
【京都・東山区】禅宗寺院の中で現存する我が国最古の三門。
室町時代の応永三十二年(1425)、四代将軍・足利義持により再建された三門で、格式の高い二重門。 再建前の三門は、鎌倉時代元応元年(1319)の大火で焼失した。
鎌倉時代の嘉禎二年(1236)、摂政九条道家が宋から帰国した禅僧・聖一国師円爾弁円を開山(初代住持)として創建した臨済宗東福寺に建つ三門で、国宝に指定されれている。 東福寺は京都五山の第四位の格式を持つ禅宗寺院で、正門は格式の高い五間三戸の三門。
禅宗寺院ではあるが、三門は大仏様(天竺様)を基調とし、細部様式に禅宗様(唐様)と和様を組み合わせた独特の建築方式で建てられている。 また、上重・下重屋根の軒下の四隅に屋根を支える柱が設けられているが、豊臣秀吉が、安土桃山時代の天正十三年(1586)の大地震で破損した三門を修理した際に取り付けた補助柱で、「太閤柱」と呼ばれているようだ。 大仏様の特徴が強くみられるのは軒下の三手先の組物で、柱に挿した挿肘木によって前方に三段に張り出し、それを通肘木で繋いでいる構造。 禅宗様としては、上下に粽を施し、柱下に礎盤を入れた唐様円柱、上重の高欄の親柱の逆蓮頭など。 和様では繁(平行)垂木など。
壮大な伽藍の正門である三門が、偉容を誇って聳え立っている。 最初に目を引いたというより違和感を感じたのは、上重・下重屋根の軒下の四隅の支柱だ。 深い軒の屋根を大仏様の組物で支える構造だが、重みで屋根が垂れ下がるのを防ぐためとはいえ、支柱が風格を損なっているようで少し残念に思う。 とはいえ、垂木や組物など木口に胡粉が塗られた意匠は風雅さを感じさせ、素晴らしい。 最も興味がわいたのが、上下に粽がある円柱の下部に設けられた四角い穴で、いろいろ調べたが、穴を設けた理由は分からずだった。

△主要堂宇が一直線に配置された禅宗寺院伽藍の正門は、最も格式の高い五間三戸の三門(二重門)....大仏様(天竺様)を基調とし、禅宗様(唐様)と和様を組み合わせた建築方式

△入母屋造本瓦葺の三門(国宝)....室町時代応永三十二年(1425)の建立で、現存する禅宗寺院の三門の中で最古・最大級の二重門

△軒廻りは上重・下重いずれも二軒繁垂木で、大棟端に鳥衾を乗せた鬼瓦、拝に三つ花懸魚(妻飾は失念)....上重・下重屋根の軒下四隅の屋根を支える補助柱は、豊臣秀吉が修理の際に取り付けたことから「太閤柱」と呼ばれる

△上重・下重いずれも組物は大仏様の三手先で中備は通肘木に平三斗....上重の高欄は親柱に逆蓮頭を乗せている

△大仏様の三手先は,柱に挿した挿肘木によって前方に三段に張り出し、それを通肘木で繋いでいる構造....垂木や組物など木口に胡粉が塗られた意匠

△上重に掲げられている扁額「妙雲閣」は足利義持の直筆

△三門両側に設けられた切妻造本瓦葺の山廊(右側)....楼上へ昇る階段を覆っている


△三門に向かって左側の山廊/上下に粽がある円柱の下部に四角い穴が空いているが目的は不明

△三門の高さは約22メートル....楼上は仏堂になっていて宝冠釈迦如来像や16羅漢像などを安置
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