北のとうさんの鉄道旅・アマチュア無線JA8HBO

札幌に住むおやじが北海道を中心に鉄道旅の話題や無線の話題も織り交ぜてぼやきます。アマ無線のコールサインJA8HBO

JR北海道への支援の形が見えてきた

2018年01月22日 | JR北海道 JR北

先日の定例記者会見でJR北海道の島田社長は北海道の高橋知事が提案し、国に働きかけた支援策に対して、これまで自ら提案してきた上下分離方式にはこだわらずに受け入れる旨の発言をした。
これを受けて高橋知事も、翌日の会見で歓迎の意向を示した。
 この動きは、先日の東京で国、道、JRの三者による協議が行われたのを受けて、支援の内容と実現性が見えてきたからだろうと思われる。

 高橋知事は先月18日に上京し、石井国交相に対し鉄道運輸機構の特例業務勘定を利用するという形での支援の要請をしているが、その内容によってはこれを受け入れるという事だろう。

JR北が、独自には維持できないとする路線等を公表してから約一年。
高橋知事が積極的に動かないことに、私を含めメディアや支持者も疑念を抱いていたのだが、おそらくは国交省の鉄道局や政府関係者・政権との根回しに時間を費やしていたという事なのだろう。
まあ、そう信じたいところだが、政治家の動きはこのようなものなのだろうか。4期目ともなれば、なかなか老獪ではある(笑)

当初JR北は上下分離を提案した。欧米では、国が線路等の施設を保有する形で広く行われており、日本でも若桜鉄道などで一部行われている。
私も、期待をしたものだったが、いろいろと調べてみると、簡単には実現できないのではないかと懐疑的になってきていた。
実際、欧米諸国では各国の財政にその負担が重くのしかかり、一部の国では見直しの声も上がっている。
 対象路線には過疎と財政難に苦しむ複数の自治体が関わるため、その実現は当初から困難とされた。実現するとしても国が主導しなければ、ほぼ困難であろう。
国には、上下分離に積極的ではないことは明らかであった。しかし、JR北に上下分離を言わせたのは国交省の官僚であることも明らかなのだ・・・。官僚というのは時に自己矛盾に陥る不思議な人たちだ。
また、上下分離はJR北海道の社員にとっても雇用問題にかかわる大問題である、現在のネット上ではJR北海道を擁護し、メディアと行政を批判するだけの意見が多く見受けられ、上下分離以外に方策は無いと言い切るものもある。
しかし、そこに働く社員の雇用問題に思いをはせてほしい。
私は、経営陣は上下分離は労働組合の体力を奪うという効果を期待したのではないかと、疑っている。
 現在のJR北海道の社員の働き方を見聞きする限り、は労働基準法の「第四章 労働時間、休憩、休日及び年次有給休暇〈第三十二条-第四十一条>及び、第五章 安全及び衛生〈第四十二条-第五十五条〉に関してはしっかりと労働条件は守られていくように感じるが、下の部分を第三セクターなどに移管され、該当する部署の社員が移籍した場合に、このような労働条件下に置かれるかどうかは心配の残るところだ。
ただ、現在の労働環境(突然にバスやホテル・販売への移籍を求められる社員がいるとか、東日本に取り込まれるのではという将来への不安)は多少は改善されるかもしれないが・・。
 いずれにしても30年前の分割民営化のスキームを見直すことは自らの政策を否定することになると官僚と政権は考えているであろうから、上下分離などを積極的に取り入れるとは思えない。

結果はともあれJR九州が上場し(鉄道会社としては衰退していくだろうが)残った四国と北海道は何とか今の経営形態ままで通したいと言うのが国の本音だろう。
そこに、その意を汲んだ高橋知事からの提案があったという事か。
支援がどの程度の規模になるのか、一時的なのか恒久的なものなのか、今の段階では全くわからない。
内容によっては、JR北の態度も、今後変わっていくかもしれない。島田社長の受け入れ表明は、無条件とは思えない。

 とにかく、無条件で国の支援を仰ぐのではなく、本当に将来に渡って、子子孫孫の世代まで維持できるような交通体系を構築すべく議論を交わした上で支援を仰ぐべきであり、急ぐあまりに一時しのぎのようなことになってはいけない。

さらに、鉄道路線が今のままで残すと言うのは非現実的である。設備、車両の更新と、鉄道の特性が生かせる再度の高速化への挑戦を前提にした上で、残すべき路線は残し、各地域においてはバスや乗合タクシーと融合した交通体系なども早急に構築すべきだろう。
駅を降りたらバスも何もないのでは、まさに元の木阿弥である。

残念だが、一部路線の廃止はやむを得ないと考える。
石炭の輸送のために敷設された留萌線、製紙工場のための木材輸送のために敷設された日高線、国会議員の我田引鉄によって採算無視で敷設された札沼線は産業構造の変化と他の交通機関の発達に伴って役目を終えたと言える。

根室線の富良野・落合間に関しては石勝線の完成と共に役目は終えているが富良野・幾寅間は何らかの形で残せないものだろうか。
鉄道ファンとしては残念極まりないが、今の日本の国力では鉄道を支えることは難しいことを受け入れなければならない。もう日本は経済衰退国であると言う学者もいるくらいだが、国が少子高齢化を放置してきたつけが回ってきたのだろう。
来年度初めには発表される道の総合交通政策検討会議の答申を基に議論を重ねて一定の方針を示し、国の支援を具体的に策定し、2019年度の予算要求に計上することになるだろう。

国に支援を要請するだけではなく、北海道民、特に道央圏の市民が我が事として議論を重ねなければならない。
JRの公共交通としてもメリットをもっとも教授している道央圏の市民は、地方の公共交通についても心を馳せなければならない。
以前にも書いたが、次の知事選挙に向けた政争の具にするなどという呑気なことを言っている時間は無い。



特急「北斗」と札幌市電・雪ミク号

2018年01月18日 | JR北海道 JR北
お正月三が日最終日、道北の知人が札幌へ遊びに来て、キハ183北斗をるとのこと。私も同行しようと札幌駅へお出迎え(●^o^●)。
札幌駅と新札幌駅で北斗などを見物した後は、大通りまで地下鉄で移動。
四丁目交差点付近で雪ミク号を見てから、低床型A1200に乗って循環線を一周りしました。
低床型車両はさらに別形式が導入されるようですが、阪急系のメーカーのアルナ製作所が受注に追い付けない状態だそうです。路面電車のルネッサンスですね
札幌駅進入の北斗
 
新札幌に入線のスーパーおおぞらの8連

同じく北斗。札幌駅からの折り返しです

雪ミク電車






A1200低床電車




毎年恒例の帯広へ根室線代行バスで

2018年01月17日 | JR北海道 JR北
1月7日から8日にかけて、根室線経由で帯広まで出かけました。
滝川からは遅い時間なので、一旦旭川まで北上して遊びましたが、岩見沢までは721系F1009という先頭車両がUシート(快速エアポートでは指定席になり、リクライニングシート)の車両に乗ることができました。


岩見沢で乗り継いで、旭川に到着です。いつものように石北ラッセルと261サロベツがいました。




旭川から滝川まで戻って東鹿越行きに乗ります。
一昨年の水害前までは新得行きでしたが、現在は東鹿越からは代行バスに乗り替えとなります。
すっかり日も落ちたころ富良野に着き、しばらく停車しました。



いつも車窓から見るだけの東鹿越駅に降りることがあるとは想像もしていませんでしたが、ここで代行バスに乗り替えて、幾寅、落合と周って新得まで、約1時間です。
ふらのバスのハイデッカーでなかなか快適でしたし、天候にも恵まれて、定刻に運行しました。幾寅でほとんどの乗客(高校生)が降りて、新得まで乗ったのは数名でした。
根室線は富良野と幾寅間は残してほしいものですが、廃止すると決めたら何としても実行してしまう今のJR北の頑なな姿勢と、経営状況では、結局は富良野は終点駅になってしまうのでしょう。
公共交通もすべて、原理資本主義的な視点で考える、現在の政権には多くは期待できません。南富良野は廃れていくのでしようか。

新得には定刻に到着。バスがサホロリゾートに寄ることになってから、新得発帯広行き18時44分の便が18時50分に変わっていることを知らずに一便遅らせるのかと駅に入ると、駅員が間に合うと笑顔で案内。そしてホームへ。国鉄色朱5号のキハ40が2両、暗闇に停まっていました

無事帯広に着きました。

駅から10分ほどのホテルに泊まりましたが、道筋の足元が危なくて、冬はやめることにします。翌朝は10時の新得行きに乗って、新得からスーパーとかちで新夕張まで特急ワープです。
18きっぷの特例区間です。根室線が一部廃止になれば、札幌から道東への鉄路はこれだけになってしまうのでしょう。
Sとかちには、釧路方面から教師の知人が乗っています。うれしいことに自由席車の席を確保していてくれました(●^o^●)。久しぶりの再会でしたが、あっという間の1時間でした。
私も先生の端くれなので、そんな話もしたかったですが、1時間はあっという間ですね(●^o^●)





新夕張からは千歳行に乗り替えました。
今回の旅も快適に終わろうかとしていると、ツイッターで千歳線不通の連絡が((+_+))。
乗車している列車は途中の追分駅で運転打ち切りと、JR北海道の運行情報に出ています。ところが車内には一向にアナウンスがされません。
運転席の後ろへ行ってみましたが研修中の運転士と教官では声をかけるわけにもいきません。
先ほどまで、スーパーとかちで同席した知人からは追分で停車中との連絡が・・・・・((+_+))。これは東追分あたりで抑止かなと思っていると運行指令から運転士に対して、ようやく連絡があり、追分で運転打ち切り、折り返し夕張行きになるとの連絡がありました。
特急が止まっている石勝線のホームが埋まっているので、どこに停車するのかと心配していると、かなりの低速で、使われることの少ない「切りかきホーム」の4番に入りました。階段の影なので、普段は見かけることもなかったのですが、しっかりとホームがあることを初めて知りました。


追分駅で運転再開を待つSとかち。知人がホームに出てきて「乗りなさい」と手招きしてくれましたが、普通列車命?の私はキハ40へと(笑)

残念なことに運行打ち切りの案内は理由が知らされず、乗客も狐につままれた様子で、普通運賃で特例で乗車できた停車中のスーパーとかちに乗り替えたり、苫小牧行に乗り替えたりで、文句を言う人がいなかったのが不思議でした。実際、運転士には詳細が伝えられないので、運転士も説明のしようがなかったのは確かです。
このような時はいつも言われることですが、乗客への情報提供の不足が相変わらずで、一向に改善されないことが実に不可思議です。
さて、私は岩見沢行に乗り替えて、岩見沢からスムーズに帰宅することができました。

宗谷本線と石北本線を少し乗りました

2018年01月17日 | JR北海道 JR北

明日はクリスマスイブという12月23日。名寄駅の近くの工場の煙突に、毎年上るサンタクロースを見物に行ってきました。
宗谷本線と言えば、本当の鉄道ファンならラッセル車でしょうが、乗り鉄の私は、寒いからサンタクロースにします(●^o^●)。

旭川駅7番ホームの東側に停車している石北線ラッセル。13時30分頃入線して45分に発車します。

名寄駅に着きました。音威子府行きですがここで降ります。

名寄駅近くの工場の煙突を登るサンタさん




名寄駅で旭川行きを待っていると、某新聞社のN記者が見送りに来てくれきました。当日は名寄市で宗谷線についての自治体とJRの協議が行われたそうで、その取材の帰りとのことでした。内容については新聞等で報じられていますが、まだまだ時間がかかるものと思います。問題は名寄から稚内の存続の在り方ですね。
札幌直通の午前便での特急宗谷の増便(復活)を求めたようです。
旭川行きには、会議に出席したJRの職員が乗っていました。お疲れのようでしたが、パソコンになにやら打ち込んでいました。
さて、旭川駅着。
旭川駅で見かけたキハ183スラントによる代走の特急サロベツ。幕が「北斗HOKUTO」でした(笑)


旭川発20時の北見行きの臨時快速列車。朝の上り快速きたみを2両で運行し、下り快速きたみと、この快速で1両づつで運行して戻します。2月までの週末の限定です。
乗客は少なく、上川からは3名となりました。やはり都市間バスには敵いませんね。

北見に一泊して、朝方も北見で若い鉄道仲間と会ってお話ができました。
わざわざ駅まで来てくれてありがたいものです。
朝10時過ぎの上り特別快速きたみで帰宅です。キハ54の2連です。
まず速いですね(●^o^●)

途中、下りのオホーツクと交換しました

旭川到着

あとは721で札幌へ帰るだけ(●^o^●)
今回は二人の友人と会うことができました。楽しい旅でした。