ユッコ姉の日記

日々思うことをタリラリラン♪っと・・・。

ヤッター!昇給だあーーーーー!!って・・・

2013年03月30日 11時37分25秒 | お仕事・・・
先日、ウチの職場で面談がありました。
ウチの職場では、毎年3月になるとあるんです。
最初が4月から働き出している私は、今回で2回目です。

前回(昨年)は、施設の事務所にて、所長と二人でお話でした。
内容は、まあ、普段の職場での様子とか注意事項とか・・・

でも、今年は何故か、大元のオーナーの事務所まで行って、
所長と副署長とオーナーの社長の3人で面談!
なんで今年だけ???

とにかく忙しい仕事の合間を縫って、オーナーの事務所へー
いやあ~、私、初めて社長の顔を、マトモに見たわ。

来月でまる2年になる私は、緊張もなく言いたい事を言わせてもらいました。
所長が聞いてくる。
所 「夜勤の回数はどうかな? まあ、多いって言われても減らすことは無理なんだけど・・・」
なら、聞くなよ!と、心の中で突っ込みながら答える私。
私 「とりあえず、だいぶ慣れました。」
その他、一緒に働いてるスタッフの事とか、所長から見た私の問題点とかイロイロー
そして最後に、雇用契約書にサインー

ん? 昇給するんだ!!
先輩たちに、ここの会社は昇給しないって聞いてたのに、
ヤッター!!!
”この職場 早く辞めたほうが・・・” と思ってたけど、
まだいてもイイかも?!


と、喜んだモノノ・・・

え? 1,500円?

時給じゃないですよ。月給です。
月給の基本給が、1,500円UPしてました・・・。

ちょっと待て!
1,500円って、どーゆーコト? 15,000円の間違いじゃなくて?

仮に時給に換算したら、一時間8円しか昇給してないってコトですか?
10円分すら上がってないのかい・・・

普通の会社では、ボーナスも基本給の何ヶ月分とかだから、
例え1500円でも基本給が上がれば、少しでもボーナスもUpする可能性もあるんだろうけど、
ウチの職場のボーナスは、基本給関係なしの一律。
と、言うことは、
私は、年収が18,000円UPするだけですか・・・

はあ~・・・
まる2年。毎月7~8回の夜勤をこなして、コレですか・・・
やっぱりもっと条件のよい所、探そうかしら・・・
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コデブの引越しって・・・(その4)

2013年03月23日 15時13分10秒 | 子供・・・
さて、引っ越し当日ー

前日にコデブと主人が二人して、車に引越しの荷物を乗せていた。
何を乗せたかは私は知らない。
寝起きから、チョー不機嫌な私。
私を起こしに来た主人が言う。

主 「おい、もう起きる時間やぞ。」
私は布団に潜り込んだまま言う。
私 「私、今日行かない!
主人は呆れた顔をしながら、
主 「なんやてそれ! まいいわ。じゃあ、金は?」

そうだった。コデブと喧嘩してたせいで、郵便局に行ってない。
コデブの当座の生活費と家電など必要な物を買うお金を下ろしてい来ていない。
だって、コデブは一言も私に「おろしてきて」って言わなかったから。
余計なおせっかいを掛けないように、気がついてたけど本人が言うまで私は何も言わない!って思ってたから。(ちょっと拗ねてたのと意地悪?

でも、主人に印鑑と通帳は渡せない。
定額にしてるから、ちょっと手続きが必要。主人にやらせるのは、不安がいっぱい・・・
仕方なく、起きだした私ー

出かける準備をして、念の為、コデブに言う。

私 「忘れ物ない?」
コ 「ないって!」

3人で車に乗って出発!外は今にも雨が降りだしそうな曇りー

一応ネットで道は調べてきたけれど、主人も心もとない。
車についてるカーナビが、天気のせいなのか、もう古いからなのか、調子が悪くてなかなか読み込んでくれない。
そうなると、頼りになるのはコデブが持つスマホなんだけどー (私と主人の携帯はまだガラケー)
コデブはちっともマトモに取り合わない。
おまえー!スマホでゲームやってるんなら、ナビくらいしろよ!
誰の為に運転してるんだよ!!
と、ムカつきながらも、私は黙っている。

やっと会社の寮に着いた。
コデブが会社の人に連絡して門を開けてもらう。
海に近いこの地域は、空気が磯臭い。と言うか、生臭い。市場の匂い?
慣れない私は、なんとも気持ち悪い・・・

主人と3人で車から荷物を部屋へ運ぶ。
対してないじゃん。 
って言うか、たったコレだけしか持ってこなかったの?(大きなダンボール2個と自転車だけ?)
これから、どれだけ生活用品買わないといけないんだよ・・・
うっ、モンクの一つも言ってやりたい・・・・ でもガマンガマン・・・

一通り荷物を片付けると、今度は、住民票やら免許証やらの住所変更へー
と、そこで発覚!
印鑑が・・・ない!!?
なんで印鑑がないの!?
コデブがアチコチ探すけれど見つからない。
まさか、家に忘れてきた?・・・・

私 「だから、あの時に、ジャケットのポケットに入れたままだとダメだって言ったじゃない!」

ああ、ついに我慢できずに口が出ちゃった・・・

私 「一番大事な物だって言ったでしょう? どうするのよ?何にも手続き出来ないじゃない!」

コデブの顔が焦っているのが分かる。
ヤバイ!と思って自分で自分の口を閉じた。
仮にも自分の子、実はコデブが気の小さいことを私は知っている。
今頃コデブの心の中は、焦ってパニックてるはずー

私 「もう仕方ないから、近くで新しく安い印鑑でも買うしかないでしょ・・・。」

コデブの気持ちが分かってるのに、優しく言えない自分が情けない・・・

それから近くのホームセンターで、ホントーに安い印鑑を買った。(それなりの値段がする物はスグに出来ない為)
その後、役所に行って住民票の移動手続き。
主人は一緒について行こうとしたけど私が止めた。

私 「一人で出来るでしょ。」

転出届を地元の役所で貰う時に私と一緒に行ったから、ある程度は分かるはず。
それから待つこと30分・・・
住民票の転入届だけなのに、なんでこんなに時間がかかってるんだ
主人は心配で仕方ないようで、何回も「様子見に行こうか?」と言ったけど、私が「ダメ!」と止める。
自分一人でやらなくちゃ意味がないでしょ!
よく考えたら、私だって昔大阪にいた頃、全部自分一人でやったわ。
いちいち親がついて来てくれたわけじゃない。分からなければ人に聞けば良いだけのコト。
40分くらいして、ようやくコデブが車に戻ってきた。
私に向かって、ニコリとしながら、
コ 「印鑑、いらなかったぞ。」
私 「ふ~ん。ウチの役所ではいったのにね。地域によって違うのね。」

時間は掛かったけど、ちょっとは自信付いたかな?

さて、次は警察へ行って免許証の住所変更。
その頃には雨も降り出し、私、汐の臭いにすっかり気持ち悪くなっちゃって、車の後部座席でグッタリ・・・
今度も一人で行かせたかったのに、今度は私が何も言わないのをいい事に、そそくさとコデブについて行った。

それから私はそのまま眠ってしまってあまり記憶はない。
どうやら主人と二人で近くのお店に行って、生活用品をいくつか買ったようだ。
気がつくと、車はもう家に向かっていて、
コデブは私にサヨナラも言わなかった訳だ・・・

ハア~、最後まで険悪なままな引っ越しだった。
私も大人気なく、ずうーっと不機嫌なままで、せっかくのコデブの門出を嫌な気分にさせてしまった・・・。

チョット反省した私は、翌日コデブにメールした。
一応、謝罪と、でも生活していく上での忠告も付けてー

なのにアイツ、無視しやがった!!!
もう、知らない!

  ーコデブの引っ越し 終わりー
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コデブの引越しって・・・(その3)

2013年03月22日 22時34分59秒 | 子供・・・
コデブの引っ越し3日前。
相変わらずコデブはゲームばかりしていて、引越しの準備は全くと言っていいほどしていない。
私は、言いたい言葉が喉元まで出かかっていたけど、ホンの少し前に喧嘩しておせっかいだと言われたばかりだから、
じっと我慢していた。

突然、私の母(コデブの祖母)から電話があった。

母 「あ、kokiyu? コデブの引越しの準備進んでる?」
私 「いや、まだだけどー」
母 「何やってるのおー!ま、いいわ。渡したい物あるから、今からチョットそっちに行くから。」
私 「え?」

電話は切れた・・・。

暫くして、母がウチにやって来た。
母は、大きな紙袋を2つも持ってきた。

母 「一人暮らしには、何かといるだろうから、必要そうな物選んで持ってきた。」

そう言う母が渡した紙袋には、
歯磨き粉に歯ブラシ・タオル・洗濯洗剤・スポンジなどなど、細かい生活用品がタップリと入っていた。

コ 「わあ~、婆ちゃんありがとう。
母 「いいわよお~。これくらい。

ニコニコと会話する二人の横で、私は何とも言えない顔をしていたのだろう。母が私に、
母 「なに?kokiyu、何か悩んでるの?」
私 「いや、別にー 夜勤明けだから眠いだけだよ。」

母は、ニコニコとして帰っていったー

母から渡された紙袋の中身を見ながら、複雑な気分になった私。
メモ用紙に、必要だろう物リストを書き出して、それぞれ準備できた物に赤ペンでチェックいれてある・・・
つくづく私、母の子なんだなあ~・・・ と思う。
だって、少し前に私、コデブにコレと同じことを言った。

私 「いる物をちゃんと書き出して、用意できた物からチェックしなさい。」ってー

頼まれてもいないのに、勝手に ”あれもいるだろう、これもいるだろう”と考えて持ってきた母。
もし被っているモノやいらないモノがあったら、どうするつもりだったんだろう?
まさに、”おせっかい”?

コデブやヒョロナガが言うのは、こう言うコトなのか?
自分が生活していく上で、何が必要なのか自分で考えさせない。
親が先に全部用意してしまうー

でも、何も言わなければ、ホントーに何にもやってないんですけどお~~~~!!!
いや、言ってもやらない。でも時間はドンドン迫ってくる。
一日で用意できない物だってある。未成年だけでは手続き出来無い事だってある。
イキナリ「一緒に来て」と言われても、コッチにだって都合がある。
今までにも、コデブは特にそういう事が多くて、こっちが振り回されるコトが多くあった。
だからこそ、予め時間に余裕を持って行動してもらいたいのに、ちっとも本人は動かないー
親だから子供が迷惑をかけても良いっていう理由にはならない。
親だって社会人の一人なのだから、自分ちの都合で職場の人間や他人に迷惑を掛ける訳にはいかない。
そう言った、周りの人に対する気遣いがコデブには不足していると思うー


  ーその4へ続くー
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コデブの引越しって・・・(その2)

2013年03月21日 23時42分33秒 | 子供・・・
コデブと喧嘩してから、コデブとあまり話さなくなった私。
その分、なんだかやたらと主人がコデブにくっついていた。
コデブは、主人にも酷い暴言を吐く。
でも主人は、ヘラヘラとして笑っている。
聞こえてくる私の方が
”こんな父親でも一応普通の生活させてくれてるのに、その父親に向かって何てコト言うのよ!
と、イライラしていた。

一度、コデブが主人に、あまりに酷い暴言を吐いたものだから、
私 「コデブ、お父さんに向かって何てこと言うの!
と怒ったらー

コ 「コイツがバカなんやで仕方ないやろ!」
私 「何一つマトモに出来無いアンタが、偉そうに言うんじゃないわよ!」

そんな言い合いをしていると、イキナリ主人が「そうや!コデブの言うとおりや!」と、コデブの見方についた言葉を吐き出した。
私は呆れて黙り込んだ。
”コイツ、ホントーにバカなんじゃないの? 
 あれだけボロッカスにコデブに言われて、それを注意した私が何で言われた本人に責められなきゃならないわけ?”
主人はコデブと顔を見合わせニマニマ笑っていた。

私が今の仕事に就いて、家にいる時間が減り、家事も殆どやらなくなった頃から、やたらとコデブと主人が関わり始めた。
最近は、仕事がなく殆ど働きに行かず家にばかりいる主人は、ほぼ主夫化しており、毎日家でゴロゴロ。
暇な時に相手をしてくれるのがコデブしかいなかったからかー

主人は、その1でも書いた、いわゆる社会人になっても親と同居していた人。
しかも、仕事もお父さんの仕事を手伝っていたから、家も仕事も親と一緒。
お給料の管理もお母さんがやっていて、自分の貯金がどれだけあるのかも、自分がどんな保険に入っているのかも、全く知らなかった。
結婚した当初、銀行のATMの使い方も知らなかった事に驚いた。
だから、私に言わせれば、主人の考えは甘い。社会を知らない。井の中の蛙。
ずーっと親に任せっぱなしで生きてきた人だから、精神的に成長できていないと思う。
今までにも、それって親としてどーなの? 世帯主としてどーなの?と思うような事ばかり・・・
でもそんな主人だから、子供たちを外に出すのも地元から離れるのも反対だった。
でもそこは、強引に私が押し通したけどー
悪いけど、私は子供達をアンタみたいにしたくないんだよ! o<@`┰´@>oベェ~

そう思っていたのに・・・
最近のコデブは、主人にそっくりになってきた。
自分では何も成果を出してないクセに、口ばっかり達者で、偉そうな事ばかり言う。
言った事に対して無責任だし、人は批判するくせに、おまえ何様なんだよ?!

ヒョロナガと比べてはいけないのだろうけど、それにしても、余りにも違いすぎる。
同じ高校の同じ科に入ってたのに、
幾つかの資格を得て、バイトも頑張って学費から小遣いまで全部自分で賄って、自動車学校の費用も自分で払ったヒョロナガと比べると・・・
工業高校に入って、沢山受けた資格試験はことごとく落ちて、試験代をムダに捨てだだけで、結果何一つまともな資格も持たない。
そのうえ、3年間、クラスで下から数えたほうが早いレベルの成績でー
バイトもロクにせず、学費も携帯代も小遣いも全部親に出してもらって、あげく自動車学校の費用は父親に借金してー(子供に借金にさせる父親もどうかと思うけど・・・
コデブ、アンタこの3年間で、何を成し得た? 何か1つでもある?
どうしょうもない父親だけど、
それでもとりあえず家族が住める家と、毎日ごはんを食べさせてくれるお父さんの方が、まだマシだよ。
そのどうしょうもない父親に養って貰ってるのに、何一つ成果を出せないアンタに、お父さんを責める資格なんかない。

な・の・に、庇う私を逆に責める主人って、何なの?!
誰の為に、コデブと喧嘩になってるのよ!アンタの為でしょ!
もうアホ過ぎて、嫌になるわ・・・

ここ最近、比較的良くなってきていた主人と私の関係まで、なんだかギクシャクしてき出したー


   ーその3へ続くー
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コデブの引越しって・・・(その1)

2013年03月20日 16時32分42秒 | 子供・・・
先日、コデブが就職の為、引っ越しました。
隣の県なので、車でわずか2時間程の場所です。
当日、私はチョー不機嫌!
自分でも大人気ないから、何とか笑おうとするのだけれど、結局最後まで不機嫌オーラ出しっぱなしでした・・・
その原因を探ると、時はその日から更に2週間ほど前に戻りますー

卒業式が終わってからコデブは、暇さえあればゲームばかりやっていました。
TVを占領してPS3をやっていて、家族から文句を言われると、今度はパソコンを占領してゲームをやってる・・・
ある日、夜勤明けから帰ってきた私は、ゲームをしているコデブに言いました。

私 「ねえ、ゲームばっかりやってていいの?自動車学校は大丈夫なの?引越しの準備は出来てるの?」
コ 「大丈夫やて!」
私 「でも、早く免許取らないと、住民票の移動手続きも取れないでしょ?」
コ 「間に合うから心配いらんって!」
私 「じゃあ、引越しの荷物の準備は?全くやってないでしょ?」
コ 「やるでいいって!」
私 「だって、もう引越しまで2週間くらいしかないんやよ!生活用品ってイロイロ細かい物もあるんだからー」
コ 「うるさいなー!そうやって母さんは何でもかんでも自分の思い通りにしようとする!兄ちゃんの言ってたとおりやな!」
私 「はあ?!」

実は、この更に数週間前に、私は電話でヒョロナガに言われたコトがありました。
コデブの態度があまりにも悪いので、ヒョロナガに愚痴っていたときの事ー
 私 「もう、どうしてコデブはあんなふうなんだろ!」
 ヒョ 「母さんが何でも先に先にやってしまうから、じゃないの?」
 私 「ええ~?そんな事ないと思うけど・・・」
 ヒョ 「そんな事あるって。俺の時だって、勝手に寮とか調べて見つけてきたりしたじゃん。」
 私 「それは、どれだけ言っても、ちっとも自分では探そうとしなかったからじゃない・・・(我が家の家計の問題もあったし・・・)」
 ヒョ 「とにかく、怏々にしてそういう所あるよ。子供としては、自分で何も考えなくて良くなるから」
 私 「・・・・・。

これ、私、結構ショック受けたんだけど、コデブはこの時の事を言ってる。

私 「ソレとコレとは、違うんじゃない?!」
コ 「同じことやて!」
私 「だって、アンタ、どれだけ言っても、ちっとも準備しないじゃない!」
コ 「それが余計なお世話なの!母さんは、おせっかいなんやて!」
私 「何も言わなくても、ちゃんと自分で考えてやるなら、私だって何も言わないわよ!」
コ 「母さんはいっつもそうや!何でも自分の思い通りにする。俺の高校入試の時だってー」
私 「はあー? 何?工業高校には入りたくなかったわけ?!」
コ 「違う。俺は最初から工業に入りたかったわ!」
私 「私だって、工業くらいには入って欲しかったわよ!でも、コデブの成績が悪すぎて、塾の先生にムリだって言われたんじゃない!」
   だから、塾の先生が、ランク下のP高校を特色化選抜で練習替わりに受けて、一般で本番を受けるよう勧められたんでしょ?!」
コ 「俺は、P高校は嫌やったのに、母さんが受けろって言ったんやんか!」
私 「何言ってるのよ!私だってP高校は嫌だって言ってたわよ!でも”工業高校は絶対無理”って塾の先生に言われて、アンタがP高校でもいいって言ったんじゃない!
   そのP高校ですら、塾の先生には”危ないかも・・・”って言われてたくせに!」
コ 「だから、俺が特色化は工業高校受けるって言って、受かったんやないか!」
私 「私が言ったのよ!練習替わりにP高校の特色化受けるのなら、ダメ元で工業高校受ければ?って!
   お兄ちゃんがいた事もあったから、あの工業高校の特色化が選ぶ基準はだいたい分かってたから、”もしかしたらイケるかも?”って思ってー
   特色化申し込み直前に、担任の先生に変更しに一緒に行った事忘れたの?!」
コ 「・・・・・。」   

コイツ、なんでそんな風に自分の都合の良いように、記憶を書き換えてるんだよ!!!
あの頃、工業高校に反対してたのは、私じゃなくて、お父さんじゃない!
それも、「男ばっかりの工業高校じゃあ、女友達も彼女も出来ないから。」なんてクダラナイ理由で!
お父さんが勧めていたのは、私立の共学だったじゃない。
自分の収入も考えないで、勝手なコト抜かしてたのは、お父さんだよ!!
(もし私立に入ってたら、学費どれだけ掛かったと思ってんのよ!アンタの収入でやっていけたのかよ!!)

私 「私が口煩いことは自覚してるわ。でも、私の意見を押し通したのは、今までに3回だけよ!
   1つは、オシメの小学校普通クラスの入学と、もう1つはヒョロナガの大学進学。
   後は、小さい頃からずっと言ってきた、あなた達が高校卒業したら家を出て行くって事だけ!」
コ 「それが勝手やって言うの!俺は家にいたかったのに!」
私 「じゃあ、地元に就職すればよかったじゃない!」
コ 「母さんは、脅すやんか!」
私 「何を?!」
コ 「家、出てけって・・・」
私 「私は地元に就職しても良いって言ってたわよ。ただ、その場合でも家は出て貰うって言ってただけでしょ!」
コ 「それが脅しなんやて!」
私 「どこが? 私はちゃんとその場合の知識もあらかじめ教えてたけど?だいいち、それじゃあ地元にどうしても行きたい会社でもあったわけ?」
コ 「別にないけど・・」
私 「なら、なんで家にいたいのよ?」
コ 「友達とも離れたくなかったし・・・・・・」
私 「なら地元で就職して、自分で家借りればよかったじゃない。」
コ 「そしたら大変やんか!」
私 「そのくらいの根性もなくて、勝手なこと言ってるんじゃないわよ!」
コ 「・・・・・。

私に言わせれば、要は、甘ったれているだけ。
いつまで学生気分でいるの?世の中、そんなに甘くないのよ!
そーゆー甘えた根性の人間になって欲しくないから、ウチから出すのよ!
確かに、この地域は、就職も地元でして自宅で生活している子が多い。と言うか、そういう子が殆どと言ってもいい。
今まで私は、そういう友達をたくさん見てきた。

親と同居して、自分の給料は家にも入れず、自分のお小遣い感覚。
生活は全部親にオンブに抱っこで、食事も掃除洗濯の家事も親任せ。
全部親に養ってもらってるクセに、不満だけはイッチョ前!親への文句ばかりダラダラ並べてー
そういう友達の愚痴や不満を聞きながら、私は「バカじゃないの?!」とムカムカ腹がたって仕方がなかった。
社会人なんだから、そんなに親にイロイロ言われるのが不満なら、家を出ていけばいいじゃない。
生活していくって、どれだけ大変で、幾らかかると思ってんのよ!
親に養ってもらってるんなら、多少の干渉くらい我慢なさい!そのくらい当たり前のことでしょう?
これが親じゃなくて他人の世話になってたとしたら、同じ不満が漏らせるわけ?
養ってくれてるのが親だからって、いつまでも甘えてんじゃないわよ!!!
親に感謝こそすれ、文句言うなんて100年早いわ!

と、思っていた。
そして、私がこんな風に考えられるのは、やっぱり私の両親が私を外に出してくれたからだ。
少なくとも、私の考えは間違っていないと思うし、
私達3姉妹がたとえ喧嘩しても、3人の心の根本に、”親への感謝”だけは共通しているのは、やっぱり3人とも家を出ているからー

話が反れたわ。
とにかく、コデブと派手に言い合いをした私は、それからあまりコデブと話さなくなった。


   ーその2へ続きますー
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”無謀なチャレンジ” って・・・

2013年03月14日 22時26分19秒 | お仕事・・・
え~実は私、少し前に、チョッとだけある事にチャレンジしてみたんです。
それは何かと言うと・・・

エステの求人に応募してみた!

アッハッハア~。もう笑っちゃいますよねえ~。
私、現在46歳ですよお~。あと半年で47歳になっちゃうんですからね。
経験者とは言え、40過ぎでエステの社員はいくらなんでもムリがあるでしょお~。
ま、完全にダメだろうな~ と思いながらも、試しに応募してみたんです。
そしたら! なんとエントリー通ってしまったんですよ!!
いや、まさかエントリー通過出来るなんて思ってもみなかったから、
送られてきた『次選考のお知らせメール』を見てビックリしてました。

全国チェーンのこのエステの会社は、エントリー → 書類選考 → 面接・試験 と進んでいきます。
エントリーに通過した私は、1週間以内に必要書類を送れば書類選考にかけられるー
え、まさか通ると思っていなかったから、なんにも用意してないしい~
大慌てで、必要な書類を集めて、とりあえず送りました。

それから待つこと約1週間ー
実はかなりドキドキしてました。

もし書類選考も通ちゃったら、どうしょう!
今の職場、人手ないから、急に辞めるなんて出来無いだろうし・・・
新しい人も入ってこないし・・・
第一、もしこのエステの会社に入れることになったら、ここのエステ店、ウチからちょっと遠いんだよね~。
通勤に1時間はかかるよなあ~。それはちょっとキツイよなあ~・・・
それに、もしこの年齢で社員扱いで入社できたら、きっとタダの社員じゃなくて幹部候補になちゃうよなあ~。
経験者って言っても、私の場合ブランク長いし、軽く10年近くあるもんねえ~
とても今の知識と技術にはついて行けないだろうし・・・

などと、まだ書類選考さえ通っていないのに、既に ”もし入社できちゃったらどうしよう!”なんてコトまで考えていました。

でも、ま、そんな心配は全くいりませんデシタ。
はい、しっかり書類選考で落ちました。
書類には、自分オリジナルの別紙も付けて、私の体の事・子供たちの事など正直に書きましたので、
ま、当然といえば当然の事なんですがー

なぜ落ちたのか?なんて理由は、当然教えてもらえるワケではありませんが、
ま、私の場合、元々ムリがあり過ぎましたね~。
私の年齢や体の事もあるし、ブランクが長すぎるしねえ~。
会社側にとって、無理して入社させても、あと何年働けるんだ?ってカンジですものね。

ただ、もし今、私が現役でどこかのエステに勤めていて、そこからの転職。という条件だったら、
もしかして受かったかも? な~んて、甘い事も考えています。

ホンの半月程でしたが、久しぶりにワクワクドキドキと随分楽しい気分を味あわせて頂きました。
まるで宝くじを買って結果が出るまでのような日々でした。
あ~、楽しかった!


✩え?もし本当に入社出来ることになってたら、どしていたか?
 う~ん・・・ 正直、分かりません。
 どうしてもエステの仕事に付きたければ、今の職場の所長に無理を言ってでも辞めさせてもらっていたと思います。
 でも、そこまでの気持ちもなかったー
 と言うか、私自身、今更、大手エステの仕事が出来る自信が無かったです。
 だから、「今の職場が辞められないのでー」を理由にして、エステの方は断っていたかもしれません。
 ま、いずれにしても、”もしも”という話は言っても仕方のないことですよね。
 
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また一人・・・

2013年03月06日 18時53分01秒 | お仕事・・・
先日、ウチの職場の入居者さんが、またひとりお亡くなりになられました。
先月の初めに救急車で運ばれて入院されていた方でした。
私は家にいたのですが、職場から送られてきた訃報メールを見ながら、何とも言えない気持ちでいました。
そして、今回亡くなられたお爺さんとの出来事を、思い出していましたー

このお爺さん(Aさん)は、私がこの職場で働き出した時には、既に入居されていました。
背が高くスラリとした方で、年齢の割にはなかなかカッコ良い方でした。
このAさんとは、沢山の思い出があります。
勤め始めたばかりの私をとても気に入ってくれていた方でした。

当時はまだ普通に歩くことも出来たので、よく一緒にお散歩にも出かけました。
手を繋いで歩くと、とても嬉しそうだった。
大人しそうな見た目とは違って、実はかなりのエロ爺さんで、
入浴介助の時には、いつも、亡くなった奥様との夜の営みの話しを事細かく聞かされたりしました。
私が「Aさん、それセクハラですよ~。」というと、
「全く、最近の若いモンは、スグにそんな事を言う~。」と、ニタニタと笑っていました。

そうそう、よく脱走事件も起こしましたよね?
普段はゆっくりとしか歩かれないのに、あのフロアーから一気に外に逃げ出した時は、驚くほど速い動きで、
みんな一瞬、呆気に取られていましたっけ・・・
それから施設に連れ戻すまで、なが~い時間、外を散歩しましたよねー
脱走といえば、窓から逃げ出そうとされたこともありましたっけ!
自分の部屋からではなく、わざわざ他の方の部屋の窓から逃げ出されたのは、少しでも追跡を逃れるためだったのでしょうか?
あの時、あなたが大きな声で訴えた、
 「ワシは自由が欲しいんやーーー!!!」
今でも、ハッキリ覚えていますよ。

夜中の徘徊もとても多くて、夜勤に入ると、いつもあなたのおかげで私達スタッフは寝不足でしたよ。
幻聴や妄想も激しくて、訳の分からない事を喚いて訴えて、過去と現在、夢と現実がゴチャゴチャになって、
時々暴れましたよねー
夜勤をしていて、なかなか眠ってくれないあなたに疲れ果て、
もう開き直って、夜中にあなたと二人テーブルに座って、何時間も語り合った事も懐かしい思い出です。

あなたは、今住んでいるこの県と、昔自分が生まれ育った県が同じだと言い張る。
何を言ってるんだと、言い返す私。
海のないこの県なのに、すぐそこに海があるという。
そんなあなたと、延々と夜中に喧騒を繰り広げましたよね?
テーブルの上にメモを置いて、日本地図を書いて見せ、ペンでそれを指しながら、
私 「ココがAさんの故郷で、今いるのがココ。ね?全然違う所でしょ?」
A 「そうや。でも、ココとココは同じなんや!」
私 「なんでそうなるんですかあ~。 だからあ~。コレが日本でしょ?で、ココが○○県で、コッチが△△県。全然違う場所じゃないですかあ~。」
A 「それでも、同じ所なんじゃあ!!!
なんて不毛な議論を繰り返したことも、今となっては良い思い出です。

そうそう、「わしは戦争に行った!」といつも自慢げに言うあなたに、私、聞いたことがありましたよね?
「Aさん、従軍慰安婦問題って、本当にあったんですか?」
あなたは、複雑そうな顔をしながら、こう言われました。
「ワシはその頃海外に行っとって、日本にいた訳じゃあないからホントのコトは分からないが・・・・・     あったと思う・・・」
そう答えたあなたは、私の驚く顔を見て付け足しましたね。
「あの頃なら、そういう事があってもおかしくはないと思う。そういう時代やった・・・」
悲しそうな顔をしながらそう呟きました。
あの時、私は2つのことに驚いていたんですよ。
1つは、モチロン、従軍慰安婦問題があった。と言われたこと。
もう一つは、普段は認知症による幻覚や幻聴で脈絡のないことを話しているあなたが、とても普通にハッキリと話しをされた事ー

よく喧嘩もしましたよねー
夜中に突然部屋でパンツを下げて放尿を撒き散らすあなたに、
私 「何やってるんですか!」と、止めようとする私。
A 「放せ!これは、軍に入る入隊検査なんや!」
私 「そんな検査ありません!今はもう入隊する軍も日本にはありません!」
A 「うるさい!」
暴れるあなたを止めようとしてしがみつく私に殴ろうとしましたよね。
翌朝には、あなたの記憶からは、そんなコトは綺麗に消えていましたがー 

手こそ出さなかった物の、口喧嘩はよくしましたよね~。
私とあなたの言い合いは、よく他のスタッフに笑われていましたっけー

あなたが変わったのは、あなたが転倒して足を骨折して、入院先から帰って来てからでしたね。
あれほど元気だったのに、口数もすっかり減って、完全車椅子の生活に、あなた自身イラついていました。
手の動きも悪くなり、食事も自分一人で食べることが難しくなって、
またそれを伝えようにも、言葉も上手く出てこなくなって、
歩けない足、思い通りに動かない手、言いたいことも伝えられない口、思うように動かない自分の体に苦しんでいたと思います。
せめてものあなたの抵抗は、私達スタッフの手に噛みついたり、薬の服用を拒否したり、車椅子から立ち上がろうとしたりー
最後の方は、それすらすることが出来なくなってきていましたー

あなたが亡くなったと聞いた時、私は、悲しいというより、寂しく感じましたよ。
でも、私の記憶の中には、あなたと過ごした1年10ヶ月の思い出が沢山ありました。
昨年の、あなたの最後となった誕生日会。担当が私で良かったー
私のプレゼントの、あなたが生まれた年の出来事をまとめた壁飾りを、涙を流して喜んでくれました。
たとえスグにその事があなたの記憶から消えてしまっていても、少なくとも、あの時あなたが喜んでくれたコトは事実だからー
あなたが最後に救急車で運ばれた時、私が夜勤で良かったー
最後にあなたのお世話をすることが出来たからー

沢山喧嘩もしたし、お世話は大変だったけどー
私はあなたに可愛がって頂きました。

お葬式の日、私は仕事で行けなかったけれど、でも、1日あなたとの思い出に心巡らせていましたー
Aさん、安らかに眠ってください。
今頃は、あの世で山に入って大好きな猪狩りでもされているのでしょうか?
ずっと「ワシは、明日猪狩りに行くんや!」と言ってみえましたからね。

Aさん、一度だけなら、私が夜勤の時に出てきても許してあげます!
なんて言ったら、他のスタッフに笑われたけど、
もし出てきてくれたら、「ありがとうございました」と伝えたいからー
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コデブの卒業式って・・・

2013年03月03日 00時48分52秒 | 子供・・・
え~、昨日はコデブの卒業式でした。

規定の時間に学校へ向かう。
卒業式は、体育館で行われます。
受付を済ませて、いざ体育館へー

一歩体育館に入ると、私はもう遅い方だったらしいー
ずらあ~~~~っと並ぶ、頭・アタマ・あたま・・・
相変わらず、でっか~い体育館です。
何しろ、今回卒業するコデブ達卒業生だけで、およそ300人!
その保護者、夫婦で来てた親たちもいたけれど、単純に考えて約300人。
そして、在校生の1年と2年がそれぞれ約300人ずつ。
それに、来賓の人数を入れて、ざっと1200人ってところかなあ・・・。

私が学校という物に関わるのは、これが、ホントーに、ホントーに最後!
後は、ヒョロナガの大学の卒業が来年にあるけど、そちらには私は行く予定はない。だから、

!今回は!”居眠りしませんでしたよお~~~!
たぶん・・・
メンドくさい校長や来賓の話の間、ボンヤリと今までの事を思い出したりしていて、
フト気がついたら、もう終わりに近づいていた。
え?!いつの間に?
とは、思ったけれど、たぶん、居眠りはしてないハズ・・・

卒業式が終わって、生徒も保護者も、それぞれ各教室へー

ヒョロナガの時もそうだったけど、この学校の卒業式で、涙を見ることは殆どないです。
コデブのクラスも同様で、終始笑いの絶えない最後のHRでした。
先生たちへの感謝の言葉や、生徒への言葉。それから、生徒が作った皆のDVDの観覧。
最後に、中庭に出て、皆で記念撮影
生徒や先生や親たちも混じって写真を撮ると、生徒による担任の胴上げもあったりして、実に賑やか。
やっと、「解散~。」ってなった時には、コデブ達のクラスは一番最後だった。
早いクラスは、30分も前に終わっていた。

さて私は、「解散~!」のあと、ざわめくクラスの生徒達を押し退けて、大急ぎでA先生の所へダッシュ!そして、

私 「A先生!一緒に写真撮ってください!」
先 「ええー!! 僕ですかあ~!?」

いや、卒業生が先生に写真をお願いすることはあっても、
まさか、その親に頼まれるとは思ってもいなかったのでしょう。
A先生の驚いた顔が笑えました。

私は、コデブを捕まえると、
私「コデブ!早く先生との写真撮って!」
コ「はいはい・・・

コデブ、呆れながら私とA先生とのツーショット写真を撮ってくれました。
それからー

私 「A先生!6年間、お世話になりました!」

大きな声で挨拶して、ペコリと頭を下げる私を、周りの親さん達が不思議そ~に見ていました。
”え?6年? 3年の間違いじゃないの?”
そんな声が小さく聞こえたけれど、いえいえ間違いじゃありません。
だってこのA先生、この学校に勤続して7年。
そして我が家は、ヒョロナガ・コデブと、その7年のウチの6年間を、この先生のお世話になったんです。
6年の間には、先生達も次々他校へ転勤して行って、結果、6年間ずう~っと関わったのは、このA先生だけでした。
実は、ヒョロナガよりもコデブよりも、A先生と関わりが長かったのは私の方だったんですねえ~。
ヒョロナガもコデブも担任を持っていただいていた時もあり、
コデブが1年の時の懇談では、「別に無理して来なくても良いですよ~。」と言ったのもこの先生。
ま、ヒョロナガの時に何回も顔を合わせてるので、今更親と話す事も特別ないよなあ~。と言うのが本音だったそうですが。
とにかく、周りのコトは無視して、A先生と話す私。

私 「ホントーにA先生には、ヒョロナガ・コデブとお世話になりました。」
先 「そういえば、ヒョロナガはどうしてますか?」
私 「ああ、今は就活中です。結構大変らしいです。」
先 「そうですかあ。頑張るように伝えて下さい。」
私 「はい。ありがとうございます。」
先 「お母さんも、また来てくださいね。」
私 「いえいえ。この子が一番下の子なので、コレでほんっと~に最後です。先生、ありがとうございました。」

いやいや、何処のオバサン卒業生やねん!
と、ツッコミ入れられそうですね~・・

でもでも、これでもう、親として学校という物に関わるのも最後なんだから、立派なPTA卒業生ですよね
最後の担任ではなかったけれど(この頃にはA先生は学年主任)、それでも私にとっては、
生徒の親としての、最後の先生でした。

四角い顔の、ちょっと小太り気味の先生でした。
でも、いつもニコニコしていて、落ち着いた話し方をする、安心感を与えてくれる方でした。
A先生、本当にお世話になりました。
いくら専門科目の先生でも、もう~そろそろ転勤なのではないでしょうか?
4月には、今度こそ本当にもうあの高校にはみえないかもしれませんね。
A先生、いつまでもお元気でー
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