
【長野・上田市】真田氏館跡は真田氏本城跡から800m南西に位置し、真田氏の始祖・真田幸隆の三男・昌幸が天正十一年(1583)に上田城を築城する以前の居館があったとされる。
真田氏館跡は中世豪族の居館の形態がほぼ完全な形で保存されている貴重な遺構とのこと。 館跡は周囲約520mの台形で、敷地の周りには土塁が設けられ、東側から西側にかけて緩く傾斜している。 敷地の中央を南北に道が横切り、南方が表正面で「大手門」が、北方には「搦手門」があったようだ。
中央の道を挟んで西側を西曲輪、東側を東曲輪といい、東曲輪の上段には真田昌幸が上田城へ移る際、居館の荒廃を憂いて伊勢神宮の御分霊を勧請したと伝わる皇太神社が祀られている。
時々小雨降る中での訪問だったが、館跡には南東の角にあったとされる小規模の門の跡から入ったようで、最初は真田氏館跡の全容が分からず、傘を差しながら皇太神社の社殿や境内社などを撮影するだけだった。 最後に参道を西に下って鳥居に行き、近くにある「御屋敷公園」などの案内板を見てやっと館跡の全容を知った。
それにしても 、集めたパンフなどには真田氏館跡の地形については紹介されているが、何故か「皇太神社(又は御屋敷皇太神社)」についての記載は殆ど皆無なので不思議に感じた。
真田氏館跡の東奥に隣接する「真田氏歴史館」を訪問したが、その日はちょうど休館日で残念だった。


「御屋敷公園」の案内板..土塁で囲まれた黄色い部分が真田氏館跡/園内に建つ「頌徳碑」

土塁南面にあったとされる「大手門」付近からの眺め..道奥の北面に「搦手門」があった..道の左側が西曲輪、右側が東曲輪

東曲輪の上段に皇子神社が鎮座している


木造り神明鳥居..牛蒡注連と見られる注連縄がダラリと張られている/簡素な切妻造銅板葺の手水舎

参道から眺めた皇子神社の社殿


御手水石越しに眺めた社殿..飾手水鉢の「御手水石」は寛永六年(1629)又は宝永六年(1709)の造立で、水鉢正面他の紋様(立葵、稲穂、剣にて千切の紋)から徳川家臣の本多家(真田信之の正室小松姫の生家)から真田家に贈られたと伝える

切妻造銅板葺の平入の皇子神社の拝殿


神明造風屋根の拝殿の大棟に外削ぎの千木と9本の堅魚木が乗る..連子付桟唐戸、脇間に連子窓/拝殿の内部..二つの御幣と玉串らしき神具が見える


切妻造桟瓦葺の神楽殿 拝殿から少し離れた後方に本殿が建つ

社殿の周囲の境内に幾つかの境内社が鎮座している

基壇の上に鎮座する本殿の正面..手前は切妻造銅板葺き神門

神明造風屋根の神門の大棟に外削ぎの千木と5本の堅魚木が乗る


神明造風屋根で切妻造銅板葺きの覆屋に本殿が鎮座..覆屋の大棟に外削ぎの千木と9本の堅魚木が乗る/流造(と思う)茅葺の本殿

境内に石祠型の境内社等が鎮座している



舟形光背の青面金剛(日月)..珍しい四臂、足元の邪鬼と三猿は見当たらない/入母屋造り軒唐破風付き石祠型の八幡宮/切妻造り石祠型の天神宮
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