温度計がついに28℃を指した。
毎日できるかぎり外気に身をさらす暮らしは続けているが、季節変動を心身でわしづかみにとらえられない。
足が自由にならなくなったせいか?といえばそれが理由でもない。脳のほうもある。脳=精神ではない。
夜、今年はじめてのエアコン。
もはや初夏。と、それに応じて身の回りの塊をまさぐる。
だいぶ処分したが、本やレコードやいろいろ。
興味のアンテナはキリが無くなるので、今日フォーカスは南佳孝さんのレコードやCDにとどめた。
1982年FM生放送だった。
教授は南佳孝を「友人」と言いながら、「”ザ・ベストテン”(黒柳さん&久米さん)によく出るよな、アイツ」とサウンドストリートで言っていた。
友人だし、音楽家としての付き合いもあるが、あのビジュアルでテレビはキツい。
こういう教授の余計なことを言ってしまうポロリは、1983年幸宏さんの「オールナイトニッポン」でよく取り上げられていた。教授は正直すぎるのだった。
今日初めて「認知」したのだが、YMOも山下達郎も南佳孝も全部1980年同時にブレイクしたのだ、ということ。とりこまれた最中に居ると分からないものである。
そして、この3者に共通しているのは、坂本龍一が関わっている事実。
しかし、この手の話しをし出すと派生する事項が多くて、かなりな枝葉がYMOを中心として広がっていくので、キリがない。南洋思考、ということでは、加藤和彦さんの作品も想い出す。
***
南佳孝さんの作品は、今から夏に向けて、知らない方にもぜひともおススメしたいものである。
彼の音を、当時は「シティ・ポップス」(苦笑)などと言っていた。
深夜ラジオ(TBS「夜はともだち」)とか、街で言えば高田馬場だったり、雑誌「ホット・ドック・プレス」なんかが頭に直結する。
80年代、と言いながら、そこにまだ70年代が透かし模様として残留していた。
そのニュアンス。
70年代から80年代に変わっていく中で消えていった音楽家は多いが、YMOも山下達郎も南佳孝も両方にまたがっている。
どこに行ったか出てこないが、南佳孝さんが雑誌・FMレコパルの特集「夏の音楽」でおすすめを紹介しているのを想い出す。
ほかにはまだ(ファンだった)「タイニイ・バブルス」の頃の桑田さんなどが、じぶんの好きな音楽を紹介していた。
夏向けの好きな曲をカセットテープなどに編集する際、どんな音楽を?という特集。
桑田さんがロビー・デュプリーやスモーキー・ロビンソンなど、「それ風」な音楽を挙げている一方、南佳孝さんが人として興味を引いたのがイーノの「ミュージック・フォー・エアポーツ」を挙げている点だった。
また、その後知るアストラット・ジルベルトの「おいしい水」などもあったが、イーノのLP「空港」をカセットに落として、そのまま島に行きたい、という夢を語る姿。
当時のポップ・スター南佳孝自身が好きな音楽と、彼が創り出す音楽との乖離感が刺激的であった。
南佳孝さんにはいろいろ良い作品があり、おススメすべきものは多いが、個人的には「サウス・オブ・ザ・ボーダー」かな?
■南佳孝 「日付変更線」(From「サウス・オブ・ザ・ボーダー」・原曲1978)■
1982年4月広告
毎日できるかぎり外気に身をさらす暮らしは続けているが、季節変動を心身でわしづかみにとらえられない。
足が自由にならなくなったせいか?といえばそれが理由でもない。脳のほうもある。脳=精神ではない。
夜、今年はじめてのエアコン。
もはや初夏。と、それに応じて身の回りの塊をまさぐる。
だいぶ処分したが、本やレコードやいろいろ。
興味のアンテナはキリが無くなるので、今日フォーカスは南佳孝さんのレコードやCDにとどめた。
1982年FM生放送だった。
教授は南佳孝を「友人」と言いながら、「”ザ・ベストテン”(黒柳さん&久米さん)によく出るよな、アイツ」とサウンドストリートで言っていた。
友人だし、音楽家としての付き合いもあるが、あのビジュアルでテレビはキツい。
こういう教授の余計なことを言ってしまうポロリは、1983年幸宏さんの「オールナイトニッポン」でよく取り上げられていた。教授は正直すぎるのだった。
今日初めて「認知」したのだが、YMOも山下達郎も南佳孝も全部1980年同時にブレイクしたのだ、ということ。とりこまれた最中に居ると分からないものである。
そして、この3者に共通しているのは、坂本龍一が関わっている事実。
しかし、この手の話しをし出すと派生する事項が多くて、かなりな枝葉がYMOを中心として広がっていくので、キリがない。南洋思考、ということでは、加藤和彦さんの作品も想い出す。
***
南佳孝さんの作品は、今から夏に向けて、知らない方にもぜひともおススメしたいものである。
彼の音を、当時は「シティ・ポップス」(苦笑)などと言っていた。
深夜ラジオ(TBS「夜はともだち」)とか、街で言えば高田馬場だったり、雑誌「ホット・ドック・プレス」なんかが頭に直結する。
80年代、と言いながら、そこにまだ70年代が透かし模様として残留していた。
そのニュアンス。
70年代から80年代に変わっていく中で消えていった音楽家は多いが、YMOも山下達郎も南佳孝も両方にまたがっている。
どこに行ったか出てこないが、南佳孝さんが雑誌・FMレコパルの特集「夏の音楽」でおすすめを紹介しているのを想い出す。
ほかにはまだ(ファンだった)「タイニイ・バブルス」の頃の桑田さんなどが、じぶんの好きな音楽を紹介していた。
夏向けの好きな曲をカセットテープなどに編集する際、どんな音楽を?という特集。
桑田さんがロビー・デュプリーやスモーキー・ロビンソンなど、「それ風」な音楽を挙げている一方、南佳孝さんが人として興味を引いたのがイーノの「ミュージック・フォー・エアポーツ」を挙げている点だった。
また、その後知るアストラット・ジルベルトの「おいしい水」などもあったが、イーノのLP「空港」をカセットに落として、そのまま島に行きたい、という夢を語る姿。
当時のポップ・スター南佳孝自身が好きな音楽と、彼が創り出す音楽との乖離感が刺激的であった。
南佳孝さんにはいろいろ良い作品があり、おススメすべきものは多いが、個人的には「サウス・オブ・ザ・ボーダー」かな?
■南佳孝 「日付変更線」(From「サウス・オブ・ザ・ボーダー」・原曲1978)■
1982年4月広告
アナログ盤とCDの両方で持っています。
ジャケは池田満寿夫さんでしたっけ?
このアルバムはなぜか6月なんですよね、真夏ではなくて。
高校時代でいうなら、中間テストと期末テストの間。
来るべき夏に向けてのイメージトレーニング的なアルバム。
それにしてもブレイク前夜のYMOが揃っているすごいアルバム。大貫妙子さんがコーラスとか。ユーミンが"作詞だけ"で参加とか。
おかげでボッサが好きになりました。