こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2013年2月4日 月曜日 「カメライフ」

2013-02-04 22:13:57 | 写真日和

幼い頃から、いとおしい出来事や日々が消えていき、形として残らないことに、悲しい気持ちが、自分の中では沈殿していた。
「メランコリーじゅんちゃん」と笑いに変えて話すは、みうらじゅん先生であるが、みうら先生に負けずに、じぶんもメランコリー症候群であった。

夜、独りで寝ていると、妙に悲しい気持ちになった。
「いずれ、好きな人もじぶんもこの世から消えていくんだな」と思って、涙が頬を伝う夜がよくあった。

***

そんな中、瞬間を記憶に留められる・憧れの的はカメラに向いていたが、昔はカメラは高価なものだった。
やっとカメラが持てるようになったのは、中学以降の「おさがり」の大きなもの。手でフィルムを巻いて、ボタンもガシンガシンと鳴る具合のもの。

中学三年生・15歳の盛夏。愛する三ノ輪を離れなくてはならなくなった。
その際に、フィルム一本を費やし、当時一緒に住んでいた弟や妹のような存在だったいとこ、そして、自室に光が差し込む様を撮った。

***

そのカメラは、高校に入っても使っていたが、何より当時は撮影したものを現像しに、カメラ屋さんに出す値段がバカにならなくて、そんなたくさんの写真を撮影する訳には行かなかった。

そのカメラは結局、社会人になり一緒に大阪にまで同行し、当時の大好きな彼女やら風景を撮ったものだった。
その時代の変遷の中で現れた「使い捨てカメラ」も買って使ったりしたものだが、思うような写真が撮れた訳では無かった。

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その次の代の、自分自身のお金でカメラを買うのは、東京に舞い戻った1996年4月以降のこと。
持ち歩きやすい「コンパクトカメラ」が登場し、自分はリコーのGRシリーズを購入する。

このカメラにはずいぶんとお世話になった。
持ち歩きやすさも良く、手にもようくフィットし、持ちながら歩き・瞬間を捕まえ・被写体に合わせ・撮る・また歩く・・・
その一連の流れる動作を相当考え抜いた、素晴らしいカメラだった。
(それはクルマで言えば、自分にとってのホンダと日産の違い。ホンダのクルマが、人間工学的に、人の動きにフィットするような感じ。)

これを手に入れてから、相当な量のフィルム本数を撮影した。それなりにお金の余裕も出来た頃のこと。
御徒町のいつも行くお店に現像を出しに行くのが、毎週末の日課。お店のおやじさんとも仲良くなった。

使い込んだ結果、キズだらけになり・動かなくなるまで、このカメラを使い切った。

***

既に世間では、デジタルカメラが出てはいたが(CDに抵抗してレコードに執着したように)フィルムにこだわっている時期が長かった。
しかし、リコーGRが壊れたことを契機にして、デジタルカメラを購入することにした。

最初に手に入れたのは、当時「世界最小」とうたっていた某メーカーのものだった。
4~5万円のものだったが、購入後、専用バッテリーで充電し、写真旅に出たが、とんでもないカメラであることが判明する。
スイッチを入れて、手前にレンズがにゅーっと出てくる。その後ピントを合わせようとカメラ側がする。
そんなことを数回繰り返すだけで、バッテリーが無くなりつつあるマークが出て「あぜん」。

しかも、撮影は、まだお日様が天にあるギラギラの夏。
そんなバッテリー負荷が少ない条件下で、こんなザマでは「旅のおともに」なんてなりえない。

しかもバッテリー自体も数回充電していくと、あっという間に消耗。
追加バッテリーを買うと4~5000円近い。

あまりにもひどいので、最初は顧客窓口対応に相談したが、結果、技術系の部署の方と会うに至った。
自分は「クレーマー」とは思っていない。問題は世の中にプレゼンされている特長ポイントと実態が余りに乖離し過ぎていることである。
そんなものに泣き寝入ってしまったのでは、たまったものじゃない。
100円ショップで買ったモノじゃあ無いんだから。

結果、このカメラは全てお返し(返品)することとなった。

この某メーカーは、かつて「サムライ」というカメラを出したように、先進性には長けていたのだが、使える物か?というと疑問符が付くモノが多かった。
サムライも、フィルムの半コマが1枚分で、現像すると引き延ばされて粗い仕上がりになったりと、「現実に使って、どうなるか」の検証をしたのか?疑問を覚えざるを得ない商品開発だった。

***

てなことで、デジカメ1号機を再度選び直すこととなった結果、たどり着いたのがフジのファインピックス。
これまた、リコーGR同様、ようく考えられた使いやすい素晴らしいカメラで、潰れるまで旅の友として、活躍してくれた。

その後、2号機としてキャノンのパワーショットを、今、使っている。

ファインピックスもパワーショットも電池式。専用バッテリーで嫌な目に会った事が要因だが、自分が撮る枚数がとてつもない量に膨らむに伴い、アルカリ電池の消費量がバカにならなくなってきたのも事実。
家にはごっそり、まだ有害ごみとして処理出来ていない使い終わったアルカリ電池が山のような状態。

撮る写真にボケやブレがあることには、何の抵抗も無い。むしろ味と思っている。
しかし、悩みであったのが、夜間になるとパワーショットで撮影するには、難があった。
撮影はフラッシュかノーフラッシュとなるが、フラッシュを炊くとアルカリ電池の消耗が激しく早い。
逆に、ノーフラッシュで撮ると、ボケやブレというレベルでは無く、何が映っているかさえ分からない真っ黒になってしまう。
シャッタースピードを落とす手も取ってはいたが、夜の闇世界を撮るには、少し不具合を感じていたのは事実だった。
また、酷使し過ぎたせいで、最近、奇妙な動きが出てきたのもあり、いざ壊れた際も考えて、別のものを用意しようと思い立った。

***

電気屋さんで、店員さんといろいろ相談したところ、今は専用バッテリーでも昔に比べれば進化していること、それに夜間撮るには、CCDセンサーとかいう機能や、更にその上にある「何とか(忘れた)」という機能が備わっていて、夜間でも正確に撮影が可能と言う。
自分は「正確に」撮影出来るのは好むものではないので、最先端機能で「しっかり」撮影されるのは困る。
という経路を辿って、程よいブレのあるCCDセンサーを備えたカメラから選択した。

結果、衝動買いをしたのがパナソニックの「LUMIX」。レンズはライカ。
日曜日の歩き旅にて、日が沈んだ後にテスト運用してみた。どーも「しっかり」撮れすぎてしまうのは難ではあるが、使いやすく気に入った。新しい自分の道具・歩き旅のお供となってくれそうである。
昔は、持ち歩きやすい軽さがわざわいして、逆に撮影するとブレブレもひどいものがデジカメは多かったが、技術の進歩はえらいものである。

。。。まあ、実は「LUMIX」を買うに至った衝動の契機となる事件があったのだが。。。それは、後日。
今夜は、テスト的に昨夜、曳舟・向島をうろついた際の写真を数枚。

バックには、既に「音楽が終わった後に」大学時代の1988年、クロオーヴァーイレヴンで偶然出会いカセットに録音した、スクリティ・ポリティの「オーヴァーナイト」を。
■Scritti Politti  「Overnite」1988■




























コメント (2)
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