【京都・上京区】室町幕府三代将軍足利義満により、夢窓国師を勧請開山として明徳三年(1392)に創建され、創建当時は50あまりの塔頭寺院を有した。
2年後、失火で焼失したが義満が直ぐに再建を開始し、応永三年(1396)に仏殿を完成、その3年後に高さ109mの七重塔を完成したが4年後落雷で焼失。
更に、応仁の乱(1467~1477)の兵火で諸堂は殆ど灰燼に帰し、その後も再建と焼失の歴史を繰り返した。
臨済宗相国寺派の大本山で、天竜寺に次ぐ京都五山第2位に列せられる名刹であり、宗教界だけでなく、広く政治、文化面に活躍した多くの高僧を輩出。
総門をくぐると、直ぐ左手に天界橋が架かる放生池があり、池の中では可憐な蓮の花が咲き出していた。
勅使門と放生池と法堂が一直線上に並び、放生池と法堂松の間にあった山門址と仏殿址には松の木が植えられている。
まずは我が国に現存する中で最古の法堂を拝観....約410年前に豊臣秀頼により建立され、天明八年(1788)の大火で延焼を免れた堂々たる建物だ。
法堂の後ろの境内参道の奥に、大きい破風や壁面が印象的な妻入の庫裡が建ち、小さな唐破風屋根をもつ小さな桟唐戸の入口とその両側の小さな花頭窓がとても印象的だった。
総門(薬医門)..江戸時代末期の建立
勅使門(四脚門)..安土桃山~江戸時代の慶長期(1596~1615)建立
蓮の花が咲く放生池に架かる天界橋
総門近くから眺めた緑の多い境内..左手は法堂、右奥に庫裡が見える
仏殿址の奥に建つ法堂(本堂)..室町時代の元中九年(1392)創建
法堂..慶長十年(1605)に豊臣秀頼により再建された入母屋造本瓦葺裳階付きの唐様建築
法堂は「無畏堂」と称し、仏殿を兼ねている..現存法堂の中で最古
法堂と玄関楼..法堂には釈迦如来像と脇侍の阿難・迦葉両尊者像を祀り、更に夢窓疎石像、足利義満像を安置
法堂脇の参道の対面に建つ弁天社と鐘楼
法堂と開山堂の渡り廊下から眺めた庫裡
「香積院」と呼ばれる庫裡..切り妻が目立ち、大きい破風や壁面が特徴
庫裡と方丈(左奥)..文化四年(1807)の再建
唐破風を有す桟唐戸の小さな入口と両側の花頭窓そして白壁が美しい
「宣明」と呼ばれる浴室..慶長元年(1596)再建(創建は室町時代応永七年(1400)頃)
「洪音楼」と呼ばれる袴腰付きの鐘楼..天保十四年(1843)再建、梵鐘は江戸時代寛永六年(1629)鋳造
宝珠を乗せた経蔵(宝塔?)
江戸時代ノ文化七年(1810)建立..高麗一切経を収納
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