京都つれづれなるままに

京都好きの旅日記。お寺、神社、グルメからスイーツまで!思いつくままに。

真如堂 (沙羅双樹・菩提樹・紫陽花の花)

2019年06月23日 08時04分57秒 | 日記
6月15日は上京の興聖寺の弥勒祭を終えて、僕の最もお気に入りの真如堂へと来ました。



正しくは真正極楽寺と言う天台宗の寺院です。ご本尊さまは阿弥陀如来立像で毎年11月15日にのみご開帳されます。
こちらでも紫陽花が見頃を迎えており、関西はまだ、梅雨入りしていませんが、この時期存在感を発揮しています。





本堂前左手には、沙羅双樹が数輪咲いています。





また、右手には菩提樹の話が咲いており、いい香りを放っています。







また、本堂裏には紫陽花苑があり、こちらの紫陽花も立派に成長し色とりどりの花を咲かせています。大文字山を背景に京都らしい景観を楽しめます。一度、ここから五山送り火を見てみたいですね。









今日は久しぶりに伽藍内も拝観しました。
ふたつの素晴らしい庭園が近年作庭されています。





ひとつは"涅槃の庭"です。天龍寺や東福寺の庭園の維持管理をされてきた曽根三郎さんが1988年に作庭されました。大文字山を中央に東山三十六峰を借景にお釈迦さまが入滅されるお姿を、周りに弟子たちや動物たちが悲しむ様子を石組みで表現し、石組み手前の白砂はインドを流れるガンジス川を表しています。







もうひとつは"随縁の庭"です。前日に東福寺光明院で解説を頂いた重森千青さんが2010年に作庭した庭園です。

資材は全て境内にあったもので作庭されました。
"随縁"とは仏教用語"随縁真如"の略で「真理が縁にしたがって、さまざまな相を生じる事」と解釈されています。
"この庭は見る時間や天候、季節によって見え方が変わりますが本質は同じ"と言う随縁の意味が込められています。

四角に区切られているのは仏殿にある蟇股に付けられた四つ目の家紋をモチーフにしていて三井家との深い繋がりを感じさせます。






紫陽花が映える智積院

2019年06月22日 18時39分34秒 | 日記
平安神宮から市バスに乗り東山七条で下車。本日の最終目的地 智積院へとやって来ました。





翌日が「青葉まつり」で利休好みの庭園や長谷川等伯・久蔵筆の国宝「楓図桜図」を展示している収蔵庫が無料開放されます。

本堂の前では、護摩供養の打ち合わせが行われていました。



本堂の南側には紫陽花苑があり見頃を迎えていました。







毎年のように訪れていますが紫陽花の木も立派に成長し、年々大きな花を咲かせています。ここまで訪れる人も少なくまだまだ隠れた紫陽花の名所です。



ありました!ハートの花が、、、

不動堂の側には沙羅双樹の花(夏つばき)が咲いていました。



かっての金堂は宝永2年(1705)に桂昌院から金千両の寄進を受けて建立されましたが明治15年(1882)に惜しくも焼失しています。

現在の本堂は、宗祖弘法大師空海のご生誕1200年を記念して昭和50年に建立された鉄筋コンクリートの建物です。

しかし、本堂前にある2基の石灯籠はかなり古く江戸時代の文化6年(1809)の文字が読めます。







かえでの新緑も苔も綺麗ですね。鐘楼付近の写真で智積院で最も好きな場所です。










新緑の平安神宮 神苑

2019年06月22日 06時34分48秒 | 日記
東福寺芬陀院を後にし、京阪鳥羽街道駅から三条駅に移動。そこから徒歩で平安神宮へと来ました。





平安神宮は明治28年に平安遷都1100年を記念して大内裏朝堂院を5/8のスケールに縮小して建立されました。ご祭神は桓武天皇です。
写真の大鳥居は昭和3年(1928)昭和天皇御大典を記念して高さ24m、幅18mの規模で造らました。昭和14年(2002)には国の登録有形文化財に指定されています。





白虎楼から神苑へ。まずは南神苑です。





南神苑は「平安の庭」と呼ばれ、源氏物語や枕草子などに登場する草花が植えられています。





続いて西神苑です。











ちょうど花菖蒲が見頃を迎えていました。





龍が臥す姿から「臥龍橋(がりゅうきょう)」と名付けられ、石柱は秀吉時代の三条、五条大橋の橋脚を再利用したものです。







東神苑にやって来ました。ここからは風景が開けで池泉、鶴島、亀島の解放的な庭園です。植治による作庭です。
毎年、4月の初めには4夜にわたって尚美館(貴賓館)をステージに紅しだれコンサートが行われます。池泉廻遊式庭園の基本を押さえた非常に解放的な庭園です。昭和50年には国の名勝に指定されています。

また、橋殿からは池越しに平安時代の雅を感じます。ここでも琵琶湖疎水の水が使われています。









いつ訪れても素晴らしい庭園です。

東福寺芬陀院の雪舟庭園

2019年06月21日 06時06分19秒 | 日記
光明院の後、重森三玲が作庭、改修に携わった芬陀院を訪ねました。







南庭は"鶴亀の庭"と呼ばれ、室町時代の水墨画家の雪舟の作庭と伝わります。



上の写真の右側が亀島で二重の基壇で立体的に表現され、左が鶴島は折り鶴を表現しています。



芬陀院は過去にニ度の火災で被災したり、長い年月で"鶴亀の庭"は荒廃が進んでいましたが、昭和14年に重森三玲により復元改修され、作庭当時の姿を取り戻しました。





南庭に対して東庭には時の関白一條昭良公ゆかりの茶室「図南庭(となんてい)」があり、東福寺参拝の際、こちらで茶を楽しんだようです。







上の写真は、かって東福寺にあった大仏の台座の花弁のひとつです。
明治14年(1881)に本堂と法堂が火災にあい、大仏の左手と台座が奇跡的に火災から免れました。その花弁を塔頭に分けられたようです。
一方、左手は2mの大きさがあり、与願印(人々の願いを叶える)の印相から盧遮那仏(大仏)の左手であることは確かなようです。

また、本堂には"毘盧寳殿"の扁額が掲げられおり、文字通り盧遮那仏(大仏)をお祀りしていたお堂である事が分かります。

手の大きさから推定すると高さ約15mもあり奈良東大寺の大仏と同規模、鎌倉の大仏13mより大きな大仏が存在していた事になります。



東福寺「光明院の庭を楽しむ」

2019年06月20日 11時45分32秒 | 日記
6月14日は、朝日カルチャースクール主催の「東福寺光明院の庭を楽しむ」に参加しました。
講師は作庭家で大学で教鞭もとられている重森千青(ちさを)先生です。





重森、、、と聞いてピンときた方は庭園好きの方でしょう。そう、こちら光明院の庭園を作庭された重森三玲さんのお孫さんです。





こちら光明院の庭園は、重森三玲が昭和14年(1939)に東福寺本坊庭園と同時期に作庭され「波心の庭」と名付けられています。
この年は、本坊、光明院、芬陀院の三庭が新規作庭され、また、芬陀院の伝雪舟庭と普門院(東福寺開山堂)庭園のニ庭を復元改修しています。







庭園名の由来は禅語の「嶺上ニ雲ハ生ズルコト無シ。波心ニ月ハ落ツルコト有リ」から名付けられました。



庭園には三尊石の石組みが三ヶ所あり、それぞれの中尊から光が放たれている様子を表現しています。三尊石の石組みの手法は平安時代に橘 俊綱が編纂したとされる「作庭記」にもあるように日本の古くからの手法ですが、三尊石を三ヶ所配置し、それらが三角形を形成しているところにデザインの斬新さを感じます。

仏像で如来さま、菩薩さまの背後に"光背(こうはい)"がつけられているのをよく見かけます。これは仏様が光を放っている様子を表現しています。
夜間拝観で清水寺や青蓮院門跡で空へ向けて青い光が放たれています。これは、ご本尊さまが遍く全ての人々を救済せんと光を放っておられる様子を表現しています。

東福寺のすぐ南にあるにもかかわらず、いつ訪れても静かでゆっくりと出来るお寺です。

ご住職は本山の役職につかれており、光明院の法統を守るべく妻帯もされておられません。ですから、お留守の時も多く、「拝観料は、こちらの竹筒に入れて下さい」の旨の案内があります。

次に同じく重森三玲が改修した通称雪舟寺と呼ばれている芬陀院へと向かいます。