kintyre's Diary 新館

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映画『私が、生きる肌』を観て

2012-06-23 23:19:22 | ヨーロッパ映画

12-51.私が、生きる肌
■原題:La Piel Que Habito(英題:The Skin I Live In)
■製作年、国:2011年、スペイン
■上映時間:120分
■字幕:松浦美奈
■観賞日:6月23日、TOHOシネマズシャンテ



□監督・脚本:ペドロ・アルモドヴァル
□脚本:アグスティン・アルモドヴァル
◆アントニオ・バンデラス(ロベル・レガル)
◆エレナ・アナヤ(ヴェラ・クルス)
◆マリサ・パリデス(マリリア)
◆ジャン・コルネット(ヴィセンテ)
◆ロベルト・アラモ(セカ)
◆ブランカ・スアレス(ノルマ)
◆スーシ・サンチェス(ヴィセンテの母)
◆バーバラ・レニー(クリスティーナ)
【この映画について】
妻を失った天才医師が、自ら開発した“完璧な肌”を移植して妻そっくりの美女を創り上げる。スペインの巨匠ペドロ・アルモドバルが、愛と狂気の境界線に挑んだ衝撃作。惜しげもなくさらされるエレナ・アナヤの裸体、ジャン=ポール・ゴルチエによる華麗な衣装、退廃的な性描写。官能美あふれる映像に目を奪われる。(この項、MovieWalkerより転載しました)
【ストーリー&感想】
謎めいた雰囲気を漂わせる女性ベラは、全裸と見まがうしなやかな肢体に肌色のボディ・ストッキングをまとい、ヨガの瞑想に耽っている。彼女は画期的な人工皮膚の開発に没頭する天才形成外科医ロベルによって幽閉されていた。ロベルが夢見るのは、かつて非業の死を遂げた最愛の妻を救えるはずだった“完璧な肌”の創造。あらゆる良心の呵責を失ったロベルはベラを実験台に、開発中の人工皮膚を移植し、今は亡き妻そっくりの美女を創り上げてゆく……。そして、ベラは一体何者で、どのような宿命のもとでロベルと巡り合ったのか……。

アルモドヴァル監督作品なのでストーリーが一筋縄ではいかないとは思っていた。やはり、そこには糸が複雑に絡みながらも、最後は一つになって行くのだが、襲ってくる眠気を振り払って集中して観ていれば伏線もしっかり見えてくるので見逃さないことが肝心だ。
ヴェラはそもそも「男」だったというオチに辿り着くまでに、ロベルの娘へ暴行をした「男」への復讐から全てが始まっている。だがだが、ロベルの妻が浮気が原因で全身火傷を負って亡くなるのだが、その相手とロベルと同居する老母との関係、いきなり数年ぶりに宝石店強盗として追われる身になって匿ってもらう弟の存在。
これが一本の糸となって「ベラ」の存在が明らかになった。人工皮膚を移植され性転換手術で女性となった「ベラ」には洋服店を営む母と恋人の存在があった。

アルモドヴァル監督はそんな複雑な人間関係を2時間に凝縮したのだが、「ベラ」の正体は「ヴィセンテ」という名の男だ。「ヴィセンテ」はロベルの娘をレイプして娘はそれを苦にして自殺してしまう。この復讐心と妻を救えなかったとの悔悟の情など複雑な感情がロベルを人工皮膚開発へと邁進させた。
「ヴィセンテ」は性転換を施され人工皮膚を纏って「ベラ」へと変身させられるのだが、ベラはほぼ終日監視されており、まるで脱走させられない飼猫の様な存在だ。ベラの奥底には「ヴィセンテ」が未だに宿っており、その部分がロベルへの従順を装いながら、最後はロベルの隙をついて彼が隠し持っていた銃を奪い射殺する。

そして彼は一目散に実家の洋服店を営む母へと会いに行くが、変わり果てた姿の「息子」をみて信じろと言うのが所詮無理な話で、彼が必死に「ヴィセンテ」であると訴えても母もかつての恋人も一瞥もくれなかった。
外見は「ベラ」のまま「ヴィセンテ」に戻ることが出来なかった彼だが、果たして、今後の人生はどうなるのだろうか?

主役のアントニオ・バンデラスは感情を極力排した役柄に徹しながらも、意志の強さと研究に没頭する役を熱演していた。だが、この作品で一番目立ったのは「ベラ」役のエレナ・アナヤだろう。この表現の難しい役を彼女が見事に演じていたからこそ、アルモドヴァル監督の描いたとおりの作品になったのだろう。
エレナ・アナヤでは無く、仮に容姿が良く似ているペネロペ・クルスだったら、既に彼女のイメージが定着しているので違った印象になっただろうが、アナヤにはそのような定着したイメージが無かったのでアルモドヴァル監督としてはこの起用は成功だった。


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