竹内貴久雄の部屋

文化史家、書籍編集者、盤歴60年のレコードCD収集家・音楽評論家の著作アーカイヴ。ときおり日々の雑感・収集余話を掲載

チャイコフスキー晩年の闇と、未完に終わったはずの「ピアノ協奏曲第3番」の真実

2015年04月23日 16時35分03秒 | 私の「名曲名盤選」

 

 チャイコフスキー『ピアノ協奏曲』は『第1番』だけが人気曲で録音も多く、『第2番』『第3番』は、ほんのいくつかしかCDがないが、その中で、ペーテル・ヤブロンスキーのピアノ、シャルル・デュトワ指揮フィルハーモニア管弦楽団による演奏が、私の知る限りでは最上の録音だと思っている。
 私がこの両曲を初めて耳にしたのは、もうずいぶんと昔のことで、1972年のギレリスとマゼールによるEMI録音の『ピアノ協奏曲全集』だった。だが、ヤブロンスキー/デュトワ盤を聴いたとたんに、その、遠い昔の記憶が、「とりあえず、音にしてみましたので、聴いてください」といった感じの、通り一遍の演奏に過ぎなかったのだと思い出されてしまった。
 天下のギレリス/マゼール組に対して、ずいぶんな物言いだが、実際、当時はそのくらいに珍曲の録音だったはずで、挙句の果てに、「つまらない曲だなぁ」と思って、それきりになったのだから罪深い。同じ時期だったか、このギレリス盤の少し後だったかに発売されたウェルナー・ハース盤の「1番/3番」のレコード(バックのオケや指揮者が誰だったも忘れていた)は、とうとう聴かず終いになってしまった。この稿を書くに際して調べてみたら、それは若き日のインバル指揮モンテカルロ歌劇場管で、10年以上前に欧州盤の2枚組CDがフィリップスから出て現在は廃盤だが、先日、イギリスからの中古盤取り寄せに成功した。今更ながらである。

 ヤブロンスキーとデュトワとの演奏は、日本盤ライナーノートに掲載されている伊熊よし子氏による録音セッション前の面会証言にもあるとおり、二人とも明らかに、曲のイメージに確信を持って録音に臨んでいるのが、よく伝わってくる。作品に対する「共感と愛情」が生んだ名演なのだ。
 「第2番」は、初演直後に「しつこ過ぎる」という批判によって作られたシロティ版(作曲者自身が認めた短縮版とされている)となる前の、チャイコフスキーのオリジナル・バージョンで演奏している。(ギレリスをはじめ、今日、一般に演奏されているのは「シロティ版」のはずである。)そして「第3番」は、完成した部分(第1楽章)に続けて、スケッチしか残っていなかった第2楽章(アンダンテ)と第3楽章(フィナーレ)が、チャイコフスキーの弟子でもあったタニェーエフによるオーケストレーション版(「アンダンテとフィナーレ」op. 79)で、続けて収録されている。つまり、これらを通して聴くことで、通常の3楽章構成の協奏曲完成版として鑑賞できる仕立てだ。
 タニェーエフのオーケストレーションも、なかなかに愛情のこもった仕事で、チャイコフスキーの着想への深い共感と想像力が、まとまりのよい音楽としての仕上がりを生んでいる。この「完成版第3協奏曲」によって私は初めて、チャイコフスキーの最晩年の心境の一端を聴く想いがしたと言ってもよい。
 「ピアノ協奏曲第3番」には、もともと交響曲として構想され、それが行き詰まった末に、「メロディの着想がヴィルトーゾ的だから、協奏曲に向いているのではないか」という認識で方針変更された作品だという逸話がある。
 だが、チャイコフスキーの脳裏に最初に浮かんだタイトルは『人生』だったという。それが結局、協奏曲化にも行き詰まって未完のまま、第一楽章のみの単一楽章の協奏曲作品として残されてしまったのは、決して偶然ではないはずだ。「交響曲」から「協奏曲」へ変更していく苦悶に満ちた音楽の、ギシギシときしむ様が、ヤブロンスキー盤からは聞こえてくる。この曲は「ヴィルトーゾ的」な作品などではなく、「人生」という抽象的な概念を音化しようとした「交響曲」となるべき素材だったはずだ。

 じつは、作曲者の死後半世紀も経った1950年代に、当時新進気鋭の作曲家だったボカティレフという人物が、『交響曲第7番』(つまり、「悲愴交響曲」の次に位置する交響曲)として、編曲した作品が存在する。これは、当時のソビエト連邦内で録音された後、1960年代の後半に、オーマンディ/フィラデルフィア管弦楽団が録音したレコードが発売されて、西側でも広く知られるようになった。
 このオーマンディ盤も、私は発売当初に聴いた記憶があるが、何しろまだ中学生だった時代である。その時の印象は、とにかく派手なだけの空疎な曲、の一言に尽きた。ところが、つい最近、ドミトリー・キタエンコ指揮ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団が演奏したCDで聴いた『交響曲第7番』では、すっかり感激してしまった。

 ボカティレフの編曲は、「協奏曲第3番」の第2楽章としてスケッチが残されている「アンダンテ」を第2楽章に、同じく「協奏曲第3番」フィナーレのスケッチを第4楽章としてオーケストレーションを施し、第3楽章として、チャイコフスキーの晩年のピアノ小品の旋律を素材にして創作された、というものなのだが、これがまた、愛情にあふれた傑作なのである。ひと息で聴いてしまい、何の違和感もなく感動する、よく出来たひとかたまりの「世界」だ。編曲者のチャイコフスキー観に揺るぎのないものを感じるだけではなく、それを、共感と畏敬の念を持って音にしている指揮者とオーケストラの世界をも感じる、聴き応えのあるCDである。「ピアノ協奏曲」とするよりも、交響曲的な響きのほうが似合っていると確信する充実した響きだ。
 そして、スケルツォ的に仕上げられた「第3楽章」が、しっくりと配置されていることに驚く。私は、晩年のチャイコフスキーは「音楽の抽象化」という陥穽(=落とし穴)に迷い込んでいたと見ているが、そのチャイコフスキーが、「交響曲」か、それとも「協奏曲」か、と考えあぐねた末に頓挫してしまった原因が、ここで見事に解決されているように思った。傑作である。ちょっと大げさかも知れないが、「他人の手によって、こんなことも起こるんだなぁ」と、感慨無量だが、これは、キタエンコの周到な運びの演奏によって気づかされたことでもある。
 そう思った瞬間、むかし聴いた「オーマンディ盤」が、どうだったろう――、協奏曲での「ギレリス/マゼール盤」と同様のものだろうか、と、にわかに確かめたくなってしまった。因果な性分である。
 ――というわけで、キーワード「チャイコフスキー 交響曲第7番 オーマンディ」で検索したら、たちどころに見つかった。『オーマンディ/チャイコフスキー録音集』の12枚組CDボックスに収録されていた。かなり安価である。即、購入。そして、もちろん、ギレリス/マゼールの『協奏曲全集』も我が家のCD棚から数十年ぶりに引っぱり出した。どちらも40数年前の印象が間違っていたのかを確かめなくてはならないと思ったからである。

 翌日さっそく、アマゾンから「オーマンディ/チャイコフスキー録音集」が届いたので聴いてみた。すると、やはり、キタエンコの指揮で聴くのとは大違いだった。オーマンディ盤は、兎にも角にも華麗に力強く、猛烈な推進力で駆け抜けるきらびやかな世界を提示している。スペクタクルなサウンドと言っていい。「序曲1812年」のような世界、と言えばわかりやすいだろうか。これは、オーマンディにしてみれば、少しでも立派な曲に聴こえるように配慮してのものだろう。いわば、善意から出たものだ。
 もちろん、こうした改変作品にありがちなこととして、オーマンディの録音は「譜面が違うのではないか?」と、知人にも言われたが、基本は変わっていない。序奏部を短縮しているようだし、一部に楽器の補強などもあるが、総じて、指揮者の解釈上の「方向性の明確化」の範囲での変更といってよい。つまりは、「解釈」の方向性の違いにこそ目を向けるべきなのだ。
 この傾向は、「協奏曲」版となると、更に顕著だ。ギレリス/マゼール盤は、各部分の音の動きを克明に追って素早く駆けずり回る、おそろしく丁寧で細かな表現を徹底して行い、その名人芸ぶりで、これもまた凄い。ギレリスの指の動きとマゼールの指揮棒の技術だけに限れば、これほどに鮮やかな演奏は、めったに聴かれない。ハース/インバル盤は、このスピードとクリアさではとても及ばないが、この曲の名技性を前面に押し出すことでは共通で、しかも、オーマンディの交響曲版に通ずるスペクタキュラーな作品として提示している。つまり、この時代、1970年代ころのチャイコフスキーに対する認識の根底にあったものは、共通しているのだ。
 だが、先にも書いたとおり、ヤブロンスキー/デュトワやキタエンコ/ギュルツェニヒ管でチャイコフスキー最晩年の未完に終わった作品を聴くと、そのイメージががらりと変わる。不安や焦燥感が何物かへの切なる願いと交錯し、その彷徨う心はどこまでも深く沈み込む。――これが、私たちが「悲愴交響曲」の終楽章アダージョで知り得たチャイコフスキーの深い闇なのだ。
 そして私自身は、そのことに気づくまでに、半世紀近い年月が経過してしまったわけである。
【付記】
ロシアの外貨稼ぎイベントに連動するようにしてPRが凄まじかった新しい3楽章バージョンの「第7交響曲」には、私は関心がない。喧伝する人々の動機に胡散くさいものを感じるからだ。