こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

aphex twin 「come to daddy」'97

2008-10-19 21:25:31 | 音楽帳
aphex twin - come to daddy


一昨日、酒を飲んだら、「お前は、Mの中のMだ」と言われた。

どうやら、そういう位置付けらしい。

しかし、そういう人間こそが、怒りを爆発させるとき、それは膨大なふくらみを持つ。

静と動、それぞれの面を持つエイフェックス・ツイン。
この曲を1997年に初めて「電気グルーヴのドリルキングアワー」で聞いたとき
、「キチガイだ・・・」と思った。でも、すぐに好きになった。

この暴力の極みのような曲、今、この時間、自分の中の暴力衝動にちょうど合っている。

***

ウィキペディアを見ていたら、リチャード・ジェイムスに関する、非常に面白い話しが出てきた。

●生まれてすぐ死んだ兄の名前(リチャード・D.ジェイムス)をそのまま命名された。

●父親は精神病院の看護師。またその父親が炭鉱で働いていたことがあり、リチャード自身もその仕事をアルバイトとして手伝った。

●16歳まで自分の作曲した音楽しか聴いたことがなかった。

●自作の楽器のみを使用。
ライブにも自作機材を持ち込み、機材が故障したらライブ終了。

●アメリカのSireレーベルと数億円と言われる巨額の契約金でサイン。
その契約金で戦車(実際は装甲車)を購入。

●多くの楽曲のリミックスを行っているが、嫌いな曲しか引き受けない。
クソみたいな曲を少しでも減らしたいからというのがその理由である。
また、あまりにも原曲とかけ離れた仕上がりになるものが多く、実際にリミックスをしているかという点にも疑問を持たれ、未発表曲を渡しているだけではないか?とも言われている。
代表作が日本のバンドBUCK-TICKのリミックスプロジェクト「シェイプレス」。
リチャード評によれば「最悪」。

●ビョークにテレビの砂嵐の楽しみ方を教える。

●ライブで自分のCDをそのままかける。

●1997年の第一回フジ・ロック・フェスティバルにて来日。ステージ上に犬小屋を設置し、終始その中で演奏する。

●1998年、恵比寿ガーデンホールで行われたRephlex Nightにて来日。ステージ上には一度も姿を見せず、終始舞台裏でDJを行う。この際、客から「本当にリチャードは来ているのか?」「金を返せ」等、多数のブーイングが出て騒動になった。

***

実に、愉快な話しが多い。
ニンマリする。
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