何気ない風景とひとり言

寺社&石仏巡り、小さな旅、散策...ふと目に留まった何気ない風景...切り取って大切な想い出に!

妙満寺-(2) (京都)

2018年10月25日 | 寺社巡り-京都

【京都・左京区】寺町二条に移転した以降、火災・宝永の大火・天明の大火・禁門の変(蛤御門の変/元治元年(1864))などによって伽藍の焼失・再建を繰り返した。
約280年間「寺町二条の妙満寺」として親しまれたが、明治の上知令などで寺域が狭くなったため、昭和四十三年(1968)、寺町二条から現在の岩倉の地に移転した。
顕本法華宗の開祖である日什は、比叡山で学んで天台宗の僧となり、玄妙という名で延暦寺の学頭になったが、66歳のとき日蓮の著書を読んで翌年日蓮宗に改宗、日什に改名した。 妙満寺が寺町二条から現在地に移転する際、塔頭・成就院に造営されていた枯山水の庭を本坊に移築した「雪の庭」が知られている。 比叡山を借景とした枯山水庭園は、成就院「雪・月・花の三名園」の一つとされる。

大きな「方丈」の額が掲げられた社務所に入り、本坊の前庭「雪の庭」に向かう。
本坊の中央に赤い絨毯が敷かれ、丸い座布団が整然と並んでいる。 奥の床の間に一幅の掛軸が掛けられているが、みると中央に赤鬼がユーモラスに描かれている。 面白い描写なので某TV局の「開運〇〇〇〇鑑定団」で価値を知りたくなった....欲深い性格がでたかな。
まずは、本坊の赤い絨毯から「雪の庭」を眺めるが、趣があり、まるで額縁の中の絵画のようで美しい。 吹き放しの広縁にでて、腰掛に座り、「雪の庭」をじっくりと鑑賞した。 比叡山を借景とした美しい枯山水の庭園は、流れる水のように白砂が敷かれ、石組と樹木を配して山水の風景を表現しているが、美しさ静けさが漂っていて心が癒される。 「雪の庭」の名の通り、冠雪の比叡山を借景としたときの眺望が最も美しいそうだ。

入母屋造桟瓦葺で妻入りの社務所....大棟に瓦屋根の煙出しを設けている

「方丈」の額が掲げられた社務所と右に玄関....社務所は一軒疎垂木で、柱上に舟肘木が乗る
 
棟端に獅子口が乗る唐破風の玄関              社務所の前にある「中川の井」

方丈と大唐破風の玄関....奥に本坊の屋根が見える

本坊は入母屋造桟瓦葺で、庭側に広縁を設けている
  
赤い絨毯に丸い座布団が整然と並ぶ....床の間に一幅の掛軸/掛軸の真ん中に赤鬼がユーモラスに描かれている....上方の木の上で鬼を見ている人物が....意味分からず

本坊から眺めた「雪の庭」....俳諧(俳句)の祖といわれる松永貞徳(1571~1653)が造営した枯山水の庭

成就院「雪・月・花の三名園」の一つとされる....他の2園は清水寺成就院本坊の「月の庭」と北野成就院(廃寺)の「花の庭」

本坊庭側に吹放しの広縁は切目縁
 
本坊の庭側の広縁は切目縁/「雪の庭」の北側に建つ大書院....大書院の左手に「安珍・清姫伝説ゆかりの鐘」が保管されている展示室がある

入母屋造本瓦葺の大書院....庭側に大きな入母屋破風屋根
 
本坊広縁の脇にある自然石で造立された蹲、何故か傍に石灯籠と石造りのカエル像が....

「雪の庭」は昭和四十三年(1968)に妙満寺が寺町二条からこの地に移転した際、塔頭・成就院の庭として造られていた庭で、造営当時の石組と植栽のまま本坊前庭として移築した

比叡山を借景とする枯山水庭園....広縁に立つと遠くにうっすらと比叡山が見える
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 妙満寺-(1) (京都) | トップ | 安楽寺の八角三重塔 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

寺社巡り-京都」カテゴリの最新記事