ユッコ姉の日記

日々思うことをタリラリラン♪っと・・・。

日本の過去を思う時・・・

2014年03月26日 11時44分08秒 | 思う事・・・
私の務める介護施設は、認知症対応型です。
だから、当たり前ですが、入居してくる方々は、認知症の方ばかりです。
80歳以上ばかりですね。
認知症ですので、記憶が曖昧な方が殆どなのですが、それでも、時々深く考えさせられる事があります。

ある方は、シベリア抑留帰還者でした。
ある方は、中国残留孤児でした。
ある方は、元陸軍軍曹でした。

その方々達は、自分から昔の事を話されるコトはありません。
まあ、記憶そのものが既に曖昧になっているという事もあるのでしょうが・・・

それでも、昔シベリアにいた方は、今でもロシア語で数を数えることができます。
昔中国にいた方は、中国語で数を数えることができます。
陸軍にいた方は、「よく生き残ってこれたものだ・・・」と、一言、小さく呟かれました。

認知症になって、自分の家族の顔すら分からないようになっても、それでも消えない心の傷・・・
きっと私達には分からない、いろんな思いを心の中に抱えてみえるのだろうなー
そう思うと、たまらない気持ちになります。(><)


ちなみに、私の実家のお隣のお爺さんは、
昔、海軍にいて、戦艦に乗ってみえた方でした。
私がその事を知ったのは、確か私が20を過ぎた頃だったかな?
自慢気に私に当時の軍服?セーラー軍服?みたいな物を着た写真を見せてくれました。
子供の頃からよく知っている隣のおじさんが、実はそんな過去を持っていると知って、驚きはしたけど、
まあ、その頃の私は、戦争になんて全く興味なかったから、「へえ~、凄いねえ~。」で終わってしまったのだけど・・・

私の子供、ヒョロナガとコデブは、戦国時代の話しにも詳しいけれど、
戦争中の頃の話しにも結構詳しかったりします。
特にコデブは、ゲームやネットの影響もあって、銃やら剣やら大砲やら戦艦やら、なんかやたらと詳しいです。
まあ男の子だから、そういう物に興味を持つものなんですかねえ~?
女ばかりの中で育った私には理解出来ない分野なのですが・・・(^^;)

数年前、たまたまコデブと戦争の話をしていた時、ふと私が思い出して、
「そういえば、実家の隣のおじさんは、むかし海軍にいて、戦艦にも乗ってたらしいよ。」
と言ったところ、コデブが俄然興味をもって、「ぜひお会いしたい!」と言い出した。
まあ、私の実家の隣のおじさんだし、私は実家に行って、隣のおじさんに、子供が話を聞きたい。と言っていると伝えました。
おじさん、OKを出してくれて、スグにコデブと会うことになりました。
コデブとおじさん、二人で一時間以上は話していたんじゃないかなあ~?
全然興味のない私は、実家で母親とおしゃべりしていたのでよく分かりませんが・・・

とにかく、おじさんちから帰ってきたコデブは、沢山の書物を持っていました。
随分話が合ったらしく、コデブを気に入ったおじさんが、「コレを君にやろう!」と、
なにやら戦争関連の書物をくれたそうです。
コデブはとても興奮していました。

コ 「あのお爺さん、凄いんやぞ! ”吹雪”と”大和”に乗ってとったんやと!」
私 「へえ~、でも大和の乗組員って、大和と一緒に全員亡くなったんじゃないの?」
コ 「いや、ちゃんと生き残った人もいる!」
それから、何やらコデブが詳しく話してくれたけれど、興味のない私は殆ど覚えていません。
今でも、我が家の押入れのコデブの持ち物の中に、この時頂いた書物があります。

そう言えば、最近は私もちっとも実家に顔を出してないから、現在おじさんがどうされてるか知らないなあ~。
でも、亡くなられたって言う話は耳にしてないから、多分まだ、ご存命なのは確かだと思う。
今度、実家に帰った時にでも、ちょっとお隣に顔をだしてみようかなあ~。
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ヒョロナガ、よく頑張りました!・・・

2014年03月19日 13時57分41秒 | 子供・・・
今月半ばに、ヒョロナガは大阪に行っておりました。
大阪に行った理由は借金を返すため。

実は今から4年前、ヒョロナガが大学に入学が決まった時、入学金を大阪の叔父に借りたんです。
その額百万円以上・・・
当時、我が家にもそれくらいの預金はありました。出そうと思えば出せた金額でした。
ただ、その年は、丁度コデブも高校受験の年でもあり、
当時コデブの成績はそーとー悪く、何処の高校に行けるか分からない状態でした。
希望は公立高校でしたが、最悪、ウチの市内でもかな~り学費の高い私立高校に行く可能性がありました。
ヒョロナガの大学合格が決まったのが秋。
ここでヒョロナガの入学金を支払ってしまうと、
もしコデブが私立の高校に行く事になった時、お金が足りなくなる可能性がありました。
そこで、ヒョロナガの入学金を大阪の叔父にお借りしたのです。
利息はナシ。返済は出世払いで良い。との事でした。

やがて、コデブの公立高校の入学が決まり、我が家もホッと一安心。
そして私はヒョロナガに言いました。

私 「コデブも何とか公立に入れたから、それほどお金はかからなかった。
   預金はあるから、叔父さんに借りたお金、返しとくね。」

するとヒョロナガは、首を振ったのです。

ヒョ 「いや、俺の大学の入学金として借りたんやから、俺が自分で返すわ。」

私 「いいよ。本来親が払わなくちゃならないのを借りたんだもの。私が返すから。」
ヒョ 「いい。まだオシメも高校あるし、コデブだってまだこれから金かかるやろうで、自分で返す。」
私 「でもアンタ、大学卒業してから奨学金だって返済してかなきゃならないんだし、私だって仕送りそんなにできないよ。
ヒョ 「頑張ってバイトするわ。
私 「分かった。そこまで言うなら頑張りなさい。ただあんまり無理はしないようにね。
   体壊したり勉強が疎かになって留年したりしたら、元も子もないんだからね。」
ヒョ 「うん。」
私 「それから、もしどうしても無理な時は私に言いなさい。
   いつでも返済できるように、お金はちゃんと用意しておくから。」
ヒョ 「はい。」

こんな会話をしたのが4年前の事ー

それから4年。
ヒョロナガは、本当によく頑張ったと思います。
奨学金のお金と私の仕送りは、すべて大学の学費と学生会館の寮費に消えました。
毎月私のお給料は、私の目の前を通り過ぎて行きましたが、それでもヒョロナガに小遣い1つやれません。
ヒョロナガの東京での生活費は、ヒョロナガのバイト代のみで賄ってもらうしかありませんでした。

ヒョロナガは、大学1年の時は、高校時代と同じようなビデオレンタルショップでバイトをしていました。
時給が良いので、夜勤を主に勤めていました。
しかし、その年の秋、ヒョロナガがクローン病である事が分かります。
一時的に体調を崩したヒョロナガは、バイトに出れる日数も少なくなり、辞めざるを得なくなりました。
でも、バイトを辞めると、東京での生活が出来なくなります。
少しの間病院に通って薬で体調が落ち着いた頃、ヒョロナガは次のバイトを始めます。
今度は、某牛丼屋の深夜バイト。
私がヒョロナガの病気を知ったのはこの頃です。
この時ヒョロナガに、「叔父への借金を私が返済する。」と言ったのですが、ヒョロナガはそれを断りました。

ヒョ 「大丈夫やて。体調も落ち着いてきたし、自分で何とかするから。

私はこの時、ヒョロナガを大学に行かせたことを後悔しました。
私がどうしても遠くの大学に行かせたくて、主人の反対を押し切って行かせた大学です。
もし地元にいたら、こんなに大変な思いをヒョロナガにさせる事もなかったでしょうし、
病気で体調を崩したヒョロナガの傍に居てやることも出来たのに・・・

それから3年ー
ヒョロナガの病気は 一応安定しており、ヒョロナガは頑張って大学とバイトに励んでいました。
深夜のバイトは明け方まであります。バイトが終わって、そのまま大学に行く日も沢山ありました。
時には、バイト中に体調が悪くなっても、それをこらえて頑張っていました。
食事付きの寮だったのに、どうしても食事の時間と都合が合わず、寮に帰っても食事も取ることなく眠ってしまうー
なんて事は、もはや当たり前でした。

そして4年になり、就職も決まったヒョロナガは、ある日私に言いました。

ヒョ 「母さん、もうすぐ卒業やで、叔父さんにお金を返しに行くわ。」

よくもまあ、4年で百万円以上の額が準備できたものです。
いくら深夜バイトの時給が良いからといっても、
ヒョロナガは、そのお金で自分自身生活しながら、叔父へ返済するお金を貯金していたんですから。

ヒョロナガは大阪の叔母に連絡をして、叔父の口座を教えてもらい、そこにお金を振込みました。

ヒョ「叔父さんにお礼も兼ねて、ホンのチョットやけど、金額多めに振り込んどいた。

律儀なヒョロナガです。
利息も期限もないハズの借金だったのに、
ヒョロナガは、『大学卒業までにお金を貯めて叔父に返済する!』と言う目標を自分で立て、
その目標のために頑張ってきたのでした。

そして直接叔父にお礼を言うためにヒョロナガは大阪へ行ったのです。

私も電話で叔父にお礼と話しをしました。
叔父は驚いていました。「返済は卒業してからの出世払いかと思っていた。」と
「しかも貸した金額より多く返済されている。」とー
私は叔父に言いました。

私 「それはヒョロナガのお礼の気持ちです。どうぞ受け取ってやって下さい。
   そしてどうぞ、ヒョロナガを ”よく頑張った”と褒めてやって下さい。それだけで十分です。」

大阪に行ったヒョロナガは、叔父たちに歓迎され、
テーマパークに連れて行ってもらったり、豪華な食事をいただいたりと、もてなしを受けたそうです。


大阪に行く前に、ヒョロナガは母校の高校にも顔を出していました。
ヒョロナガの大学入試の際にお世話になった高校の先生にお会いし、
「それだけアルバイトをこなしながら留年もせず、よく卒業まで辿りついた。」と驚かれたそうです。

きっとヒョロナガより大変な学生生活を送っている学生は、日本中に沢山いると思います。
それでも私は、ヒョロナガはよく頑張ったと思います。

自分で立てた一つの目標に向かって努力し、それを達成出来た!
その喜びは、きっと今後のヒョロナガの人生に自信を持たせてくれると思います。
かつて、私がヒョロナガを自転車旅行に行かせた時願っていたコト。
”目標を達成する喜びを知ってほしい”
ヒョロナガはちゃんとそれを身につけていました。

もうすぐ卒業です。
社会人になるヒョロナガは、今度は ”奨学金”と言う借金を返済していかなければなりません。
これから、まだまだ長~い道のりです。
私としては、周りの環境が変わることで、ヒョロナガの病気が悪くならないか心配しています。
でも、きっとヒョロナガの事だから、ひょうひょうとしながら、それなりにこなしていくのではないか?とも思います。
このブログをご覧の皆様、
今後共、ヒョロナガを暖かく見守ってくださいますよう、応援をよろしくお願いいたします。
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ちょっぴり親孝行・・・(トリプル祝い編)①

2014年03月16日 23時49分08秒 | ちょっぴり親孝行・・・
さて皆さん、このブログの一番最初の記事『初めてこのブログを読まれる方へ』の中に、
カテゴリーの紹介で、「ちょっぴり親孝行」の紹介をしてある事を気づいて見えるでしょうか?
コレを読んだ方、最後の記事の、一番最後に書いてあったこと、覚えてみえますか?
そう、7年後には私の両親の ”ダブル祝い”がある!と言う話しです。
あれからもう、はや6年が経ってしまいました。
そして今年、私達3姉妹は、予定どうり両親のお祝いを計画しています!!
今回も気がついたのは、名古屋の妹でした。

名 ”ユッコ姉、今年は母の古希です。皆でお祝いしませんか?”

そんなメールが私に届いて気がついた!

そう今年は、母が69歳になり、数えで古希です。
更に、父も今年の誕生日で76歳になるので、同じく数えで喜寿。
ついでに来年は、両親の結婚50周年。つまり金婚式!!
母は10月生まれ、父は12月生まれなので、殆ど来年と重なる!!
つまり、ダブル祝いではなく、トリプル祝いが出来ちゃうんです!!!

はい、スグに大阪の妹にも連絡して、
モチロン、お祝いすることに、けって~い!!

結婚30周年はハワイ旅行。40周年は豪華客船クルーズ。父の古希祝いは”しあわせ時計”でした。
さて、今回は何にしましょうかあ~~(^o^)

名古屋の妹とメールでやり取り。

名 ”二人が元気なうちに、5人(父母娘3人)で家族旅行にしませんか?”

うん、良いと思う。
以前から母はずっと言っていたんです。「みんなで旅行に行きたい。」って。
大阪の妹も賛成してくれました。
ただ、母が言っていたのは、私達3姉妹とその家族(夫や子供達も含む3世代)の全員でー と言うコトだったのですが、
流石にそれは、私達娘や主人達のそれぞれの仕事の都合や、
小学生から社会人までの子供達(両親からしたら孫達)それぞれの予定もあり、
ど~う考えても全員揃うのは無理なので、
父と母と私達娘3人で我慢してもらおう。と言う事になりました。

さ~て、目的は決まりました。
次は、旅行の行き先だよなあ~
まずは名古屋の妹とメールでやり取り。

名 「一泊二日か二泊三日くらいで、九州か沖縄か北海道か東北辺りで温泉旅行でどう?」
私 「普通の温泉旅行じゃあ面白くない。チョッピリ違ったのが良くない?例えばさ、テルマエロマエみたいな海外の温泉とかは?」
名 「私も海外とか思ったけど、やっぱり大変だから(お金も休みも取れないし・・・)、国内の方が安心だし、
   ゆっくり出来るんじゃない?」
私 「それもそうだねえ~、また大阪の妹にも連絡して、何か良い案がないか聞いてみるわ。」

こんなやり取りをしてから、今度は大阪の妹と電話。

大 「温泉旅行。良いんじゃない。
私 「うん。私も今回はそれで良いと思う。そこで問題は行き先なんだけどー」
大 「いつ頃、何日くらいの予定のつもり?」
私 「まだ決まってないよ。今回は結構早くから考えてるから、時間は十分あるし。みー、どこか良い所ない?」
大 「以前、フェリーに乗って九州まで行って温泉入ってきたけど、とっても良かったよお~。
   フェリーの中も凄く楽しかったし、甲板からの景色も最高だった♪
私 「フェリーで九州かあ~。いいねえ~。でもそれってかなり時間が掛かるんじゃない?」
大 「そうでもなかったよお。」
私 「国内のお温泉でさ、大衆演劇とか観れる温泉宿の話がまえTVで取り上げられていたんだけど、そんなのは?」
大 「その旅館によるかも・・・ 中にはかな~りヒドイ温泉宿とかもあるからねえ~。
私 「海外の温泉も面白いかな?って思ったんだけど、やっぱり時間とお金もかかるもんねえ~。」
大 「台湾とか朝鮮とかなら、そんなに日にちもお金もかけずに行ける温泉とかあるけど、私達だけで行くのは、言葉がねえ~
私 「だよねえ~・・・

私 「熱海温泉とかは?」
大 「なんで熱海(??)」
私 「確か、ウチの両親の新婚旅行先が熱海だった。って昔お母さんに聞いた記憶があるよ。」
大 「へえ~、そうだったんだ。
私 「あ、でもどうかなあ~・・・ダメかも
大 「なんで?
私 「確かお母さん、その新婚旅行、全然楽しくなくて最悪だった!って言ってた・・・
大 「そっか・・・

大 「海外に船で海には行った。陸は海のない県に住んでるから十分。あとわぁ~・・・空?
私 「飛行機とかヘリコプターとかに乗せてみる?」
大 「う~ん、お母さん喜ぶ?」
私 「お父さんは、喜ぶかもね・・・
大 「・・・

他にもアチコチいろんな案が出たんだけど、結局ー

大 「今までが結構良い所に行ってるから、むつかしいね・・・
私 「確かに・・。ハワイに豪華客船だもんね。どこの温泉が候補に挙がっても、それと比べちゃうとねえ~・・・

とりあえず、まだ時間は十分あるから、もう暫く考えてみる事にしました。

さて、今後私達3姉妹の、両親トリプリル祝いがどうなっていくのか?
それはまた進展がありましたら、このブログに書いていきますので、今後をお楽しみにー


✩ 陸は住んでる。海も船で行った。あと残ってるのは空か? 
  もういっそ、宇宙? 月にでも行かせてあげられたら良いなあ~
  どう考えても、そんなお金は出てこないけど・・・


        ートリプル祝い編②はコチラー
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