・・・・。(笑)
(笑)のツボ、記念すべき100回目のネタがこれとは・・。
「丼上雄彦」と、名前が変えてあるのも芸が細かい。
「バガボンド」も年内終結宣言出たし、いよいよ佳境だなあ・・。
(カテゴリー/マンガ・アニメ:「バガボンド」参照http://blog.goo.ne.jp/kinto1or8/e/30648e69d201492bf1d80d2aa8372fd0)
はたして、どーゆーラストが待っているのか・・?
・・・・。(笑)
(笑)のツボ、記念すべき100回目のネタがこれとは・・。
「丼上雄彦」と、名前が変えてあるのも芸が細かい。
「バガボンド」も年内終結宣言出たし、いよいよ佳境だなあ・・。
(カテゴリー/マンガ・アニメ:「バガボンド」参照http://blog.goo.ne.jp/kinto1or8/e/30648e69d201492bf1d80d2aa8372fd0)
はたして、どーゆーラストが待っているのか・・?
ここんトコ、宮島、弥山と結構記事にしてたので、もういいかなー・・と思っていたら、昨日、TSS(テレビ新広島)の「ひろしま満点ママ」という番組で、宮島の特集をしており、面白いと思ったので紹介したい。
それは宮島の観音様。
宮島へはフェリーが運航しており、フェリー乗り場から厳島神社までの参道を歩いていく。(カテゴリー/広島のオススメ!:「宮島・厳島神社」参照http://blog.goo.ne.jp/kinto1or8/e/f648e59a39192d8f968400443b89f5b6)
途中、表参道の商店街の中を通って厳島神社まで行くのだが、商店街の中に入ると、もう観音様は見えなくなってしまう。
―お気づきだろうか?
正面の店の横に見える、弥山に連なる山々の稜線が描く影をよく見ると・・
女の人が横になって寝ている姿に見えるのだ!
これぞ、宮島の観音様!
この写真は、ちょうど横顔部分をアップにしたもの。
おでこにあたるトコロが弥山になる。
ちょうど観音様の眼にあたる部分にも木があったそうだが、3年前の土砂崩れでそこの木がはげ、「観音様の眼が開いた」と言われたそう。
あるいは女の人の姿に見えるコトから、”乙女の涙”とも・・。
ここで、いま一度、最初の写真を見てみると、胸やおなかなど、観音様の胴体まであるコトがわかる。
厳島神社の祭神が市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)・田心姫命(たごりひめのみこと)・湍津姫命(たぎつひめのみこと)の宗像三神で、姫の名からもわかるように女の神様。
女性を連れて行くと、女の神様だけにやきもちを焼く・・というコトで、あまり縁結びには向かないようだが、島全体、弥山からの尾根が観音様の姿になっているのを見た昔の人は、確かにここは神様の住む島だと感じたのかもしれない。
パワースポットたる所以だ。
厳島神社の位置も 、ちょうど観音様の顔の部分にあるコトからも、島全体が神域として信仰の対象になっていたのが伺える。
弥山はちょうど観音様のお顔にあたるのだから、そこへ分け入って木を切ったり、草を抜いたりするコトは観音様のご尊顔を穢すコトになり、当然、タブーなワケで、昔のままの自然が遺されてきたのもうなずける。
(カテゴリー/広島のオススメ!:「弥山・宮島ロープウェー」参照http://blog.goo.ne.jp/kinto1or8/e/22e0eb730da458fea817e88f8688a0fa)
何気に見たテレビ番組で知ったのだが、そういえば、ずい分前に、ちらっと聞いたコトがあるような気もする・・。
観光地として多くの人が訪れる名所で、ついつい表参道の派手な商店街や土産物に目を奪われてしまいがちだが、本当にこーゆー島の姿を見て、ありし日の人々が神と共に生きてきたコトに思いを馳せる・・とゆーのが、こうした名所を訪れる真の価値なのかもしれない。
前回までは、まったく見落としてたけどね・・。(笑)
今日は親父の誕生日。
今年で67歳になる。
今もインドネシアに住む親父とは、もうずい分会ってない。
昔から商社マンで、海外での単身赴任生活が長かった親父は、フィリピンに何年、マレーシアに何年、インドネシアに何年、インドに何年・・とゆー具合に、家にいる時の方が少なかった。
いつも家にはいないが、いつも家族の為に頑張ってくれていて、絶大な権力をもつ・・それが自分にとっての父親像。
もっとも、兄弟の中でも1番厳しくされたのは、自分が長男だったからかもしれない。
弟や、特に1番下の妹に聞けば、父親の印象は、まったく違うものとなろう。
家では厳しいが、外ヅラは異常にいい。
お客さんを呼んでは、自分で寿司を握ってもてなすのが好き。
相変わらず、趣味はゴルフだが、今は碁や俳句?川柳?を詠んだりするという、なかなか風流な一面も・・。
何にでも好奇心を持つ性格。
歴史好きで、若い頃は「1週間に10日働いた」というほど苦労もしたそうだ。
3歳の時に父親を亡くし、大勢の兄弟の末っ子として生まれた親父は、父親がどーゆーものなのか、あるイミ、知らずに育ったのだろう。
親子縁が薄いのは、どうやら血のようだ・・。
でも、これだけ親子が離れて暮らしていても、なんだか、やっぱり似ているのだろうなあ・・と思う。
もうすぐ古希を迎える親父・・。
まあ、息子が来年には不惑なのだから、年をとるのもムリはない・・。
今も自分の目標であり、尊敬する親父。
誕生日おめでとう。
いつまでもお元気で。
・・・・。(笑)
以前にも紹介した赤ひげ薬局の狼の剥製。
(カテゴリー/(笑)のツボ:「オオカミからのバレンタイン」参照http://blog.goo.ne.jp/kinto1or8/e/26478d3adaaf8cfb33de7df72038c02f)
しかし、このオオカミ、見る度に無残な姿になっていくなー・・。
いつの間にか、片目になってるやん・・。
子供手当、子どもがいる家庭は諸手を挙げて大歓迎であろうが、こーゆー側面もあるかと思うと、ちょっと・・いや、かなりコワイ・・。
子供手当は日本の富を中国へ差し上げる法案だった【偽装売国法案】
赤色が目についてかなり目が疲れるけど・・。
一応、知っといた方がよいでしょう・・。
先日、中区の中央通りでみかけた看板、「大声大会オラボーで」!
今日、行われるみたい・・。
「おらぶ」は以前にも紹介したが、広島弁で「叫ぶ」「大声を出す」とゆーイミ。
(カテゴリー/広島のオススメ!:「おらぶ」参照http://blog.goo.ne.jp/kinto1or8/e/2e2949d9e052eae53472f1a951e15cc3)
だから「オラボーで」は「叫ぼーぜ」「大声だそーぜ」とゆーイミになる。
先着30名とのコトだけど、人来るんかなー・・?
去年、新婚旅行も兼ねて、広島に来た友人たちと一緒に宮島に行ったのが秋だから、もう半年近く前のコト・・。
時のたつ早さに驚くばかり・・。
その時、厳島神社や大鳥居の写真を調子こいて撮ってるうちにバッテリーが切れて、ロープウェーで弥山に登った写真なんかがまったく撮れなくなってしまった。
しかし、ようやく仕事が落ち着いた友人がその時の写真を送ってくれた。
ありがとー!
まあ、その日はホントに快晴!気持ちいいくらいの秋晴れだったので、とにかく弥山からの眺めも素晴らしかった!
この写真だけでは伝えきれないのが残念!
自分も宮島までは何度か行ってたが、この時、はじめて弥山にも登った。
宮島まで来た方は、ぜひ弥山に登ってみるコトもオススメします。
「どこへ」行くかも重要だが、「誰と」行くかも大きい。
久しぶりに高校時代の友人たちと楽しい時間が過ごせたのを思い出した。
もう高校を出てから20年が過ぎ、皆、それぞれ置かれてる環境はまるで違う。
それでも、昔、同じ時を過ごした友人とゆーものは、会えばその当時の気持ちに戻ってしまうから不思議なものだ。
何にでも手を合わせて拝んでる奴もいたり・・。
そういや、そん時、新婚旅行で来てた友人トコは、もうおめでただとか・・。
くそー・・先、越されたなー・・。
いやー、しかし、楽しかったね、マジで・・。
言わずと知れた今川焼き。
大阪出身の自分は、大判焼という呼び方で親しんでいたので、関東に行って、同じものが今川焼きとしてして呼ばれているコトに、新鮮な驚きを覚えたものだった。
そういえば、広島に来た当初、お祭りに出ていた見慣れない露店で、「二重焼(にじゅうやき)」というものがあった。
「一体、二重焼ってなんだろう・・?」
・・と思って覗いてみると、いわゆる今川焼きであった!
そう。
東京では今川焼き、大阪では大判焼と呼ばれていた同じものが、ここ広島では二重焼と呼ぶのであった!!
最近では「二重焼」という名前で出してる露店を見かけなくなっていたので、いつかこのネタを書こうと思いながら忘れていたが、昨日ふとしたきっかけで思い出した。
「ところ変われば品変わる」というが、トコロ変われば名が変わるとゆー話。 他にも回転焼きなどの呼び方もあるようだが、地方によっていろいろ違う呼び方があるんだろーなー・・。 「秘密のケンミンSHOW」とかで、もうやってるかな・・? 情報求ム。
①1日の予定を書く
②キーワードを探しながら新聞を読む
③食事の際、目隠しをする
④左手だけで洗濯物を干す
⑤部屋の模様替えをする
⑥月1回、思いきって高い買い物をする
⑦喧騒の中で他人の話に聞き耳を立てる
⑧目的地の一駅手前で降りてウォーキングする
⑨知らない人と会話する
⑩行った場所までの地図を描いてみる
⑪寝る前にポジティブな日記を書く
先日、TVでやっていた脳にいい11の習慣。
「こんなコトが・・?」と感じるものもあるが、要は普段と違うコトをするコトで、適度な刺激を脳に与えてやるコトが、脳の活性化につながるというもの。
運動するコトで血流がよくなり、ブドウ糖や酸素などが血液とともに脳に送られ、脳全体を刺激するので、当然、ウォーキングなど体を動かすコトも脳の活性化によい。
適度な刺激というのがポイントで、脳はストレスに弱く、心配事や悩み事など、過度な刺激でストレスがかかると記憶を司る海馬の神経細胞が壊れ、甚だしくは記憶障害など、脳に支障をきたすコトもあるという。
寝る前にポジティブな日記を書く・・というのは、まさしく、自分がポジティブなよい状態であるコトを脳に刷り込むためで、脳の活性化には、ポジティブな心理状態であるコトが不可欠であるといえよう。
これは、逆に脳に悪い習慣を見るとわかりやすい。
それは、
愚痴を言う
趣味がない
終わりが見えると安心してしまう
・・というもの。
「疲れた」、「苦しい」、「無理だ」、「出来ない」・・といった否定的な、ネガティブな言葉を使うコト。
こうしたネガティブな態度は周囲にも伝染してしまう。
さらに何事にも関心を持てず、新しいコトにチャレンジしようとしない態度は、日常のルーチンワークの中に埋没してしまうコトになり、脳に適度な刺激を与え、活性化させる上で大きな妨げとなる。
また「もうチョットで終わりだ」と思った途端、脳が安心して作業効率が非常に悪くなってしまうそうだ。
これは誰しも身に覚えがあるのではないだろーか・・?
オリンピックで金メダルをとった北島康介選手は、日本代表チームの脳科学的戦略指導家から「ゴールしたら終わりではなく、ゴールして電光掲示板の自分のタイムを見たら終わり」という指示を受け、練習時もそれを体に覚えこませたという。
目標とする地点をさらに先に設定するコトで、最後の最後で効率が落ちるコトなく、思わぬ力が発揮できたのだそうだ。
常に前向きで、ポジティブで、ワクワクしてるコトが脳の活性化にはよい、とゆーのが結論といえよう。
いい刺激になる話でした・・。
初詣や七五三で神社に参拝し、クリスマスやハロウィンを祝い、チャペルで結婚式を挙げ、葬式は仏教・・と、外国人からすれば、日本人は少々節操がない民族に見受けられるかもしれないが、歴史や伝統を異にする宗教が接触するコトによって生ずる並存的・重層的融合のコトをシンクレティズム(Syncretism)といい、世界的に見られる現象でもある。
「習合」は、シンクレティズムの一種。
たとえば、「男はつらいよ」の寅さんが産湯をつかったコトでおなじみ、帝釈天は仏教に取り入れられたバラモン教、ヒンドゥー教の雷神・インドラであり、ゾロアスター教では魔王だという。
また、天照大神と大日如来のように、神と仏を同一視し、神道と仏教を折衷する「神仏習合」や、本体である仏が民衆を救う仮の姿となって現れたのが神であるとする「本地垂迹」(ほんじすいじゃく)などがある。
より大きな観点では、キリスト教はユダヤ教を母体となして生まれたものであり、イスラム教はアラブ族の民族宗教が、ユダヤ教、キリスト教、マニ教等の要素を取り入れて、大規模な習合によって成立したと見るコトが出来るが、これもまたシンクレティズムである。
中国では儒・仏・仙(=道教)であろうが、日本では神・仏・儒、すなわち、神道、仏教、儒教が渾然一体となった思想が見られる。
宗教哲学者の鎌田東ニは、神道、仏教、儒教がそれぞれ霊の領域、心の領域、体の領域・・という役割分担で、相互に補完しているのだという。
神道が「神の道」、仏教が「仏の道」、儒教が「人の道」というコトであろうが、「神様、仏様、○○様」というように、現実に生きてる人間を神仏と並べて拝み頼む場面は、誰しも見覚えがあろう。(熱狂的な野球ファンの応援とか・・)
臨済宗の禅僧である作家、玄侑宗久はこれを”「和え物」の思想”と呼び、「日本人は、いわば古代神道の『やおよろず』という基本ソフトの上に、仏教やキリスト教、儒教や道教というアプリケーション・ソフトを開いている民族」と表現し、”言挙げせぬ”宗教で、教えを明文化しない神道の「やおよろず」にとって、仏教ソフトをインストールしないと「やおよろず」がうまく動かないという面があるとも述べている。
「和を以って貴しと為す」で有名な聖徳太子の十七条の憲法の第十条には、「人の違うことを怒らざれ」とあり、こうした日本人の宗教的寛容性こそが「やおよろず」であり、いわば「正義」を認めない考え方であり、だからこそ貴重なのであるという。
「正義」はいつも戦争の原動力となってきた。
キリスト教やイスラム教など、唯一絶対の神を信じる一神教は、自分と違う神を信じる者を認めない排他性をもつ。
そうした一神教の神と、日本の八百万の神々とはあきらかに異なる。
西洋から入ってきたキリスト教的な一神教の神様に、同じ「神」という言葉で表現したからややこしくなったのだが、「天」と言ったら 日本人にとっても唯一神の神のとらえ方になる。
「GOD」が「神」ならば、八百万の神は”八百万”の言葉のごとく、山にも川にもかまどにも便所にも、いたるトコロに神性が宿り、神様が遍在するという「SPIRIT(=霊)」ととらえた方がわかりやすいかもしれない。
日本人の自分の意思や感情を言葉にするコトをよしとしない”言挙げせぬ”民族性は、自己主張のなさや誤解を招くもととなり、外来思想の仏教など、経典に著された豊富な言語の前に、議論の上ではやすやすと屈してしまう。
しかし、その広い寛容性や包容力、言わずとも相手の心情を察する世界は、日本人の誇れる特性であろう。
そうした日本人の、異なるものをも受け入れる全肯定の八百万の思想の象徴とも言えるのが七福神である。
神道、仏教、道教・・といろんな宗教の神様と人(禅僧)までが一緒に1つの舟に乗り込んでいるワケで、あの宝船は日本人の宗教的無節操の極みであると同時に、異なる宗教が混在し、同居する宗教的寛容性の極みでもある。
実は広島にもニ葉山山麓七福神めぐりという新名所?がある。
それはまたの機会に・・。