対話とモノローグ

        弁証法のゆくえ

弁証法の共時的構造と通時的構造

2011-05-08 | 案内

 弁証法の共時的構造は、「二個の主体」「「媒介性と相補性」など中埜肇が対話の特徴としてあげた要素をアルファベットと矢印で表示し、選ばれた2つの「論理的なもの」の自己表出と指示表出(中央にある bi + a と c + di)から、混成モメント(両側の a + di と c + bi) が形成される構造を表現している。

c bi + a di
+       +
bi c + di a

 弁証法の通時的構造は、認識における対立物の統一の過程を表わしたもので、いわゆる正反合の図式に対置している構造である。A =a+bi と A' =c+di を、複素数の掛け算をモデルにして、B=x+yi として複合する過程を表現している。

1(選択) A =a+bi
A' =c+di
2(混成) A×A' =(a+bi)×(c+di)
≒(a+di)×(c+bi)
3(統一) =(ac-bd)+(ab+cd)i
=x+yi
=B

 アルファベットで弁証法を表現する。ここにわたしの研究の特異性があった。

   ひらがな弁証法2010 

    第4章 終局――ひらがな弁証法

      1 弁証法の共時的構造と通時的構造


「ひらがな弁証法2010」への案内

2011-03-27 | 案内
「ひらがな弁証法2010」は、昨年(2010年)これまでの考えを総括するつもりで取り組んだものである。弁証法試論2003の改定である。
 わたしたちがめざしていたのは弁証法の新しい考え方である。それは新しい媒介の論理である。わたしたちはその論理は
  1 対話をモデルとした思考方法(中埜肇)
  2 認識における対立物の統一(上山春平)
に表われていると思えた。この二つの「媒介の論理」からヘーゲルの影響を取り除けば、実現できると考えた。

         ひらがな弁証法2010




「ひらがな表出論」ってなに?

2010-05-09 | 案内
 弁証法の共時的構造を、論理的なものの動きに着目して、「ひらいて、むすんで」と表現した。そして、共時的構造そのものを「ひろがるかたち」と表示した。また、弁証法の通時的構造の場合、論理的なものの動きについてみたときは、「ふたつをひとつに」とあらわし、通時的構造じたいについては「つながるかたち」と表示した。こんどは「論理的なもの」に想定している自己表出と指示表出を、ひらがなとつなげてみた。

 
 ひらがな表出論

 目次

 1 理性と悟性の違い
 2 記号の2つのグループ
 3 悟性とつながる記号(詞)、理性とつながる記号(辞)
 4 自己表出は「辞」である、指示表出は「詞」である。
 5 表出の波動説と粒子説 
 6 「辞」は「ひらがな」、「詞」は「漢字」
 7 自己表出は「ひらがな」の表出、指示表出は「漢字」の表出
 8 「論理的なもの」への応用
 9 ひらがな表出論
 10 ひらがな表出論の具体例


 自己表出は理性に基づいている。自己表出は関係の表出であり、「辞」に表われる。指示表出は悟性に基づいていて、指示の表出である。これは「詞」と関連している。助詞や助動詞、接続詞がひらがなで書かれることが多く、名詞、動詞、形容詞が漢字で書かれることが多いことに着目すれば、自己表出は「ひらがな」の表出ということができる。一方、指示表出は「漢字」の表出ということができる。

  ひらがな表出論



弁証法を創作する 2009

2009-12-28 | 案内
 今年は相対性原理の誕生過程と弁証法(複合論)の関係について、考察していく予定だった。ところが、「アインシュタインがヘルムホルツから引き継いだもの」を書いた頃から、風向きが変ってきた。
 前へ進めないような感じになってきたのである。ひとまず、「双子のパラドックス――弁証法1905(Ⅰ)」をまとめ、自分の足元を見つめ直すことにした。
 12月になって、弁証法の理想型を探究する試みを、「弁証法を創作する」と表現してみた。とてもいい感じである。また、進むことができると思う。
 弁証法をつくる姿勢がよく表われているブログの記事を8編えらび、「弁証法試論」への「まえがき」とする。

    弁証法を創作する 2009

  目次      
   1 赤と白の『弁証法の系譜』
   2 弁証法の理想型と現実型
   3 悟性の二重性
   4 弁証法を形式化する試み
   5 止揚はヘーゲル弁証法の合理的核心である
   6 高校講座「弁証法」―― 「向日葵(ひまわり)の弁証法」から「光(ひかり)の弁証法」へ
   7 弁証法をつくる――PLDの複合
   8 表出論の系譜

『「偶然性の内面化」と弁証法』への案内

2009-09-12 | 案内

 『弁証法と「偶然性の内面化」』を自分がいつも使っているのとは違うパソコンで見ていたら、「二つの展開図」の図が表示されていないことがわかり、驚いた。自分が使っているパソコンでは表示されていたからである。

 まず、原因を調べ、表示できるようにした。原因の一つは、図の呼び出しを、わたしのパソコンだけから読みとる指示で書いていたことである。これではせっかくアップロードしても、サーバーには番地がないことになる。もうひとつは、ある図は、そもそもアップロードしていなかった。これでは、人のパソコンには図は表示されないことになる。

 なぜこのようになったのかは、よくわからない。おそらく、ブログ「二つの展開図」のHTMLを元に作ったのが原因だったのではないかといまは思う。とにかく、確認不足だった。実にプログラムは正確であると、感心しながら、指示を訂正した。

 履歴を調べてみると、前回の改訂は昨年の8月である。ほぼ1年間、図が表示されないまま公開していたことになる。

 訂正しながら、ついでに「束縛された偶然性」(「対話とモノローグ」の記事)を追加しようと思い、実行した。そして、タイトルも『「偶然性の内面化」と弁証法』のほうがしっくりくるような気がして、「偶然性の内面化」と「弁証法」の順序を入れ替えた。

 「偶然性の内面化」は「弁証法」である。この考えを提起している。

 「偶然性の内面化」と弁証法

   1 はじめに
   2 「偶然性の内面化」の定式
   3 偶然性の定義
   4 二元結合(バイソシエーション)と偶然性
   5 様相性の二つの体系
   6 様相性の第三の体系
   7 「偶然性の内面化」のモデル
   8 様相性の第三の体系と複合論
   9 止揚の過程と様相性
   10 「偶然性の内面化」の定式と複合論
   11 様相性の第二の体系と表出論
   12 偶数と弁証法
   13 二つの展開図
   14 束縛された偶然性


「オイラーの公式と複合論」への案内

2009-02-01 | 案内

 オイラーの公式は、数学で最も美しい式といわれている。たんに美しいだけでなく、実用的にもすぐれている。それは、異なる種類の二つの関数、指数関数と三角関数を結びつけるもので、次のような式で表される。
 
  eix = cos x+i sin x

 ここの x に、π を代入して変形すると、起源がまったく異なる e (自然対数の底)と i (虚数単位)と π (円周率)と 1 (乗法の単位元)と 0 (加法の単位元)とが、次のような関係になっていることがわかり、感動する。

   e+1=0  

 遠山啓はオイラーの公式を、太平洋と大西洋を結ぶ「パナマ運河」と形容していた。また、吉田武は「虚」と「実」、「円」と「三角」を結ぶ「不思議の環」と形容した。ファインマンは「宝石」とよんでいる。

 この公式は、18世紀にオイラーが導びいたものである。ふつうの教科書では、この公式は、指数関数 eix ・三角関数 cos x と sin x のマクローリン展開を比較することによって、説明されている。しかし、これは、オイラーの発想とは違っている。

 志賀浩二は『無限のなかの数学』において、「オイラーは、円のn等分を極限まで追っていくことを、虚数の世界から眺めたのです」とオイラーの発想を特徴づけていた。

 わたしは志賀浩二の指摘を少しずらしたところにオイラーの発想を見るべきではないかと思った。というのは、志賀の指摘では、「極限」が主となり、「虚数」が従のような印象をもったからである。

 「極限」と「虚数」をともに主従の関係として見ること、「極限」と「虚数」を同等に扱うことによって、オイラーに近づけるのではないか。

 「極限」と「虚数」の複合である。

 オイラーが結びつける2つの「論理的なもの」。一つは、虚数単位が入った形でのn倍角の公式である。もう一つは、自然対数の底の極限による定義式である。前者には、虚数はあるが極限はない。後者には、極限はあるが虚数はない。

 オイラーはこの2つを混成する。一方で、n倍角の公式に極限が導入される(n→∞)。他方で、指数に虚数が導入される(e→eix)。混成されることによって2つとも「極限」と「虚数」の形を整えるのである。混成モメントの形成である。

 志賀浩二は次のように述べている。

そうすること(n倍角の公式を変形し、nをかぎりなく大きくすること――引用者注)により等分点を極限まで追いつめ、円弧の長さと半弦の長さの違いなど霧のなかに消えてしまうような究極の場所にオイラーははじめて立つことができたのです。その場所でそれまでだれも予想したことのなかった夢のような一つの公式を導いたのです。それがオイラーの公式でした。

 志賀が指摘する「究極の場所」は、わたしにとっては「混成モメント」が形成された場所である。

 指数関数と三角関数という異なった2つの関数を結びつけるオイラーの発想は複合論で把握できるのではないだろうか。

 以前の稿を少し改めたので、案内する。

    オイラーの公式と複合論


表出論のゆくえ2008

2008-12-29 | 案内
 今年(2008年)の最初のころは、アルチュセールの弁証法を検討していた。その過程で、これまでの経緯をふりかえる機会がなんどかあった。そのなかから、アインシュタインの特殊相対性理論の成立過程と複合論は相性がいいのではないかという思いが生まれてきた。相対論の形成過程を弁証法の立場から検討しようと思ったのである。いまもその試みのなかにある。
 今年書いた「対話とモノローグ」の記事から、10編を選び、「弁証法試論」への導入とした。
 目次は次のようになっている。
  1 2組のペアと2組のトリオ――もうひとつの内的類似性
  2 内的類似性の拡張
  3 熱力学か、電磁気学か
  4 相対性理論の形成と武谷三段階論
  5 アインシュタインの思考モデルと2つの基準
  6 2つの基準の包摂
  7 表出のなかの悟性と理性
  8 「論理的なもの」とアインシュタインの認識論
  9 弁証法の場
  10 表出論のゆくえ

   表出論のゆくえ2008


「1905年における光の粒子性と波動性について」への案内

2008-11-29 | 案内

 「弁証法試論」の補論 14として、「1905年における光の粒子性と波動性について」をまとめた。

 目次は次のようになっている。

  はじめに
  1 光量子の運動学 vs 電磁場=エーテルの運動学
  2 エーテル概念の変化
  3 下向的分析と上向的総合
  4 光量子論と特殊相対性理論の関係
  5 世紀交代期における光
  6 アプリオリな綜合
  7 1905年における光の粒子性と波動性
  8 もうひとつの「光速度一定の原理」の意味

 相対性理論の成立をめぐる武谷三男と広重徹の論争の止揚をめざす試みである。

 1905年の時点で、光に粒子と波の二重性を見ることができる。光量子と光速度一定の原理を結びつけることによって、光を粒子と波に二重化できるのである。この光像はアインシュタインが意識的に描こうとしたものではない。アインシュタインが無意識のうちに捉えていたものである。この像は、相対論成立をめぐる武谷三男の見解と広重徹の見解を止揚する試みのなかから生まれてきたものである。光量子と対(ペア)の光速度一定の原理は「運動学」の基礎ではなく、存在の二重性(粒子性と波動性)の基礎という意味をもっている。

    1905年における光の粒子性と波動性について


〈弁証法と「偶然性の内面化」〉への案内

2008-08-24 | 案内

 補論6「弁証法と様相性」を『弁証法と「偶然性の内面化」』に改題した。ブログ「対話とモノローグ」の記事の2つ(「逆三角形」と「2つの展開図」)を「二つの展開図」にまとめ、付け加えたのである。

   弁証法と「偶然性の内面化」

 目次は次のようになっている。

    1 はじめに
    2 「偶然性の内面化」の定式
    3 偶然性の定義
   4 二元結合(バイソシエーション)と偶然性
   5 様相性の二つの体系
   6 様相性の第三の体系
   7 「偶然性の内面化」のモデル
   8 様相性の第三の体系と複合論
   9 止揚の過程と様相性
  10 「偶然性の内面化」の定式と複合論
  11 様相性の第二の体系と表出論
  12 偶数と弁証法
  13 二つの展開図

 昨年の末以来、アルチュセールの「理論的実践の論理」に興味を持ち、複合論との関連を探究していた。その過程で、これまでのわたしの考察を振り返る機会が何度かあった。その中心には、アインシュタインが位置づいているように思えた。

 これまで、アインシュタインについては、なんとなく気後れするところがあり、わたしの課題とはならなかった。しかし、いまは弁証法の中心に位置しているように思えるようになった。これまでの弁証法についての考察を、総体として、振り返る絶好の機会が訪れているようなのである。