こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2014年8月15日 金曜日 かたちんば・夏の100曲 ~夏の日~

2014-08-15 23:33:33 | 音楽帳



■パーシー・フェイス・オーケストラ 「夏の日の恋」1960■
水曜日、ラジオ「たまむすび」を愉しく聞く。
この日は、最近特に耳を惹く”イージーリスニングコーナー”の拡大版という、夏のサーヴィス。
ポール・モーリア、カラベリグランドオーケストラ等懐かしい面々の曲たち。

「たまむすび」リスナーさんのハガキにも多かったが、赤江珠緒さん・博多大吉さんの会話にも「給食の時間に聴いたことがある」。同じように、小学校・お昼の給食の時間に掛かったことを思い出す。
赤江さん・博多さんらが、こういう音が日本で掛かっていた風景を知ることで、まだ自分の足掛かりになる人を知り、妙に安堵する。

しかし、最初に掛かったビリーヴォーンオーケストラの「ブルーハワイ」には、小学校風景よりも、小林克也さん・伊武雅刀さんのスネークマンショーのバックに掛かっていたイメージを、「ポール・モーリア」には、みうらじゅんさんのFM番組に出来た”ポール・モーリアのコーナー”がつい想起されてしまった。

その一方で、午後の昼下がり、FM東京「ワールド・オブ・エレガンス」から聞こえてくる細川俊之さんの「・・・君はなんて美しいんだろう。。。マロニエの道は。。。」という声が聞こえてくる。
または、午前0時からの「ジェットストリーム」の城達也さんの声が。

今でこそこのような事を言い・心地良く聴いているが、かつてそうでは無い季節があった。
イージーリスニングは、BGM(バック・グラウンド・ミュージック)とも呼ばれ、テクノ全盛だった1980年14歳だった自分は、歌謡曲と共に嫌悪の対象としていた。この気運がその後、1981年3月21日発表のYMO「BGM」に繋がっていく。

その後、日本におけるイージーリスニングに、音楽としての権利を戻したのは、90年代初頭「モンド・ミュージック」と呼ばれた時期。
自分は生きることに必死な異国大阪に居て、活路を見い出すべく、隔週「TVブロス」を購読し、そこに記載された音楽評を読んではCDショップに行っていた頃。
95年に発表された砂原良徳さんの1st「クロスオーヴァー」には、このモンド・ミュージックが別の音楽形態をもって表現されていた。

のちに細野さんの番組「デイジーワールド」に砂原良徳さんがゲスト出演した際、「やっと、こういう音楽の聴き方ができるようになったんだね」と言った細野さんの言葉。
音楽カテゴリーは瓦解し、様々な解釈方法で、自由に音楽を聴けるようになった時代を指していた。



■砂原良徳 「747Dub」1998■
80年代・FMを毎日毎日エアチェックする中、当時のニューウェイヴの新譜を紹介する番組「FMトランスミッション/バリケード」(FM東京・土曜深夜3時~)にて、たぶん1984年夏、一曲目がパーシー・フェイス・オーケストラの「シーム・フロム・ア・サマープレイス」だったことに、ひどく驚いたと共に素晴らしいと思った。
選曲家のセンスの良さを感じた。

幸宏が90年代行き詰まりの末に、盟友・細野さんに「何も考えずに、自由に音楽を創りたいなあ」と話したことを契機に、再び2人で音楽を創ることになったスケッチ・ショー。
このユニット一枚目「オーディオ・スポンジ」には、新たな何かが形を成していない暗中模索の中で、細野さんが居るおかげで、肩の力を抜いた幸宏の姿があった。

このアルバムには、意外なカバー曲が入っている。
細野さんが歌うこの曲には、2人が束縛から解き放たれたリラックス感がたゆたっている。

■スケッチ・ショー 「夏の日の恋」2002■


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