朝日カルチャーセンターの講座で中井均先生の山城巡りの現地講座にすっかりハマってしまっています。
縁起絵巻は国指定の重要文化財で京都国立博物館に寄託されています。
安土城跡、小谷城跡、竹田城跡、周山城跡と巡り、今回の観音寺城跡で5ヶ所目になります。
JR安土駅南口から見える観音寺城跡のある繖山(きねがさやま)の登山道まで徒歩で約30分の行程です。
登山道の入口には桑実寺があります。
桑実寺の創建は白鳳時代天智天皇の御代にまで遡る古刹で往時には二院十六坊の僧坊があり、足利幕府第十二代将軍義晴が三年間"仮の幕府"をこちらで開いています。
権威が低下していたとは言え、足利将軍が滞在されたとは感慨深いですね。
縁起絵巻は国指定の重要文化財で京都国立博物館に寄託されています。
本堂は南北朝時代に建立され国の重文建築物で、ご本尊の薬師如来坐像は秘仏のようでお厨子は閉まっています。
約1時間程登ると石垣が現れます。
築城年代は定かではありませんが南北朝時代(1335年)には築かれていたとの文献もあるそうです。
観音寺城は標高432.9mの南北に延びる繖山の山上に戦国時代、近江守護佐々木六角氏により築かれた山城です。
また、観応の擾乱では籠城、応仁の乱では3度にわたり攻防戦が展開されています。
城郭の全域が石垣によって築かれ、織田信長が安土城築城の際に参考にしたとの説も残ります。
石垣はこの山から産出される湖東流紋岩が使われ、矢穴技法と呼ばれる砕石技法が使われているのが特徴です。
大手道を始め本丸、平井丸、池田丸の石垣が綺麗に残っています。
また、観音寺城山上の曲輪には伊庭屋敷、目賀田屋敷、後藤屋敷などの被官の名前が残り、家臣団が山上に住んでいたことを表しているのかも知れないです。
帰路は西国三十三ヶ所観音霊場の第32番札所の観音正寺を経由して繖山の反対側に下山しました。
観音正寺は後日に書く予定です。