ユッコ姉の日記

日々思うことをタリラリラン♪っと・・・。

ビックリしたあ~・・・って

2016年01月30日 01時57分06秒 | 思う事・・・
先日、たまたまコデブと休日が一緒になったので、二人でお昼ご飯を食べに出かけました。
美味しいトンカツを食べて、
コ 「お腹いっぱいだあ~
私 「もう眠くなってくるう~
などと車の中で唸りながら家に向かっていたのですが、
その時フト窓の外を見てビックリ!

私 「コデブ!鉄塔が折れてる!
コ 「ハア~? オオッ!

ビックリしました。
本当に鉄塔が折れて無くなったのかと思いましたよお~。
それは、コレ↓ (クリックすると大きくなります)
      

ネッ、ネッ、二つ並んだ鉄塔の片方が、まるで上半分が折れて無くなってるみたいに見えるでしょ?
実はコレ、折れて無くなったのじゃなくて、ただいま製作中なんですよ。
つまり下から順番に作ってる。
今度大きな道路が出来るため、今立っている隣の鉄塔が邪魔になり、移動する事になったんです。
あんな大きな物をどうやって移動するんだろう?と思っていたのですが、
どうやら、”鉄塔を移動”と言うより、
すぐ傍にもう1つ鉄塔を立てて、電線を移動するみたいですねえ~。

最初見た時に、
『ウルトラマンに出てくる怪獣やゴジラが鉄塔を壊すシーン』を想像してしまった私は、
昭和生まれだったりします・・・
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今度は自転車を盗まれた?!・・・って

2016年01月28日 14時12分44秒 | 子供・・・
発作が起きて、所長が気を利かせてくれて、3日間のお休みをくれました。
正直、発作さえ治まれば充分元気だから、お仕事行っても全然大丈夫だったんだけど、
まあせっかくの気遣いという事で、休ませてもらいました。
そんなこんなで家でのんびりしていた私。
突然、オシメからの電話が鳴った。

私 「もしもし、どうした?」
オ 「お母さんゴメンナサイ!今警察にいるの。わたし油断した!」
また何事か起きたのかと、ちょっと気を引き締めて聞き返す。

私 「まさか、また事故にあったの?」
オ 「違う!自転車が盗まれたの・・・。」
ちょっとホッとした私。

詳しく聞いてみるとー

オシメのアパートの1階には自転車置き場がある。
ちょっと建物の中に入らないと行けない場所だから、盗みにくい場所ではある。
でも、誰でも入る事が出来る。
オシメはいつもそこに自転車を置いていたんだけど、お休みの日に使うくらいで、普段は置きっぱなしだ。
その時は自転車の鍵だけ掛けて、チェーンは付けていなかったらしい。
休みになって、外出しようと自転車置き場に行ってみたら、オシメの自転車は無くなっていたらしい・・・

5カ月ほど前の交通事故で、新しい自転車を手に入れたオシメ。
その際、私は言った。

私 「今度は新しい自転車になって盗まれる可能性が高くなるから、チェーンを付けなさい。」とー

メンドクサイと言いながらも、私の言う事を聞いて、チェーンを購入したオシメ。
でも、最初の方こそキチンと付けていたんだけど、段々メンドクサクなって、
チェーンを付けずに自転車置き場に置いていたらしい。

オ 「ごめんなさい・・・
私 「仕方ないよ。で、今警察に来てるのね?」
オ 「ウン。」
私 「偉いね。ちゃんと自分でやってるんだ。」
オ 「ウン。でも自転車盗まれて、悔しい~!!

私 「防犯登録番号とか書いた書類持って行ってる?」
オ 「持ってきてない。いるのかな
私 「分かんないけど、もし必要だって言われたら、近くなんだから取りに行ってきなね。」
オ 「はい。」
私 「オシメ、泣いてない?
オ 「泣いてないよ!ただ、すっごくムカついて悔しい!
私 「そうだね。じゃあ頑張って。

その後、警察に自転車を購入したお店などを伝えて、防犯登録番号なども分かったらしく、
オシメはアパートに帰りました。
それから又電話があって、
オ 「お母さんに言われてたのに、チェーンちゃんと付けとかなくてごめんなさい。」
私 「まあチェーン付けてても、盗られる時は盗られるから、仕方ないよ。」
それから一息電話口で、自転車を盗られた悔しさを愚痴っていたオシメです。

オシメには、3日前に私が発作を起こしたことは伝えてありました。
たぶん、オシメなりに、”今の私には頼れない”と思ったんだと思います。
ちゃんと一人で近くの交番に届けに行っていました。
以前のオシメなら、
「おがあざ~ん」と泣きながら電話してきたでしょうねえ~
私の発作も、意外な所で役に経ちました。


☆ オシメ、やれば出来るじゃん!
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ホントに久しぶりに発作キターーーーーー!!

2016年01月27日 10時26分44秒 | 私の病気・・・
昨日、ホントに久しぶりに大きな発作がきました。
え~と、前回の大きな発作が来たのが、2014年の10月4日(その時の記事)だったから、
だいたい1年半ぶり?

今回は随分長い間発作が起きていなかったなあ~
最初の頃は、6ヶ月に1回くらいで、それが段々3ヶ月に1回くらいになってきていた。
それが今回は急に伸びて1年半も来なかったんだもんね~。
やっぱり介護のお仕事の時は、結構負担が掛かってたんだなあ~

もちろん、今まで全く何もなかったワケじゃない。
この1年半の間に、中くらいの発作が1回あった。それ以外にも、軽い小さな発作は何回もあった。
でもそれらは、暫くジッとしていると治まったり、スグに治まったりしていた。
昨日は、ちょっと違った・・・

午前11時ごろ、私はPCでゲームをしていたんだけど、
ふと時計を見て、”ああ~、3時から仕事かあ~”と思った時、
ドキン!と来た。
あ、ヤバ!と思ったらスグに始まった激しい動悸・・・
今まで何回も繰り返している事だから私は慌てる事も無く、バルサバ法をしていたんだけど、
”ダメだ!、今回はこれだけじゃあ効かない
激しい脈拍に、胸元がダウンダウン上下する。
喉元を押さえつけられているようなカンジがして息苦しい。
少し、クラクラとした眩暈みたいなモノもする。
なんだか手先も痺れてきてる・・・

私はもう一度時計を見て、曜日と時間を確認。
”うん、この時間なら病院やってる”
スグに前回行った近くの個人病院に電話して、「今から行くから心電図をスグにとってほしい。」と伝えた。
今回は前回と違ってコデブもいない。家には私一人。
自分で病院まで行くしかない!
歩いて・・・は、とてもムリ!
車で行くしかないんだけど、この状態で運転して大丈夫か?!
急いで診察券やら保険証やら用意して、自分にカツ!を入れた。

車で病院までは5分もかからない。ただ大きな交差点を通らなければならない。
不思議な事に、車を運転しだしたら発作が少し治まった。
”あれ?このまま治まっちゃう?”と思うほど、すう~っと引いた。
でも、病院の駐車場に着いた途端、再び激しくなった。
運転する事で緊張して、脈拍にも影響したのかもしれない。

病院に着くと、今回はすぐに心電図を取ってくれた。
少しジッとしていると、脈拍が少し治まるのが分かる。
でもちょっと体を動かすと、途端に跳ね上がる脈拍。
心電図を見ると脈拍はだいたい165前後だった。
いつも発作が起きてスグは200を超えるのだけど、少し時間が経つと165前後になって、コレが数時間続く。

ベットで横になって心電図を取っていると、医師がやってきた。
医 「kokiyuさん、大丈夫ですか?今回はどうします?」
私 「今回も心電図のデーターだけ頂ければいいです。」
その場で医師に言われてバルサバ法をもう一度やってみたけど、やっぱり治まらなかった。
このバルサバ法、軽い発作ならよく効くけど、大きな発作になると殆ど効かないなあ~

驚いたことに、前回(1年半前)来た時には、「ウチには薬が置いてない」と言っていた医師だったけれど、
今回は、
医 「注射打ちましょうか?薬は持ってますか?」
私 「あれ?薬は置いてなかったんじゃないですか?」
医 「いや、あれから他の患者さんにも必要になって、今ではウチも扱ってます。
私 「それは助かります。ちょうど私、薬が切れてしまっていたのでお願いします。」

救急車で運ばれて、この病名が分かった時、あんまり効かないけれど、気休め程度で貰っていた薬。(その時の記事)
それでも無いよりはマシだったけど、その薬が少し前にきれていた。
またあの病院にいくのも面倒でそのままだったんだけど、今回みたいに大きな発作が起きると流石に不安。
同じ薬を出してもらいました。

それから病院を出て駐車場の車に乗ったんだけど、
心臓のバクバクが治まっている訳じゃないので、そのまま車の中で大人しくしていた。
その間に、迷ったけれど所長にメールで連絡。
この日は、午後3時ごろから9時ごろまで2件のお仕事が入っていた。
3時ごろからの1件目のお仕事は流石にムリ。
2件目の6時過ぎからのお仕事の頃には、発作も治まっている事だろうと思った。
でも、やっぱり大切な子供さんを預かるのに、私がボロボロでは心配だ。
だから、急で申し訳ないけれど今日はお休みにしてほしいー。と。

スグに所長から返事があって、
”こっちは何とかするから、気にしないでゆっくり休んで。”と返事。更に、
”仕事無理させてたらゴメンナサイ”とー

ああ~、以前の介護施設の所長とは大違い。
最初から この病気を持っている事を承知で雇ってくれているんだけど、
それでも今の職場で働き始めて、初めての発作だから、きっと驚いているだろうに、なんて優しい心使い。
スグに迷惑を掛けるお詫びと、普段から良くしてもらっているから大丈夫だと返信した。
それから1時間ほど車の中で安静にしてから私は車を運転して自宅に帰りました。

家に帰って横になっていたんだけど、少しお腹が空いてきた。
「ウ~ッ」と唸りながら、テキトーに昼食を作って食べたんだけど、
今度は少し気持ち悪くなった。頭痛もあるみたいだ・・・
そのまま横になって大人しくしていたんだけど、今回はなかなか治まらなかった。
寝る事も出来なかったなあ~
夕方5時を過ぎて主人が帰って来たけど、それでも体がだるくて横になったまま。
今朝起きて、やっと元気になりました。


☆今回の発作が起きる前、実は軽い発作が度々起きていた。
 お風呂に入って湯船につかる時や、布団に入って寝る時など、
 「フウ~ッ」と体の力を抜く時に、ドキドキドキ・・・と軽~い発作が起きていた。
 スグに治まるんだけど、
 ”最近、頻繁だなあ~”と自分でも思っていた。
 これも、大きな発作が起きる前兆だったのかもしれない。
 ただ、今回は”立ち眩み”や”お星さま”はなかったなあ~。
 前回と共通している事と言えば、
 前の晩に遅くまでネットをしていて寝不足気味だったことか・・・
 やっぱり睡眠不足は美容と体の敵!
 それでも、以前の介護施設での長年の夜勤で身に付いた睡眠サイクルはなかなか治らなくて・・・
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もっと太って欲しいなあ~・・・って

2016年01月18日 00時06分14秒 | 子供・・・
お正月に帰って来ていたヒョロナガ。
昨年のお盆に見た時より、また少し痩せていた・・・
大学を出て就職して、最初の一年でまあまあ体重も増えて安心していたのだけど、
支社が変更になった1年ほど前から段々痩せ始めた。
原因は、毎日まともに食事が摂れないから・・・

ヒョロナガの住む寮は、ちゃんと朝晩食事が出るのだけれど、
昨年から変わった支社は、今のヒョロナガの住む会社の寮から2時間ほど通勤時間がかかる。
その為、朝は寮の朝食時間より早く寮を出ていかなければならないし、
帰りは定時で終わる事は殆ど皆無なので、寮に帰って来ると、もう夕食時間は終わってしまっている。
もう長い間、まともに食堂で食事を摂っていなかったヒョロナガは、
「ついに食堂に俺の名札も出されなくなった・・・」と苦笑いしていた。
だから、朝は半分寝ながら電車に乗ってコーヒーを飲むだけ。
昼食だけはマトモに摂れるけど、
夕飯は近くのコンビニに行ってお弁当やパンやカップラーメンを買ってきて食べるだけ。
土日は寮の食事が無いので、自分で何とかしないといけないんだけど、
寮の近くにあったドラッグストアも閉店してしまい、他に近所で食べる所も殆ど無い。
車に乗ってちょっと走れば、大きなショッピングモールがあるんだけど、
車も自転車も持っていないヒョロナガは、そこまで行く事も出来ない。
つまり、ヒョロナガはコンビニしか使えない。
こんな生活を1年近くも続けていたら、そりゃあ痩せるでしょう~~~。

今の支社は、とりあえず1年間ということらしいから、今年の3月には次の支社が決まる。
もし、また次も同じ支社だったら、もう引っ越すしかない。
と言うより、今の寮にいられるのは2年間だけだそうで、
どちらにしてもそれ以降は自分でアパートを借りるしかないんだけどー

もともと細いのに、更に輪をかけて細くなったヒョロナガ。
お正月に帰って来た時、その事でヒョロナガにいろいろ言ったら、怒らせてしまって・・・

でもやっぱり心配だ。
今のままの生活が続いたら、そのうち倒れてしまいそうです・・・。
だから、せめてもう少し何か食べられるようにーと主人と相談しました。
寮の食事時間に間に合わないのはどうしようもない。
ならばせめて、通勤時間とか隙間時間にスグに食べられる物を、しかもカロリーと栄養がそれなりに取れる物ー
で、考えた結果、
カロリーメイトなどを持たせたらどうか?という話になりました。
今は似たような物が沢山あるけど、イロイロ成分を調べてみると、今のヒョロナガには、やっぱりカロリーメイトかな?とー

さっそくネットやらチラシやらで調べた結果、
ウチの近くのドラッグストアーの特売で、カロリーメイトブロックが128円で出ていたので、
主人と二人で行って、殆ど買い占めてきました。
カロリーメイトブロック(4本入り)50箱+ドリンク12本+ゼリー8個ほど。
店頭に残っていたのは、3箱ほどしか無かったなあ~
その他、レンジをかけるだけで食べられる丼物を4個。トータルで1万円くらい掛かりました。
これらをダンボールに詰め込んで送ろう。と思ったんだけど、
かなりの重量になるので、配送代金がハンパない・・・
仕方がないので主人と車に乗ってヒョロナガの寮まで持って行きました。
寮の前で段ボールを受け取ったヒョロナガは、あんまりにも重いので笑っていました。

これでひと月くらいは、何とかなるかなあ~?
とにかく今は少しでも体力を付けて欲しいので、頑張って食べて欲しいです。
ヒョロナガには、
私 「兎に角いっぱい持って歩いて、少しでも時間があれば何時でも食べなさい。」
と言ってきました。

太りにくい人が太ろうと思ったら、
一日3食以外に、2時間おきくらいに何か食べないといけないそうです。
働いていては流石に2時間おきって言うわけには行かないだろうけど、
それでも、少しでも何か口にできる時間がれば、カロリーメイトでも何でもよいから食べて欲しいです。

今月は、仕事の関係で月の半分くらいは職場に泊まり込み!だそうで、余計に食事が心配だけど、
今の支社も、とりあえずあと2ヶ月半。
それまで何とか乗り切って欲しいです。
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他人から見た自分の年齢と自分が思う年齢・・・って

2016年01月14日 14時04分28秒 | 思う事・・・
少し前に、職場のみんなで話していた時のことです。
その中で年齢の話しになったんですが、

私 「私ももう今年で50歳になっちゃうよお~

と言ったら、パート仲間の一人が、

パ 「え!そうなの?!

スグにみんな他の話題に進んだんだけど、私には聞こえたパート仲間の小さな声。

パ 「私より年上だと思ってたら、私の方が3つも上だったんだ・・・

いやいや、驚きました。
だって、この言葉を呟いたのは、パート仲間の中でも一番の古株さん。
私は、彼女は私より年上。たぶん53か54歳くらいかなあ~?と思っていたから。
まあ彼女の言葉から、私より3つ上と言う事は、彼女は今年53歳になるのでしょう。
私の予想の方が当たっていたのですが・・・

自分より年上だと思っていた人に、自分の方が年上だと思われていた!

と言うのは、なんとも複雑な気分です・・・・

まあ、若い人からすれば、50歳前後のオバサンが2つ3つ違うからって、大したことないじゃん。
どっちも変わらないわよ。フッ
と、鼻で笑われる話しでしょうが、幾つになっても女は女。
やっぱり気になる訳で・・・
お互いが自分の方が相手より若い。と思っていたんだからー

多分彼女が私の方が年上だと思っていたのは、子供が私の方が大きかったからだとは思うんだけど・・・

私、そんなに老けて見えてるのかしら?
そりゃ最近はまた、忙しさにカマケテ肌のお手入れが手抜きになってきているケド、
そこまで酷くないんじゃ・・・

などと、真剣に考えてしまう私なのでした・・・
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今度はスマホデビュー?!・・・って

2016年01月13日 10時51分01秒 | 思う事・・・
先日、上司から私の携帯にお仕事のメールが来ました。
それには、今度ある研修会の資料の写真が添付してあったんだけど、
私のガラケーでは容量が大きすぎて見れなかった・・・
いままでにも何回かこんな事があったんだけど、
そう頻繁にある事じゃないし、「仕方ないか。」と思っていた。
でも・・・

先日我が家は、ネット回線をコミュファ光に変える事を決めた。
工事がまだだから、まだ開通はしていないんだけど、
コミュファ光が繋がると、我が家の携帯で ”スマートバリュー”が使える。
でも、”スマートバリュー”が使えるのはスマホだけ。
ウチでは現在4つの携帯を使っているけど、スマホなのはコデブだけ。
主人と私とオシメは未だにガラケー。
これでは、せっかく受けられるサービスも、本当に微々たるもの。
これを機に、全員スマホに変えたらどうよ?

そんな事を考えていたら、主人が
「そういえば、auからオマエ宛に何か封筒来てたぞ。」
中身を見てみると、割引付きの機種変更のおススメ。
しかも、その割引を受けられる期限が、その日までだった・・・

これはもう、「いい加減にスマホに変えろ。」という神様からの思し召し?
スグに主人に言った。
私 「アナタ、auショップに行くわよ!」
主 「スマホに変えるのか?」
私 「分かんない。でも家でゴチャゴチャ調べててもラチが明かないから、もう直接ショップに行って聞いて来よう!」

さて、二人してauショップに行って、スマホに変える相談をしました。
それにしても、本当~に最近の携帯事情はややこしい・・・
スタッフさんが一生懸命説明してくれるのだけど、頭の中がアナログの主人と私にはチンプンカンプン(@@)
とにかく出来るだけ安くなるようにー と伝え、いろんな質問をしまくった。
それでもまだ、理解出来ない事が山ほどあったんだけど・・・
使える割引サービスは全て使って、最終的に現在支払っている携帯代金の倍額くらいで落ち着いた。
倍額もどうかと思うけれど、私の計算では3倍になる予定だったので、それを思えばまだマシ。

た・だ・し、
私はスマホに変わったけど、主人はガラケーのままです。
主人はiPadとガラケーの2つを使う事にしたんです。
いままで慣れたガラケーの方が使いやすいから?と言うことと、私のスマホとの契約内容の関係からです。
そこら辺の繋がりも、正直よく分かっていないんだけどねえ~。

2時間近くショップにいて、ようやく自宅に戻った主人と私。
さてそれからー
悪戦苦闘が続いております・・・。


☆ 何とかメールは使えるようになった。でも、カレンダーに予定が入れられない。
  アカウント?なにそれ、美味しいの?
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やっと来た、コミュファ光!・・・って

2016年01月12日 11時07分00秒 | 思う事・・・
先日の事、我が家の電話が鳴りました。
コミュファ光から、ウチの地域が開通したという。
いやあ~、やっとですかあ~
およそ1年と3ヶ月前、ずーっとADSLだった我が家のネット。
コデブが家に帰って来て、ようやく光にかわったんだけど、
その時、我が家は『auひかり』も『コミュファひかり』も繋がらなかった。
どちらも既にエリア範囲内に入っていたのに、我が家はどちらもちょうど穴の部分だった・・・
結果、『フレッツ光』しか繋がらなかったんです。
あの時は、両方の会社に電話して、「何とかならないか?」と訴えたけど、
どちらも「無理です。」の一言で終わってしまいました。

コデブは名古屋にいた時はコミュファ光を使っていました。
移転先の我が家はエリア範囲だったのに繋がらなかったせいで、
4万円近い違約金を支払う羽目になりました・・・
あの時、コミュファ光が繋がっていたら、4万円ものお金をドブに捨てる事もなかったのに・・・

今は、auひかりやコミュファ光だけではなく、dokomoとかソフトバンクとか、他の会社でも繋ぐことが出来ます。
それでもフレッツのままにしていたのは、「メンドクサイ・・・」の一言に尽きる。
今頃コミュファが繋がるようになった!と言われても、あのころのような価値はないです。

まさに、「今頃~?」なのだけれど、それでも我が家はコミュファ光に変える事にしました。
その理由はー
まず、最近はネットの繋がりが、ものすご~く悪いから。
度々フリーズしたり、消えたり・・・
私のPCが悪いのか、ルーターが悪いのか、PCとルーターの距離が少し離れているのが悪いのか、それともフレッツ光が悪いのか?
イロイロ探ってみたけど、よく分からない。
なので、とりあえず大元を変えてみようか。とー

2つ目の理由はー
フレッツ光の違約金分を商品券で代理店がくれるから。
フレッツ光を止めようと思うと、まだ2年経っていないから違約金が発生する。
だからまだ変えるつもりはなかったんだけど、
ネットの繋がりの悪さにイラついていたし、違約金分を出してくれるのなら、
多少の面倒も仕方ないかあ~と思って。

3つ目の理由はー
我が家は未だに家族全員au携帯を使っているから。
以前ガラケーをスマホに変えようと考えた時に、auの既存会員に対する対応の悪さとサービスの無さにムカついて、
「2年縛りが終わったら、絶対、dokomoに変えてやるう~~~~!
と思っていたのだけど、結局そのまま・・・
コミュファ光に変わると、auのスマートバリューが使えるようになって、携帯代金が少しだけ安くなるから。

これらの理由から、コミュファ光に変わる事にしました。
でも、工事はまだひと月以上先になる。
ああ~、早く全部済まないかなあ~
手続きとか、いろいろメンドクサイんだよなあ~


☆ メンドクサイ事は、全部私に押し付けて、主人とコデブは何処吹く風~。
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また失敗してしまった・・・って

2016年01月11日 08時25分21秒 | お仕事・・・
数日前のコトなんですが、わたし、またお仕事で失敗してしまいました・・・

この日のお仕事は、小学生の子供さんを連れて、市内の科学センターに電車で行って帰って来る事。
予定は、

 待ち合わせ駅(A駅)13:1513:25電車に乗って目的駅(B駅)公園で遊ぶ(C公園)近くのサークルKでオヤツを購入
 科学センタートイレB駅に戻る16:18電車に乗ってA駅へ16:30待ち合わせ場所でお母さんのお迎え

こんな↑予定でした。
まず、出だしからトラブル発生!
お母さんが待ち合わせ場所に来たのが、13:25でした。
この時点で、すでにA駅から乗る予定だった電車に乗れない・・・
仕方ないので、1本遅らせる話をしました。
それから公園に行く予定になっているけれど、結構寒いから時間は短めにして、
科学センターの時間を長くしましょう。という打ち合わせもしました。

そしてお母さんと別れて、私は子供さんと二人で切符を買いに行きました。
窓口で切符を購入する時に、
私 「次の電車は何分ですか?」
駅 「45分です。」
私、この時アレッ?って思ったんです。
ホームが1つしか無くて路線は2本しかない田舎のローカル電車です。
平日の昼間の電車の本数なんて、1時間に1.2本しかないはずなのに、
25分の次に45分があるのか?
でも、駅員さんが言うんだから間違いないだろうと思って確認しませんでした。
コレが一番の失敗の元だった・・・
でもこの時の私は、他の事で気にしている事があったんです。
目的地の科学センターには、すぐ隣に市立図書館もあるのですが、
私の記憶が正しければ、市立図書館は火曜日休みだったはず・・。(この日は火曜日)
科学センターとは休みが違うのかな~?もし科学センターが開いてなかったらどうしよう・・・
そんな事を頭の中で考えながらホームに入った私。
45分になってホームに入って来た電車に子供さんと一緒に乗りました。
はしゃぐ子供さんを宥めながら聞こえてきた車内アナウンス。
「次はD駅~。D駅に止まりまあ~す♪
え!いまナンと?!
目的のB駅は一区間だけで行けるはず!なのに次はD駅い~!!!
私、乗る電車を間違えたあ~~~~~~~~~~!!!!!!!!
1つのホームに2路線しかなく、言われた時間どうりに片方の電車が来たからそのまま乗っちゃったケド、
本当に乗る予定だったのは、もう一つの路線の方だった!!
慌てて次のD駅で降りました。
幸いB駅までの運賃とD駅までの運賃は同じだったので、駅員さんに理由を話してD駅で降りました。
もうひとつラッキーだったのは、B駅から科学センターまでの距離と、D駅から科学センターまでの距離があまり違わなかった事。
B駅からよりちょっとだけD駅からの方が距離があったのですが、
子供さんは初めて降りるD駅でしたので、興奮して大喜び!
ルンルン元気いっぱいで科学センターまで歩いてくれました。

さて、ようやく着いた科学センターは・・・
やっぱり休館日だった・・・
どーすんのよ・・・

仕方なく、予定していたサークルKでオヤツを購入してトイレを済まし、C公園に行きました。
ここでの時間は短くするつもりだったのだけれど、もうそんな事は言っていられず、
それから1時間半もC公園で遊びました。オヤツもC公園のベンチに座って食べました。
15時過ぎた辺りから、流石に寒くなってきたし、子供さんも少し鼻水が垂れてきたので、
B駅に行って15:35の電車に乗ってA駅へ戻りました。
さて、A駅に戻って来たものの、お迎えの時間までまだ1時間近くある・・・
それから、駅構内のお店を見て回ったり、エレベーターに乗り込んで何回も上下を繰り返したり、
何とか待ち合わせの16:30まで時間を持たせました。
待ち合わせで会ったお母さんに事情を話し、謝った私です。
お母さんも、「科学センター休みだなんて知らなかったわ。ゴメンナさいね~。
何とか、無事に支援を終了する事が出来ました。

それにしても、この日の支援は、予定がメチャクチャになってしまった・・・
数々のミスが重なった結果ですよねえ~。
  まず、お母さんが待ち合わせ時間に遅れてきた。
  次に、駅員さんが違う路線の電車の時刻を教えてくれた。
  その時刻を私が確認しなかった。
  私が考え事をしていて、そのまま間違った路線に乗ってしまった。
  事務所が科学センターの休館日の確認をしていなかった。

それでもまだラッキーだった事は、
  B駅までの運賃とD駅までの運賃が同じだった。
  D駅から科学センターまでそれほど離れていなかった。
  思っていたよりお天気が良く、C公園で長く遊ぶことが出来た。
  子供さんが自閉症ではない障害児だった。
  (自閉症のお子さんだと、拘りが激しく、予定と違うとパニックを起こす子もいるのでー)

こんな所かな?
後で所長に報告したんだけど、所長も、
「科学センターの休館日の確認をしなかったのはコチラのミスだし、
 怪我するようなトラブルもなかったんだから、そんなに気にしなくて良いわよ~。
と言って下さり、ホッとした私です。

ところが、この翌日、私は自分のカバンのポケットを見て、また蒼白・・・
前日の支援の子供さんのお財布が、私のカバンのポケットに入ってる・・・
C公園で遊ぶ時、子供さんのリュックが邪魔なので、近くにあるベンチに置いて遊ぶのですが、
流石にお財布を入れたままでは置いておけないので、一時的に私のバックの横ポケットに入れたんです。
(私はカバンを下げたまま遊具に付き合う為)
いつもは帰る前にちゃんとリュックに戻しておくのに、この日はいろいろトラブルがあって、私も混乱していたのでしょう。
お返しするのを忘れていた・・・

結局、スグに所長に連絡して、また謝るハメになったのでした・・・。


☆ 一番気になってるのは、子供さんが風邪をひいていないか?という事。
  あの子、時々痙攣発作を起こしたりするから、その事だけが心配だ・・・
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2016年のお正月・・・その5

2016年01月10日 09時51分04秒 | 思う事・・・
思わぬところで揃った3姉妹でした。
母が「二人とも、わざわざ来なくても良かったのにー」と言っていたが、
実は、妹達には、どうしても来なくてはならない理由がそれぞれあったんです。

名古屋の妹はー
お正月に帰省していた1日の日。
母が、「なんか顎の辺りがオカシイ。喉頭癌かも・・」と言うものだから、
妹は、「そんな事ばっかり言ってるんじゃないわよ!
と、怒って帰ったそうだ。
でもそのすぐ後に、”入院”と言う知らせが届いて、
”もう少しキチンと話を聞いてやれば良かったー”と後悔したそうだ。
 でも私も妹と同じ状況なら、きっと同じことを母に言ってしまうと思う。
 だって、母は顔を合わせる度に「あそこが悪い、ここがおかしい・・」などそんな話ばかりだ。
 しかも母の性格は、とってもマイナス思考なので、
 スグに「癌かも・・・重い病気かも・・」などと言い出す。
 正直、毎回毎回言われていると、「また始まった・・」とイラッとしてしまう。
 だから、名古屋の妹の気持ちはよく分かる。

では、大阪の妹はー
年末、31日の日に大阪の妹はお正月の料理を作っていたのだが、料理の過程でちょっと分からない事があったので、母に電話したそうだ。
母は、ちゃんと電話で教えてくれたのだが、それ以外の話しもし始めた。
大阪の妹は、料理の準備がとても忙しかったので、
「いま忙しいから、その話しはまた今度ね!」と言って電話を切ってしまった。
その数日後に”入院”の知らせを受け、
冷たく電話を切ってしまって、申し訳なかったーと反省したのだとか。

では私はー
一番両親の近くに住んでいるにも関わらず、数か月に一度くらいしか顔を出していなかった私。
もう少し頻繁に顔を出していれば、もっと早く母の状態に気づくことが出来たのではないか?
と言う後悔からー

3人とも、もし今母にもしもの事があったら、
母と最期に交わした会話がアレでは嫌だ!きっと一生後悔する!
と言う所が共通点。

このブログの記事にもしているけど、私達3姉妹は、両親の記念日などにイロイロやっている。
周りの人達からは、
「あんたらは上手に育てた。良い娘さんばっかりやね~。」と両親は羨ましがられるらしい。

私達3姉妹が、両親に感謝している事は、このブログでも何回も書いてきた。
娘ばかりなのに、周りの反対を押しきって家から出してくれた両親。
おかげで私達3姉妹は、いろんな経験が出来た。
しかし、それゆえに、余所の娘さん達とは違った問題点も少々?ある。
家を出る事で、沢山の経験をし、自分一人でも生きていく強さを手に入れた。
だから、私達3姉妹は、かなり考え方がシビアだ。
自分が頑張って生きてきた経験と自信から、”甘え”を良く思わない。
それは他人に対しても同じで、甘えた事を言っている人間を見ると、イラッ!とする。
だから、良い部分は ”しっかり者”。
悪い部分は ”甘え下手で、甘えさせ下手”だ。

そんな私達から見ると、母は我儘に見えてしまう。
顔を合わせると「どこどこの具合が悪い・・ここが痛い・・」などと訴える母。
それに対して、「じゃあこうすれば?」とか「こうすると良いよ。」などと答えても、
「でも私はそういうのは~・・ウンタラカンタラ・・」などと聞く耳を持たない。
何事にもマイナス思考で、人付き合いも”疲れるから”と言う理由であまりしない。
更年期が酷かった時には更に酷く、メソメソ・クヨクヨしてばかりいて、
私達3姉妹は「母は、いつ鬱病になってもおかしくない。」と話していた。
今回だって、私が母を励ます為に、
私 「何も心配いらないって! だってお母さんの環境ってスゴイんだよ。
   娘3人、介護福祉士と看護師とセレブなんだよ。
   体の具合が悪くなっても看護師と介護福祉士が面倒見てくれるし、それに必要なお金はセレブが出してくれる。
   こんな恵まれた環境ってないと思うよ~。
と言うと、
母 「そんなこと・・・

いやいや皆さん、この環境って、ものすっごく恵まれてないですか?
そう思いません?
少なくとも、私が介護施設で見てきたお年寄り達より、ずっと恵まれていると思うんですけど?
それでも母は、不満なんですよ。不安なんです。
もう、このマイナス思考、何とかならんのか!
と、気の強い娘たち3人は頭に来てしまうのです。

でもね、私は知っているんです。
6人兄弟の末っ子に生まれた母は、時代もあって一人暮らし何てしたことはない。
結婚して初めて家から出た人間です。
だから母は、”一人暮らし”や ”一人で生きている女性”に憧れていた。
そんな母だから、私達娘を外に出してくれました。
その結果、気が強く、自他ともに厳しく、甘え下手な女が3人出来上がった訳ですがー
たぶん私達は、母の理想とはちょっと違って、甘えん坊の母にも厳しい娘たちにもなってしまった・・・と。

母が顔を合わせる度に、体調の不安を口にするのは、私達の気が引きたいから。
自分では自覚してないでしょうが、要するに寂しいんですよ。
同年代の方で、毎日のようにカラオケやら習い事やらに明け暮れている人もいると言うのに、
母は、なんだかんだ理由を付けて、外に出て行こうとしない。
社交性に欠ける。
でも寂しい。
だから甘えたい。
でも厳しい世の中を1人で渡り歩いてきた娘たちから見ると、”まず自分で変わろうと努力しろよ!” となってしまう。

母に感謝はしているのだけれど、その弱さが許せない。
矛盾した環境が続きますが、
それでもこれからは、もう少しマメに実家に顔を出そう!と思った私です。

そんな母ですが、8日の金曜日に退院しました。
これからは、通院の日々ですー


☆ 元旦に落ちていた注連縄・・・
  やっぱり間違ってなかったか・・・
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2016年のお正月・・・その4

2016年01月09日 02時05分19秒 | 思う事・・・
 - 1月4日 -
この日、私は9:30~12:00まで仕事が入っていた。
医師も「暫く様子を見る」と言っていたから、病院には午後から行けば良いだろうーと思っていた。
ところが、そろそろ仕事に出かけようかと思っていた午前9時。
父からの電話。
  お母さん、10時から手術する事になったから。

はあ~!!! なんでイキナリ手術!!!
しかも、こんな直前に言われても、行けないぞ!
父は、別に来なくても良い。と言う。
確かに手術中はする事もなく、ただ待ってるだけだから、いても仕方ないんだけど・・・
スグに名古屋の妹と大阪の妹にメール。
私は仕事に出かけた。
いくらなんでも急すぎるし、こんな直前の時間では、誰か代りを探してもらう事も出来ないからー
仕事が終わり次第、病院に駆けつけるつもりだったけど、
10:30に父からメール。
 母さんの手術、午後3時からになった。
もう、コロコロとなんなのよお~!
再び妹二人にメールで連絡。

12時にお仕事が終わり、私はその足で病院へー
母は、まだ病室にいた。
昨日より腫れもだいぶ引いている。抗生物質がかなり効いたようだった。
医師からの呼び出しを病室で待っていると、そこへ、母の兄夫婦(私からは叔父夫婦)が二組やってきた。
たまたま実家に電話をして、父から母の入院の事を知らされ、急いで駆け付けてくれたらしい。
母は、「わざわざ来てくれるほどの物じゃないのに・・・」と酷く恐縮していた。

3時になったが、まだ医師からの呼び出しはない。
するとそこに、ひょっこり名古屋の妹が現れた。
母の入院を理由に、仕事を半日で切り上げて来たらしい。
母は、また「仕事を休んでまで来なくても・・・」と気にしていた。

4時になって、ようやく呼ばれる。
手術でも1時間くらいで終わるハズー と思っていた。
家族に説明するので来てくれ。と言われたが、叔父たちも含めて総勢7人の人間は流石に多く、
父と私と妹だけが話を聞いた。
そこで見せてもらったCT写真。
そこには、ひと目で分かる、大きな白い塊がクッキリ、ハッキリ写っていた。
結晶化した石は4つ。だいたい1つ2.5ミリくらい?
あと、炎症を起こして化膿した膿が溜まっているという大きなグレーの袋らしき物。
医師の話しでは、思っていたより抗生物質がよく効いたので、手術ではなく処置と言う形で、
とりあえず口腔内の舌の裏側の部分を切って膿を出す。
その際に、石も取り出すが、ヘタに触ると、更に奥に押し込めてしまい余計に取れなくなるので、
出来る限りの所で止めるとの事。

結局、7人もの親族が待合室で待つ中、母の ”処置”は、わずか30分で終わった・・・
処置が済んだ母は、驚くほど元気になっていた。
あれほど酷かった腫れも、かなりスッキリしていた。
医 「かなりの量の膿が出ました。あれでは相当痛かったでしょうね。」
取り出した ”石”も見せてもらった。
まるで乳歯?と思うような大きさの物が3つも・・・
母の舌の下には、まだ残っている膿や石を出す為、唾液腺にドレーン?とかいう管が付けてあった。
それでも、ある程度様子を見て、食事が摂れるようになったら退院しても大丈夫だと言われた。
コレくらいの病気で大勢の親族が集まって大騒ぎ。と、流石に恥ずかしく思い、医師に、
私 「こんな大勢でスミマセン・・・」と言うと、
医 「いえ、皆さんにご心配されて、羨ましい限りです。」と笑ってくれた。

その後病室に戻り、叔父たちにも「ありがとうございました・・」と言いながら帰ってもらった。
少しして、みんなまともに昼ご飯を食べてない事に気がついて、父のおごりで私と妹と3人で近くのcoco一番に行って食事。
面会時間もそろそろ終わるから帰ろうか?と話している所に、
ナント、大阪の妹が現れた!
大阪の妹、旅行先から一旦大阪の家まで戻り、そこから車で高速を飛ばして飛んできたらしい。

思わぬところで揃った3姉妹。
母と4人で、周りの迷惑顧みず、病室でワイワイお喋りしたのでした。

その後、名古屋の妹は「もう大丈夫そうだから名古屋へ帰るわ。あと宜しく。」と言って帰っていった。
大阪の妹は、この日は父のいる実家に泊まって、翌日母の元に顔出して、夕方大阪へ帰って行った。

  明日に続きますー
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