何気ない風景とひとり言

寺社&石仏巡り、小さな旅、散策...ふと目に留まった何気ない風景...切り取って大切な想い出に!

願行寺 (上田)

2018年05月09日 | 寺社巡り-長野

【長野・上田市】室町時代の天文年間(1532~1555)、海野幸義が祖先棟綱(真田家の始祖真田幸隆の義父)の菩提を弔うため海野郷に御堂を造営し、松誉岌香上人を招いて創建した。 天正十四年(1586)、海野氏の血脈を継ぐ真田幸隆の三男・昌幸が上田城を築城した際、城下に岌譽道山上人を招いて中興開山し真田家が庇護した。
城下町整備の際、海野郷から城近くの厩裏街に移転され、その後、元和七年(1621)、真田昌幸の長男・信幸(信之)によって現在地に移された。 江戸期と明治に火災で堂宇を焼失した。
現本堂は昭和五年(1930)の建立。 大正十四年(1925)の都市化整備(丸子軽便鉄道上田東駅設置)に伴って広大な境内が大幅に開削され、江戸初期の元和年間(1615~1624)に造営された広大な境内に建つ多くの堂宇が取り壊され、現在地に移転した。 宗旨は浄土宗で、本尊は阿弥陀如来像で鎌倉末期~室町初期の作。

大正十四年(1925)の都市化整備に伴って現在地に移転したが、江戸期と明治に火災で殆どの堂宇を焼失したので残存する建築物の遺構は享保三年(1718)建立の山門だけのようだ。
道路に面して北面で建つ山門は、大棟両端に鯱そして軒唐破風に獅子口が乗る四脚門で、桃山建築の様式と風格を伝えている。 山門角柱の下部に珍しい木製の礎盤が設けられている。
興味を引いたのは木鼻で、禅宗様の木鼻の下に、更に装飾的な獅子と象の掛け鼻(懸け鼻)を設けていることだ。

享保三年(1718)建立の切妻造本瓦葺の山門は四脚門..桃山建築の様式と風格を伝える....唐様四脚門といわれている

正面に獅子口を乗せた軒唐破風....大棟端に鯱を乗せている
 
「功徳山」の額を掲げた山門....禅宗様木鼻の下に獅子と像の掛け鼻を設けている....また水引虹梁の中備に蟇股/装飾的な木鼻である掛け鼻(懸け鼻)は獅子と像の彫刻
  
5個の乳金物が付いた厚手の板扉/山門角柱の下部の珍しい木製礎盤/境内側から見たた山門..境内側に唐破風無し

境内側の禅宗様木鼻と龍の掛け鼻

入母屋造本瓦葺の本堂..擬宝珠高欄付き高欄、脇間三間の一間に小さな花頭窓

江戸期と明治に数回の火災に遭い、現本堂は昭和五年(1930)に建立
 
正面三間は両折の連子付き桟唐戸で黒の辻金具が目を引く/扉の上に「功徳無窮」の扁額が掲げられている....鰐口が下がる
  
境内隅の覆屋に鎮座する社..束に「天満大自在天神宮」の額が掲げられている/切妻造銅板葺で妻は唐破風造り
 
小さいが精緻な造りの社..高欄奥の脇障子に透かし彫り彫刻が施されている/扉が腰高格子戸で脇間に鳥などの透かし彫り装飾彫刻がある

唐破風懸魚は鶴の彫刻、虹梁上に寺紋が入った大きな蟇股、獅子の木鼻

狭い境内に建つ向唐破風玄関の建物は客殿かな

庫裏
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