きみどりの窓

通りすがりに窓から覗いてみてください。

貨物鉄道博物館

2018-02-05 | 散歩
和歌山からの帰り道、いなべ市にある貨物鉄道博物館に立ち寄ってみました。
実家からは名阪国道、東名阪道を通り、鈴鹿ICから国道306号を使い約4時間の行程です。

写真1. 丹生川駅です

私の移動手段はクルマですが、貨物鉄道博物館は三岐鉄道三岐線の丹生川駅に隣接しています。

右奥に見えている雪化粧した山の麓に太平洋セメントの藤原工場があり、そこで生産されるセメントがこの三岐線で輸送されています。


写真2. 電車です

これは元西武鉄道の101系です。
左に見えているDL+貨車も展示車両です。


写真3. 貨物鉄道博物館

三岐線の線路に並行するように博物館の建物があります。
壁に書かれた標記が意外にもポップです。


写真4. ご利用案内

ここは毎月1回、原則として第1日曜日が開館日です。

以前から訪れてみたいと思っていたのですが、今回はちょうど仕事の都合と日程が合致したので立ち寄れたというわけです。

入館料は無料です。
この博物館は寄付金で運営されていますので、入館料代わりにと公式ガイドブック(1100円)を購入しました。


写真5. 蒸気機関車も

建物横に展示線があります。

この蒸気機関車は東武鉄道B4形で、ガイドブックによれば三岐鉄道が所有し博物館に貸与という形で展示しているようです。


写真6. シキ160

大物車、シキです。
もちろんこの車両は現役を引退していますが、大物車の実物を見たのは初めてかもしれないです。


写真7. 館内の様子

入口から館内を見ています。

この建物は元貨物駅舎だったのではないかと思われます。
写真5の右に見ているのもこの建物です。貨物駅っぽいですよね。

意外にもと言っては失礼ですが、お母さんを含む家族連れの姿もあり、結構賑わっています。


写真8. レイアウトも

館内にはレイアウトもありますが、線路上にいるのは貨車だけ。
華やかな特急電車などはありません。


写真9. お目当てはこれ

私のお目当てはこのコキ5500の図面集です。

スタッフに申し出て、閲覧申込書に必要事項を記入して貸し出していただきました。

その際尋ねたところ、中身の写真撮影も可能だというので、後はひたすら1ページずつ写真撮影です(笑)
最悪、撮影不可の場合は転記覚悟だったので撮影可は助かりました。


写真10. 台ワクの図面

「おおっ、これだよこれ」という図面が満載(当たり前です!)。

図面撮影は入口横のベンチの上で。
屋外なので風でページがめくれてしまうのを押さえるのがちょっと大変でした。
晴れていたのは良かったのですが。


写真11. セメント列車

誰ともなく「貨物が来るよ~」と声がかかります。
ちょっと手を止めて撮ってみましたが・・・
機関車はED45です。

貨物鉄道博物館の滞在時間はほぼ1時間、そのほとんどは図面撮影(笑)。

今回は資料閲覧(撮影)だけでしたが、三岐線西藤原駅には三岐鉄道の機関車が静態保存されていたり、北勢線の阿下喜駅横には軽便鉄道博物館もあるということなので、機会があれば改めて訪問したいものです。

さて、撮影した図面写真をこれから解析しなきゃです。

和歌山に行ってきました

2018-02-05 | 散歩
この週末、和歌山に行ってきました。
今回はたまたま仕事場所が和歌山市内だったので、母のご機嫌伺いも兼ねて宿は実家で宿泊費を節約(笑)。

ただし実家から仕事場所までは約40km、1時間強の距離なので移動はクルマ。
首都圏に雪の予報の中、自宅(横浜)からクルマで和歌山に向かいました。

写真1. 雪だ(国道480号)

首都圏の雪は避けられたものの実家近くに来て局地的ですが路肩に雪、空からも雪。
そうです。実家は山の中で冬の時期は和歌山とはいえ雪が降るのです。

幸い携行したタイヤチェーンを装着することなく無事に到着。

そして日が変わってお仕事です。
仕事場所は県庁の近く。お昼休みに近くを散策。

写真2. C57

和歌山城近くの岡公園に保存されているC57です。
最終的には和歌山機関区に配属され紀勢線や和歌山線を走っていたということです。

写真3. 南海電鉄和歌山軌道線321形

同じ岡公園には南海和歌山軌道線(昭和46年廃止)の電車も保存されています。

子供の頃に見ていたはずですが、こんな色だったかなあというのが正直な感想。
残念ながら乗ったという記憶はありません。

写真4. 和歌浦口行き

和歌浦口のそばに親戚が住んでいたなあ。

和歌山軌道線は国鉄海南駅まで延びていて紀三井寺から先は専用軌道でしたね。
和歌山市と海南市の市境近くには国道42号と並行する専用トンネルがあったことが印象に残っています。
そのトンネルは現在歩行者用トンネルになっていたはずです。