
【京都・東山区】明治元年(1868)、明治維新実現のために倒れた千人を超える諸藩の志士たちの御霊を奉祀するため、明治天皇の発案で京都霊山の山頂に創建。
この地は、幕末期において尊王派の志士達の聖地とされ、最初の頃は官祭の二字を冠して霊山官祭招魂社と称していた。 京都霊山護国神社には坂本龍馬、中岡慎太郎、木戸孝允らの多くの志士達が静かに眠っている。 また、護国神社は京都神社とも言われ、大東亜戦争に従軍して亡くなった英霊が祀られていて、靖国神社より古い歴史を持つ。
東大路通りから京都霊山護国神社へ向かう参道「維新の道」を進むと、「京都霊山護国神社」の碑と大きな明神鳥居が立つ。
鳥居をくぐって上り坂を進むと、左手に神社へ誘うように石灯籠群が....坂を上りきると京都霊山護国神社だ。 境内に入ると正面に質素な造りの入母屋造りの拝殿が....本殿は坂本竜馬らが眠る墓所に向かう石段から屋根の部分だけ見える。石段を上って神明鳥居を構えた坂本龍馬と中岡慎太郎の墓に....二人の墓石がひっそりと並んで立つが、明治維新実現に大きな働きをした志士の墓にしては想像していた以上に規模が小さく質素で、意外だった。

参道「維新の道」に立つ大きな明神鳥居

神社へ誘うように立つ石灯籠群

入母屋造りの拝殿

護国神社の全景..拝殿後方に千木と堅魚木を乗せや本殿の屋根が見える

質素な造りの拝殿


拝殿の近景

拝殿に掲げられた「霊山招魂社」の額

齋館前に建つ手水舎


境内右手に立つ碑群..後方の霊山の石段を上ると中腹に墓所/最初に坂本龍馬と中岡慎太郎の像

神明鳥居が立つ土佐藩士・坂本龍馬と中岡慎太郎の墓所


慶応3年(1867)に近江屋で暗殺された坂本龍馬(海援隊隊長)と中岡慎太郎(陸援隊隊長)の墓が並ぶ


長州藩士・木戸孝允(桂小五郎)の墓..左横に同志で京都の芸妓だった妻の幾松(木戸松子)が眠る

坂本竜馬の墓前から望む京都..八坂の塔が見える

従軍記念公園「昭和の杜」
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