"秋山"さんでの昼食の後、後水尾天皇ゆかりの圓通寺へと来ました。
1年振りに来ると拝観の受付が変わっていました。受付でお聞きすると去年の二月から変更されたそうです。
この地は江戸時代初期(1639)に後水尾天皇が離宮を営まれた幡枝離宮の跡です。
天皇はその後、修学院離宮を営まれ、この幡枝離宮を禅寺にされました。
上皇となられた後水尾院は大悲山の山号と圓通の寺名を与えられ、霊元天皇の勅願所とされました。
しかし、何と言っても庭園の素晴らしさには感嘆します。
生垣までは枯山水庭園、その背後には霊峰比叡山が雄大な借景となっています。
平安時代に橘俊綱が編纂したとされる「作庭記」に"人の立てる石は、生得の山水にまさるべからず"とあるように、まさに自然を取り込んだ借景庭園です。
日本庭園研究の第一人者・尼崎博正先生の解説文を読むと良く分かります。
以前は庭園も含め全面撮影禁止でしたが景観を保護する条例が制定され、署名活動などで多くの人たちが関わったからでしょうか?それ以降、庭園の撮影は可能になりました。
いつまでも見ていたい庭園です。
山門内の一角には高浜虚子の句碑が建っています。