竹内貴久雄の部屋

文化史家、書籍編集者、盤歴60年のレコードCD収集家・音楽評論家の著作アーカイヴ。ときおり日々の雑感・収集余話を掲載

オリジナル・ジャケットのサティBOX/米デッカ時代のレジナルド・ケル/17歳の潮田益子を聴く/岩城宏之~札響を聴く

2016年06月30日 15時53分11秒 | 新譜CD雑感(クラシック編)

半年ごとに、新譜CDの中から書いておきたいと思ったものを自由に採り上げて、詩誌『孔雀船』に掲載して、もう20年以上も経ちました。2011年までの執筆分は、私の第二評論集『クラシック幻盤 偏執譜』(ヤマハミュージックメディア刊)に収めましたが、本日は、最新の執筆分で、昨日書き終えたばかりの今年上半期分です。いつものように、詩誌主宰者のいつもながらのご好意で、このブログに先行掲載します。なお、当ブログのこのカテゴリー名称「新譜CD雑感」の部分をクリックすると、これまでのこの欄の全ての執筆分が順に読めます。

 

■貴重なサティ録音がオリジナル・ジャケットで一気に登場

 ソニー系に米コロンビアと米RCAの原盤権が集約されたおかげで、このところテーマ別に集大成された様々なボックス物が登場している。この『ERIK SATIE & Friends』と題されたものは、サティの作品を中心に、その仲間たちの音楽も集めた一三枚組。それぞれオリジナルLPのオモテ・ウラを当時のままに再現した紙ジャケットに封入され、CDの盤面も当時のレーベル面を再現するという念の入ったもの。すなわち、「音符」も「犬」も居て、二つ目、六つ目、白犬、影付き犬も登場する。(この話、レコードマニアでなければ伝わらない?)音は、どれもかなりいい。カサドシュ夫妻の弾く『四手のピアノ曲集』は、これまで様々の復刻盤でずっと裏切られていたが、今回の盤でやっと納得。プーランクのピアノ伴奏によるベルナックの『フランス歌曲集』やクレスパンの歌う『サティ+ラヴェル歌曲集』も、思わず、歌声に惚れ込んだ。クレスパンの伴奏、サティ作品のピアノ独奏、ロイヤル・フィルを指揮してのサティと、三者三様のフィリップ・アントルモンのセンスにもすっかり感心した。『パラード』でアントルモン指揮のほかに一九四九年録音のエフレム・クルツ盤も収録するなど、同曲異演で四〇年代後半から七〇年代後半までのサティ解釈の変遷も追える。サティを六〇年代半ばに追いかけ始めた私にとっては、米コロンビア系のモノラル録音は見落としていたものも多かったし、七〇年から八〇年にかけてのアメリカレーベルのサティ録音(ヴァルサーノやマッセロスによるピアノ曲)にも目配りしていなかったことを思い知らされた。

 

■レジナルド・ケルのクラリネットの名技を聴き直す

 レジナルド・ケルのクラリネットで一九五〇年録音のモーツァルト「協奏曲」と五一年録音の「五重奏曲」を聴くCDが、タワーレコードの限定発売で復刻された。私にとって見慣れないドイツ・グラモフォン表紙での発売だが、これはジンブラー・シンフォニエッタとの協奏、ファイン・アーツ・カルテットとの五重奏とれっきとしたアメリカ録音だから、一九五〇年代初頭まで米デッカとドイツ・グラモフォンが提携していた時代のもの。米デッカのオリジナルは確か幾何学模様とアルファベットをあしらったものだったはずだが、我が家のどこに紛れてしまったものか、見当たらないので確証はない。レジナルド・ケルは、戦前からイギリスで活躍し、いくつもの名門オーケストラの主席奏者を歴任しているから、いわゆるイギリス管楽器演奏の伝統の中の一人――というより草創期の人と言っていいだろう。見事なアゴーギクの妙技で、よく揺れ動き、伸び縮みする音楽を奏でる名人だということはわかっていたが、今回のCDではさらに、よく走り、跳ねる自在な音楽の持ち主であることに気づかされた。アメリカ録音だからだろうなどと色めがねで判断してはいけない。あわてて一九四〇年のサージェント指揮ロンドン・フィルとの協奏、四五年のフィルハーモニアSQとの五重奏というEMI録音を聴き直してみたが、そうした思いで聴くと、ここでもその傾向がはっきり聞き取れる。一九五〇年前後の演奏に、既に現在に連なるものの芽が生まれていることに気づく感覚が、自分の中で最近研ぎ澄まされて来ていることに、改めて愕然とした。


■何と、一七歳の潮田益子の協奏曲録音が、一挙に発売!

 二〇一三年五月に七一歳で亡くなったヴァイオリニスト潮田益子の未発表音源が、フォンテックから二枚のCDとなって登場した。彼女の夫君であるローレンス・レッサー氏の協力によるもので、ライナーノートに寄せられた文章によれば、「彼女の若い時からの膨大な録音テープを聴き、改めて宝物に出会ったような気分になった」のだそうだが、それは、私にとっても同じだった。彼女の独自の感性の魅力に私が取り憑かれたのは一九七一年録音の小澤征爾指揮日本フィルとのシベリウスとブルッフの協奏曲から。その後、六八年に森正の指揮でチャイコフスキーとバルトークの協奏曲を録音しているのを知り、一九六六年のチャイコフスキー・コンクール入賞直後にヨーロッパやアメリカでの演奏を始めた彼女の青春時代の録音は、この二枚と新星堂から復刻されたことのある東芝録音のバッハくらいだと思っていたからである。今回、彼女が一七歳だった一九五九年録音の協奏曲2曲(プロコフィエフ第二番/グラズノフ)をそれぞれメインとし、各々に最晩年二〇一二年の室内楽録音を組み合わせるという構成で二枚発売され、プロコフィエフではストラヴィンスキー『ミューズを率いるアポロ』『デュオ・コンツェルタンテ』、グラズノフでは同じくストラヴィンスキー『ディヴェルティメント』とバルトーク『無伴奏ソナタ』と、彼女が晩年に残した重要な仕事も聴けるのだが、私が何より驚いたのは少女時代の潮田から、既に自身のイメージが確立している人の堂々とした音楽が鳴り響いてくることだ。改めて彼女の功績に感謝しつつ、その冥福を祈った。

 

■フォンテック「札響アーカイヴ・シリーズ」で岩城を聴く

 前項の一九五九年、まだ一七歳の潮田益子協奏曲で伴奏しているのは、プロコフィエフが恩師齋藤秀雄指揮する桐朋学園オーケストラ。そして、グラズノフが森正指揮のABC交響楽団である。ABC交響楽団とは懐しい名前だ。日本の交響楽団運動の父と讃えられる近衛秀麿が朝日放送の支援を受けていた時期の自身のオーケストラの名称だったと思う。思えば、日本の西洋音楽受容の歴史は、第二次大戦が終わって十余年というこの時期でも、その歩みはまだまだ端緒から這い出した程度だったと言っていい。これまでに幾度か書いてきたことだが、私は、日本の交響楽運動が、本当の意味で自分たちのものとして自立したのは、岩城宏之、小澤征爾、若杉弘というほぼ同世代の三人が、それぞれの音楽観を全世界に発信し始めた一九六〇年代後半以降だと思っている。だが、それでもベートーヴェンは手強かった。小澤、若杉が結局「ベートーヴェン全集」に手を出さなかったのは、偶然ではない。それほどに西欧の音楽伝統の岩盤は堅固なのだ。だが、岩城だけは違った。おそらく、この三人のなかで岩城が一番、西欧文化に対するコンプレックスが少なかったのだと思う。無理せず、ムキにもならず自然に接することができたのは、なぜだったのだろう。まだその答えが見つかっていないが、明らかに岩城だけが、最後の最後まで、自分の(すなわち日本人の)感じるドイツ音楽を、何の衒いもなく高らかに響かせることができた。この七七年と七九年の札幌交響楽団との演奏会記録で聴く「第4」「第7」からは、そうした岩城の雄叫びが聞こえる。

 

【付記】

上記「ベートーヴェン全集~」について、念のため補足します。小澤ファンはご存知のことと思いますが、小澤~サイトウキネンによって、ずいぶん長い年月をかけ、ばらばらに録音したベートーヴェンの交響曲が全曲録音を終えています。ただ、このことと私が言いたかったこととは違います。また、私の第一評論集(洋泉社・刊「コレクターの快楽」)にも収録しましたが、若杉~読響の最初の重要な録音が「田園」であることも、指摘しています。決して「幻想」ではないのです。一方、岩城は極く初期に「運命/未完成」の録音とは別に、「運命」を再録音してまで、一気に「全集」としての交響曲録音を完成させ、アンサンブル金沢との全曲演奏を機に二度目の全集、そして、ご承知の「振るマラソン」の記録映像まで残しました。

 


カヒッゼのラフマニノフ2番/ムーティの「幻想+レリオ」/ワレフスカの新盤/芥川也寸志のバレエ曲稀少盤

2016年01月14日 14時07分31秒 | 新譜CD雑感(クラシック編)

 

半年ごとに、新譜CDの中から書いておきたいと思ったものを自由に採り上げて、詩誌『孔雀船』に掲載して、もう20年以上も経ちました。一昨年までの執筆分は、私の第二評論集『クラシック幻盤 偏執譜』(ヤマハミュージックメディア刊)に収めましたが、本日は、最新の執筆分で、先週書き終えたばかりの昨年下半期分です。いつものように、詩誌主宰者のいつもながらのご好意で、このブログに先行掲載します。なお、当ブログのこのカテゴリー名称「新譜CD雑感」の部分をクリックすると、これまでのこの欄の全ての執筆分が順に読めます。

 

■カヒッゼのラフマニノフ「交響曲第2番」の新鮮な魅力
 

グルジアの指揮者ジャンスク・カヒッゼの遺産が、まとめてCD化された。ソ連・ロシア中央での活躍が日本ではほとんど知られないまま、故郷であるグルジア第一の都市トビリシで晩年を過ごしたカヒッゼが、「忘れられた巨匠」と言われて一部で話題になったのは何年前だったろうか? 手塩にかけて育てたトビリシ交響楽団との録音が怪しげなレーベルから発売され、チャイコフスキーやベートーヴェンの交響曲が鳴り物入れで喧伝されたと記憶している。今回のリリースでの目玉は、その時期に発売予告だけで終わった幻の録音、ラフマニノフ「交響曲第2番」と、ホルスト「組曲《惑星》」の二枚組である。以前話題になった折には、トビリシ交響楽団のアンサンブルの強靭な合奏力には驚いたが、どこかタイムトンネルの向こう側からやって来た演奏のように思っていた。ベートーヴェンの交響曲録音のいくつかだ。つまり、新鮮な驚きや発見がない。立派な演奏だけど、今、改めて聴く意味があるのだろうかという疑問だった。だが、このラフマニノフはおもしろい。前面に大きくせりだしてくる歌がパレー盤の途方もないロマンティシズムの咆哮を思い出させながらも、パレーのような西欧クラシック音楽のきっちりした拍節感覚に裏打ちされたものではなく、マゼール盤が意識的に提示した小節線を取り払ったような数珠つなぎの旋律として響かせているのだ。そこが凄い! 思えば、このリズムの喪失感覚こそが、ラフマニノフの最大の特徴なのかも知れない。ホルストも鉄壁のアンサンブルで、一筆書きのような音楽が鳴りわたる。


■演劇的な『幻想交響曲』+『レリオ』の名演を生んだムーティ

 あまり知られていないことのようだが、リッカルド・ムーティはベルリオーズの『幻想交響曲』と、それに続く作品『レリオ』を、作曲者の指示通りにカーテンを上げ下げし照明を消し、続けて演奏するコンサートに関心があったらしい。この二枚組CDアルバムは、、ムーティの強い希望から実現したシカゴ交響楽団の音楽監督就任記念コンサートでの演目だそうだ。二〇一〇年九月のライヴ収録だが、収録日が四日間も記載され、しかも発売が昨年(二〇一五年)だったところをみると、語り手のジェラール・ドヴァルデューや、二人の歌手など出演者との折衝や、演奏の瑕疵を修正する音源編集など、多くの困難を乗り越えての発売ではないかと推察できる。シカゴ響の自主制作盤である。おそらく、ムーティとシカゴ響との執念の賜物だろう。一聴して、すぐ、その繊細で丁寧な開始に、まず耳を奪われた。じつに語り口のうまい音楽が開始される。それから約五〇分間、すべての音が音楽的でありながら演劇的なのだ。思えば私たちは、ワインガルトナー以来、『幻想交響曲』の演奏を、交響曲の美学、力学の中で聴いてきている。そこで思い出したのが、シンフォニックな作品ではさっぱりのファビオ・ルイージが、『幻想』だけはよかったこと。ルイージがメトのオペラで活躍しているのも納得である。ムーティ/シカゴの『幻想』が終わって『レリオ』が開始されて、こんなにぞくぞくしたことはなかった。ブーレーズ盤で初めて聴いてから約半世紀。デュトワでも、インバルでも納得できなかった『レリオ』が、「蛇足」でなくなった瞬間である。


■ワレフスカの自主制作アルバム『チェロの女神』で聴く近況

 クリスティーヌ・ワレフスカのチェロの名技が聴けるアルバムが、また一枚加わった。二〇一四年六月にカナダ、モントリオールのコンサートホールでのセッション録音で、ピアノ伴奏に福原彰美が加わっての『小品集』である。じつは、以前にもこの欄で触れたが、ワレフスカの奇蹟の再来日と言われたコンサートを一ファンとしてプロデュースした渡辺一騎氏に協力して以来、ワレフスカとも福原とも交流が続いている私は、このCDアルバムの実現に至る過程も、多少聞いている。これは、二〇一三年に行なわれたワレフスカ三度目の来日コンサート・ツアーの終了後に予定していた日本での録音・制作計画が流産した翌年、当初から助成を申し出ていた台湾の文化財団へのワレフスカの強い働きかけで実現したものなのだ。ワレフスカが「カナダでの録音が大成功で終わった」と突然メールしてきたのは、すべてが終わった後だった。彼女は若き日にフィリップス・レーベルで協奏曲を録音した時から付き合いのあるディレクターを頼ってカナダで実現したことをよろこんでいた。昨今のCD業界の厳しい状況から、最初はネット配信しか考えていなかったようだが、日本はまだまだ市場が少しは残っていた。自主制作に踏み切り、今回、タワーレコードからのみ発売された。この執念の演奏からは、二〇一三年の来日ツアー時の不調がウソのように、あの、肉声と体温が間近に感じられるワレフスカの至芸が聴ける。門外不出のボロニーニ直伝の作品が六曲収録されているほかに、一一曲のよく知られた小品を収めている。ワレフスカ、未だ健在である。


■戦後復興期に花開いた芥川也寸志のオリジナル・バレエ曲

 じつに興味深いマイナーCDを「アマゾン」で入手した。戦後の音楽界を牽引した作曲家と言えば、団伊玖磨、黛敏郎と並んで芥川也寸志の名がすぐに挙がるが、その芥川が戦後まもない一九五〇年代に作曲していたバレエ音楽が二曲、突然、出現したのだ。いずれも四〇分近い管弦楽の大作。バレエ・ファンタジー『湖底の夢』が芥川自身の指揮ABC交響楽団による演奏で上演日は一九五六年一二月一二日。バレエ『炎も星も』が上田仁指揮東京交響楽団による演奏で上演日は一九五三年一一月四日。どちらも楽譜すら見つかっていないので、タイトルも含めて、関係者以外からは存在そのものが忘れられていた作品である。それが、作曲を委嘱して上演した高田せい子・山田五郎舞踊研究所の流れを受けつぐ関係者宅から録音テープで発見され、丁寧な修復作業を経てCD化された。これは、奇蹟と言ってもいいことだ。この保存されていたテープは、今回表記されていないが、実際の上演の際の演奏ではなく、予め録音し、何度も練習に使用していたものだと思う。私の経験ではバレエ上演時の演奏が、こんなに足音なしに収録できるはずがないからだ。本番も、このテープを流した可能性がある。オケ・ピットの演奏に合わせて上演する舞踊団は少なかったとも記憶している。二曲の内では『湖底の夢』が、芥川がしばしば用いる、同じ音型を重ね合わせていくような音楽のつくり込みや、微妙に変奏されていく感覚がおもしろい。それにしても、上田仁とかABC交響楽団とか、昭和三〇年代にクラシック音楽入門者だった小学生には、なつかしい名前である。


 


マゼールのヴェルディ・レクイエム/ルガーノのアルゲリッチ/若き日のランパル/フランス国立管80周年BOX

2015年07月07日 12時39分13秒 | 新譜CD雑感(クラシック編)

半年ごとに、新譜CDの中から書いておきたいと思ったものを自由に採り上げて、詩誌『孔雀船』に掲載して、もう20年以上も経ちました。一昨年までの執筆分は、私の第二評論集『クラシック幻盤 偏執譜』(ヤマハミュージックメディア刊)に収めましたが、本日は、最新の執筆分で、昨日書き終えたばかりの今年上半期分です。いつものように、詩誌主宰者のいつもながらのご好意で、このブログに先行掲載します。なお、当ブログのこのカテゴリー名称「新譜CD雑感」の部分をクリックすると、これまでのこの欄の全ての執筆分が順に読めます。

■マゼール追悼として、ヴェルディ「レクイエム」を聴く
 マゼールの訃報に接してから、もう一年が経過してしまった。マゼールという「存在」そのものが、二〇世紀芸術の基本的命題を解く鍵だという私の思いについては、昨年七月にブログ上でさまざま書いたので、ここでは繰り返さない。だが、アクシデントからの死によって結果的に「晩年の仕事」となってしまったマゼールのミュンヘン・フィルとの一連の演奏は、私が予測していた方向、すなわち「自意識からの開放」へと向かいつつあるものだっただけに、その行く末は見届けたかったと、今でも思っている。マゼールは、過剰な自意識の処理方法を模索し続けた、その意味では最も20世紀的な音楽家だったからだ。今回ソニー・クラシカルから発売されたこのCDは、昨年七月十三日に世を去ったマゼールが、四月以降の演奏会をキャンセルする少し前、二月六日のミュンヘン・フィルとの演奏会ライヴ。今のところ公式に聴ける〈マゼール最後の演奏〉というわけである。この録音を聴いて、まず強く印象付けられたのは、アメリカのオーケストラのような明るくてよく抜ける金管の響きを、このドイツのオーケストラから引き出していることだった。音響の見通しがとてもよく、細部の動きが透けている極めてパースペクティブな仕上がりだ。だが、そうしたマゼール的な美質に留まってはいないのが、「晩年のマゼール」だった。「アニュス・ディエ」以降は、ほんとうに美しい。このようにじんわりとしみ込む音楽を待てるようになったのだ。敬虔な喜びにあふれ、巨大な音楽は一点の曇りなく響き渡る。改めてマゼールの突然の死を無念に思い涙した。


■アルゲリッチ&フレンズの「ルガーノ・ライヴ2014」
 マルタ・アルゲリッチが、気心の知れた音楽家を集めてルガーノで音楽祭を催し、そこでの演奏からセレクトして三枚組CDアルバムを毎年リリースして、もう何年目になるだろうか。この一連のシリーズでは、知られざる作曲家の作品の発掘や、さまざまの管弦楽曲の室内楽バージョンによる演奏などが目白押しで、中々に楽しませてくれる。また、協奏曲でアルゲリッチが感興にあふれた演奏を繰り広げているのも、毎年聴きのがせないものだ。数年前に、演奏のレベルの高さだけでなく、その選曲の面白さもあってにわかに私のコレクター魂が刺激され、イギリスのアマゾンで中古盤を買いあさり、あっという間に、その最初から全部を買い揃えてしまってから、もう何年にもなる。昨年のルガーノでの演奏を収録したアルバムも、例年通り年が明けてから発売された。当シリーズをこの欄で初めて採り上げるのに、意欲的な曲目ではなくスタンダード名曲を採り上げることになってしまうのが面映ゆいが、今回は、どうしても書いておきたくなった。モーツァルト「ピアノ協奏曲第二〇番ニ短調K466」である。ヴェーデルニコフ(発売時の表記「カプスシク」は誤り)指揮スイス・イタリア語放送管弦楽団と共演するアルゲリッチのピアノがすばらしい。最初から惹きつけられるが、第二楽章に入って、しみ込むように豊かで暖かな歌がひろがると、そこは、もうアルゲリッチの独壇場だ。よくうねり、よく歌う生きた音楽が、珠のように転がり出てくる。こんなにも美しい曲だったとは! いい仕事をして老いてきた人なのだと思った。


■若き日のジャン・ピエール・ランパルの至芸が復刻された
 ジャン・ピエール・ランパルは、フルートという楽器の魅力を広めた人としては二〇世紀最大の功労者だと思っているが、その若き日、一九五〇年代から六〇年代初頭の仏エラート社への録音は廃盤になったままのものが多く、私の思い出のLPレコードも、CD化されていないものがたくさんあった。それが、つい先ごろ、フランスで一気に一〇枚組BOXで発売された。私が特に欲しかったのは一回目録音のモーツァルト「フルートとハープのための協奏曲」と、テレマン「無伴奏フルートのための幻想曲(抜粋)」。どちらも小学生、中学生時代からLPレコードで長く愛聴していた。「協奏曲」は「パイヤール室内管弦楽団」の前身「ジャン=マリー・ルクレール合奏団」をパイヤールが指揮して伴奏している旧録音で、数年後に同じくリリー・ラスキーヌのハープ、パイヤール室内管弦楽団で再録音した演奏とはちがう。この演奏のほうが、引き締まった造形感を前面に押し出した個性的な演奏に仕上がっているのだ。無伴奏フルート曲を集めた一枚は、今回のCDではオリジナルLPの収録順と異なり、J・S バッハの「ソナタ」、テレマン「幻想曲 6曲」、C・P・Eバッハの「ソナタ」の順だが、作曲年代、時代様式からは、このほうが自然な流れなので、企画段階では、おそらくこうだったのだろう。LPレコードでは、A面に二つのソナタを収め、B面に6つの「幻想曲」が続けて収められている。テレマンの「幻想曲」は晩年になってから12曲全曲をデノンに録音したランパルだが、この選び抜かれた6曲の演奏からあふれ出てくる自在さと輝きがなくなっている。


■フランス国立放送局管弦楽団創立八〇周年記念アルバム
 現在のフランス国立管弦楽団の古い貴重な音源を8枚のCDに収めたBOX。私は、レコードという商品が大きなマーケットに成長した第二次大戦後に、西洋音楽演奏のグローバル化が本格化したと考えているのだが、その顕著な例はフランスの演奏に現われていると思っている。(前項のランパル~ラスキーヌ~パイヤールの旧録音のモーツァルトもその好例。再録音され、ずっと標準的な名演として何度も再発売された録音と異なり、ちょっと異質なモーツァルトだということが、よく聞くと感じられるはずだ。)ドイツ・オーストリア圏の音楽を自分たちの感性で演奏していたフランス人が、明らかな融合へと徐々に向かっていったのが一九五〇年代で、その過程を、私たちはシューリヒトやクナッパーツブッシュが指揮したパリ音楽院管の録音で聴いてきている。第二次大戦終結前にザハリッヒな演奏スタイルを身につけていたシューリヒトはその適役だったが、そう見て行くと、フルトヴェングラーのマーラー観をがらりと変えてしまったと言われているフィッシャー=ディスカウを独唱者に迎えた「さすらう若人の歌」は興味深いわけだ。残響音の短かいシャンゼリゼ劇場などフランスのホールでの収録から聞こえてくるクリアな響きはいかにもフランス的で、クリップスやシューリヒトのドイツ音楽だけでなく、クリュイタンス、クレツキー、ホーレンシュタイン、チェリビダッケ、バーンスタイン、マゼールなど、それぞれの指揮者の音楽が、まるでレントゲン写真のように晒されている。もっと系統立ててまとめると、更に見えてくるものがあるはずだ。

 


ケント・ナガノと日本の「唱歌」/オーマンディ・サウンド再認識/ルフェビュールの真骨頂/カサドシュ再聴

2015年01月13日 11時37分18秒 | 新譜CD雑感(クラシック編)
半年ごとに、新譜CDの中から書いておきたいと思ったものを自由に採り上げて、詩誌『孔雀船』に掲載して、もう20年以上も経ちました。一昨年までの執筆分は、私の第二評論集『クラシック幻盤 偏執譜』(ヤマハミュージックメディア刊)に収めましたが、本日は、最新の執筆分で、昨日書き終えたばかりの昨年下半期分です。いつものように、詩誌主宰者のいつもながらのご好意で、このブログに先行掲載します。なお、当ブログのこのカテゴリー名称「新譜CD雑感」の部分をクリックすると、これまでのこの欄の全ての執筆分が順に読めます。


ケント・ナガノで聴く「唱歌集」の不思議な懐かしさ
 ケント・ナガノという日系のアメリカ人指揮者に私が注目したのは、いつのことだっただろうか。少なくとも二十年以上は前のことだったと思うが、最初にケント・ナガノを聴いたのは、ロンドンのアンサンブルを振ってのストラヴィンスキー『兵士の物語』のはずだ。ロック系のスティングが語り役だった。その豊かで積極的な音楽に感心して、その後の欧米での活躍を、ずっと注目し続けていたが、彼の音楽に例えば小澤征爾や若杉弘に感じるような「日本人」らしい感性を聴くことはなかった。九十年代の終わりごろだったと思うが、親しかったレコード会社の制作担当者と会話した時、「ケント・ナガノはアメリカ生まれのアメリカ育ちで、日本語はまるで喋れないはずですよ」と聞いて、妙に合点がいったのを憶えている。そのナガノがいつの間にか日本に生まれ育ったピアニスト児玉麻里と結婚して一児の父になっていると聞いたのが数年前のことだ。この『唱歌集』は、二〇〇六年にモントリオール交響楽団の音楽監督に就任して以来、実現を強く希望していた企画だそうだが、やっと昨年秋に、カナダ「ANALEKTA」から発売された。ナガノは、わが子のために母親である児玉麻里が口ずさむ「CHILDREN SONG」に魅せられたという。心の深部に眠っていた感性が共振しているナガノの音楽は、どこまでも優しく、やわらかい。彼が、演奏活動のもう一方の拠点ドイツでの仕事で信頼している名ソプラノ、ディアナ・ダムロウも、単音節の日本語を、美しい発音でしっかりと歌っている。



オーマンディ・サウンドの奇跡を再確認した「カルメン」「アルル」
 一九五〇年代後半から六〇年代にコロンビア・レコードから発売された音源が、オリジナルLPジャケットの再現とともに、ソニーから大量にCD復刻された。これは、その一枚で、ビゼー『カルメン組曲』『アルルの女組曲』にポンキエルリ『時の踊り』が収められている。キャッチフレーズに「LP時代に誰もが聴いた」とあるのは、正にその通り! なのだが、私の場合は少々事情がちがう。私のいわゆる「盤歴」は、小学五年生だった昭和35(1960)年を基点にしているが、その最初に自分の小遣いで買ったレコードがグリーグの『ペールギュント組曲』。これは一〇インチ盤。それを確か翌年になって、B面に『アルルの女組曲』が収まった三〇センチ盤に買い替えたのだ。オーマンディの『アルル』のステレオ録音(今回の復刻)は一九六三年に行われ、『パリの喜び』とのカップリングでの発売だから、当然、私が一九六一年に購入した『アルル』はモノラル旧録音である。だが、長い間、私の『アルル』鑑賞の基準だったオーマンディの演奏の響きは、今回の復刻盤でも健在だった。そして、中学生になってから学校の音楽室にあったレコードを幾度もかけて、結局私自身は購入しないままだった『カルメン』ともども懐かしく聴いて、改めて「オーマンディ・サウンド」の凄さを思い知った。とにかく隅々まで各々の楽器がよく聞こえ、全部鳴り切っている。そのゴージャスなサウンドの鮮やかさは「奇跡」と言うほかない。こんな演奏はもう二度と生まれない。無国籍な音響世界なのだが、これは、それを超えて最高に音楽的だ。



イヴォンヌ・ルフェビュールの真価を初めて知った
 このピアニストの名前を始めて聞いたのは、確か一九七〇年代の初頭だったと思う。フルトヴェングラーのLPレコードが、正規録音から大きく外れて、続々と放送録音の類が〈発掘〉され始める少し前。まだ遠慮がちに、それでも「新発見」と大書され「EMI=エンゼル」のマークつきで発売されたモーツァルト『ピアノ協奏曲二〇番』の一九五四年ライヴ録音の独奏者としてだった。地の底を這うようなベルリン・フィルの鬼気迫る音の中から、スーッと立ち現れるピアノが印象に残ったが、そのほかの演奏に触れることなく過ぎていたピアニストだった。その彼女のピアノをまとめて何枚かのCDで聴いたのは十数年前のこと。フランスの「FY」というマークのSolsticeというレーベルで、彼女は最晩年、ここにたくさんの録音を残した。とてもよく考え抜かれたラヴェルやドビュッシー演奏だと思った記憶があるが、そこに登場したのが、この英テスタメントから初発売された一九六一年と六三年のBBC放送による録音。曲目はラヴェル「高雅で感傷的なワルツ」フォーレ「夜想曲第六番」「舟歌第六番」「夜想曲第十三番」シューベルト「十五のワルツ」、そしてドビュッシー「前奏曲集第二集(全曲)」である。どれも、じつに鮮やかな色彩があふれた演奏で、この羽のように軽く音が舞い、まばゆい光が見え隠れする演奏こそが、彼女のピアノの真骨頂なのだと確信した。鳴り物入りで次々に「新発見」と称する凡演を聴かされることが多くなったが、これは、久々に後世に残すべき記録だ。録音のコンディションもいい。



ロベール・カサドシュとロスバウトの「皇帝」を聴き直した
 このところ様々なレーベルの音源を、独自のコンセプトで超廉価でリリースしている「newton(ニュートン)」からの注目の一枚。一九六一年録音のベートーヴェン『ピアノ協奏曲第五番《皇帝》』と六四年ライヴ録音の『ソナタ第二八番』という組み合わせ。「皇帝」は、私自身は七〇年代からフィリップス系の「フォンタナ」の一〇〇〇円盤(日本語で曲名から謳い文句まで大書されたクリーム地のジャケット)で聴いていたが、ソナタのほうは一九七八年が初出のようだが記憶がない。カサドシュは米コロンビアが契約していたピアニストだったが、六〇年代にはヨーロッパではフィリップスから米コロンビア音源が発売されていたので、その関係で、カサドシュの録音がフィリップスから出ていたのだろう。オケは、フィリップスが自由に使えた「コンセルトへボウ管弦楽団」。ロスバウトの明瞭な音楽にしっかりと随いて、軽やかで澄んだ響きの伸びやかな音楽を聞かせる。だが何よりも、この演奏を大きく特徴付けているのは、カサドシュの徹底して楷書体の、一音一音くっきりと隈取っていく音楽の運びだ。それでいて音がやわらかい。硬直した音楽とは対極の、自在な音楽の澄み切った心境が感じられる。このピアノだからこそ、ロスバウトはオーケストラに薄い響きの確保を要求しているのだと納得するまでに、それほどの時間はかからない。昔、この演奏を聴いて、これほどに感動した記憶がない。ピリオド演奏をいろいろ聴いた耳が、この演奏の真価に気付かせたのかも知れない。ぜひ再聴をお勧めする次第。

五嶋みどりのヒンデミット/キース・ジャレットのヘンデル/ネゼ=セガンのシューマン/マゼールの終着点?

2014年07月10日 12時32分00秒 | 新譜CD雑感(クラシック編)
半年ごとに、新譜CDの中から書いておきたいと思ったものを自由に採り上げて、詩誌『孔雀船』に掲載して、もう20年も経過してしまいました。過去の執筆分は、私の第二評論集『クラシック幻盤 偏執譜』(ヤマハミュージックメディア刊)に収めましたが、本日は、最新の執筆分です。今年上半期分です。先週書き終えていたのですが、いつものように、すぐにブログへの掲載を手配する時間がとれなくて、そのままになっていました。まだ発行前ですが、詩誌主宰者のいつもながらのご好意で、このブログに先行掲載します。


■五嶋みどりのヒンデミット「ヴァイオリン協奏曲」

 若いころ(あるいは幼いころ)から演奏していて、大人になってしまうと急に弾けなくなる、という演奏家は決してめずらしくない。メニューインもマイケル・レビンもそうだったが、妙に「わけ知り」になってつまらない演奏しかしなくなるのと違って、自身の感性を頼りに夢中で弾き切っていた人が、様々な知識の集積によって、ある種の畏怖が生まれて弾けなくなる場合、それを乗り越えて真の演奏家として大成するのは容易なことではない。かつて私は、五嶋みどりの場合も、メニューインと同じく精神世界への関心が彼女を救いつつあるようだと書いたが、昨年リリースされたヤナーチェクの「ソナタ」ほかのアルバムに続き、このエッシェンバッハの指揮する北ドイツ放送響(NDR)をバックにしたヒンデミットの「協奏曲」を聴いて、五嶋みどりが掴み取った音楽の大きさを実感した。このところ二〇世紀の音楽が演奏される機会がいたるところで増加しているのは、肥大化したロマン主義へのアンチテーゼが、作曲家から演奏家、そして聴衆にまで降りてきたからだが、中でも彼女の弾く、このヒンデミットはいい。密やかで心地よい緊張から開放へと向かっていく道筋に、思わず耳を澄ます。見事な集中力だ。この曲が、ここまで凝縮された美しさに光輝いた瞬間を、私は他に知らない。エッシェンバッハの共感あふれるバックの息づかいも見事だ。独奏者と一体になった自在さがある。この組み合わせでは数年前のモーツァルトも良かったが、それをはるかに凌ぐ音楽の奔流が聞ける。


■カシュカシアンのブラームスとキース・ジャレットのヘンデル

 ジャズと現代音楽と古楽のジャンルで個性的なリリースが、一九八〇年代から注目されていたレーベル「ECM」が、国内盤8アイテムだけ、限定盤で復刻発売された。時代の数歩先を行くレーベルだっただけに、最近の音楽状況にふさわしい発売と思った。私が購入した(つまり、不覚にも当時の私の関心からは外れていて、今回注目した)のは2点である。まず、現代音楽&古楽のレーベルとしては異例なブラームス『ヴィオラ・ソナタ集』。キム・カシュカシャンのヴィオラで贅肉をそぎ落とした音楽はシンプルで硬質だが、その表情は優しく暖かい。しかし、静かだ。この、ひっそりとした気配に漂流する音楽は、プリムローズのヴィオラとフィルクスニーのピアノによる私の愛聴盤とはまったくの別世界。明瞭なラインが開く静謐な美しさは、確かに新ウィーン派のシェーンベルクに直結する。そのことに今頃になって気付かされた演奏だが、この盤が世に出たのはもう二〇年近く前である。しかし、それよりさらに数年前に発売されたのが、写真のヘンデル『クラヴィーア組曲集』。ECMレーベルのジャズ部門の稼ぎ頭だったピアニスト、キース・ジャレットが、話題になったバッハ『フランス組曲』の二年後、一九九三年に録音したものだ。ジャケットのデザイン同様にシンプルな美しさが印象的な演奏で、私は彼のバッハに打鍵力の弱さを感じて、それきりにしてしまっていたことを思いだした。このヘンデルは、彼のタッチによく合っている。豊穣なロマン派の対極が、ストレートに提示されている。


■ネセ=セガンのシューマンに聞くネオ=ロマンの響き

 二〇一二年十一月にパリでライヴ収録されたネゼ=セガンとヨーロッパ室内管弦楽団によるシューマン『交響曲全集』が二枚組でDGから発売された。響きが澄んでいて隅々まで良く聞こえる音楽だが、それは、オーケストラの規模が抑えられているからだけではない。響きは薄いし、各パートの動きは裸にされている。だが、音楽は、どこまでも流麗でしなやかだ。しかも、それは、しっかりとロマン派の音楽のたっぷりとした情感の高まりを想起させるようなもので、おそらく、その部分が、ジョン・エリオット・ガーディナーがシューマンで達成した音楽の躍動感や推進力との大きな違いだ。ネゼ=セガンの「二番」の終楽章や、「三番(ライン)」の第二楽章の、異常なほど重い音楽の動きに、この指揮者のロマン派音楽観が垣間見える。その意味で、この演奏は一見ピリオド演奏の成果を踏まえたかのような装いを聴かせながら、じつは、ネオ=ロマンとでもいうべき新たな音響を提示しているのだ。シューマンの書いたオーケストレーションに不備があると見なしたかつての多くの指揮者は、さまざまに響きを補完する方向に走ったことが知られているが、ネゼ=セガンは、そうではない。薄く重ね合わされた響きから、ねばりにねばる音楽が聞こえてくる「ライン」の第二楽章は、特に個性的な演奏だ。だが、この小編成のシューマンが最も成功しているのは「一番(春)」だと思う。さまざまな音楽の表情が、瞬間芸的に突出してくる刺激的で新鮮な演奏である。短かく寸断されたフレーズを、瞬間々々で歌い切ろうとしている。


■マゼールが自身を総決算する時期がまもなくやってくる?

 マゼールの半世紀以上にわたる歩みは、あたかも戦後の音楽界全体の演奏スタイルの変遷史そのもののようだ、と私が総括したのは、今から十八年ほど前のことだ。その小文は一昨年刊行された第二評論集にも再録したが、その中で「誰よりも磨き込んできた指揮棒の技術を(マゼール自身が)捨てた時、戦後五〇年の演奏芸術のキーワードで在り続けた〈抒情精神の復興〉の方法に解答を見出す時なのだ」と予言した。その兆候はここ数年、時折見え隠れしていたが、二〇一一年四月から五月のフィルハーモニア管弦楽団とのマーラー交響曲連続演奏会でも、かなりの成果が生まれたようだ。先に発売された第一から第三交響曲までは、緻密なアンサンブルだけに留まっている感があったが、最近発売された第四から第六交響曲では、しり上がりに音楽の豊かな呼吸が確保されてきているのが感じられる。「第五交響曲」はマゼールの要求する表現にオケが近づいてきている。だまし絵のように折り重なる旋律をひとつひとつ明かしていくが、それは、ひところ持てはやされた末端肥大症のような音楽とはちがって、あくまでもスリム。全体が鮮やかに透けて見える。ロンド・フィナーレでも、重奏に埋没しない高域の響きが冴えている。息苦しさがなく、たとえて言えば自在に動く精密機械の動きを楽しんで追っているといった感覚。こうした演奏の延長に、私の思う「マゼールの終着点」があるはずだが、はたして、マゼールはそこにたどり着けるだろうか? このところ体調の不調でキャンセル続きなのが気がかりである。


山田和樹/ネセ=セガンの台頭と、若き日のマゼール、フリッチャイの時代の遺産

2014年01月10日 14時38分14秒 | 新譜CD雑感(クラシック編)
半年ごとに、新譜CDの中から書いておきたいと思ったものを自由に採り上げて、詩誌『孔雀船』に掲載して、もう20年も経過してしまいました。過去の執筆分は、私の第二評論集『クラシック幻盤 偏執譜』(ヤマハミュージックメディア刊)に収めましたが、本日は、最新の執筆分です。昨年下半期です。昨日書き終えたばかりで、まだ印刷に回っていませんが、詩誌主宰者のいつもながらのご好意で、このブログに先行掲載します。


■山田和樹/スイスロマンド管弦楽団デビュー盤の新鮮な魅力

 主席客演指揮者就任第一弾として、ビゼー・フォーレ・グノー管弦楽曲集が独PentaToneから発売された。これは各パートが、じつにバランスよく透けて聴こえる、隅々まで神経の行き届いた演奏である。肩をいからせたところのない〈なで肩の音楽〉のしなやかさが徹底して追及され、ささくれ立ったもののないなめらかな口当たりの音楽が流れてくる。「こんなにうまいオケだったか?」と、アンセルメ時代の痩せた音楽を思い出して、思わず身を乗り出した。「アルル」第2組曲第2曲でのサクソフォン・ソロでも対旋律を等価に聴かせ続ける棒さばきに、指揮者の強い意図を感じさせる。かつて、フランス音楽を洒落っ気たっぷりに演奏するフランスのオーケストラは、突出した部分を無数に持ち、その散らかった感覚が独特の魅力だった。個人主義から調和へと、時代は確実に回帰しつつある。だから、屈折したまま、わけもなく熱くなる理不尽さといった、いわば〈熱血の時代〉を駆け抜けてきた私のような戦後世代に、彼ら若い〈微熱世代〉が感動という〈渦〉を起こさせるのは容易ではない。山田和樹が、揺るぎない雄渾な物を目標に掲げられない今日でも私を揺さぶるのは何故だろう。かつて「アルル」はマゼールが、グノー「ファウスト」はカラヤン/フィルハーモニアが、ムキになって鋭い音楽の刃を突きつけていた。山田和樹はニセモノが紛れ込みやすいスタイルの演奏ながら、数少ない達人なのだろう。しばらく目が離せない。


■「春の祭典」の新時代か? ネセ=セガンの流麗すぎる音楽

 この曲を私が一種の衝撃を受けながら初めて聴いてから、もう半世紀以上の歳月が経ってしまった。誰もが、この二〇世紀音楽の先鋭さに畏敬の念を抱いて指揮し、奏で、両手に汗を握り締めながら聴いた、と言ったら「何を、大仰な…」と笑われるだろうか? だが、ほんとうに、そんな曲だった。私の場合、マルケヴィッチ/フィルハーモニア盤が最初だったろうか? ブーレーズのコンサートホール盤も、発売されてすぐに聴いた。カラヤン/ベルリン・フィル盤が出たときは、バーンスタイン盤と何度も聴き比べた。誰もが、それぞれの流儀で、何者かに向かって吠えていた――。そしてマゼール/ウィーン・フィル盤が出たときは、この曲から流れるように豊かな音楽性を強引に引き出した試みに舌を巻き、やがて、ラトル/バーミンガム市響の登場。その、どこもムキになることなく、さらさらと疾走していく感覚が新鮮だった。ラトルは「ムキになるのはダサイんだよ」、と先行世代のオジサンたちに言っているようだ、と、日本での本格的CDデビューに際しての紹介文を『レコード芸術』誌に書いてからも、もう四半世紀ほど経ってしまった。このネセ=セガンのフィラデルフィア管盤は、じつによく鳴る「ハルサイ」演奏。滔々と流れる音の洪水が終了すると、そのままストコフスキー編のバッハへとなだれ込む。この「終止符」の在りかが見えないバッハと組み合っているところにこそ、このハルサイの秘密があるかもしれない。


■初期DGで、ムラヴィン盤の陰に忘れられたマゼール盤の復活

 ロリン・マゼールは、戦後の演奏スタイルの変遷をひとりで体現し続けて変貌を繰り返してきた天才だが、若い頃の演奏以外は認めない、という頑固な聴き手も多い。私自身は、これまでにマゼールの壮大な変貌の意味について様々なところで考察してきたので、ここでは繰り返さない。前述の山田和樹やネセ=セガン、あるいは、ベルトラン・ド=ビリーらの口当たりのなめらかな音楽が台頭する時代に、マゼール自身がどのような決着を与えるか興味深いところだが、つい最近、「時代錯誤」のように若き日のマゼールの〈奇演〉が、「世紀の名盤」と銘打たれたDGの復刻シリーズで発売された。ある意味では時代の役割を終えた「名盤」が多い中、チャイコフスキーの『交響曲第4番』は、未だに多くの問題提起を残した演奏だと思う。長い録音歴を誇るマゼールだが、意外に同曲異録音は少ない。そんな中、この曲は数少ない例外だ。このベルリン・フィル盤は一九六〇年、マゼール三〇歳の録音で、この後に、ウィーン・フィルとデッカ録音、クリーヴランド管とはソニーとテラークとで2回も録音するという念の入れよう。この「抽象化の陥穽」に嵌まり込んでしまったチャイコフスキーの、謎に満ちた世界の入口作品に、マゼールが果敢に挑戦している。おそらく、「一番、わからないまま、ムキになって振っていた」演奏がこれ。だからこその、謎解き開始の原点。もう一度ゆっくり演奏史を辿りながら、聴き直してみたいと思って聴いた。


■聴き落としていたラフマニノフ『パガニーニ狂詩曲』の名盤

 前記マゼールのチャイコは、まだドイツ・グラモフォン・ゲゼルシャフト(DGG)時代のもので、アメリカではMGM系列だった米デッカによる発売だった。このDGG時代の「ハルサイ」初録音が、フリッチャイ指揮ベルリン放送響盤だった。まだこのレコード会社がヨーロッパのローカル・レーベルのイメージから脱却する以前である。このモノラル末期からステレオ初期のフリッチャイ盤が、タワーレコードから大量に復活した。そのうちの一枚に、ラフマニノフ『パガニーニの主題による狂詩曲』とウェーバー『ピアノ小協奏曲』、チェレプニン『十のパガテル』、さらにアイネム『ピアノ協奏曲』まで収めたアルバムがある。これらは、言ってみればDGが「国際標準」になる以前の演奏の記録であるのかも知れない。じつは(告白するが)、これまで半世紀以上もかけて数万点のレコード・CDを聴いてきた私が、この個性あふれるラフマニノフ演奏を聴き落としていた。ピアノ独奏はマルグリット・ウェーバー。チャイコフスキーの強い影響を受けたラフマニノフは、晩年に、師と同様に抽象化の陥穽に彷徨い込んだのだと思う。『ピアノ協奏曲4番』は、その所産。大いなる目くらましの世界。前衛性で切り立った鮮烈な表現が、この『狂詩曲』の本質として抉り出されている。ここには、「映画音楽的な大衆性」にシフトしたラフマニノフは居ない。二〇世紀音楽の矛盾と苦悩が美しく昇華されていることに、心の底から共感できる演奏だ。

蘇った諏訪根自子/バルエコのギターで聴くバッハ/ザビーネ・マイヤーのジャズ/マゼールの近況に思う

2013年07月03日 11時49分52秒 | 新譜CD雑感(クラシック編)
 詩誌『孔雀船』で、半年に一度、「リスニング・ルーム」と題する新譜CDへの雑感を書いています。本日は、その最新原稿。昨日下版したばかりの今年上半期分ですが、4つのアイテムが連想的につながってしまいました。なお、掲載写真は、その雑誌用にグレースケールでスキャニング処理したので、モノクロになっています。

■大正ロマンの源流「諏訪根自子」がCD2枚組で帰ってきた!

 私は数年前から、西洋のクラシック音楽がどのようにして日本人のものになってきたかを、様々な角度から探っている。そのささやかな成果の一つが一昨年刊行された『ギターと出会った日本人たち――近代日本の西洋音楽受容史』(ヤマハミュージックメディア)だが、その延長でこのところ調べているのが、大正期の乙女文化と西洋音楽との関係だ。最近、その背後に大正から昭和にかけて各社から続々と刊行された様々な少女雑誌や、竹久夢二の表紙画で一世を風靡した『セノオ楽譜』に象徴される特有の「時代の気分」が漂っていることを確信するようになったが、諏訪根自子は、その流れの中で重要な演奏家の一人だ。だが、私はこの天才少女の名を一九七〇年代に、「奇跡の復活」と喧伝されてバッハの無伴奏ソナタとベートーヴェンのソナタがキングレコードから発売された際には、失礼ながら「面白半分」に聴いた程度で済ませてしまっていた。(この時期、じつは私自身、自分がその後、日本人の西洋音楽受容史研究に首を突っ込むなど、思ってもいなかった。)今回発売された2枚組CDは、メンデルスゾーンの協奏曲をわずか十歳で弾き、時の名手ジンバリストを驚嘆させた彼女が離日前、一三歳から一五歳までに日本コロムビアに録音した全てである。昭和八年から一〇年。私はこの少女が既に、ただ「巧い」のではなく、私たち日本人の感性で豊かな音楽を奏でている事実に驚嘆した。歴史を見る目が変わってしまった録音である。

■マヌエル・バルエコのギター・ソロで、バッハを聴く

 私が前項で触れた「日本人の西洋音楽受容史」に関心を持つきっかけとなったのは、山下和仁のギター独奏による『黎明期の日本ギター曲集』というCDの解説に取り組んだことからだった。その山下が天才少年と称賛されてデビューした十八歳から数年後、新境地を拓くべく、ギター独奏版に自ら編曲してバッハの無伴奏チェロ曲に挑戦した事はよく知られている事実だ。思えば山下が、西洋音楽に触れて間もない黎明期の日本人作品に関心を持ったのは、彼なりの二度目の転機だったのだろう。その彼の最初の転機にあたって取り組んだ音楽が、いわゆる西洋クラシック音楽の規範ともいうべき「大バッハ」の世界だったというのは、当然のことであった。誤解されてしまう可能性を畏れずに言えば、バッハは、音楽という本来不分明な世界にデジタルな感覚を持ち込み、体系化を完成させた偉大な人物である。だからこそ、「西洋的な音階」の「規範」なのだ。キューバ生まれのバルエコもデビュー当時からバッハ作品のギター独奏への編曲演奏に取り組んでいるが、この一九九五年にEMIに録音された「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ」第1番、第2番、第3番は、久々の再発売国内盤。その驚異のテクニックから紡ぎ出される均一な音の洪水から生まれる多声の音の粒が、あたり一面に投げ出され響きあう。その美しく澄んだ世界が西洋音楽という、東洋の、あるいはアジアの文化と明らかに異なる世界の本質でもある、と思う。

■ザビーネ・マイヤーの郷愁のアルバムは「ジャズ」?

 このCDと前項のバルエコの2枚のEMI盤は、何と「ユニバーサル発売」のEMI国内盤である。レコード界の不況による会社再編は、ついに「グラモフォン」「デッカ=ロンドン」「フィリップス」「EMI」という大レーベルが、ユニバーサル一社に統合されるという事態になったわけだが、さて、この『ベニー・グッドマンへのオマージュ』と副題されたアルバムは、偉大なジャズ・クラリネット奏者として著名なベニー・グッドマンと、その彼の良きライバルとして双璧だったクラリネット奏者ウディ・ハーマンのためにそれぞれ書かれた作品を中心にしたアルバムである。かつて、カラヤンに嘱望されてベルリン・フィルの首席奏者を務めたこともあるザビーネと、兄のヴォルフガングに、かつてはドイツでもことさらに重厚なサウンドで知られていたはずのバンベルク交響楽団が共演。意外な内容だが、出てくる音楽はベスト・コンディションだ。CDに付されたライナーノートによれば、マイヤー兄妹の父親はクラシック音楽のピアノ教師だったが、大のジャズ・ファンでもあったそうで、ドイツで最も早くからジャズバンドを組織していた人物だという。曲はアーノルド、コープランド、ストラヴィンスキー、バーンスタインのクラリネット協奏曲作品に、グッドマン楽団の人気曲を加えたもの。二〇世紀の西洋クラシック音楽の重要な潮流のひとつとして、ジャズが与えた影響は大きい。それが、ここにもひとつ花ひらいている。

■マゼール/ミュンヘン・フィルのブルックナー「第3」に思う

 バッハ以来の西洋音楽が、西洋人自らの手によって解体され始めたのがロマン派の時代だとすると、それを再構築し、新たな要素を挿入することで変容させようとしたのが二〇世紀だった。私たち日本人は後衛の位置からそれを追い続け、アメリカという新大陸は、西洋人社会の中で、そうした伝統文化のない地の自在さで、二〇世紀音楽の前衛を切り拓いてきた。ロリン・マゼールという音楽家は、こうした時代を最も先鋭に、鏡のように映し出して見せてくれた天才だった。七、八年刻みであたかも振り子のようにアメリカとヨーロッパを交互に活動の舞台としてきたマゼールは、現在は四度目の渡欧というか帰欧の地としてのミュンヘン・フィルハーモニー音楽監督の地位にある。前任地が二〇世紀芸術を象徴するニューヨークだったというのも面白い。昨年、マゼールはNHK交響楽団を初めて振った。マゼールの細部をゆるがせにしない指示はどうやら健在だったようで、N響は最後までコチコチで、じつに窮屈な音楽を聞かせたが、その分だけ、マゼールの意図もむき出しになっていた。それはN響という日本のオーケストラが、まだ西欧文化と四つに組み合う固有の音楽文化を醸成できていないことから起こることだと思う。ミュンヘン・フィルとの新しいCDのブルックナー演奏は、自意識の過剰を武器としてその音楽キャリアを始めたマゼールが、音楽の自発性を信じ始めた末に到達した境地を垣間見る思いがする。つい最近のラトル/ベルリン・フィルにも、それは言えることだが、これらが何を意味しているのか? 彼らが何を捨て何を掴もうとしているのか? 答えはまだ出ていない。光は、東方から射すかも知れない?


2012年下半期の新譜CDから(4) 私が注目した頃のウェルザー・メストに再会できたCD

2013年01月24日 10時30分50秒 | 新譜CD雑感(クラシック編)

■若き日のウェルザー・メストのライヴ盤がオルフェオから登場
 ウィーン国立歌劇場の音楽監督となって二年目のウェルザー・メストは、今年二〇一三年の正月、二度目のニューイヤーコンサートで、やっと自分のペースを掴みかけたようだ。一昨年のニューイヤーは酷かった。まるで借りてきた猫のようで痛々しかった。ウィーン・フィルという〈伝統〉は途方もなく手ごわいのだ。大ベテランのプレートルもヤンソンスも、そうだった。ニューイヤーどころか国立オペラは、さらに手ごわい。だから、今年は、かろうじて合格。メストは私にとって、一九九〇年代の初めに一部で注目された頃から追ってきた指揮者だから、思い入れもあり、これまでにもロンドン・フィルとのヨハン・シュトラウス集のライナー・ノート(東芝EMI国内初出盤)以来、機会あるごとに何度も執筆してきた。それは、昨年二〇一二年六月に刊行した私の第二評論集『クラシック幻盤 偏執譜』に第一章として収録したこの「リスニングルーム」欄の十五年間にも散在している。メストは私にとって、未だに発展途上の人、なのだ。期待が大きい分だけ、不満も多い。だが、一九八〇年代の終わり頃に「メストは、二十一世紀のクラシック音楽界を牽引する指揮者になる」と信じた私の気持ちは、今も変わっていない。一九八九年夏のザルツブルクで、若いオーケストラ、マーラー・ユーゲントを振ったブルックナー「第七番」。ここに聴かれる奇跡的とも言える音楽の躍動! いつかまた、ここに還ってくるはずなのだ。
(本編、ここまで。以下は昨日の但し書きの繰り返しです)

 半年に一度、詩誌『孔雀船』に「リスニングルーム」と題して新譜CD紹介を1998年からずっと続けています。その15年の蓄積は、昨年まとめた私の2冊目の音楽評論集の第1章に、「とっておきCDの15年史――こんなおもしろいCDが発売されて、アッという間に消えました」と題して、完全編年体で再録しました。本文は、つい先日、書き終えたばかりの新しい原稿です。昨年7月以降、年末までに発売されたCDの中から、私が書いておきたいと思ったものから4枚選びました。
 なお、その4枚の並び順など全体構成にも配慮して執筆していることから、これまではブログにも一挙にUPしていたのですが、最近、携帯やスマホで読む方が増えてきて、長文は読みづらいと言われるようになりましたので、不本意ですが、4つに分割して毎日、1枚ずつ掲載します。本日は、その4回目です。

2012年下半期の新譜CDから(3) ブッフビンダーが弾くフォルテピアノで思ったこと

2013年01月23日 17時33分04秒 | 新譜CD雑感(クラシック編)
■ブッフビンダーがフォルテピアノで弾くモーツァルト「協奏曲」
 アーノンクール/ウィーン・コンツェントゥス・ムジクスの伴奏でモーツアルトの協奏曲、二三番と二五番のライヴ録音を収録したCDがソニーから発売された。どちらかというと古楽器ものを敬遠しがちの私が手を出したのは、昨年、たまたま目にしたブッフビンダーの弾く「ヨハン・シュトラウス・ワルツ編曲集」(一九九九年・独テルデック)で、そのテクニックの冴えと、ほとばしる音楽の軽やかさとのバランスの妙味に関心を持ったからだった。このモーツァルト、一聴して、まず感じたのは、「おしゃべりな音楽だな」という感覚。「小うるさい」のだ。そして、しばらくして、それはこのフォルテピアノという楽器が、現代のピアノのような優れた制御機能を持っていないからだ、と気づいた。思えば、ロマン派の時代以降、ピアノの性能が高まるにつれて音の強弱がはっきりし、それに伴い、人々は、ひっそりとした音の雄弁さにも気づいた。そして、コンサートホールでの音楽鑑賞という形態。だが、かつて音楽は、食事をしながら、おしゃべりをしながら聴くものだった。ブッフビンダーらの演奏は、そうした古き時代のキッチュな再現だ。フォルテピアノは一音一音コトコトと、音を途切りながら連なり、オーケストラもブツブツと音をちぎり、急激なフォルテを交えて進む。これ、じっと耳を傾けて聴くものじゃないのだ。そうでないと、身体能力が飛躍的に向上した現代の優れた音楽家たちによる自在な演奏は、〈表現〉が溢れてしまう。
(本編、ここまで。以下は昨日の但し書きの繰り返しです)

 半年に一度、詩誌『孔雀船』に「リスニングルーム」と題して新譜CD紹介を1998年からずっと続けています。その15年の蓄積は、昨年まとめた私の2冊目の音楽評論集の第1章に、「とっておきCDの15年史――こんなおもしろいCDが発売されて、アッという間に消えました」と題して、完全編年体で再録しました。本文は、つい先日、書き終えたばかりの新しい原稿です。昨年7月以降、年末までに発売されたCDの中から、私が書いておきたいと思ったものから4枚選びました。
 なお、その4枚の並び順など全体構成にも配慮して執筆していることから、これまではブログにも一挙にUPしていたのですが、最近、携帯やスマホで読む方が増えてきて、長文は読みづらいと言われるようになりましたので、不本意ですが、4つに分割して毎日、1枚ずつ掲載します。本日は、その3回目です。

2012年下半期の新譜CDから(2) 永冨和子のドビュッシー演奏の「遺産」を聴く

2013年01月22日 10時33分20秒 | 新譜CD雑感(クラシック編)
写真は、日本ウエストミンスターから発売されたCD

■永冨和子の最後のリサイタルの記録がCD化
 1980年代半ばから、ヨーロッパを中心に国際的な活動を続けていた永冨和子は、1959年のパリ留学以来、レーヌ・ジャノーリ、ラローチャ、クロード・エルフェといった私が関心を持っているピアニストに直接教えを受けている。このCDは、その永冨の最後のリサイタルの記録だ。曲目はドビュッシー「前奏曲集第一巻」とモーツァルト「ソナタ K457」「幻想曲 K475」、それにアンコールのドビュッシー「月の光」「水の精」。ドビュッシーの「前奏曲集」は、光と陰の交錯が千変万化して綾なす名演で、そのリズムの生き生きとした様に、まずおどろく。確かにドビュッシー演奏は、この二〇年で飛躍的に深化したのだと実感する。明快なフォルムを聴かせながらも、濃密な情感を維持し続けているのは凄い。例えばポール・クロスリーの演奏が、理論を振りかざした音楽のように感じてしまった。今回のアルバムは、永冨の遺稿となった「ドビュッシー前奏曲集・第一巻」の校訂・解説書(レッスンの友社より刊行)に合わせての発売だそうだが、同書は、一曲一曲の解釈にとどまらず、体験に基づいた奏法の実際、フィンガリングなどを詳しく記述したものだという。第一巻で途絶えてしまったのが残念だ。プラハで進行していた録音が2枚目までで途絶えてしまったモーツァルトのソナタ全集(日本コロムビアより発売)も残念だったが、こちらも一曲だけ、このアルバムで聴ける。明快でありながら、余情が止め処なくあふれ出てくる演奏だ。
(本編、ここまで。以下は昨日の但し書きの繰り返しです)

 半年に一度、詩誌『孔雀船』に「リスニングルーム」と題して新譜CD紹介を1998年からずっと続けています。その15年の蓄積は、昨年まとめた私の2冊目の音楽評論集の第1章に、「とっておきCDの15年史――こんなおもしろいCDが発売されて、アッという間に消えました」と題して、完全編年体で再録しました。本文は、つい先日、書き終えたばかりの新しい原稿です。昨年7月以降、年末までに発売されたCDの中から、私が書いておきたいと思ったものから4枚選びました。
 なお、その4枚の並び順など全体構成にも配慮して執筆していることから、これまではブログにも一挙にUPしていたのですが、最近、携帯やスマホで読む方が増えてきて、長文は読みづらいと言われるようになりましたので、不本意ですが、4つに分割して毎日、1枚ずつ掲載します。本日は、その2回目です。


2012年下半期の新譜CDから(1) ラローチャのシューマン/ラフマニノフ協奏曲集

2013年01月21日 10時37分07秒 | 新譜CD雑感(クラシック編)
 半年に一度、詩誌『孔雀船』に「リスニングルーム」と題して新譜CD紹介を1998年からずっと続けています。その15年の蓄積は、昨年まとめた私の2冊目の音楽評論集の第1章に、「とっておきCDの15年史――こんなおもしろいCDが発売されて、アッという間に消えました」と題して、完全編年体で再録しました。以下は、つい先日、書き終えたばかりの新しい原稿です。昨年7月以降、年末までに発売されたCDの中から、私が書いておきたいと思ったものから4枚選びました。
 なお、その4枚の並び順など全体構成にも配慮して執筆していることから、これまではブログにも一挙にUPしていたのですが、最近、携帯やスマホで読む方が増えてきて、長文は読みづらいと言われるようになりましたので、不本意ですが、4つに分割して毎日、1枚ずつ掲載します。
 では、本日は、その1回目です。

■ラローチャのシューマン「協奏曲」は、本物の「幻想曲」
 タワーレコードの限定発売で、国内盤初CD化の音源だという、アリシア・デ・ラローチャのシューマンとラフマニノフ2番の協奏曲。確かに、輸入盤でしか見たことがなかったような気がする。発売された1980年代にはラローチャのシューマンやラフマニノフが、ちょっとイメージしにくかったせいか、私自身も、今回、初めて手に取ったのだが、そうして聴いたこのシューマン。最近聞いてびっくりしたヨッフム/ベルリン・ドイツ響とのブラームスの協奏曲のような力強く堂々とした音楽とはずいぶんと違う趣だが、このシューマンで、改めて、私のラローチャ好きが目覚めてしまった。第一楽章から、心地よい夢を見ているような気分にさせてくれる。そして時間を追ってますます音楽の表情が、やわらかくなっていく。突然の覚醒に続いてやってくる下降音型。そして再びたゆたい始める音楽……。このあたりは、特にラローチャが得意とするところだろう。続く楽章も、ひっそりとしたたたずまいから漂ってくる香気が、幻想性の表出という一点で極めて完成度の高い演奏になっている。徹底してソフトフォーカスのラローチャの世界に、伴奏のロイヤル・フィルもシャルル・デュトワの指揮でよく応えている。この曲が「ピアノとオーケストラのための幻想曲」から発展したものだったということを、久しぶりに思い出させてくれた。ラフマニノフも、この曲から柔和で暖かな陽だまりと翳りが聴ける特異な演奏だ。


グリュミオー・トリオ/オイストラッフ/アンサンブル・ウィーン=ベルリン/オハン・ドゥリアンの復刻CD

2012年06月25日 16時35分53秒 | 新譜CD雑感(クラシック編)




 昨晩書き終えたばかりの、詩誌『孔雀船』の「リスニング・ルーム」欄のための原稿です。15年以上前から、半年に一度、その間にリリースされたCDの中から、私が気になったものを採りあげて執筆している欄です。月刊の新譜紹介雑誌などに書いていた時のように売る側の思惑に配慮する必要もないので、私好みのCD短評が蓄積されたので、先日発行されたばかりの第2評論集『クラシック幻盤 偏執譜』(ヤマハミュージックメディア)にも一章設けて、そっくり15年分を再録しました。
 その章のサブタイトルは「こんなおもしろいCDが発売されて、アッという間に消えました」というものでしたが、つい半年前の『孔雀船』に掲載して当ブログにも再録したものまで加えました。じつは、以下の今回分も、もう少し早く書き終わっていたら収録してしまうつもりでした。再発モノだからということもありますが、「いくらなんでも、すぐに消えました、は、どうですか?」という周辺の人の危惧もありましたが、私は問題ないと思っていました。
 最近のCD市場事情を物語っているのかも知れません。6月8日に発売されたばかりの「タワーレコード・ヴィンテージ・コレクション」ですが、私が以下で採りあげたアイテム、もう品切れ店がでているようです。ほんとに、たいへんな時代です。
 なお、以下の写真は、『孔雀船』への掲載用にグレースケールでスキャニングしたものなので、モノクロです。申し訳ありません。




■グリュミオー・トリオのシューベルトを聴き直して
 ユニバーサル・ミュージックから「アルテュール・グリュミオーの芸術」として第二期分が多数リリースされた。意識的にモーツァルト以外の室内楽を聴き直して見たが、その中で、ことさら印象深かったのが、写真のCDだった。後半に収められたシューベルト「弦楽三重奏曲D581/D471」が、とにかくすばらしい。一九六〇年代の録音で、ヤンツェル&ツァコ夫妻のヴィオラとチェロとで絶妙のトリオ演奏を繰り広げていた絶頂期の録音だが、それに比べると、同じ頃の録音とは言え、今回のCDで冒頭に収められた「ピアノ五重奏曲《ます》」は、曲の終わりまで、音楽の運びにまったく馴染めなかった。グリュミオー・トリオの三人に、イングリッド・ヘブラーのピアノとジャック・カツォランのコントラバスが加わっているのだが、それがおそらく、言葉は悪いが違和感の元凶だ。ヘブラーの音楽が向かっている方向とグリュミオーが目指す音楽の息使いが、明らかに異なっているとしか感じられない。記憶を辿ってみても、私の周辺で「ます」をヘブラー&グリュミオーで話題にしたことは、一度もなかったと思うが、それは多分、当然のことだったのだ。それに比べて、このCDで第6トラック、「三重奏曲」が始まった瞬間に変化する音楽の空気感のすばらしいこと! 正に「音楽の愉しみ」だ。呼吸している空気が違う人との「ます」は、このCD全体の印象を壊しているとさえ思う。再発売・組替えアルバムの弊害である。




■オイストラッフのドビュッシー/ラヴェル、フィリップス録音
 「完璧な」と形容される驚異的なコントロール技術で、二〇世紀のヴァイオリン演奏を塗り替えたと言ってよいダヴィッド・オイストラッフが、フィリップス系に残した一九六六年パリのスタジオ録音。二十四年ぶりのCD再発売だが、タワーレコードのみでの発売の「ヴィンテージ・コレクション・プラス」の一枚だ。このCD、有名なオボーリンのピアノでのベートーヴェンのソナタと同時期の録音だが、これだけがオリジナルは仏シャン・ドゥ・モンドの二枚のLPだった。CD化以降に「フィリップス原盤」となった。ピアノは、全てフリーダ・バウアー。ドビュッシーのソナタ、プロコフィエフの「五つのメロディ」、ラヴェルのソナタ、イザイの無伴奏ソナタ第三番が収められているのだが、そのきっちりと見事なヴァイオリンが、それぞれの曲に個有の〈匂い〉を感じさせず、どれもが同じ出自の音楽のように洗い落されている感覚に、改めて、オイストラッフが二〇世紀に残した足跡の意味を考えた。古典派もロマン派もフランス近代も二〇世紀音楽も、同じように弾き切ってしまうのがオイストラッフの最大の特徴。それによって二〇世紀の後半に私たちの耳が洗われたことは事実だ。同時代の様々な演奏家の、微細な音彩の変化を聴き分けながら薄氷を踏むように進む不安定な音楽の匂いを懐かしみながら、改めて西側に衝撃的に登場してきた五〇年代当時のEMI録音で、オイストラッフの音楽を聴き直してみた。



■カトリーヌ・ドヌーヴが語るドビュッシー「ビリティスの歌」
 これも「ヴィンテージ・コレクション・プラス」の一枚。そして、このアルバムもまた、個有の音楽の喪失感という点では、そのプラス、マイナスの両側面から、様々な感慨が生まれた。演奏はウィーンとベルリンの様々のオーケストラのトップ奏者を集めた「アンサンブル・ウィーン=ベルリン」で、ラヴェルとドビュッシーの器楽曲が収められたもの。いずれも、これまで長い間、それぞれの個性的な演奏を個別に聴いていた曲ばかりだが、それらが、続々に鋭く切り込んで、休む間もなく聞こえてくるのは、少々辛い。どうして、それぞれの音楽が持っていた匂いというか、言葉では表わし難い「気配」とでも言うべきものが消えて、畳みかけてくるのだろう。特にラヴェルの「ヴァイオリンとチェロのためのソナタ」は、ラヴェルの曲ではなく、たとえばバルトークの作品だ、と思って聴けば、じつに見事で立派な演奏だ。その禁欲的でモノトーンの響きの厳しさは傑出しているし、様々に新たな発見のあるアルバムではあるのだ。ただ、ラヴェルの「序奏とアレグロ」とドビュッシーの「フルート、ヴィオラ、ハープのためのソナタ」が同じように聞こえる、と、心して聴くべきアルバムだ。それは、カトリーヌ・ドヌーヴが後録音で朗読の参加をしている「ビリティスの歌」も同じなのだが、それでも、「六つの古代碑銘」でお馴染みのメロディが、久しぶりに本来の朗読付きの形で、しかも見事に音楽的な語りで聴けるのはうれしい。




■オハン・ドゥリアンという指揮者が居たことを思い出した
 このCDもタワーレコードの「ヴィンテージ・コレクション」の一枚だが、これは昨年暮れに発売されたもの。このアルバムに収められたショスタコーヴィッチ「交響曲第一二番《一九一七年》」を指揮しているオハン・ドゥリアンの追悼盤としてのリリースだった。ドゥリアンは、数年前にチェクノヴォリアン指揮アルメニア・フィルのことを書く必要があって調べていた時に、同フィルの歴代指揮者の中で重要な一人として出てきた名前で、その時も、そういえば、そんな名前の指揮者が昔いたなと思い出して、そのままになっていた人だった。影がうすいのは、このゲヴァントハウス管を振ったフィリップス盤がほとんど唯一と言えるほど、極端に録音の少ない指揮者だからだ。これは日本だけの事情ではなく、どこの国のカタログも似たような状態だ。ほとんど無名に近い忘れられた指揮者が、それでいて話題になるのは、このショスタコーヴィッチの交響曲第一ニ番の録音ひとつの故と言えるだろう。私自身、この印象的なジャケットデザインで思い出したほど、正に「この一曲」の人なのだ。ことさらに祝典的でファンファーレの連発銃のような特異な音楽にすっぽりとはまり、推進力を剥き出しにした直情的な指揮ぶりを聴くと、確かに忘れられない。この曲をドゥリアンで聴くと、少々大げさに表現すれば、弦楽合奏でさえ打楽器のように叩きつけてくる音楽に割り切られてしまうから驚く。こういう演奏があってもいいとは思うが、さて。


ケント・ナガノのブルックナー/ロイブナー~N響/マゼールBOX/エゴン・ペトリのリスト~ブゾ―ニ

2012年01月13日 13時03分47秒 | 新譜CD雑感(クラシック編)


 詩誌「孔雀船」に15年ほど前から年2回執筆している「リスニング・ルーム」というコラム欄のために書き終えたばかりの原稿です。原則として、昨年後半に発売されたCDから、私が書きたいことを感じたものを4点選んでいます。。主宰者に了解してもらっているので、発行前に先行掲載します。但し、最後のエゴン・ペトリに関する文は、10月頃に当ブログで紹介したもののショート・バージョンです。なお、冒頭の写真はケント・ナガノのブルックナー「第7」です。


■ケント・ナガノ~バイエルン国立のブルックナー「第7」
 ケント・ナガノとバイエルン国立管弦楽団によるブルックナーの「交響曲第七番」が、ソニー・ミュージックから発売された。二〇一〇年九月二三日、ベルギ―のカテドラルでのライヴ録音だという。私は長い間、ブルックナーの音楽は、その独特の「休止」の間合いが大きな意味を持っていると思っていた。その間合いを意図的に作り上げていくあざとい演奏(例えば、マゼール/ウィーン・フィルの英デッカ録音「第五」)の面白さも、積極的に評価してきた。ところがケント・ナガノの演奏は、じつにしなやかな開始によって、どこまでも歌い継いで行こうとする演奏が立ち現れる。その強い意志は、第二楽章に至って、さらに鮮明になる。いわゆるブルックナー的な全休止を注意深く避け続け、間隙を作らずに、なだらかに歌い継いでいく。しかも、その向かって行く先にあるのは、明るく、軽やかなものなのだと予感させる。静かに心に沁み入る演奏である。新しいブルックナー像の出現! と思わず膝を打ちかけて、私は、ひとつ、以前から不思議に思っていた演奏を思い出した。カラヤンの最晩年、確かラスト・レコーディングと言われたブルックナーである。カラヤンが最後に到達した「オーストリア的なブルックナー」として、たおやかに歌い継いだ先に見ていた二十一世紀が、この東洋の血が混じったアメリカ人指揮者から紡ぎ出されてきたのかもしれない。しばらく、ケント・ナガノから目が離せなくなった。


■懐かしいロイブナー/N響のシューベルト「交響曲第9番」
 キング・インターナショナルから「N響八十五周年記念ライブシリーズ」として、NHK交響楽団の貴重な録音が多数発売された。これは、その中で私が最も興味をもったもの。二枚組で、一枚目はN響の前身である新響時代からの指揮者ジョセフ・ローゼンストックが一九七七年に客演した時のステレオ録音で、ボロディン「交響曲第二番」とチャイコフスキー「交響曲第六番《悲愴》」。ローゼンストックは文献的に名前を知っているので、その印象が強く、一九七七年に来日してステレオ録音があることも、完全に失念していた。だが、一方の二枚目は懐かしかった。一九五七年から足掛け三年、N響常任指揮者だったウィルヘルム・ロイブナーによるシューベルト「交響曲第九番」と「ロザムンデの音楽」。こちらは一九六四年のモノラル録音で、収録場所が日比谷・内幸町にあった旧NHKホールである。私には、ちょうど我が家にテレビが入った小学生時代に見ていた(はずの)ロイブナーの方が懐かしいのだ。この録音はその後の客演時のものだが、ひょっとすると、中学生になっていた私がラジオにかじりついて聴いたのは、この演奏だったのかも知れないとさえ思う。びっくりするくらいウィーン的な暖かさと躍動感が漲って、ひたすら前進する演奏に、思わず感激してしまった。日本人オーケストラが、夢中で西洋音楽の味わいを吸収していた時代の記録である。アンコールの「ロザムンデ」バレエ音楽第二番も嬉しい。


■マゼールのフランス国立管とのマーラー「巨人」がCD化
 一九六〇年代の初頭と言えば、私にとっては、若き日のマゼールの演奏をテレビで見て、何かわけのわからない興奮に襲われた時期でもあった。新しい音楽の予感とでもいうものだったと思う。私の記憶に間違いがなければ、ベルリン・ドイツ・オペラと一緒に来日したマゼールが、東京交響楽団を指揮したチャイコフスキーの「交響曲第四番」が、NHK教育テレビから流れた。私の「マゼール体験」の最初の一撃である。その後のマゼールの様々な変貌の意味については、これまで、様々な機会に書いてきた。戦後演奏史の中でのマゼールの位置付け、果たした役割の大きさについて、私は誰よりも真剣に論じてきたと自負しているが、最後の変貌を目前にして、マゼールのメモリアル的なアルバムが、突然発売された。最近の輸入盤の「まとめ売りアルバム」の超廉価攻勢には半ば呆れてもいたが、これは、とても丁寧な仕事である。合併に次ぐ合併の成果(?)で、ソニーとBMGの原盤から三〇アイテムが選ばれ、全てオリジナル時のレコードジャケットを再現した紙ジャケットに一枚ずつ収め、詳細データ付きのオールカラーの解説書が付いてのボックスセットが五〇〇〇円程度というから驚きだ。誰が選定したものか、ずっとCD化されなかったフランス国立とのマーラー「巨人」が入っているので、あわてて予約したときには、こんな仕様だとは思ってもいなかった。DG+デッカ+フィリップスでもやってくれないか、と思った。


■エゴン・ペトリが弾く「古典派~浪漫派名曲のピアノ編曲」
 一九六〇年頃発売のLPレコードからの復刻CD。日本ウエストミンスター発売。ペトリは若き日に、晩年のリストと親交のあったブゾーニから直接の薫陶を受けているだけに、ブゾーニが編曲したリストの作品が大半を占めていて、さながら、リスト~ブゾーニ~ペトリと直伝で繋がるピアノ音楽の一側面の正統が、どのような成果をもたらしていたかが実感できる選曲になっている。曲目は、メンデルスゾーン「真夏の夜の夢」の音楽による結婚行進曲と妖精の踊り、グノー「ファウスト」のワルツ、モーツァルト「フィガロの結婚」の二つのモチーフによるファンタジー、など5曲。「結婚行進曲」でさえ、旋律を断片化して散りばめるといった作りになっていることで、ひときわ、ピアニズムの音響美を追求するような仕立てになっている。私は、ピアノから色彩感の豊かな音楽を感じる時は、いつも自在な左手の動きが聴こえると感じていたのだが、先日、著名な音楽評論家ハロルド・ショーンバーグが、「ロマンティックなスタイルのピアニストの特徴的な演奏習慣は、左手が微妙にズレていることだ」と指摘していることを知って、全ての謎が氷解したような思いを持った。正確なタッチのピアノが失ったものは大きいのだ。もう一度、音楽の本当の雄弁さを取り戻すためにも、このエゴン・ペトリが残した演奏を聴いて戴きたい。半世紀の「時」を隔てた彼方から聴こえてくる音楽は、とてつもなく深かった。


ワイセンベルク1972ライヴ/ワレフスカ2010ライヴ/ムタ―1995ライヴ/若きプレヴィンの「べト7」

2011年07月09日 15時49分00秒 | 新譜CD雑感(クラシック編)
 半年に一度、詩誌『孔雀船』のために執筆している「リスニング・ルーム」(新譜CD雑感)の原稿を書き終えました。同誌では、この半年間に刊行された「詩集」の書評も、もう30年以上続けているのですが、この「CD評」の方は主宰者に了解してもらって、こちらのブログに先行掲載しています。今回は、今年1月から6月までに発売された再発売を含む新譜が対象です。「ワレフスカ」のCDは、このブログ上では何度も登場していますので申し訳ないのですが、「孔雀船」の読者にも関係者のひとりとして告知しなくてはならなかったのです。
 以下2011年7月発行の詩誌『孔雀船』掲載の「リスニング・ルーム」全文です。なお、冒頭の写真は、ワイセンベルクのCDの表紙です。

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■ワイセンベルクの一九七二年リサイタルの壮絶さに絶句
 鋭い切り口と硬質なタッチに特徴があると思っていたアレクシス・ワイセンベルクだが、そうした表現だけには留まらない、はち切れんばかりに音楽が溢れ出してくる絶好調のリサイタル・ライヴが登場した。一九七二年五月一九日のシュヴェツィンゲン音楽祭でのリサイタルを南ドイツ放送局が収録した音源を、独ヘンスラーがCD化したもので、オール・ショパン・プログラムだ。「幻想ポロネーズ 作品六一」で開始されたリサイタルは最初から、深い思いを込めて弾き始められる。やがて決然と、激しく畳みかけ、聴く者を揺さぶる。うごめく生き物のような大きな抑揚と振幅の交錯するピアニズムの極致を聴くことができる。正直なところ私は、ワイセンベルクというピアニストの「凄み」とでもいうものを初めて思い知って、打ちのめされてしまった。これは、ワイセンベルクにとっても、おそらく奇跡的なある日の記録なのだと思う。十年の長きに及んだ充電期間を経て再デビューのコンサートを成功させて以来、充実した日々が五年ほど続き、一九七二年という年は、ワイセンベルクにとっても故国ブルガリアへの二十八年ぶりの帰国を決意した転換期だった。見事なテクニックを聴かせるスタジオ録音や、シンフォニックな壮麗さをバランスよく聴かせる協奏曲録音などと異なり、この「思いの濃い」独奏ピアノでは、消え入りそうな弱音の彼方にまで、弾き手の思いが込められている。


■「ワレフスカ・チェロ・リサイタル」の発売を喜ぶ
 世界のレコード、CD市場から一九七〇年代に離れてしまったクリスティーヌ・ワレフスカは、当時、ジャクリーヌ・デュプレと人気、実力とも競っていたチェリストなのだが、そのことを覚えている人も、ほとんどいなくなってしまった。このCDアルバムに収められた昨年六月のコンサートは、ワレフスカのチェロに魅せられたひとりのファンの熱意で実現した実行委員会方式での「招聘コンサート」である。三十六年ぶりの来日となったわけだが、そのコンサートの主宰者とファンのひとりとして交流するようになった私は、このコンサート記録をぜひともCDとして残すべきだということでレコード会社に働きかけた。その結果、制作されたこのCDは期せずして、グローバルな音楽ビジネスから身を引いて孤塁を守って来たワレフスカの個性あふれる音楽の「今」を伝え、後世に残す貴重な記録となった。ワレフスカの三十数年ぶりの新譜。しかも、初の室内楽録音であり、初のライヴ録音だ。当初に予定されていた伴奏者との息が合わず、急遽ニューヨーク在の若いピアニスト、福原彰美がワレフスカの指名で駆けつけたコンサート・ツア終盤のライヴで、NHKが収録しFMで放送した音源のCD化。私にとっては、福原という将来を期待する逸材との出会いともなった「思い出の日」のCD化でもある。日本ウエストミンスターから一般市販され、かなり話題になっているのも、手前味噌ながらうれしい。


■アンネ・ゾフィー・ムタ―「一九九五年ベルリン・リサイタル」
 DGの「BEST100」という再発売シリーズの一枚。ムタ―は、私にとってほとんど関心のないヴァイオリニストだったが、このところ、一晩の「リサイタル」を収録したライヴ盤の味わいが、今更ながら気にかかり出したので、気まぐれで買ってみたCDである。実に不思議なプログラム構成でもあるが、このCDからは、様々なことに思いが馳せた。ブラームス「FAEソナタ」のスケルツォで始まり、ドビュッシー「ソナタ」、モーツァルト「ソナタ・ホ短調」フランク「ソナタ」、ブラームス「ハンガリア舞曲」第二番と第五番。アンコールとしてドビュッシー「美しい夕暮れ」というコンサートだが、何と言ってもびっくりしたのはモーツァルトだ。あの楚々として淡々としていたはずの愛らしい音楽が暗い抒情を湛えて、まるでシューマンかブラームスの音楽のように聞こえてくる。テンポやアゴーギクの揺らぎや大きな崩れには面食らう。時折、音楽が止まってしまいそうに遅くなる。この度外れたモーツァルトを最後まで聴かせてしまう説得力には、脱帽するしかなかった。ピアノはランバート・オーキス。この予測しがたいニュアンスの変化を、ピアノの側でも強調しつつ支えている。ヨアヒム編曲のハンガリア舞曲第五番も、例の単調で安っぽい管弦楽版と異なり、とても雄弁で輝きに溢れている。そしてアンコール曲「美しい夕暮れ」では、夕映えのような豊かな色彩が、ひっそりと奏でられる。


■若き日のアンドレ・プレヴィンのベートーヴェン「第七」
 タワー・レコードの「CLASSICAL TREASURES」シリーズで、アンドレ・プレヴィンがクラシック音楽の指揮者となって頭角を現わして間もないころに録音されたベートーヴェンの交響曲がCD化された。一九七三年から翌年にかけての「第五」と「第七」を一枚のCDに収めたものだ。今では知っている人も少なくなったが、ベルリンに生まれたプレヴィンは、一〇歳の時にナチを逃れてパリ経由でアメリカに渡り、一〇代から映画音楽などのスタジオミュージシャンとして生活していた。私がプレヴィンという音楽家の名前を見たのは、ワーナーのミュージカル映画『マイ・フェア・レディ』の指揮者としてだった。その後、それに先立つMGM映画『ポーギーとべス』の音楽担当だったことも知った。要するに、バーンスタインとも共通して、アメリカの商業音楽の世界からキャリアを始めた人なのだ。「教養」ではなく、「生きた音楽」に浸ってきた一人である。この録音――、特に「第七」の第三楽章以降の味わいが興味深い。流れるような音楽なのだが、「いや、ちょっと待てよ」と思う。ドイツ・オーストリア系の、折り目のくっきりとした音楽と違って、どこかスッポ抜けた感覚が新鮮なのだ。サイモン・ラトルが、スイスイと駆け抜けて疾走するビート感覚で『春の祭典』を世に問う以前のことだ。すっかり忘れていたが、今にして思えば、この頃、クラシック音楽が徐々に変貌し始めていたのだ。

ワレフスカ名演集/ジャノーリとホルヴァートの共演/チェルカスキーの遺産/シェリングとドラティの名演

2011年01月12日 09時55分57秒 | 新譜CD雑感(クラシック編)
 半年に一度「新譜CD」の寸感を掲載している詩誌『孔雀船』のための原稿が書き終わりましたので、今回も、当ブログに先行掲載します。冒頭の写真は「ワレフスカ名演集」です。


■チェロの女王・ワレフスカの全フィリップス録音がCD化
 ついに、と言うべきか、やっと、と言うべきか、二〇世紀後半のチェロ奏者のなかで傑出したひとりでありながら、レコーディングにあまり恵まれず、ほとんど忘れられた存在になっていたクリスティーヌ・ワレフスカがフィリップスに残したLP全六枚の録音が、CD五枚組・四二〇〇円で初発売された。タワーレコード・ヴィンテージ・コレクションVol. 11のひとつだ。ボックス入りで、表紙のデザインは「ハイドンの協奏曲集」のLPをもとにしたもの。それ以外の五枚(「シューマンの協奏曲/ブロッホ《コル・ニドライ》《ヘブライ狂詩曲》」「ドヴォルザークの協奏曲/チャイコフスキー《ロココ》」「プロコフィエフ/ハチャトリアンの協奏曲」「サン=サーンスの協奏曲ほか」「ヴィヴァルディ協奏曲集」)のLPのオリジナルジャケットも、ボックスの裏に小さく全て印刷されていて懐かしい。ご存知の方も多いと思うが、昨年の四月、三〇数年ぶりの再来日を、ひとりのファンの努力によって自主公演の形で実現させて再評価の機運が一気に高まったものだ。その招聘活動が日本経済新聞の文化欄で大きく取り上げられ、NHKによるFM放送も実現した。こうした動きがなければ、今回の『ワレフスカ名演集』五枚組の発売は実現しなかったと思う。私も、その活動の後押しをしていた一員として、二〇世紀を代表するチェロ奏者のひとりとしてのワレフスカが、正当に評価されるよう願っている。


■レーヌ・ジャノーリのメンデルスゾーン「協奏曲」
 これも手前みそで恐縮だが、この欄でも何回か登場しているピアニスト、レーヌ・ジャノーリのメンデルスゾーン『ピアノ協奏曲・第一番』『同・第二番』がCD復刻で世界初発売となった。ジャノーリの再評価も着々と進行中、というわけで、これはコロムビア系の日本ウエストミンスターのレーベル「ヴォアドール」から、一八〇〇円で発売。ジャノーリのメンデルスゾーンは珍しいレパートリーと思う人も多いと思うが、一九七〇年代には仏アデに『シューマン・ピアノ独奏曲全集』を録音している。決して意外なレパートリーではないが、こちらは一九五五年のウィーン録音。伴奏は当時のウィーンで新進気鋭だったミラン・ホルヴァート指揮ウィーン国立歌劇場管弦楽団だ。このCDは、私自身がライナー・ノートを担当していて、演奏の魅力については全文を私のブログにも掲載済みなので、ここでは繰り返さないが、ジャノーリのメンデルスゾーンの演奏は、ロマン派の牙城であるドイツ・オーストリアを中心に第二次世界大戦前のヨーロッパ全土を覆っていた「新即物主義(ノイエ・ザハリッヒカイト)」の影響が強いということが、大きな特徴。特にこの協奏曲は、驚くほど楷書体の音楽を実現している。戦後まもない時代のウィーンの、今日に連なる新時代の息吹をこそ聴くべき新鮮な演奏だ。隠れた名盤のCD初登場である。



■チェルカスキ―の最後の録音は「音楽的遺産」だ!
 これは、卓越した指の動きと、大らかで自然な音楽を、全身から溢れさせて演奏して聴かせたシューラ・チェルカスキーのピアノが、最晩年に至ってもなお、きらきらと輝く幻想性を帯びた響きを湛えていたことを証明する素晴らしい遺産である。これほどに軽やかなピアノの響きで揺れるラフマニノフの魅力を、どう表現したものか、戸惑ってしまった。曲目はラフマニノフの難曲『ピアノ協奏曲第三番』のほかに、『前奏曲・ト短調』『同・嬰ト短調』『同・嬰ハ短調』『舟唄ト短調』、『メロディ ホ長調 作品三―三』と独奏曲が五曲収められている。以上の全てが、一九九四年から一九九五年にロンドンのスタジオで録音されたチェルカスキーの最後の録音である。この録音が残されるに至った偶然でもあり感動的でもあるエピソードは解説書に書かれた英デッカのチーフ・マネージャー、エヴァンズ・ミラージュ氏の文章に詳しいが、私にとって、このCDは久方ぶりに、「録音」という私たち人類が獲得した技術に感謝する音楽的遺産である。英デッカは素晴らしい物を残してくれた。初出時に、このCDの存在に気づかなかった不明を恥じ入るばかりだが、ライナーノートの石井宏氏の少々声高な憤懣[ふんまん]の言辞を読むと、改めて、日本の新譜紹介誌(評論誌などとは言うまい)の弊害に思いが行く。これもタワーのヴィンテージ・コレクション。


■シェリング/ドラティで聴くブラームスとハチャトリアン
 タワー・レコードの「ヴィンテージ・コレクションVol. 11」ばかり続くが、それも仕方ないことかもしれない。これは、マーキュリー原盤からのもの。ヘンリク・シェリングのヴァイオリン、アンタール・ドラティ指揮ロンドン交響楽団の伴奏でブラームスの協奏曲(一九六二年録音)、ハチャトリアンの協奏曲(一九六四年録音)の二曲を組み合わせている。シェリングのブラームス「協奏曲」は何種類もあり、RCAでモントゥがロンドン響を指揮した録音の方が有名だが、あれは、あまりパッとしない演奏だ。もともといわゆる美音系のヴァイオリニストではないシェリングが、ことさらに神経質で痩せぎすな音楽を奏でていた記憶がある。独奏者と指揮者との音楽性に齟齬[そご]があって、お互いに相手の出方を窺っているような感覚もあった。しかし、このドラティとのマーキュリー盤は、独奏ヴァイオリンの確信に溢れた音楽の運びを裏打ちするようなオーケストラの力強さに支えられた佳演。瑞々[みずみず]しく滔々[とうとう]と流れる音楽が、「ロマン派の音楽」らしい息づかいとはどういうものだったかを思い出させてくれる。一方のハチャトリアンは、シェリングの生真面目なアプローチが、この二〇世紀の個性的な音楽の表情の彫りの深さを導き出して、近代人の不安や揺れ動く心情をも描くことに成功している。この曲の真価を味わう名盤の復活だ。