こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2012年5月10日 木曜日 砂原良徳さんの「リミナル」をめぐって

2012-05-10 22:05:36 | 音楽帳


昨年やっと発表された砂原良徳さんのアルバム「リミナル」。
何度か聴いたが、いまだに自分の中にわだかまっているのは事実である。
聴き込むことでの化学変化の予兆を感じない。

YMOにあこがれて音楽道を歩き、すさまじい量の多様なレコードを聴いてきた砂原さんが、ソロとして発表してきたアルバム。
この「リミナル」を除く4枚のアルバムには、彼の中で膨張し醸造された濃密な音と構成が常にあった。
過去「YMOのどこに一番惹かれるのか?」という質問へ、彼が回答したのは「スキが無いところ」。
それは裏返せば、「自分もそうありたい」「そうあるべきである」という自分へ課した・妥協しない棒高跳びのバーのようなものだったと思う。

***

彼のソロ1枚目の「クロスオ-ヴァー」が発表されたのが1995年。
自分は大阪。
1991年から大阪に居た自分は、当時、雑誌「TVブロス」を毎度購入し、TVチェックで好きな番組を全部ビデオに録画していた。
「TVブロス」といううすっぺらい、だけども、他のTV雑誌とは一線を画すサブカルチャーの匂い強い雑誌には、リリーフランキーさんのイラスト付エッセイ・爆笑問題の太田くんの連載・奇妙な特集記事・そして我々のような人種に近いCDを紹介するコーナーがあった。
砂原さんの「クロスオ-ヴァー」を知ったのは、この紙面で、だった。

桜ノ宮と扇町の真ん中くらいに住んでいた自分は、よくチャリンコを転がして夕暮れの梅田にカメラを持って、旅に出た。
購入したお店は記憶におぼろげなのだが、阪神百貨店のCDショップ「ブリーズ」だったような気がする。

砂原さんとの出会いはここに始まった。

***

1996年東京に戻って以降、小さい頃憧れた空の旅へのオマージュとして、’98年に連作発表された「テイクオフ&ランディング」「サウンド・オブ・’70s」。
そして、余計な音をそぎ落として行った結果生まれた’01年の名作「ラブ・ビート」。
毎度毎度、広がっていく世界を楽しみにしていた。

その後の沈黙は、自分には長かった。
なぜ次のアルバムが出ないのか?
そう思いながら、お互い10年の歳月が流れ、3・11後に発売になった「リミナル」。

常に異なる音を発見し・育て続けてきた砂原さんにしては、どうしても「ラブ・ビート」を亜流に崩しただけのような音に聴こえてしまう。
彼の意図や、音の核がつかめないまま・・・そのまま今日も不完全な満たされない想いが続く。

***

かつて、ハジメちゃん(=立花ハジメ)は「才能は枯渇する」という名言を吐いた。
彼のソロ1枚目の「H」以降、誰もが発想もしなかった形で新しい音楽を産み出した天才・ハジメちゃんは、80年代後半に失速する。

砂原さんに、この言葉を当てはめるつもりは毛頭ないが、考え過ぎというか・はっきりしない悩み深い所にハマってしまっている感は否めない。
それは、昨年、このブログに掲載したインタビューでの、砂原さんの語る言葉に含まれた葛藤からも感じられる。

YMOに影響を受けた日本のミュージシャンは多いが、そのほとんどが大した音を産み出すことが出来ずに年寄りになってしまった。
影響を受けたにしては、小さな小さな実しか出来なかった。
そんな中で、YMOからの影響を、暗中模索であろうと・是が非でも表現の形に結晶したい、という強い意志の現れを持って今を迎えているのは、石野卓球と砂原さんくらいではないだろうか?

砂原さんが、このままで終わるなどは思ってもいない。
早く次の新しい視点に立ってもらえることを、自分は期待している。

■砂原良徳 「アースビート」'01
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする