対話とモノローグ

        弁証法のゆくえ

20年後の『演繹・帰納 仮説設定』

2024-05-28 | ノート
中山正和の『演繹・帰納 仮説設定』(1979年)を最初に読んだのは2000年頃である。地元の図書館が年に一回、在庫の本を無料で放出するイベントがあり、そのとき手にしたのである。なかなか読み進められなかった。難しかった。今思うと基礎がなかったと思う。パースの現象学のカテゴリーの表、記号の表(3×3=9)、3つの推論の位置づけの表があったが、ほとんど対処できなかった。またアタマの働きとして脳のモデルが提示してあったが、まったく関心がなかった。

20年経って、ようやくわかるようになった。

中山は推論(演繹・帰納)と発見(仮説設定)を分離して捉えていた。
推論(演繹・帰納)
〔W・R〕⇆〔W・S〕+〔I・S〕
発見(仮説設定)
〔S→O〕→〔I・S〕


これをこんど次のようにまとめた。
推論(演繹・帰納・仮説設定)
〔W・R〕⇆〔W・S〕+〔I・S〕←〔S→O〕


中山はパースがキリスト教の刷り込みによって、アブダクションを論理(コトバ)として捉えていると考えた。中山は、アブダクションは「論理」ではなく「発見」であり、発見(仮説設定)〔S→O〕→〔I・S〕をコトバによらない「仏の知恵」(いのちの知恵)として現れるという見解を示した。しかし、パースのアブダクションをあらためて検討すると、パースは「正しく推測する本能的能力」をアブダクションの基礎に見ていた。これは、「仏の知恵」(いのちの知恵)といってもいいものだと思う。