アインシュタインは「自伝ノート」(金子務編訳『未知への旅立ち』所収 小学館1991)のなかで、ファラデーとマックスウエルのペアとガリレオとニュートンのペアの内的な類似に注意を喚起している。この指摘はわたしの試みを勇気づけてくれるもののように思われる。
大学生だった当時、私がもっとも魅了されていた対象は、マックスウェルの理論であった。この理論を革命的にみせたものは何かといえば、遠隔作用の力をやめて、場を基本的な量として導入した点であった。光学を電磁気学の理論に組み入れたこと、すなわち光速度を電磁気的な絶対単位系と関係づけ、および屈折率を誘電率に関係づけ、物体の反射率と金属の伝導率を定性的に関係づけたこと――これらは、まるで天の啓示のごときものであった。場の理論への移行、すなわち基本法則を微分方程式であらわすことを別にすれば、マックスウェルに必要だったのはただ一つの仮説的な措置――真空中と誘電体中の変位電流とそれの及ぼす磁気作用の導入――だけであった。これは、微分方程式の形式的特性からほぼ予測されていた改良である。これに関連して私は、ファラデーとマックスウェルのペアが、ガリレオとニュートンのペアと奇妙なほど内的に類似しているというコメントをせずにはいられない。つまり、ファラデーとガリレオは、ものごとの関係を直観的に理解し、マックスウェルとニュートンはそれを正確に定式化し、定量的に応用しているのである。
アインシュタインが二つのペアに見た内的な類似とは、ものごとのの関係の直観的な理解からその正確な定式化・定量的な把握という認識過程であった。
わたしは、2組のペアのそれぞれにアンペールとケプラーをつけ加えた2組のトリオに着目してきた。すなわち、アンペール・ファラデー・マクスウェルのトリオとケプラー・ガリレオ・ニュートンのトリオである。
そして、この2組のトリオは、内的に類似していると考えてきた。すなわち、2組のトリオに、弁証法を見てきたのである。この弁証法は、ヘーゲル弁証法や唯物弁証法ではなく、わたしが提唱している複合論のことである。
「マクスウェルの電磁気学」は、マクスウェルがアンペールの電気の磁気作用の法則とファラデーの電磁誘導の法則を選択し、混成し、統一することによって、形成した「論理的なもの」である。
「ニュートン力学」は、ニュートンが ケプラーの惑星の法則とガリレイの落体の法則を選択し、混成し、統一することによって、形成した「論理的なもの」である。
2組のトリオ(アンペール・ファラデー・マクスウェルとケプラー・ガリレオ・ニュートン)は、2組のペア(ファラデー・マクスウェルとガリレオ・ニュートン)の内的な類似を包んでいるのではないかと思う。
「ε と μ の複合」に少し手を加えて、「ε と μ の複合 ――マクスウェルの弁証法」とした。アインシュタインがマクスウェルの核心と考える「真空中と誘電体中の変位電流とそれの及ぼす磁気作用の導入」というのは、複合論(新しい弁証法の理論)では、混成モメントの形成に対応している。これは、アンペールの自己表出(回転的な場の出現)とファラデーの指示表出(場の変化)が結合したもので、一つの微分方程式(変化する電場は回転的な磁場を生み出すことをしめす)で表される。この方程式は、ものごとのの関係の直観的な理解からその正確な定式化・定量的な把握という認識過程の一段階にあると考えられるだろう。