私 「私だってその日は、夜勤明けなんですけど!」
主 「ちょっとコデブを送ってくだけなんだから、帰ってきてから行けるだろお~」

全く、私が忙しい日々を送っている間に、コデブと相談して勝手に車の購入手続きを済ませておいて、
しかも、私には事後報告のうえ、その私を使うんかい!!

現在無職のコデブでは車のローンは組めないので、主人名義で車のローンを組んだらしい。
毎月コデブからローン代を支払って貰うつもりらしい。
まだ、就職先も決まってないのに・・・

軽バンの4輪駆動って・・・ そんなの必要かあ~???



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オシメが退院しました・・・

2014年02月21日 13時27分54秒 | 子供・・・
皆さん、ご心配お掛けしましたが、
今日、ようやくオシメが退院しました。

熱も引き、嘔吐・下痢も治まり、口腔内と食道の炎症も治まり、
流動食から始まり、重湯・おかゆ、やっと普通のご飯が食べられるようになりました。
とりあえず今週いっぱいは自宅で療養し、来週からお仕事に行く予定です。

この2月は、オシメは殆どお仕事行けませんでした。
何しろ、4日から体調崩してましたから・・・

自宅に帰ってきたオシメは、イキナリ主人と喧嘩してました。
まあ、それだけ元気があれば、お仕事も大丈夫でしょ。

とりあえず、みなさんにご報告までー

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ソチ五輪のフィギュアスケートを見て・・・

2014年02月20日 15時10分25秒 | 思う事・・・
ソチオリンピックも残りわずかになってきました。
皆さん、オリンピック見てますか?

先日の羽生選手の過去最高得点101点のSPの演技。
あまりに素敵で、ネットで動画を探しては何回も見るほど。
フィギュアスケートは好きだけど、今まで一度見ればそれで満足してたのに、
こんなに何回も繰り返し見たい!と思ったのは初めて!
その後の決勝は転倒してしまったけれど、でも金が取れてホッ。
イロイロ悪い条件が揃っていたみたいだけど、それでも、とても楽しそうに滑る彼は素敵でした。

そして真央ちゃん。
予想外の結果に、私達も驚いたけれど、きっと本人が一番辛いと思う。
そんな中、ある番組を見ていたら、コメンテーターの一人が、
「ここからは、自分の為に頑張って欲しい」みたいなことを言っていた。
ちょっと、ウン?と思った私。
だって聞きようによっては、メダルが取れないならもう日本は関係ない。みたいにも聞こえる。
もちろん、そのコメンテーターがそんなつもりで言ってないのは重々承知だけれど・・・

そこでフト、昔のことを思いだしたー
私が高校生だった頃。(30年くらい前
柔道部のマネージャーだった私は、ある試合を見に行っていた。
当時、かなり強かったウチの高校の柔道部。
でもその団体戦試合では、結果として負けてしまった。
5人の選手のウチ、3人が負け、もうウチの柔道部の負けは決定していた。
でも、後の2人は頑張って戦っていたんだ。
そんな部員の姿を、観客席で辛い気持ちで見ていた私。
すると、私の後ろから、こんな話が聞こえてきた。
「○○高、もう負け決定してるんだから、さっさと負けて終わりにすればいいのに。」
思わず後ろを振り返った私。それは、どこかの高校の男子生徒のようだった。
暫くして試合が終わり、観客の皆が席を立った時、私は後ろにいた男子生徒を捕まえた。
その場で自分が○○高校の柔道部のマネージャーである事を名乗って、
そして、その男子生徒に、
「たとえ負けが決まっていても選手は頑張っていた。アナタにそんな事を言われる筋合いはない!」
みたいな事を、けっこう強く言ったと思う。

それから暫くして、試合を終えた柔道部員たちが出てきたんだけど、
そこで私は、ウチの柔道部の主将が私を見つけて困った顔をして言われた。

主 「お前、何やったんや?さっき他校の高校生に声掛けられて、
   ”お前んトコのマネージャー調子に乗ってる。生意気だ!”って、ムッチャ文句言われたんやけど・・・
   俺、”ウチのマネージャーが迷惑かけてスミマセン。”って、謝ったんやぞ
私、「ハア~?!

私が文句を言った他校の男子生徒、私とモメた後、わざわざ選手控え室まで行って、ウチの主将に文句を言いに行ったらしい。

なんてヤツ!!!
女の私に責められて口で勝てなくて、その腹いせに選手の方に文句言いに行くなんて!!

私は主将にその男子高校生が試合中に言ってた事、それに対して私が文句を言ったことを話しました。
私の話を聞いた主将と選手達、たくさんの人がいる会場の中から、相手の男子高校生を探し出した。
そして主将は、その男子高校生に、私の話を聞いた事。マネージャーが言う事は間違ってないのではないか?と。
結局、その男子高校生は、主将と厳つい体のウチの柔道部員に囲まれて、最後には謝っていたー
でも、私には絶対謝らなかったな・・・

今から思うと、わたし、随分あの柔道部に入れ込んでいたと思う。
”道楽マネージャー”の異名を持ちながらも、それでも私の高校生活は、その殆どを柔道部が占めていた。
当時、毎年全国大会に出ていたウチの柔道部は、364日が練習だった。
休みは確か、元旦だけだった覚えがある。何よりも部活が優先。
部活に来ても、柔道着を洗うわけでもなく、記録をつけるわけでもなく、殆ど何もやらず遊んでいた私達マネージャーだったけど、
それでも、部活を休む事だけは絶対に許されなかった。
たとえ、部活に出て、お菓子食べてたり、漫画読んでたり、宿題やってたりしててもいい。
でも、休む事だけは絶対にダメ!
県以上の大会は流石に無理だったけれど、そこに行くまでの大会は、
試合の時、監督先生のすぐ横は私達マネージャーの場所だった。(マネージャーは私ともう1人の女子二人)
だから私は当時、自分が柔道部の一員であることを、とても誇りに思っていた。
試合で負けると、会場で大声で泣いた事もあったな~。ムチャクチャ目立った!
気が強く、負けず嫌いの私は、たぶん、あの時の主将にとって、困ったマネージャーだったかもしれないな・・・
と、今になって思う。

30年も経った今となっては、懐かしい思い出でだ。
そんな記憶を思い出させてくれたフィギュアスケート。
真央ちゃん、頑張れ!
明日のフリー、楽しみにしてるよ!
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オシメが入院!!!Σ(゜д゜;) ヌオォ!? ー結果ー

2014年02月13日 23時35分46秒 | 子供・・・
さて、入院して3日目。(これは12日の日の話し)
この日、本当は私、お仕事だったんだけど、所長に頼んでナンとか休みにしてもらった。
本当は、もう1日休みを希望したんだけど、シフトの関係上それはムリ。との事だった・・・。

さて、朝からオシメの病室に陣取った私。
今日は担当医が出勤している日。
ここまでオシメの病状について詳しい話を何も聞いていなかったので、一体どうなっているのかサッパリ分からなかった。
翌日は私は仕事で夕方まで病院に来れないという事もあって、
何としてもこの日のうちに担当医を捕まえて、オシメの病状を聞く必要があったのだ。

昼ご飯の時間になって、やっと担当医と会うことが出来た。
結果から言うとー

オシメの病気は髄膜炎ではなかった。「たぶん、咽頭・扁桃炎だろう。」とのこと。
つまり、 風邪 喉の炎症 発熱 頭痛 吐き気
これに、少し前から潰瘍性大腸炎が悪化して体が弱っていたのも追加され、下痢やら腹痛やら逆流性食道炎も。とー
まだ食べ物がマトモに食べられる状態ではないので、とりあえず、あと1週間ほど入院してください。
との事でした。


まあ 一言で言えば、”風邪をこじらせた!” と言うことでしょう。

とにかく、髄膜炎でなくて良かったあ~♪


やっとオシメの病状も今後の予定もハッキリしたので、私は他の用事に取り掛かることにしました。
午後からは、銀行に行ってお金をおろして、市役所に行って主人の印鑑証明を取って来て、
○○店に行ってタイヤを新しく付け替えてもらって、不動産屋へ行ってオシメのアパートの書類を提出してきました。

バタバタ アチコチ出歩いて、もうクタクタ・・・
あ~、忙しい1日だった。
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オシメが入院!!!Σ(゜д゜;) ヌオォ!? ーそれからー

2014年02月12日 17時30分07秒 | 子供・・・
さて、オシメが入院した翌日、私のお仕事はお休みでした。
しかし、この日も担当医はお休みで、話を聞くことが出来ない・・・
まあ、オシメもかなり体調も落ち着いてきて、吐き気は治まってきたし、熱も37度台だったので、
ホッとひと安心していた。
でも、まだ食べ物は殆ど食べられず、必要な栄養は点滴に頼っている状態だった。
午前中にオシメの病室に顔を出した私は、意外と元気なオシメを見て、
付き添っていても仕方ないので、自動車のパンクを直してもらいに行く事にしました。

近くのタイヤショップに行ってタイヤを見てもらったんだけど、直してもらえなかった。
理由はー
1・そのタイヤショップでは、私の車に付いているメーカーのタイヤを扱っていなかった。
2・パンクしたタイヤは再生不可能。無理に修理するとバーストする可能性アリ。
3・使っているタイヤがちょっと特殊で、多分何処に行っても在庫が置いてなく、取り寄せになるだろう。
4・スペアタイヤも十年以上放ったらかしにされている物だった為、これも変えたほうが良い。
  このまま使っていても、何日もつか分からない。

マジですか・・・

仕方なく仕事中の主人に連絡し、タイヤを購入した○○店を教えてもらい、
午後からそちらのお店に向かった。
○○店に着くと、お店の人が出てきて、私の説明を聞いてタイヤを見て即答。
店 「このタイヤ、今ウチに置いてないから取り寄せだね。」
やっぱりか・・・ と思いながら、いつ届くのか尋ねると、翌日にはOKだと。
翌日にもう一度お店に行くことを約束して、お店を出た私。
すぐ近くに、ショッピングセンターがある事に気がつき、オシメの物を買おうと寄ってみた。

ショッピングセンターの中をウロウロ見て回り、オシメの入院中の下着を買う。
フト、下着売り場の隣に手芸用品店を見付けた。
何気なく見て回っていて、思わず自分で笑ってしまった。
前日、あれだけ仕事の不満を漏らしていたのに私・・・

いろんな手芸用品を見ながら、
”これなら入居者のAさん、興味持つかな?”
”あれなら、入居者のBさんでも出来るかもしれない!”
”コッチの道具を使えば、入居者のCさんでも作れるかもしれない。”
な~んて、職場の入居者のお爺さんお婆さんの事ばかり考えてる・・・。
オシメの入院に必要な物を買いに来たはずなのに、なんで?

う~~~~、私って、つくづく仕事人間なんだなあ~

自分自身にゲンナリしながら、家にかえった私です・・・


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オシメが入院!!!Σ(゜д゜;) ヌオォ!? ー続きー

2014年02月11日 00時53分51秒 | 子供・・・
さて、スペアタイヤを付けて、急いで職場に向かった私。
ホントは10時半出勤だったけど、職場に着いたのは13時半。
職場では、早番の子の代わりに所長が。そして私の代わりに、夜勤明けのスタッフが頑張ってくれていた。
夜勤明けの子、前日の16:30から働いてた訳だから、20時間以上連続勤務!
夜勤明けの子に謝罪とお礼を言って、大急ぎで仕事を交代した。
それから、バタバタと入居者さん達をお風呂に入れて、午後の体操をして、おやつを出して、トイレ介助して、
やっと休憩を取れたのが15:30だった。
朝から何も食べてない私は、もうヘロヘロ・・・
15分休憩の間に、病院の売店で買ってきたパンをかじっていたら、何だか泣けてきた。

だって、オシメの事を思い出すと、心配で仕方がない。
検査結果を聞く間もなく病院を出て来てしまったから、オシメが髄膜炎だったのかどうかも分からない。
もし髄膜炎だったとしたら、細菌が入ったのか、ウィルスが入ったのかによって、今後の病状が変わってくる。
ただ、私が見ていたオシメは、真っ青な顔色をしているのに、熱が上がってくると、みるみる頬が赤らみ、
アタマ痛い・・・」と小さな掠れた声を出しながら、ポロポロと涙をこぼす・・・
暫くして顔の赤みが引いてくると、今度は顔が真っ白になり、「気持ち悪い・・・」と苦しむ。
それを繰り返していたー

私、いったい何やってるんだろう?
自分の娘が、酷い病気かもしれなくて、もの凄く苦しんでるのに、
それを放ったらかして、なんで赤の他人の爺さんや婆さんの入浴したりしてるの?
別に、一日くらいお風呂に入らなくても大丈夫でしょ?
おやつなんて食べなくっても、あなた達死なないわよ!むしろ、太って困ってるくらいじゃない!
私の娘は、いま、病気で食べ物も薬も受け付けられずに苦しんでるのよ!
なんで私、こんなトコロで、こんな事してるんだろう?
なんで私、所長に「今日はどうしても無理です!」って断れなかったんだろう?

そんな事をウダウダと考えていた。
とりあえず、何かあったらスグに職場に連絡が貰えるように手配はしてきた。
でも、もし今連絡があっても、私はスグにオシメの元に駆け付けることが出来ない!
いま私が抜けたら、介護出来るスタッフがいなくなってしまうから・・・
そんな事を考えてたら、泣けてきた。
介護って、ここまで自分を犠牲にしなくてはならないの?

そのうちに、「風邪だから」と急に休んだ早番の子にも腹が立ってくる。
私なんて、38度以上熱があった時も「見守りだけでもいいから出てきて!」と言われて、仕事に出てた。
脈拍が200を超えて、胸が苦しくて息がロクに出来ない状態でも仕事してきた。
この3年近く、私は、一度も自分の体調不良で仕事を休んだ事がない。
なのに、なんでアンタは電話一本で仕事を休んで、
私は、入院するほど具合の悪い娘を置いてまで、仕事に出てこなくてはいけないのか?

夕飯も終わり、私は一秒でも早くオシメの元に行ってやりたくて、大急ぎで片付けをしている。
そんな中、所長が「お先に失礼します」と帰っていった。
その事にも、イライラと腹が立ってしまう・・・
先に帰るくらいなら、台所の片付けを手伝って、私を少しでも早く帰らせて欲しい!と思ってしまう。
分かってはいる。
所長だって今日は大変だったのだ。所長の仕事もしながら介護スタッフの仕事もして、1日中大忙しだった。
私がここに居るのは、所長が「何とか出てきて」と言ったからじゃない。
自分が”行かなきゃ”と思って来たのだ。
もし私が「どうしても行けない。」と言ったら、きっと所長は、それでも何とかしたと思う。
自分がここに居るのは、自分の判断だ。自分のせいー

 これは、  ”後悔” その一言に尽きる・・・

結局、最短で片付けを済ませ、タイムカードをジャストで押して、私は速攻で病院に向かった。
時刻は19:30を過ぎていたー


病院に着くと、頼んでいた私の両親が来てくれていて、オシメのベットの横に座っていた。
オシメは、随分元気になっていた。
まだ顔色は悪く、食事も流動食さえ受け付けないが、点滴と座薬で熱も下ったらしく、
頭痛も治まってきて、吐き気もあまりなくなってきていた。
ナンとかベットから一人で体を起こせるくらいにはなっていた。
両親の話しだと、夕方16時を過ぎた辺りから、少しずつ調子が良くなってきたそうだ。
(それでも、あれから4時間位は苦しんでいたんだ・・・と思うと、辛かったー

その後、まもなく私の両親は帰っていき、「今夜は付き添う!」と言い張る私に、
オシメは「ひとりでも大丈夫だから」と言うので、渋々自宅に帰った私です。


✩ 次々にイロンナ事が起きて、ムチャクチャ慌ただしく忙しい一日だった。
  そして、自分自身について、いろいろ考えさせられた日でもありましたー 
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オシメが入院!!!Σ(゜д゜;) ヌオォ!?

2014年02月10日 22時14分36秒 | 子供・・・
今朝、オシメが入院しました・・・。
入院理由は、先日記事に書いた、潰瘍性大腸炎の悪化・・・ではなく、

 ”髄膜炎の疑い!!”

なんでイキナリ?! と言いますと・・・

遡ること1週間ほどー

4日 オシメが熱を出す。一時は38度台まで上がった為、仕事を休んで1日寝ていた。
5日 だいぶ楽にはなったが、熱はまだ37度台。
6日 熱は36度台まで下がり、スッカリ元気に♪
    夕方から消化内科の定期検診があり。
    担当医に入院の話をされるも、それまで薬をサボっていた事をオシメが自白した為、
    担当医と私で話し合った結果、キチンと薬と食事制限をする事で、もう少し様子見ーということになった。
    この際、風邪で熱が出ていた話しもしたが、この時点でスッカリ元気になっていたオシメだった為、
    担当医も私も、一時的な風邪だったのだろう。と、特に気にしなかった。
7日 本人曰く、朝から少し体がダルくフラつく感じはあったけれど、大した事なかった為仕事に出かける。
    熱も平熱の36度台。
8日 朝から発熱38度台。頭の鈍痛と下痢と軽い咳と鼻詰まり。
    もしかしたらインフルエンザかも?と疑い、
    病院に行こうと思ったが、土曜日だった為いつもの病院はお休み。
    仕方なく、近所の土曜日もやっている個人病院へ行く。
    そこでインフルではなく風邪。と診断され、咳止めやら熱冷ましやら抗生剤やら貰って家に帰る。
9日 オシメの熱が上がったり下がったりを繰り返す。本人は食欲も全くなくヘロヘロ状態。
    殆ど何も食べられず、薬だけは頑張って飲んだが、スグに吐いてしまう。
    夜になって、酷い頭痛が起こる。頭痛からくる吐き気なのか風邪からくる吐き気なのかも分からず、
    兎に角、何か口にすればスグに吐いてしまう。当然薬も全く飲めず。
10日 流石にコレはヤバイ!・・・(゜_゜i)タラー・・・ と思い、朝イチでいつもの病院に行く。
    担当医は休みだった為、同じ消化内科の他の医師に見てもらう。
    その医師は、”髄膜炎の疑いアリ!”と診断。
    急遽入院となるー


ざっと、こんな所でしょうかー 
さて、この急遽入院が決まった今日、私の仕事は遅番だった・・・
オシメが急に入院になったから、心配だし入院の準備もしなくてはならないので、私はお仕事を休もうと職場に電話した。
ところが・・・

電話に出た職場はバタバタ状態だった・・・
ナント、この日の早番の子が急に風邪を引いた為、イキナリ仕事を休んでいた。
他のスタッフも、どうしても都合がつかず、仕方なく所長が直々に介護の仕事をしていたのです!
電話で所長にオシメの入院の事を話すも、兎に角人手が足りない状態の職場、
所長に、「遅刻しても良いから、落ち着いたらナンとか仕事に出てきて!」と頼まれる。

それからオシメは血液検査やらCTやら数々の検査を受け、やっと病室に案内されたのがほぼ0時。
朝から何も食べていない私は、お腹ペコペコだったけど、自宅に必要な物を取りに行こうと、
病院の駐車場に停めてあった車に乗り込んだ。
これでナンとか午後1時までには職場に行けるか?と思ってエンジンをかけた時、
フト、車のワイパーに何か紙キレがついていることに気がついた。
(??)なに? 駐車場で駐禁なんてないよなあ~?
と思いながら、その紙キレを取って見てみると、そこには鉛筆で走り書きがー

 ”後輪のタイヤ パンクしてますヨ” と、書いてあった。

え! と驚いて車を降り、後輪を見てみると・・・

 キャー!! 左の後輪がペッタンコになってるーーー!!!

もう信じらんない!
なんで、なんでこの大変で急いでる時に、こんなコトが起こるのおーーーー!!!

もうパニック状態の私!(><;)
どうしよう、どうしよう、どうしよう・・・・(°°;)"((;°°)
とりあえず主人に電話した。
幸い、この日の主人の仕事先は病院から近い所で、更に、丁度お昼休憩の時間だった為、スグに病院の駐車場に来てくれた。
とりあえず主人にスペアタイヤに直してもらっている間に、
私は近くのショッピングモールに行って、入院に必要な物を買ってきた。

主人はタイヤを交換すると、急いで仕事に戻っていきました。
そして私は、あとをコデブに頼んで、急いで職場へー

 ーこの続きは明日に書きます。ー


 ✩ この時のパンク、最初はイタズラでされたのでは? と疑っていたのですが、
   主人が見たら、何かビスが刺さっていたらしいです。
   つまり、私が何処かでビスを踏んで、タイヤに刺さっている事に気づかず運転していた。
   そして病院の駐車場に停めている間に空気が抜けたらしい。(そう言えば、病院まで行く途中で工事していた・・・)
   誰かが病院の駐車場で、たまたま私の車のパンクに気がついて、ご親切にメモに書いて教えてくれていたー
   何処の何方か分かりませんが、本当に本当にありがとうございました。
   もしあのまま気がつかずに私が車を動かしていたら、きっと自宅まで行く途中で立ち往生していたと思います。
   入院の準備が出来たのも、無事に仕事に行けたのも、あなたのおかげです。
   本当にありがとうございました。<(_ _*)> m(_ _)m    
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派遣会社って・・・

2014年02月09日 21時01分09秒 | 子供・・・
さて、勝手に会社を辞めて家に帰ってきてしまったコデブ。
毎日私の痛~い視線を受けて、やっと重い腰を上げてハロワにー

ハロワから帰ってきたコデブ、私に大きな声で嬉しそうに言った。

コ 「母さん、俺 スカウトされた!」
私 「はっ?」

話を聞くとー

ハロワに行って失業手当の手続きをしたコデブ。
幾つかの求人情報が書かれた書類を貰って、ハロワの建物を出てきた。
主人に迎えに来てもらおうと、近くのショッピングモールに向かって歩いていった。
モールの駐車場に着いて、さあ主人に電話をしようと思った時、イキナリ後ろから声がかけられた。
なに?不思議に思いながら振り向いたコデブ。そこには見知らぬ女性が立っていた。
女性は、「アナタ 今 ハローワークから出てきましたよね?お仕事探されてるんですか?
      もし良かったら、ちょっと私の話を聞いてもらえないでしょうか?」
その女性は名刺を差し出しながら派遣会社の取締役だと話した。
詳しく話したいから、車内に一緒に来てくれないか?と言う。
コ ”どうせ暇だし、話くらい聞いてみるか。”
 (私の心の声・ コデブ、知らない人に付いていっちゃイケナイ。って子供の頃から言われてるでしょ?
駐車場に停めてある一台の車に連れて行かれたコデブ。その車内には恰幅のいい年配の男の人が座っていた。
その男性は社長と名乗った。そしてコデブに言った。
男 「君みたいな人材を探していた!」とー
彼等は、ハロワの前で控えていて、仕事を探しに来た人を見つけては勧誘しているようだった。
  (私の心の声・ コデブ、この時点で怪しいと思おうよ・・・
しかしコデブにはそんな事関係ない。沢山の人の中で自分が選ばれた!という優越感だったと思う。
話を聞いてみると、コデブが興味あった業界の工場勤務に派遣として行く。と言う話し。
  (私の心の声・ そう言えばコデブ、次は製造業に行きたい。って言ってたな。
派遣会社の二人の話はコデブにとって魅力的だった。
その工場なら充分自宅から通勤できる範囲。これでいつでも友達とも遊べる。
給料もすごくいい!これだけあれば遊ぶのにも不自由しないし、
最悪、母さんにウチを追い出されても、ひとり暮らしでも何とかやっていけそうだ。
それに、派遣で入っても1年か1年半後には正社員になれると言う。
うん。文句ないじゃん!

こうしてコデブは意気揚々として家に帰ってきた。
私はコデブの話を聞きながら、コデブが持って帰ってきた派遣会社のパンフレットと名刺を見ていた。
パンフレットはキレイに出来てるけど、この程度は誰にでも簡単に作れる。
内容を見てみると、現在の派遣社員の8割が外国人だった。日本人は僅か2割ほど。それも大した人数じゃない。
派遣会社の従業員も少ない。かなり小さな派遣会社のようだ。
そして文章の一部に、”派遣後、1年から1年半後の正社員を目指す!”と書いてある。
だいたい、派遣会社の人間に相手企業の人事権はない。なのに「絶対正社員になれる!」なんて言うこと自体嘘だ。
それとも、この派遣会社は、この企業と何か特別な契約でも結んでいるのか?
更に、コデブが貰ってきた名刺(女性の物)には、”取締役”と言う役職が読める。
でもその文字のすぐ横の部分を修正液で消してある。
名刺なのに、修正された物を渡すなんて、どんな会社なのよ・・・
それにパンフレットを見ると、この女性の名前は”代表取締役社長”になっている。
では車の中にいた男性は? パンフレットを見ると、男性の名前は!代表取締役専務”・・・
何なのよ、この会社! ムチャクチャ怪しい・・・(;¬д¬)

苦い顔をしてる私を見て、コデブが黙る・・・
正直、私は嫌だった。なんで派遣なワケ?
確かにこんな小さな町では求人募集は少ないけれど、それでも正社員の求人がないわけじゃない。
就職して1年も経たずに退職してしまったコデブ。更に次が派遣では、コデブの履歴書はダメダメになってしまう・・・

私 「コデブは、その派遣で良いと思っているの?」
コ 「うん。」
私 「私は、反対だわ。」
主 「コデブがそれで良いなら、いいんじゃね。」
コイツは相変わらず無責任男!!

どうにも私には納得いかない話だ。渋い顔をしながら言う。
私 「1年後に絶対正社員になれる保証はないじゃない。」
コ 「いや、ちゃんとなれるって、言ってた。」
私 「そう簡単に、派遣から正社員になんてなれないよ。」
コ 「母さん、今は違うんやて。企業もお試し期間なんやて。」
私 「一般的な3ヶ月の試用期間ってヤツを派遣で補って、チャンと働ける人間か見極めてから正社員にする。ってコト?」
コ 「そう。」

ええー? 確かちょっと前までは、派遣切りが問題になっていなかったっけ
今の私の介護の仕事でも派遣を雇うことは時々ある。
そして、その派遣から社員に引き抜きされるのは、よくある話だ。
でも、介護は人手が足りないからそうなるだけで、一般企業でもそれは当てはまるのか?(??)
私の考えはもう古いのだろうか?
自信満々に言い切るコデブに、私は何も言えなく無った・・・。                                                                    
次の日、やっぱり納得いかない私は、何人かの人に聞いてみた。
皆の答えは、「それはkokiyuさんが言ってる事の方が正しい。」
自信を取り戻した私は、家に帰ってコデブと再び話そうと思った。
でも、どうせ素直に私の話に耳を傾けるコデブじゃない。だから、ネットを利用した。

居間で寝転がってゲームをしているコデブの横でパソコンを開いた私は、
ネット上に散らばっている派遣についての情報を調べだして、声に出して読み上げた。
派遣から正社員にはそうそう簡単になれない事や派遣会社とのトラブルなどー
そしてコデブが派遣で行く予定の企業の求人情報も探し出し、
この企業がどんな人間を必要としているか?も声に出して読んだ。
この企業が求めている人材は、とてもコデブとは合わない。派遣で入っても正社員になるのは無理に等しいー
ちょっと興味を惹かれた様子のコデブに、話しかける。
パンフレットと派遣会社の人間が言ってる事に矛盾がある事。パンフレットと名刺の不自然な違い。
そして企業側から考えた派遣とは何なのか?
無理強いはしないように、言葉使いも気をつけて話していると、段々コデブが私の話に耳を傾け始めた。
やがて立ち上がったコデブはー

コ 「俺、ちょっと断りの電話入れるわ。」

ヤッター!

コデブが電話をしているのを素知らぬ顔をして聞いていると・・・

そうとうガンガン、相手から言われている・・・
コデブ、アセアセしてるなあ~。
結構な時間電話で話していて、やっと電話が切れた時、コデブがヒトコト。

コ 「必死やな・・・・・
私 「コデブ、あなた、引いたでしょ?
コ 「うん。ムッチャ引いた・・・

ほら見ろ、言わんこっちゃない!とは思ったが、口にはしなかった。
まあ、コデブには良い経験になったと思う。
世の中、そんなに甘くない。人の弱みに漬け込んでくる奴はゴマンといる。
チョッピリ、社会の怖い部分を体験したコデブです。


✩この派遣会社もアホだなあ~と思う。
 ダメだと思ったら、逆に丁寧に受け入れてあげれば良いのに。
 コデブだって”申し訳ないなあ~”と言う気持ちがあった。
 その気持ちを上手~く利用して、巻き込むことも出来たはず。
 仮に、それでもダメだったとしても、キレイに止めさせてくれたなら会社の印象は良い。
 後々、もしかすると紹介があったり、どうしても仕事が見つからなかった時に頼ってくるかもしれない。
 現にコデブだって最初はそのつもりで電話したのだ。
 「もしどうしても仕事が見つからなかったら、またお世話になる事があるかもしれないので、その時はよろしくお願いします。」
 そう言うつもりでかけた断りの電話だったけど、
 相手側の余りの猛攻撃にゲンナリ・・・
 「今後もし派遣の世話になる事があっても、もう二度とこの会社に頼ることはないな。」
 そう言わせてしまった。
 ま、派遣会社側も、確率としてもう一度戻ってくる可能性が少ないからこそ、怒りをぶつけたんだろうけどねえ~。
コメント
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