たまにはケンカもする
このところはすっかり秋となって、朝から肌寒い。20℃を切るまでに。
寝る夜中には手足をハエみたいに、すりすりしていたりする。
今週は、水、木、金と3日だけ働いただけなのに濃密で、昨夜は気持ちがヘタっていた。
でも、おだやかに土曜の朝が今は来ている。くもってはいるが明るい。
上下関係を気にしない集まり、とTBSラジオできたやまおさむさんが言う。
たしかに永六輔さんのラジオ「ラジオワイドTOKYO・永六輔その新世界」の楽しさは、そんな”寄り合い”みたいな会話にあった。
今日は、このラジオ最終回で、朝から聴いている。紅茶を呑みながら。
大学時代、絵具類のにおいが充満する美術部の部室に出たり入ったりする”寄り合い”も、歳や学年が上も下も無く、奇人変人たちのしっちゃかめっちゃか。それをにおいと共に想い出す。
今でも一番濃い付き合いをしているのは、ここで出会ったなかまたち。
今年12月がむかえられたら、また3人で都内の古旅館で忘年会をしたいもの。
(マス)メディアとは今の私には悪を語る言葉になってしまったが、原始は媒介として間をつなぎ・ふつうでは出会えなかった者同士が会える広場や公園みたいな自由な空間を意味していた。
永さんのラジオ番組というのも、聞く側にとってもそんな「場」だったような気がする。
昨夜、へたった雨の帰り道、ひさしぶりの渋谷陽一さんのラジオをFMで聴いた。
いまだに変わらず、常に今の音楽動向を語り紹介する渋谷さんのDJスタイルに安堵した。
そして、すごいと思った。
歩くとき持ち聴くmp3プレイヤーには、秋の曲を追加しながら次第に春夏の曲を外していかれている。モンスーン、XTC、ビッグカントリー、デペッシュモード等々1983年秋曲を挿入。
でも、全部の曲を聴くというより、いつも特定の曲ばかりを繰り返し聴いてしまう。
歩くリズムに合うのか?プリンスの「一日で世界一周」に入った好きな曲ばかり。
80年代のプリンスの作品が持つ迫力は、今もパワーを持っている。あまり泥臭過ぎるファンクや騒がしい曲は駄目なのだが、80年代作品では2枚組「1999」や「パープルレイン」といったアルバムより、今は「一日で世界一周」。
ジャケットや雰囲気から、このアルバムにはいつもビートルズの「サージェント・ペパーズ・・・」を想い出す。どうもこの作品にビートルズへの意識的なオマージュみたいなものを感じる。
■Prince 「Pop Life」1985■
80年代はそういう傑作の多いいい時代だったと思います。
京都のRUNは良かったですか?
私も「一日で世界一周」を初めてきいたのは、渋谷さんのサンストでした。
発売前後の新譜特集。
渋谷さんは、その後の音楽夜話の回でも「ペイズリーパーク」をバックに、曲名紹介もなく話のブリッジに掛けていました。
『このアルバムがすごいのは、僕が今でもiPhoneに入れて走ってるときに聴いているアルバム』
それと(たぶん同じ時間・別の場所で)私は街をうろうろしながら聴いている。
昨年唐突に知った新譜は聴きましたが、インターFMでよく掛かった「ユー・ノウ」以外まだしっくりきていません。。。
などととろい自分なのですが、あっという間に同時期に作った曲を集めた新譜がさらに出てしまいました。
なにせ寝る時間も削り、起きている時間の多くを音楽作りにあてていたプリンス。その姿は今も健在なのでしょう。
80年代の時点でさえ、世に出していない作品は数百曲?以上あると言われていたくらいなので。
「1999」「パープルレイン」そして「一日で世界一周」にはいろんな当時の出来事が絡んでいますが、偶然(はたして単なる偶然?)今「一日で世界一周」と言っているくもおさんと自分は、なにかの次元というかチャンネルが合っているようにも思います。
なにより作品としてのクオリティが高い、ということは確かな事実だと思います。
”きみのためなら死ねる”と言ったのはパープルレインの曲ですが、そんな一途で揺らがない確信、ここではその信念が安定感持って展開されているように思います。