こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2015年3月24日 火曜日 「地下室と外界をつないで」

2015-03-24 23:28:22 | 音楽帳

帰るとパソコンをつける・お湯割りを呑む・・そのクセがついているのをやめる。
という理由は、今夜胃痛と鬱が来ているので。

よくテレビ世代と言われて自分らには”チャンネル権”はなかった。家族が集まる居間の1台しかテレビはなく、ある程度自由を与えられた「わたしの部屋」は地下室みたいで静かだった。
そこにあるのは紙媒体(雑誌)とラジオのみ。それも今みたいに目まぐるしく変わりゆくものでもなく(いや、目まぐるしい80年代だった)。ただ世界との直結度合が低いせいで、深い夜の時間を味わい、深く入り込むことはしばしばあった。

単に疲れたので、今夜部屋で静かに丸まっていて、ペンを走らせているだけなのだが、いつものせわしない雑多な夜ではない。(中断・再開)特に変なものを食べた訳は無いのに、ハラが張り、痛みに耐えかねトイレに行くとハラを下した。
緑茶を入れ直し、寒の戻りにハロゲンヒーター、ミニラジオから「オレーラ」が流れている。ラジコではないAM音質の優しさで聴こえるか聴こえないかレベルで。BGとして。

部屋じゅうのゴミを捨てる「勇気」を持てないでいる。だが、その多くは「いつか」「コラージュに」「使うため」。多分その日は来ないから捨てる方向で・・と思う。別室のカビが生えだしたポスター丸巻きも処分しよう。荒魂等神保町に寄付する分と捨てる分。それを始めるが、目まぐるしくなってやめる。ちぢこまっている安定に戻る。一部座った周囲のチラシ類のみ、それを始めカメラで撮った上で捨てるのと、そのまま捨てるもの。選び抜くべき。

池田清彦さんの本を読みつつ(朝・夜)渋谷陽一さんの「ロックミュージック進化論」をめくった往復車中。渋松対談を収めた「40過ぎてからのロック」をロッキンオン誌で見ながら買うのをちゅうちょして買わずに来た。しかし、自分には遠いと思っていた当時を過ぎ、今、その本を昼に想い出し、アマゾンで見て不覚の視野に飛び込む。とうに自分は40代、と雪降る下に遠い目をした渋谷さんのイラストを見てうなる。

キング・クリムソンはファースト・アルバムで「混乱こそ我が墓碑銘」と歌っている。これが彼らのスタート点であった。つまり僕らは何もわかっていないという事をわかっている、それが唯一の正しい認識だ、というわけである。
A面の1曲のタイトルは”21世紀の精神異常者”だ。僕らはこの世界において一人の狂人でしかない、そう彼らは言っている。

キング・クリムソンのテーマは、こうした全てのアイデンティティーを失った個人が、何んの根拠も持てずにフラフラしているというものが多い。最も偉大なる知性は、全ての合理性を否定し、混乱へと向かうのである。

混乱こそ我が墓碑銘
明日を恐れる僕は
泣くより術(すべ)がない(エピタフ)

キング・クリムソンは一貫してこのテーマを追求し続け、結局

星もない暗闇
我々に見えるのは黒いバイブルのみ(スターレス)

という言葉を残し解散してしまう。キング・クリムソンがロック・シーンに残した功績は、全て曖昧で楽観的な認識を、ひとつひとつ黒くぬりつぶした事といえるだろう。(1980・渋谷陽一)


*ノートに記したペン文字の書き起こし終わり。
渋谷さんの独壇場。
あまりに強引なまでの断定に反感を抱いたり魅かれたりしていた当時。

これを書いたからといって、キング・クリムソンの音楽にはそれだけではない解釈・側面がある。
暗黒にだけ落ちていくわけにはいかない。今夜聴いていたファーストアルバム「宮殿」の中でも特に好きな一曲。多くのミュージシャンがカバーしているこの曲を。

■キング・クリムソン 「風に語りて」1969■






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