対話とモノローグ

        弁証法のゆくえ

弁証法とディアレクティケー

2005-03-27 | 弁証法
 弁証法の語源はギリシア語のディアレクティケーだと言われています。ディアレクティケーはもともと形容詞で、ヘー・ディアレクティケー・テクネー(対話術、問答法)のように、女性名詞のテクネー(術)、デュナミス(能力)、エピステーメー(知)などと続くのが、基本的な用法ということです。弁証法の語源としては、テクネーが省略された形と考えられています。

 ディアレクティケーと関連する語には、名詞のディアロゴス、動詞のディアレゲイン、ディアレゲスタイがあります。
 ディアロゴスは、対話や問答で、ディア(分かつ、区別する)という接頭語とロゴスから成り立っています。ダイアローグの語源です。ロゴスは、レゲインという動詞から派生したもので、話、言葉、理論、理法などの意味をもっています。レゲインには、言う、話す、集めるという意味があります。
 ディアレゲインは、ディア(分かつ、区別する)という接頭語とレゲインから成り立っていて、選別するという意味になります。また、ディアレゲスタイは対話するという意味です。(茅野良男『弁証法入門』参照)
 
 藤沢令夫によると、ディアレクティケーは、プラトンが『国家』で作ったことばということです。しかし、プラトンは問答法や対話術としてディアレクティケーを使ったのは、2回だけで、同じ内容を動詞の不定法(「問答(対話)すること」)で表現していたと言っています。それは、ソクラテスの対話の精神を継承する姿勢を表わしていると考えられています。
 ところが、プラトンのこの姿勢は、置き去りにされ、2回しか使われていないディアレクティケーは、ひとり歩きを始めたといいます。

 この探求が行なわれる領域は、「ロゴスがそれ自身で、問答(対話)することの力によってこれを把握する」と言われている。「問答(対話)すること(ディアレゲスタイ)の力」というのは、先へ進んでから出てくる「ディアレクティケー」(問答法、対話術)と同じ意味を表わすが、プラトンでは、述語化されたこの女性形容詞「ディアレクティケー」はただの二回しか現われず、いま見られた「問答(対話)すること」(の力、知識)という、動詞の不定法を使った言い方のほうがずっと多い。そういう具体的なニュアンスの表現を用いることによってプラトンは、自分の構想した哲学固有の行程が、生前のソクラテスが行なっていた問答・対話の精神に根ざし、それをまっすぐに継承するものであることを、示そうとしているように思われる。
 他方、ただの二回しか現われない「ディアレクティケー」という専門用語的な名詞は、プラトン以降ひとり歩きを始め、アリストテレスから近・現代に至るまで、それぞれの国の語形にそのまま移されて(dialectic, Dialektik, dialectique, etc.)、さまざまの――必ずしも原義どおりではない――意味内容をこめて多用されてきた。特にわが国では、これがなぜか「弁証法」という意味不明瞭な言葉に変えられて、この硬直した訳語が万能の魔法の杖のように乱用された。(『プラトンの哲学』)

 藤沢令夫は、プラトン以降、ひとり歩きを始めた弁証法の歴史を否定して、プラトンの対話の精神にもどるべきであると主張しているように思えます。

 ひとり歩きを始めた弁証法の歴史。たとえば、アリストテレスがゼノンを弁証法の創始者と考えたのは、ひとり歩きの第一歩のように思えます。また、ソフィストの詭弁的な推論を弁証法と考えたのは、その第二歩のように思えます。さらに、中世から近世にかけて、弁証法を(形式)論理学と考えていたのは、プラトンとは何の関係もないと思われます。ひとり歩きの極めつけは、ヘーゲルとマルクス主義の弁証法だと思われます。ここでは、対話が排除され、矛盾が導入されています。

 わたしは、ヘーゲル弁証法の合理的核心はヘーゲルからマルクス主義への方向ではなく、ヘーゲルから古代ギリシアへの方向にあると考えています。(「5番目の弁証法」を参照してください。)ですから、藤沢令夫の姿勢に基本的に賛成です。
 しかし、わたしは「弁証法」を「意味不明瞭な言葉」とは思わないし、「硬直した訳語」とも考えません。むしろ、ディアレクティケーと正確に対応した訳語ではないかと考えています。
 「意味不明瞭」・「硬直」は、「dialectic」や「弁証法」という形式にあるのではなく、そこに盛り込まれた内容にあると考えます。

 ふたたび、茅野良男『弁証法入門』を参照させていただきます。

 弁証法は旧字体では、辨證法や辯證法と書かれていました。「辨」の意味は、分ける、わきまえる、考えわける、区別するです。他方、「辯」の意味は、分ける、明らかにする、言い争うです。また、辨も辯も、半分、という原意を持っています。一方、「證」は、人に言を升進する、告げるという意味です。

 辨も辯も、半分、分けるという意味を共通にもっていて、わける、区別する、わきまえるという方向に位置づくのが辨であり、言葉、言論による話しぶりを強調したのが辯です。辨は、認識的な意味が強く、辯は表現的な意味が強いといえるかもしれません。

 茅野良男は次のように要約しています。

  「辨證法」――辨別し證明する、わかち区別しつつ、人に言を告げる、そのおきてやきまり、仕方や方法

  「辯證法」――言葉や話しぶりによる證明のおきてやきまり、仕方や方法

 戦前は、辯證法より辨證法の使用度のほうが高いということです。

 武市健人は、「弁証法」(『弁証法の問題』所収)の中で、二つの訳語をくらべて、「辯證法」の方がよいと言っています。

 訳語として弁証法には、「辯證法」と「辨證法」との二つの書き方が行なわれているが、ギリシア語の語源からいっても、辯證法の方がよい、辨は「わきまえる」、「判別する」の意味で、どちらかというと主観的、観念的な匂いが強いからである。

 わたしは、反対に、どちらかというと「辨證法」の方がよいのではないかと考えます。弁証法は、対話をモデルとした「思考」方法で、「認識」における対立物の統一と考えているからです。いいかえれば「認識の弁証法」には、「主観的、観念的な匂い」が避けられないと考えるからです。
 しかし、違いにこだわるわけではありません。旧字体の「辨證法」や「辯證法」の簡略体が「弁証法」なのですから、違いを認めた上で、その複合的な意味が「弁証法」に保存されていると考えればよいと思われます。
 弁証法の「弁」はディアレクティケーの「ディア」と対応し、「証」は「レクティケー」と対応していると考えます。

 ところで、「辨證」ということばが、はじめて現われたのは、明治の初年で、西周によるものです。しかし、これは、dialecticの訳としてではなく、discoursiveの訳語としてです。
 はじめてdialecticが訳されたのは、明治14年で、「敏辨法」という訳語でした。(『哲學字彙』井上哲次郎編)この由来はよくわからないということです。
 また、明治16年に、井上哲次郎は、dialecticに「辨證式」という訳語をあてています。
 Dialektikが、はっきり「辨證法」と訳されたのは、三宅雄二郎『哲學涓滴』(明治22年)がはじめてといいます。しかし、三宅はヘーゲルのDialektikを、「三斷法」と訳しています。
 ヘーゲルのDialektikを、はじめて「辨證法」と訳したのは、中島力造「ヘーゲル氏の辨證法」(明治24年)ということです。また、中島はカントのDialektikを「辨證論」と訳しています。
 「辯證法」という訳語は、桑木嚴翼『哲學概論』(明治33年)がはじめてのようです。

参考文献
  茅野良男『弁証法入門』講談社現代新書 1968年
  武市健人『弁証法の問題』福村出版 1971年
  藤沢令夫 『プラトンの哲学』岩波新書 1998年



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