オイラーの公式は、数学で最も美しい式といわれている。たんに美しいだけでなく、実用的にもすぐれている。それは、異なる種類の二つの関数、指数関数と三角関数を結びつけるもので、次のような式で表される。
eix = cos x+i sin x
ここの x に、π を代入して変形すると、起源がまったく異なる e (自然対数の底)と i (虚数単位)と π (円周率)と 1 (乗法の単位元)と 0 (加法の単位元)とが、次のような関係になっていることがわかり、感動する。
eiπ+1=0
遠山啓はオイラーの公式を、太平洋と大西洋を結ぶ「パナマ運河」と形容していた。また、吉田武は「虚」と「実」、「円」と「三角」を結ぶ「不思議の環」と形容した。ファインマンは「宝石」とよんでいる。
この公式は、18世紀にオイラーが導びいたものである。ふつうの教科書では、この公式は、指数関数 eix ・三角関数 cos x と sin x のマクローリン展開を比較することによって、説明されている。しかし、これは、オイラーの発想とは違っている。
志賀浩二は『無限のなかの数学』において、「オイラーは、円のn等分を極限まで追っていくことを、虚数の世界から眺めたのです」とオイラーの発想を特徴づけていた。
わたしは志賀浩二の指摘を少しずらしたところにオイラーの発想を見るべきではないかと思った。というのは、志賀の指摘では、「極限」が主となり、「虚数」が従のような印象をもったからである。
「極限」と「虚数」をともに主従の関係として見ること、「極限」と「虚数」を同等に扱うことによって、オイラーに近づけるのではないか。
「極限」と「虚数」の複合である。
オイラーが結びつける2つの「論理的なもの」。一つは、虚数単位が入った形でのn倍角の公式である。もう一つは、自然対数の底の極限による定義式である。前者には、虚数はあるが極限はない。後者には、極限はあるが虚数はない。
オイラーはこの2つを混成する。一方で、n倍角の公式に極限が導入される(n→∞)。他方で、指数に虚数が導入される(ex→eix)。混成されることによって2つとも「極限」と「虚数」の形を整えるのである。混成モメントの形成である。
志賀浩二は次のように述べている。
そうすること(n倍角の公式を変形し、nをかぎりなく大きくすること――引用者注)により等分点を極限まで追いつめ、円弧の長さと半弦の長さの違いなど霧のなかに消えてしまうような究極の場所にオイラーははじめて立つことができたのです。その場所でそれまでだれも予想したことのなかった夢のような一つの公式を導いたのです。それがオイラーの公式でした。
志賀が指摘する「究極の場所」は、わたしにとっては「混成モメント」が形成された場所である。
指数関数と三角関数という異なった2つの関数を結びつけるオイラーの発想は複合論で把握できるのではないだろうか。
以前の稿を少し改めたので、案内する。
オイラーの公式と複合論