2015年1月 東京駅あたり
自分専用のカメラを持つ事が出来たのは、中学三年の頃。
といってもそのカメラはおさがりであり、専用としたのは、家のモノだったものを微妙にがめたのである。
そのカメラは日常持ち歩くには大きく、重い黒い塊であった。
本当は記録としての写真を撮りたいと思いながら、フィルム代はまだしも現像代が馬鹿にならなかったので、大した枚数の撮影をすることは出来なかった。
昔、カメラを持つことや写真を撮る事は、それなりのお金が無ければ出来ないことだった。
旅行や特別な催しものでもない限り、一般の人が容易に毎日シャッターを切るなどという行為に向かう事は少なかった。
おさがりでもらい受けたカメラで撮影したものは、なんだっただろうか?
と思えば、まずは何よりも三ノ輪を去らねばならなくなった1981年夏。
その引っ越し間際に撮った写真と繋がっている。
当時同居していた、ほぼ妹・弟だったいとこ、自室の室内、窓の外・・・
という具合にして、明らかに去らねばならないものたちへの郷愁が<写真を撮る>という行為に向かわせた。
今振り返るに、憂鬱を常にたたえながらも、なんと純粋な少年だったのだろうかと思う。
90年代という後になって初めて一連を視知ることになるのだが、荒木さんが私よりも前に三ノ輪の下駄屋を去った際、去る前一週間で撮影した「私景 1940-1977」というモノクロームの写真シリーズがある。
その一連の写真が持つ切なさと愛おしさは自分の中で尊くて、未だ単純に胸を打たれる。
荒木さんがカメラを向けた三ノ輪の写真には、私が幼少の頃から見てきた家の周りの風景が全てそのまま在る。
私の一方的な思い入れは「同郷だから」という理由もあるが、「もはや三ノ輪でもヨソ者」という離れた今日もそう思えるのは、純粋さゆえ、と今の私は言い切ってしまいたい。
そんな気持ちだ。
荒木さんは、愛妻・陽子さんが亡くなった後でも、観る側をたぶらかしながら「やっぱり愛ですよ。愛。ハハハハッ・・・」と例の笑いをするのだが、それは両面あって、その一体型コインの片面には純粋な愛がある。
昔のインタビューで、どうやったら写真を上手に撮れますか?
という質問に対して荒木さんがこう言う。
「目の前にあるいとおしいと思うものを、いとおしいと思って撮ること。」
自分が三ノ輪を去るときに撮った写真は、そのものなのだがまだ探せていない。
しかし、何を撮ったかは、はっきり頭には浮かんでいる。
何もそれは三ノ輪の写真に限らず、彼が撮った東京写真全般に言えることだが、荒木さんの写真を「あざとい」という人がいるのは知っているが、そういう目をした人にはくみしたくない。
元々荒木さんの写真には(全部ではないが)、虚と実をおりまぜることで、立体的な東京を浮かび上がらせようとする試みがされており、そこには「にんげんらしい生や性や大嘘」のエッセンスが入っているが、一種の照れも含まれている。
私自身も含めて「にんげんなんていうものは、その程度なものだろ」と思うし、”目くそ鼻くそを笑う”程度の違い、とニセの笑いで通過したい。
荒木さんの三ノ輪の「私景 1940-1977」シリーズを見ると、自分が三ノ輪を去った際の気持ちをもまでも、モノクロームで表現してもらっているようにも思う。
荒木さんの「私景 1940-1977」より
あの1981年からそれなりの旅の過程で、多少の小金を持てるようになり、毎週土日は歩きまくり・週に24か36枚撮り×2~3本は撮影出来るようになったのは1996年のこと。
その時点の気持ちの根底には、消えゆく「“私のなかの東京”を撮りに」だったが、そうやって街を歩いては、立ち寄った街の風俗の引力に負けては店に入り、を繰り返していた。
当時は今ほどの規制が無かったので、仲良くなったその女性を撮影したり、外で逢ったりということをしていた。
そんなことを含めての街歩きと写真だったので、果たしてどこまで純粋さがあったか否かはわかったものではない。
そこからさえも離れた2015年の今日も、日々歩きながらさまざまなモノに向けてシャッターを押している。
■細野晴臣 「冬越え」1973(ホソノハウス)■
2001年1月27日 東京に雪が降る。その中、三ノ輪に向かった。
ああでもないこうでもないと迷いつつ。
ときに善人ぶったり悪人ぶったりしていると思う自分。そういう居心地の悪いムズムズした感触を覚えたら、いかにニュートラルであるか、と大仰でもなく、喫茶店に入ったりしてリセットする。
そうしてまた歩き出す。
いつの間にかギミックやテクニックによくはまりこみ、欲が出ていることに気付いては捨て、それを補正しうるために、また歩きを繰り返して進んでいく。
そんなジグザグにして進んでいく。
そんなもんだと思う。
その光跡を振り返ってみたら、これだけは”自分に素直”という一枚に出会えたら/シャッターが切られていたら、それでめっけもん。
ほんとは、そのめまうような街中でのリアルタイムは全部素直なつもりなのだが。
2002年3月3日 三ノ輪浄閑寺。コダックTri-X。
2015年1月 谷中あたり
2015年1月 湯島からアメ横への夜
2015年1月 田端あたり
2015年1月 巣鴨あたり