仏壇販売人、ぶつぶつ日記

山口県の隅っこから
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「只管打坐」の読み方は???

2006-06-01 16:31:26 | 私の本棚から

福本清三氏の「どこかで誰かが見ていてくれる」という本を読みました。

何十年も映画やテレビで活躍して、台本なし、代表作なし、
脇役ですらない福本氏の「これしか出来ん。ただやってたらこうなった」
そんな言葉を読んで、もう一冊の本のことを思い出しました。

それは紀野一義氏の「ある禅者の夜話」という正法眼蔵随聞記を
解説した本。

その中に、『「只管打坐」というのは「ひたすら座る」という意味と
思われているけれど、実は「ただ座る」ということなのだ』という
一文がありました。

「ひたすら」では「悟り」とか「修行」とか「座る」ことを何かのための手段
してしまうけれど、そうではなく、何も求めず、無になって
座るときだから座る、「ただ」座るのが禅である、というような意味だったと思います。

これをやったら評価されるかもしれないから、
誰かが見ていてくれるから
自分のスキルがあがるから・・・

いろんな思いを捨てて、「ただやる」そして
「ただ、やり続ける」
福本氏の半生にそんな姿を感じました。

あせらず、倦まず、たゆまず
目の前の仕事をただ、やる。

ついつい評価や名声や代償を期待してしまう凡人としては
この、「ただ」というのはかなり難しい。
難しいけれど、これが出来れば「ゆるがない」「ぶれない」

自分なりの「幸せ」の状態でいられるのではないかと思います。

福本氏自身はそんな気負いもなくやってこられたのかも
知れません。だからこそ、芯の強さというか
しなやかで折れない、本物の強さを感じました。


 



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1 コメント

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こんばんは。 (はちみつ)
2006-06-02 02:21:40
昔 父か祖父に聞いた、達磨さんの座禅の話を思い出しました。



・・・・・「只管打坐」。

なんて読むんでしょうかね?



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