こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2011年8月19日 金曜日 夏のフェイバリッツ・47 トーマス・ドルビー「雨の森」'84.3

2011-08-19 23:15:51 | 音楽帳
21:00小雨の中、電車へ・・・・・。
一応、片付けるべきことは片付けた。
同僚の上司も「なんとかなりますから休んで下さい」と言ってくれるが、一週間も不在だと、仕事も・自分も・がたがたになりそうで怖い。

机に一輪。
花がいけられていたりして・・・。

さてスイッチは休みモードにしようと思うが、この先を特に予定はしていない。
まあいきあたりばったり。



***

さくりんさんへ

今日はまさに恵みの雨で救われました。
スコールは大変でしたね。
ただ個人的には、このまま夏など消えてしまうのを祈ります。

ニュース放送(=公共放送)で「水分補給とエアコンを適度に活用」。

エアコンなる機械に頼らねば成立しなくなった国とニンゲン。

愛猫たちもワンちゃんも、そして、多様なニンゲンより優れた生き物たち・植物たちは、どう生きる?

ほそぼそとでいい。
ひたすら雨よ、降り続けよ。

生き物たちよ、植物たちよ。
もう少しの我慢だから、みんな生き残っていこう・・・・。

そして、みんなしっとりとした「雨の森」で出会おう。



【Thomas Dolby 「雨の森(Mulu The Rain Forest)」1984年3月】

***

「猫ママは毎晩、台所のフローリングにぺたりと体をつけて涼をとっています。」

生き物はかしこいから、どうやったら「涼」を胎内に取り入れられるかを知っている。

亡きまみちゃんも、よく窓ガラスの下の金属部分のつべたいところに身をくっつける・玄関のたたきの石のつべたさ・・・・そういったものをちゃんと分かってそこに居る。

暑い中、ガングロになるために、海辺へ命がけの日焼けに行くニンゲンとは異なる。

***

「コチャコさんの甘えぶり」には、実は恐れています。
よく鳴くのも・自分に近づくのも・何かを訴えている。
ボクはそう思っています。

今まで出会った多くの愛猫たちが、痛みや恐れや異変にぶつかった際に、必ずそういう行動に出たことが自分の記憶の中にあるから。

とにかく撫でて・さすってあげて「大丈夫だよ」と、手から想いを伝えるしかない。

そういう不安がよぎっている。

***

カラダのかゆみは取れない。

順天堂の先生にズバリ「何が原因なのか?」と聞いたが、予想通り「わからない」との答え。
過去の経験から分かっているのが、その原因を探し調べるために様々な診断をして可能性を1つ1つ消していくしか方法は無くて、そのほうが体力的にも労力が必要になる。

もともと、過去に、何度か「じんましん」が出ては・知らぬ間に消えた経験を持つ。

その気まぐれさというのは、本当に気まぐれで・・・・
ユングの心理学のように(≠全てに「論理」を持ち込もうとしたフロイドではない)見えてはいないが、存在する「何か」。



沖縄に行けば消えるかもしれないし・消えないどころか逆に強くなる可能性もある。

何が正しいことなんか、なんて西洋医学では解明不可能であることをまさに物語っている。

そういう中に漂いつつ、再び、トーマス・ドルビー「地平球」とローリー・アンダーソンの「ミスター・ハートブレイク」を聴いている夜。

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6 コメント

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夜ふかし過ぎて明け方 (さくりん)
2011-08-20 04:44:56
あ、写真(笑)
雨に濡れた落ち葉が、すっかり秋の色ですね。

かたちんばさんが写真や絵を付け足してらっしゃるのが愉しみ、とは以前お伝えしましたが、
時々、こちらの気の持ちようによって、前に見た時とは違う印象を持つことがあります、
あれ?動いている?など。

 * * * * *

コチャコさんのお話、やはりそうでしたか。
実は、気になったのですが触れずにいました。
今まで距離をとっていたのが、近づいてくるというのには
ヒトの言う気まぐれではない意思を感じます。
かたちんばさんに向けられた眼差しも、心なしか何か言いたげ…
私には、撫でる機会がないので、たくさん・たくさん撫でてあげてください。

新米の猫好きにも、ちょっとした変化に気づくことがあったり、近所の猫マップができつつあります。
生まれて間もない2匹の子猫を眺めていると、
「何か御用ですか」と静かに前に出てくるお母さん。
子猫たちが大きくなってきても変わらず、すっと前に立ちますが(威嚇ではない)
最近、お母さんの体がとても小さいことに気づきました。
頑張って産んで、頑張って育ててるんだね。

『生き物たちよ、植物たちよ。
もう少しの我慢だから、みんな生き残っていこう・・・・。』
まったく、同感です。

 * * * * *

かゆみも熱も痛みも…結局のところ、西洋医学では曖昧に済まされることが多く、
それが正直と言えば正直ですが、
だったら何の役にも立たない。
私のかゆみはよく「ストレス」で片づけられますが、
診断書には是非「職場改善(むしろ解体)を要する」と書いてください、先生。

と、ここで思ったのですが
コチャコさんが感じている「何か」は、自身のことだけでなく
かたちんばさんへの気づき・気遣いがあるのかもしれませんね。

何をするにせよしないにせよ、何の制約も受けずいきあたりばったりが、今は一番ではないでしょうか。
返信する
違和への勘 (かたちんば→さくりんさんへ)
2011-08-21 11:34:38
さくりんさんへ
宛先を間違えているのに、今気づきました。
失礼しました。
ボケ老人です。
修正の上、再アップします。

*****

自分も「夜ふかし過ぎて明け方」は多くあるのですが、昨日は疲労困憊で、自分の意志で早めに寝ました。
10時間寝て、11:00起床。
そろそろ自分の意志で自分を立て直す時期とは思っています。
実践できるかどうかは怪しいですが。

セミは鳴けども涼しい風。

「・・・時々、こちらの気の持ちようによって、前に見た時とは違う印象を持つことがあります、あれ?動いている?など」

時々刻々と万物は流転する、そういうことだと思います。

***

コチャコの件は、飼い主の老夫婦が気付いていないことが実は問題。
電話して、場合によってはバッグに入れて動物病院に行くことも視野にしています。

秋に最後の添い寝をしたまみちゃんを想い、それより親猫が2年経過しても無事だったのは良かったし、いくらでも私を「ヨソ者」扱いで睨み逃げ回るのは元気な証拠でしたが、夜中じゅう、自分の周りをうろうろしたり、何度もエサ場や水呑場やトイレを往復し、鳴く。

1996年3月に大阪から任務を終えて東京に帰ったらコチャコは既にいた。
あれからずっと犬猿の仲だったものが、歳を取って丸くなった・・・とは思えない。

自分もそういう一方的に嫌われてきた者ですが、さすがに鳴いて訴えてくると、何とかこの子をして上げねばと思っています。
ただ、普通の暮らしの中では、夜中に徘徊し鳴く以外特に変化は無いので表面的には分からない。

***

「近所の猫マップ」いいですねえ。
猫を大事にした街=谷中では、どこに誰がいるかがちゃんと印刷された猫マップで配られていて、この街の優しさが伝わってきます。

ご近所の猫さんは、いろいろ名前があるんでしょう?
でも、家それぞれで呼び名が違って、猫はかしこいから飼い主が2軒あったり(笑)、サスペンスよりも凄い。

実家には、庭があるので、そこが猫たちの休み場です。
「鼻ピンクちゃん」だの「クロちゃん」だの・・・。

「生まれて間もない2匹の子猫を眺めていると、
「何か御用ですか」と静かに前に出てくるお母さん」

ようく分かります。
母親が偉大なのは、自分がいくらやせ細っても、運んだエサが子供に食べられてしまっても黙って見るだけだったり、おっぱいをあげて余計に弱っていっても、子供に上げるものを優先する。
その姿は、実に切ない。
楽して遊ぶことしか考えていない、ニンゲンの「奥さん」とは大違い。

特に、時期悪く夏に子供が産まれてしまったときには悲惨を極める。
子供猫をおっぱらった上で、母猫にだけエサを上げる、などの措置も絶対に必要不可欠ですよ。

***

西洋医学はアテにはならないが主流になっているので、頼らざるを得ない。
しかし、ユングが奇想天外・変人扱いされてきたのに、彼の言うことに従うと病気が収まったりする。
彼は、アニミズムにも傾倒していたし、この世の論理では解決し得なかった「深淵」にたどり着こうとしていた。
ユングや、日本んのユング派の第一人者・故河合隼雄先生の本には、ずいぶんと救われました。

抑鬱についても・湿疹についても、医者にズバッと切り込み「この原因は何なのですか?」と聞けばロクな答えや引き出しを持たない。
また、
「じゃあ、医者とは何のために居るんですか?
一体あなたの存在意義はどこにあるんですか?
単に処方箋を書いて薬漬けにして・薬剤会社と共に濡手に粟するだけなら、あなた方は居ても居なくてもどっちでもいいじゃないですか。
発言しなさい。」
そう今度、医者に行ったら言えばイイと思います。
たいがいの医者は、こちらの決して逃さないところへと追い詰める被告人席でヘタるヤツがほとんど。
まったく説得力を持った医者が居ない。
嘆かわしいことです。

このかゆみも所詮は対処療法でしかなく、出た湿疹に大して塗り薬を塗るだけ。
天下の大病院にも笑うしかない医者が五万と居ます。

「ストレス」というなら「それで、どうすれば?」と同じ質問を延々と繰り返して、相手から引き出せば良い。

友人MZ師はシステム・エンジニアで、過酷な脳の労働なので、キチガイで失踪する人も多数。
彼が、健康診断の際に「働くのはこの程度・食事をこうして・睡眠をこうして・・・」と言われて「そんなことは言われなくても出来るならやってるよ」と答えた。
みんなそうです。

医者は、睡眠は何時間以上、週何回1時間以上歩き、緑黄色野菜をこの程度食べて、仕事時間はこの程度・・・・

常に、自分はそういう実態に即さない医者を許しません。
とことん戦う。
「具体策を出しなさい」そういうだけです。
今のダメ医者を許してはいけません。
返信する
再び真夜中。 (さくりん)
2011-08-22 02:53:19
どうにも、摂生というのができません。

今日は霧雨の中を秋葉原に出かけ、ずっと気になっていたパソコンのメモリを購入・増設。
横須賀線で聴いた車掌さんの「道中、お疲れさまでした」のアナウンスが心地よく、パソコンも快適です。


先ほどテレビをつけたら、フジではない2局が同時間に韓国ドラマを放映していて、
一瞬、海外で観ているかのような錯覚。
嵌っている友人も居ますが、そこには決して触れずに居ます…


さて、写真のアップとあっては、どうでも良くなく、放ってはおけません。


マヨラーとは…意外でした^^;
『食べていけないと言われるものほど食べたくなる』
分かります。
遺伝性の体質では、改善のしようも当たりようもないですね。
今までマヨラーぶりが登場しなかったということは、ずいぶん我慢されているのでは(+_+)
いつも食べていたら「ごちそう」ではなくなってしまいますものね。
私はご飯でかゆみ、塩分でむくみ、と厄介なことになりやすいので「ご飯+漬物」という組み合わせが最凶ですが、最強です。


炒飯がパラパラなのが、画像からも分かります。
そして…当たり前ですがお箸で召しあがるのですね。
私は麻子先生ではないですが、職場でも左手におにぎりやサンドイッチ、右手でキーボードやペン、ということが多く、
お恥ずかしいことにすっかりお箸が使えなくなって、今年は再訓練強化の年としています。


夜のコチャコさん、美人ですが、それよりも意味深な表情ですね。
猫には猫の生き方があるにしても、家に入れようが野良であろうが伴侶のひとりとして選んだ以上は、
人はできるだけのことをしてあげたいものですね。
『時期悪く夏に子供が産まれてしまったときには悲惨を極める。』
その通りです、だんだん、分かってきました。
野良猫という存在には賛否両論分かれますが…私は様子を見に行こうと思います。

『家それぞれで呼び名が違って、猫はかしこいから飼い主が2軒あったり(笑)』
ひとつの家の中でも、呼び名が違ったりということがありますね。
私は見たままを呼ぶことが多いので、小さいお母さんのことは「ちっちゃいさん」。
(「鼻ピンクちゃん」の様子が目に浮かびます。)
ママは、他ではどんな呼ばれ方をされているのでしょうか…少なくとも、もっと男らしい名前でしょうけれど。


大阪で描かれたという絵に、しばらく見とれています。
叶わぬことかもしれませんが、手元に置いておきたい。
店では壁貸しをしていて、絵描きから写真家まで色々な作家さんとの出会いをしてきましたが、
今まで見せていただいた作品も含めて、作家=かたちんばさんは、お目にかかったことのないスタイルです。
『そういった空気を絵にしたいと思って』表せるのがまた、うらやましい限り。

 * * * * *

頭痛は、どういう姿勢をとっても付いてくるのでいやですね。
偶然ですが私も昨日からずっと続いていて、未だに薬が効きません。
昔読んだ片頭痛に関する本に、チョコレート・チーズとの因果関係が書いてありました。
私は一時期まさにチョコレートとチーズが主食のような時がありましたが、果たして真相はいかに。


~追伸~
宛先の件、お気遣いすみません。
私こそ、とんでもないことをやらかしているのに…
かたちんばさんは本当に律義な方だと思います。
返信する
平日休みの夜 (かたちんば→さくりんさんへ)
2011-08-22 21:15:15
お返事、遅くなりすみません。

パソコンのメモリ増設で快適になって良かったですね。
横須賀線というのも、何かのどかな感じがあって、心地好さの一部なのでしょう。
ごとごと言う電車というのは良いものです。

先日、札幌で新千歳空港から札幌に40分くらいかけて電車に揺られましたが、過去札幌に来た時に感じた感覚は既に無く、新型車両で揺れや静音性にも優れたものは旅情を奪っていました。
過去、札幌に(冬だったのもあり)て、この電車に乗った際には、とても古い電車で揺れが強く、外の風景を含めて自分はロシアに来てしまったのではないだろうか?という錯覚を覚えたのも、ありし日の事。

***

マヨラーというほどひどくは無いのでしょうが、マヨネーズは大事な調味料であり、貧乏な暮らしのおかずの助け役です。

私は幼い頃から父にも母にも似ていません。母方のおじいちゃんにそっくりです。
歳を取るごとに、白黒の会えなかったおじいちゃんに接近してます。
ヒゲもハゲも同じ。
1966年1月におじいちゃんが心筋梗塞で突然死し、7月に私が生まれたので、よく「生まれ変わり」と言われてきました。
おじいちゃんーお袋ー自分・兄と、高コレステロールは脈々と遺伝。
一時は、これでも定期通院していました。
最初は「酒が原因かも」と言われ「食事が原因」とも言われ、1箇月ごとにそれらを削ぎ落として血を抜いた結果、全く値に変化が無く、結論として「遺伝」ということがわかりました。

「私は麻子先生ではないですが、職場でも左手におにぎりやサンドイッチ、右手でキーボードやペン、ということが多く、
お恥ずかしいことにすっかりお箸が使えなくなって、今年は再訓練強化の年としています。」

左手が使えるのは、脳の働きが良いことです。悪いことじゃないですよ。
自分は自分が江戸の人のように思うことが多いです。
よく「若年寄」と言われるように(細野さんみたいに)小さい頃から、ご飯に梅干や漬物や塩昆布というのが好きで、緑茶や昆布茶が好きで、おせんべいが好きで、猫と日向ぼっこが好き。
洋的な暮らしはどうもそぐわない。

***

確かに「夜のコチャコ」の表情というのは何かがある。
猫の目というのは、全てを見抜き・全てを悟っていると、いつも思います。

私が多摩エリアの営業時代に憤怒した、新興住宅街、そして、東京の再開発地域に、ノラネコが居ない理由。
生き物を大事にせず、ノラが居るとそれだけで保健所に電話することで、理路整然とした「浄化」された街と、その街にハイソサエティのような感覚で住む馬鹿者たち。
一生、こういう馬鹿とは相容れない。

みんな生き物は必死で生きている。
そういう生き物を大事にしない者は地獄に落ちればいい。

***

「大阪で描かれたという絵に、しばらく見とれています。叶わぬことかもしれませんが、手元に置いておきたい。」

そう言って頂いて幸いです。
実は、これは自慢でもなんでも無いですが、この絵を仕事場の何人かの女性から、どうしても欲しい、と言われました。
ただ、じゃあどの子に上げるのかも迷いつつ「自分の絵は自分の分身だから、申し訳無いですが、上げられないんです」と言い、カラー出力のポスターにして、それぞれの子に上げました。

気にいってもらえたら、今度全体を写真で載せますね。

頭痛は、過去浪人の頃ひどかったですが、まあノイローゼだったので仕方が無いことですが、今はそんなに無いですから大丈夫です。
返信する
あれからずっと (さくりん)
2011-08-23 03:06:43
YouTubeめぐり…

イーノを仙人とおっしゃるのが何となく分かります。
飽きずに聴き続けられる=大気と成り得る音楽が生まれるのは、達観や悟りを超えた境地でしょうから。


因みにYouTubeで『CAPTIVE』を検索してみると、面白いですねえ、
アップした方のイメージなのでしょうが、
『CAPTIVE』からいくつか、「U2 Joshua Tree」として紹介されていました。
機会があれば「The Edge-Rowena's theme」「Sinead O'Connor-Heroine」をお試しください。

 * * *

『エブリデイ・ライフ』
欲しがる方が多いのは納得です。
ぜひ、全体のアップをお願いします。
画像保存とプリントアウト必至です(^.^)
本音を言えば、店で展示をしていただきたい…
でも、人に見せるのがもったいない気もします。

 * * *

「ごとごと言う電車というのは良いものです。」
横須賀線はもともと貨物専用だったので、線路の造りが雑?(人を乗せる目的ではない)らしく
つまらない新型車両でも乗り心地はガタガタだったり、
そこをかなりのスピードで走るのはなかなかスリリングです。
時々貨物が通るので、待ち時間に当たるとラッキー♪(笑)

 * * *

藤原新也さんのお話には、いつもはっとさせられますね。
一度拝見しようと思っていたところ、片づけのつもりが読み込んでしまった古い雑誌に藤原さんの特集があることに気づいたまではいいのですが、
(古本として買ったので)そのページがそっくり抜かれていました…残念。
「80年代の東京を語る」というテーマだったので、ぜひ見つけたいと思います。

 * * *

かゆみが治まらないのは辛いですね…
明日(今日)から暑さも復活という余計なオマケつき(+_+)
せめてお休み中は、眠りとだらりんちょんが叶いますように。
返信する
藤原さんのこと (かたちんば→さんくりんさんへ)
2011-08-23 15:47:46
絵は、改めて載せますね。

食事と洗い物を済ませると、暑い暑い。
暑いのはどうも困ります。

一方、なんだかここまで家に居ると、いい加減嫌になりますね。

今からお風呂、と言っても水風呂に入って、少し外に出ようかな。

***

藤原新也さんは「東京漂流」で知りましたが、80年代当時、その見方・関わり方・発言がとても魅惑的でした。
それ以降のお付き合い。

文章・写真以外に、絵の素敵さも負けていない。
新也さんの絵をデヴィッド・シルヴィアンはジャケットにしています。
デヴィッドの中野サンプラザの2001年のライヴ終了後のロビーで、ぱっと見たら同じ画面に一方であの遠い目をした藤原新也さん・一方にタバコを吸う大竹伸朗さんが居たときには卒倒しそうになりました。
デヴィッド・大竹・藤原とこの3人は、アートの中で関係し合っている。

でもデヴィッドと藤原さんの対談は読んだことがないですね。一度どんな言葉のキャッチボールがあるのか聴いてみたいとずっと思っています。

今、藤原さんは3・11以降、爆発したように精力的活動をしています。
東北に身を投じて、自分の目と耳でその有様をホームページで伝え、ネットでも会員制のネットコンテンツの開始、最近は「書」に凝り・被災地や地方に行っては目の前で書を大きな筆でしたためています。
最後のライフワーク・・というような感じのことを藤原さんは言っていますが、3・11に対して藤原さんは「むしろこういう時こそ攻撃的に」と日々活躍しています。
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