【奈良・奈良市】現存するわが国最大級の十三重石塔。
鎌倉時代の建長五年(1253)頃、宋の石工・伊末行によって建立された十三重石塔は、飛鳥時代の舒明天皇元年(629)、高句麗の僧・慧灌による開創とされる般若寺の境内に立ち、国の重要文化財に指定されている。
般若寺は、奈良時代の天平七年(735)、聖武天皇の勅願で行基により寺観が整えられ、平城京の鬼門を護る寺とされた。 平安末期の治承四年(1180)、源頼政を破り、東大寺や興福寺を焼いた平重衡の南都焼討にあって伽藍すべてが灰燼に帰したが、鎌倉時代に入って諸堂が復興されるに先立って十三重石塔が再建された。
奈良と京都を結ぶ旧街道(京街道)に面して建つ国宝の楼門を通して境内を覗くと、伽藍の中心に鎮座する大きな十三重石塔が見える。 境内にコスモスが咲く頃は、楼門を額縁とした美しい絵画のようになるだろうと想像した。
巨大な基壇の上に聳え立つ端麗な姿の十三重石塔は、まさに、般若寺のシンボルだ。 塔高は12.6メートルで、相輪と二層目の屋根は後補。 安土桃山時代慶長元年(1596)の大地震で相輪と上部の二重が落下して損傷、その後百年余り地に落ちたまま放置され、江戸時代元禄十三年(1700)に修理が始められた。 基壇の傍に、露盤から宝珠まで一石で造られた創建当初の旧相輪が、まるで十三重石塔を見守るかのように立っている。
石塔は、大きく造られた初層の屋根が安定感を醸し出し、軒下に一重の垂木型を設けた屋根は、緩やかに力強く反り、屋根が重なる各層の逓減率はほどよく美しい旋律を感じさせる。 奈良の寺社を始めとし、数多くの石塔が、般若寺十三重石塔を参考にして建てられているそうだが....。 初層軸部の四面には、線刻された二重円光背を負って蓮華座に坐す顕教四仏が薄肉彫りされている....合掌。
△京街道に面して建つ般若寺の入母屋造本瓦葺の楼門(国宝)....鎌倉時代文永四年(1267)頃の建立で、軒の出が深い
△楼門を通して眺めた境内に鎮座する十三重石塔(国重文)....鎌倉時代中期の建長五年(1253)、渡来した宋の石工・伊末行により建立....塔後方の切妻造本瓦葺のお堂は経蔵(国重文)
△一辺が12.3mの巨大基壇上に聳え立つ十三重石塔は現存最大の大きさ
△十三重石塔は花崗岩製で総高14.2m....二層目の屋根は江戸期の後補で軒下に垂木型なし
△初層軸部には二重円光背を負い蓮華座に坐す顕教四仏が線刻されている(四方仏は東面薬師如来、西面阿弥陀如来、南面釈迦如来、北面弥勒菩薩)/基壇脇に立つ旧相輪....創建当初のもので露盤から宝珠まで一石で造られている....旧相輪は慶長元年(1596)の地震で落下
△十三重石塔と旧相輪の間から眺めた般若寺の本堂
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