何気ない風景とひとり言

寺社&石仏巡り、小さな旅、散策...ふと目に留まった何気ない風景...切り取って大切な想い出に!

妙満寺-(1) (京都)

2018年10月21日 | 寺社巡り-京都

【京都・左京区】室町時代の永徳三年(1383)、日蓮宗の僧・日什が六条坊門室町の富商・天王寺屋通妙の外護を得て屋敷内に法華堂を建立したのが草創とされる。 6年後の康応元年(1389)、伽藍を整備して妙満寺と号し、根本道場とした。
その後、火災や応仁の乱などの兵火に遭い、応仁の乱後は洛中の四条堀川に寺域を移して興隆したが、戦国時代の天文五年(1536)、比叡山僧徒による焼き討ち(天文法華の乱)で伽藍を焼失、妙満寺は泉州堺に避難した。 天文十一年(1542)、後奈良天皇(第105代)の法華宗帰洛の綸旨により旧地・四条堀川に再建されたが、安土桃山時代の天正十一年(1583)、豊臣秀吉の命により寺町二条に再移転した。 宗旨は顕本法華宗の総本山で、本尊は釈迦多宝仏。

山門前はツツジやスイレンなどが植えられた池泉庭園のような造りで、落ち着いた雰囲気が漂う。
池の真ん中に延びる切石敷の参道を歩み、山門をくぐると明るくて広い開放的な境内に聳える石造りの仏舎利大塔がまず目に飛び込む。
山門の直ぐ左手に鐘楼が建ち、吊り下がる梵鐘は有名な「安珍・清姫伝説ゆかりの鐘」だと思ってじっくり眺めたが、悲劇の伝説なのにそれが微塵も感じられない....当たり前?で、後で調べたら、その鐘は展示室に保管されていると分かった。
正面に向拝屋根がない大きな本堂が建つが、身舎と同じ幅の大きな階が本堂を一層大きく見せているようだ。 本堂の左手に巨大な石造りの仏舎利大塔が聳え建つ。 仏舎利大塔は約45年前、釈迦が悟りを開いた地であるブッダガヤ大菩提寺の大塔(高さ52メートル)を模して建てられ、高さ20メートルで5階建ての最上階には仏舎利を奉安しているそうだ。

寺号標石「総本山 妙満寺」越しに眺めた門前

門前の切石敷参道の両側に白と朱色の擬宝珠勾欄が設けられている、途中に池(放生池?)に石造り太鼓橋が架かり、朱塗り勾欄を設けている
 
初夏にはツツジ・スイセン・花しょうぶが咲き誇るようだ....山門両側に5本の定規筋が入った築地塀(筋塀)が延びる

切妻造本葺の山門(四脚門)....門柱の右に「顕本法華宗」、左に「妙塔学林」の聯

山門から眺めた境内....左手の筋塀の中に塔頭の四院(正行院、法光院、成就院、大慈院)がある

母屋造桟瓦葺の水屋....山門の直ぐ右手にあり、大きな丸い手水鉢を置く

切妻造本瓦葺で禅宗様の鐘楼....「安珍・清姫伝説ゆかりの鐘」で知られる梵鐘は展示室に保管されているのを後で知った

「安珍・清姫伝説ゆかりの鐘」とは紀州道成寺にあった鐘で、豊臣秀吉の紀州征伐の際に家臣仙石権兵衛が道成寺の竹藪から掘り出し、妙満寺に奉納したとされる

鐘楼に下がる梵鐘は、展示室に保管されている「安珍・清姫伝説ゆかりの鐘」に類似しているのだろうか?....伝説の鐘は高さ1メートルで、正平十四年(1359)の銘がある

山門から眺めた境内....白砂が敷き詰められ中央に切石敷の参道が正面の本堂に延びる....左手の筋塀の中に塔頭の正行院と成就院、奥に仏舎利大塔、右手に方丈と玄関がある

入母屋造本瓦葺の本堂....正面11間で全て腰高格子戸

向拝屋根がなく正面一間は吹放造り....吹放前の柱は4本で虹梁で繋いでいる

軒廻りは二軒繁垂木、虹梁の中備に透蟇股、吹放前の柱上に実肘木を乗せた平三斗
  
大きな階に設けられた朱塗りの擬宝珠登勾欄/宝形造り屋根の常香炉の側部に「三つ橘」の京都妙満寺の寺紋/反花で縁取りされている仏足石

本堂身舎と同じ幅の大きな階は本堂にどっしりとした重量感を漂わせる

大塔傍に妙満寺16世日泰上人と27世日経上人の石碑が佇む
 
石造りの仏舎利大塔....岩倉移転後の昭和四十八年(1973)、檀信徒の寄進で建立/仏舎利大塔の基壇四隅に置かれている大塔最頂部と同じ形の「ストゥーパ」
 
仏教最高の聖地であるインドブッダガヤ大菩提寺の大塔(本堂で高さ52メートル)を模して建立された角柱状の仏舎利大塔....高さ20メートルの石造5階建てで、最上階に仏舎利を奉安、また初階に釈迦如来像を安置
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