【大阪・泉佐野市】国指定文化財の中で現存する屋外にある日本最小の木造多宝塔。
鎌倉時代の文永八年(1271)の建立で、檜皮葺で塔高は約11メートル。 現存最古の石山寺の多宝塔および高野山金剛三昧院の多宝塔に次いで古く、これらは日本の多宝塔の三名塔とされる。
白鳳時代の天武天皇二年(673)、天武天皇(第40代)の勅願寺として覚豪阿闍梨によって創建された慈眼院(泉州の最古刹)の境内に建つ多宝塔で、「国宝」に指定されている。 多宝塔境内に建つ金堂(重文)の脇に、崩れかけた野面積基壇の遺構があって「多寶塔旧蹟」の碑が立つ。 明治時代、僅かな距離だがこの基壇から現在地に移築されたが、その理由は何故か明らかでないようだ。
本堂・庫裡後方の苔生に覆われた庭の先に、生垣に設けた2つの簡素な棟門があり、木立に囲まれたこじんまりとした境内に多宝塔と金堂がひっそりと建っている。 厳かな空間が広がる境内は、一面が緑の絨毯を敷き詰めたように鮮やかな苔で覆われ、棟門から多宝塔まで踏石が続いている。
本堂・庫裡の境内もそうだが、多宝塔・金堂の境内は手入れが行き届いていて実に気持ちがいい。 古色蒼然とした多宝塔は小規模なれどすごく味わいがある。 苔を踏みつけないよう細心の注意を払いながら撮影していたら、多宝塔の建ち姿に何か不安定さを感じた。 それは多分、上層の円形の塔身が細目なので下層の身舎が大きく見えるのと、低い塔高に対して床がかなり高めに張られているからではと思った。
庫裡・客殿後方の苔に覆われた美しい庭/後庭の奥の生垣に2つの門があり、中に金堂と多宝塔が建つ....右の門は客殿から後庭を通って直接多宝塔境内に入る門
檜皮葺の多宝塔(国宝)....鎌倉時代文永八年(1271)の再建で、塔内に智拳印を結ぶ本尊金剛界大日如来像を安置
木造多宝塔は高さは10.8メートルで、国宝・重文に指定されている屋外に建つ多宝塔の中で最小
三間四方の中央間に板唐戸、脇間に連子窓と横羽目板、周囲に切目縁を巡らす
上層の軒廻りは二軒繁垂木で、組物は三手目と四手目が尾垂木の四手先
裳腰の下層は二軒繁垂木、組物は二手先で中備は中央間のみに本蟇股、軒天井と軒支輪がある....本蟇股は内側に刳り形が施され、脚間に飾り彫刻を入れている
上層の円形の塔身が細く見える....上下層の軒先の四隅に風鐸が下がる
金堂(重文)越しに眺めた多宝塔....金堂脇に遺構の野面積の基壇があり「多寶塔旧蹟」の碑が立つ....明治時代に現在地に移築された
緑の絨毯を敷いたような鮮やかな苔で覆われた境内に建つ国宝の多宝塔
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