対話とモノローグ

        弁証法のゆくえ

5番目の弁証法

2005-01-27 | 弁証法
 弁証法は、対話をモデルとした思考方法で、認識における対立物の統一です。これがわたしの考えです。複合論と名づけています。
 この複合論(弁証法の理論)の位置づけを試みてみたいと思います。

 「大辞林(国語辞典)」の「弁証法」の項は、4種類の弁証法を、時代順に要約しています。これを下敷きにして、わたしの考えを示したいと思います。
 
(1)古代ギリシャで、対話などを通して事物の真の認識とイデアに到達する、ソクラテス・プラトンにみられる仮説演繹的方法(問答法)をいう。アリストテレスでは、確からしいが真理とはいえない命題を前提とする推理をさし、真なる学問的論証と区別される。

(2)カントでは、経験による裏付けのない不確実な推理を意味し、それを純粋理性の誤用に基づく仮象の論理学ととらえる。

(3)矛盾を含む否定性に積極的意味を見いだすヘーゲルでは、有限なものが自己自身のうちに自己との対立・矛盾を生み出し、それを止揚することで高次なものへ発展する思考および存在を貫く運動の論理をさす。それは思考と存在との根源的な同一性であるイデーの自己展開ととらえられる。ヘーゲル弁証法。

(4)マルクス・エンゲルスでは、イデーを展開の主体とするヘーゲル弁証法の観念論を批判し、自然・社会および思惟の一般的運動法則についての科学とした。

 大まかにいえば、わたしの試みは、ヘーゲル以前に弁証法を戻すということです。「思考と存在との根源的な同一性であるイデーの自己展開」とか、「自然・社会および思惟の一般的運動法則についての科学」とかは、弁証法の肥大した異常な姿に他なりません。
 弁証法は推理である。これが、弁証法の自然な姿であると考えます。

確からしいが真理とはいえない命題を前提とする推理

経験による裏付けのない不確実な推理

 弁証法は不確定な推理ですが、ここに新しい価値と意味が作られていくと考えるのです。弁証法はアイデア(仮説)を思いつくかもしれない推理なのです。複合論にあるのは、単なるアイデアです。崇高なイデアも、根源的なイデーもありません。 

 ヘーゲル弁証法の合理的核心は(3)から(4)の方向ではなく、(3)から(1)の方向にあると考えます。すなわち、「矛盾」を継承するのではなく、「矛盾」を排除し「対話」を導入することによって、合理的核心は把握できると考えます。

 わたしは「論理的なものの三側面」の規定(ヘーゲル『小論理学』)を解体して、矛盾ではなく、対話を核心に据えた弁証法を構想しました。古代ギリシャの「対話」をヘーゲルの用語で表現することによって、新しい弁証法の理論を提起しようと試みたのです。

 複合論には、「対話」と「止揚」が含まれています。

 古代ギリシャの弁証法を「正」、ヘーゲルの弁証法を「反」とすれば、複合論は「合」といえるのではないかと思います。