6月23日は、宇治木幡にある松殿山荘を訪ねました。2回目で前回も記事にしています。(11月18日)
今回は、一昨年に松殿山荘が重要文化財に指定された記念の講演会があり、建築については桐浴邦夫先生が、庭園については尼崎博正先生が基調講演をされました。
松殿山荘は、大正9年(1920)から昭和9年(1934)にかけて高谷恒太郎(宗範)が設計した36000坪に及ぶ山荘です。
建物、庭園の随所に宗範のこだわりが表現されています。
まずは、桐浴先生の講演です。
高谷宗範の考え
・心は円なるを要す
・行いは正なるを要す
①江戸時代の大坂の町屋の名残としての建築
大坂中之島に残っていた天王寺屋五兵衞の屋敷を移築。松殿山荘の天五楼、楽只庵、不忘庵として残っている。
天王寺屋五兵衞の屋敷は同年代建築で現存している適塾から推測できる。
②ジェントルマンアーキテクト高谷宗範の作品として
宗範は官僚出身で後に弁護士になった人物で建築や作庭のプロではなく数寄者であった。
③数寄屋建築の近代化への試み
宗範は大阪今橋に住んでいた邸宅の茶室をリノベーションし、知人の邸宅や茶室の設計をしている。
武田五一の影響
今は明治村にある芝川邸は明治44年に建てられた洋館ですが、移築前には和館が併設されており、その設計に宗範が関わっていました。洋館の設計者 武田五一との交流が後の宗範に影響を及ぼしたと思われる。
今回は、一昨年に松殿山荘が重要文化財に指定された記念の講演会があり、建築については桐浴邦夫先生が、庭園については尼崎博正先生が基調講演をされました。
松殿山荘は、大正9年(1920)から昭和9年(1934)にかけて高谷恒太郎(宗範)が設計した36000坪に及ぶ山荘です。
建物、庭園の随所に宗範のこだわりが表現されています。
まずは、桐浴先生の講演です。
高谷宗範の考え
・心は円なるを要す
・行いは正なるを要す
①江戸時代の大坂の町屋の名残としての建築
大坂中之島に残っていた天王寺屋五兵衞の屋敷を移築。松殿山荘の天五楼、楽只庵、不忘庵として残っている。
天王寺屋五兵衞の屋敷は同年代建築で現存している適塾から推測できる。
②ジェントルマンアーキテクト高谷宗範の作品として
宗範は官僚出身で後に弁護士になった人物で建築や作庭のプロではなく数寄者であった。
③数寄屋建築の近代化への試み
宗範は大阪今橋に住んでいた邸宅の茶室をリノベーションし、知人の邸宅や茶室の設計をしている。
武田五一の影響
今は明治村にある芝川邸は明治44年に建てられた洋館ですが、移築前には和館が併設されており、その設計に宗範が関わっていました。洋館の設計者 武田五一との交流が後の宗範に影響を及ぼしたと思われる。