西洋音楽歳時記

旧称「A・Sカンタービレ」。07年には、1日1話を。その後は、敬愛する作曲家たちについて折に触れて書いていきます。

ブルックナー「交響曲第3番」

2007-12-21 13:21:12 | ロマン派
今日は、ブルックナーの「交響曲第3番(第3稿)」が初演された日です(1890年、ウィーン)。
ブルックナーにあまり馴染みのない人にとっては、この第3稿の表記は何だろうと思うかもしれません。普通、たとえ改訂稿(版)で演奏されていても、それを改訂版と表記することはないでしょう。シベリウスのバイオリン協奏曲やチャイコフスキーの幻想序曲「ロメオとジュリエット」などは普通演奏されるのは改訂版ですがそれは表記されないことが多いと思います。しかしブルックナーにあっては、この記載はとても重要な意味を持ちます。以前も書いたと思いますが、ブルックナーほど一度書いた楽譜に手を入れることが多い作曲家はいないでしょう。多くの場合それはブルックナーの交響曲を世に知らそう・受け入れられるようにという友人たちのアドバイスによるものでした。しかし時には作曲家を落胆させることもあったでしょう。ブルックナーは「助言」に従い改訂を頻繁に行いました。その結果、半数以上の曲において大きな改訂を行うことになりました。中でも特にこの第3番は改訂に次ぐ改訂を行い、第3稿が出現するまでになりました。このブルックナーの改訂の跡を辿る研究は既に多くの人によってなされ、私も勉強させてもらっています。
この交響曲第3番の第1稿は、1872年から73年にかけて、それに74年に書かれました。まさにこれはワーグナーの「タンホイザー」の世界です。(第3番は、ワーグナーに献呈され、「ワーグナー交響曲」のニックネームが付いています。)その後、76年にアダージョ楽章の第2番と呼ばれるものが書かれました。そして76年から翌年にかけて第2稿が書かれます。これは編集者の名前を取ってエーザー版と呼ばれることがあります。その後、10年以上たった1888年から89年にかけて第3稿が出来上がります。第8番の第1稿が作曲され、その改訂版である第2稿を書く時期にあたっています。交響曲第3番についてはこのような複雑な問題があるのです。
私は、この第3番では、第3稿をよく聴きます。それはウィーン・フィルを指揮するシューリヒトが名演を聴かせてくれるからです。第2稿をベストとして取り上げる指揮者もいるようです。第1稿はあまり取り上げられていませんついでに言うと、マーラーはこの交響曲を2台のピアノ用に編曲していますが、それは第2稿によっています。。
ブルックナーの交響曲では、ニックネームの付いた第4番「ロマンチック」と第7番が特によく取り上げられますが、私はこの第3番も好んで聴く交響曲の一つです。クラシック音楽入門時には、人がブルックナーの交響曲について何を言っても関心を持てなかったのですが、今では是非多くの人に聴いて欲しいと思っています。

シューベルト・付随音楽「キプロスの女王ロザムンデ」

2007-12-20 10:51:16 | ロマン派
今日は、シューベルトの付随音楽「キプロスの女王ロザムンデ」が初演された日です(1823年、ウィーン)。
シューベルトは、リート作曲家として有名だが、「未完成」や「グレート」などの交響楽作品それにピアノ曲や室内楽作品も多く聴かれています。しかし、大規模な協奏曲を書いていないということと同様に劇音楽も書いていないのではと言う人がいるかも知れませんが、これは間違いです。シューベルトは20近い劇音楽作品を書いています。しかし初演後評判を取り、長く上演され続けたという作品はとうとう一つも残しませんでした。私は、断片も含めできればそのすべてを聴いてみたいと思っているのですが、以前も述べましたが、「アドラスト」ヤ「ザクンターラ」はその片鱗さえCDなどが出ているというのを聞いたことがありません。非常に残念なことです。しかし「グライヒェン伯爵」など聴けないと思っていた作品が出されたりして、最近シューベルトのこの分野に光が当てられるようになったことは嬉しい限りです。
「キプロスの女王ロザムンデ」は、オペラではなく付随音楽です。序曲と9曲の楽曲よりなりますが、序曲は少し前に作曲されたオペラ「アリフォンゾとエストレッラ」のそれを代用しました(「魔法の竪琴」の序曲を用いたと主張するアインシュタインのような学者もいます)。だからシューベルトが「ロザムンデ」のために書いた曲は9曲ということになりますが、間奏曲やバレエ音楽はいかにもシューベルトならではの音楽という気がします。一度聴けば好きになってしまうような曲ではないかと思います。今手元にこれらの音楽がなかったので、第3曲bにあたるロマンス「満月は丘の上に輝き」を聴きました。これも佳曲だと思います。しかし「ロザムンデ」も2回上演されただけで終わってしまった。シューベルトはこの舞台用作品「ロザムンデ」を「無駄に作曲した」のであった。

チャイコフスキー・歌劇「スペードの女王」

2007-12-19 09:29:32 | オペラ
今日は、チャイコフスキーの歌劇「スペードの女王」が初演された日です(1890年、ペテルブルク)。
チャイコフスキーの歌劇では、第5作「エフゲニー・オネーギン」が特に有名で、次がこの第9作にあたる「スペードの女王」でしょう。チャイコフスキーは全部で、10作ほどオペラを書いていますが、初期のオペラはあまり舞台にのることはないようです。「エフゲニー・オネーギン」がやはり最も重要な作品で、私も好きなオペラの一つですが、第6作にあたる「オルレアンの少女」を聴いた時、私はその中のジャンヌが歌う「さようなら故郷の丘や畑よ」の旋律をすぐに好きになってしまいました。本場物の演奏で(ロジェストヴェンスキー指揮)、チャイコフスキーの作品ならと、4枚組みのレコードが出たとき迷わず購入しましたが、作曲者の他では見られない旋律美を発見したように思いました。
「エフゲニー・オネーギン」では、レンスキーのアリアがこれまたチャイコフスキーの名旋律の一つと言っていいでしょう。オーケストラ曲の「ポロネーズ」も魅力的です。演奏は、ヴィシネフスカヤをタイトル・ロールに起用したロストロポービチが指揮したものが第1にあげられるべきでしょう。
「スペードの女王」を聴いた時、印象的だったのは幕開け早々にある「子供たちの合唱」でした。何か似たようなのを聴いた覚えがあるなと思ったら、作曲者自身も言っているようにビゼーの「カルメン」にヒントを得たと言うことです。(そのようなことを曲の解説か何かで読んだように思います。)これもヴィシネフスカヤをタイトル・ロールに起用したロストロポービチが指揮したものが良いと思いますが、これはオーケストラは指揮者が国外に出るようになったからでしょうか、ロシアのものではなくフランス国立管弦楽団です。
一般に、チャイコフスキーのオペラは有名なもののみが取り上げられるようで、「地方長官」や「オプリチニク」などは断片を聴くだけですが、できれば全曲版を聞いてみたいですね。そのような中にもチャイコフスキーしか書けないような旋律があるものと思っています。

ドビュッシー「子供の領分」

2007-12-18 10:34:45 | 音楽一般
今日は、ドビュッシーのピアノ曲「子供の領分」が初演された日です(1908年、パリ)。
この曲集のことは、確か小学校か中学校の教科書に出ていたように思います。タイトルに、「子供の」が付いているから載せたのかと思いますが、演奏技術の点では決して子供向きの曲集ではないと思います。今、久しぶりにこの曲を聴いてみました。モニク・アースの演奏です。私は、教科書でこの曲名を見た時、どうも「領分」という言葉に引っかかっていました。原題はChildren's cornerです。どういうわけか、ドビュッシーはフランス語でではなく、英語でタイトルをつけたようです。今聴いたCD全集でも、他は勿論フランス語が書いてあるのですが、これだけは英語で書いてあります。ドビュッシーは当時英国かぶれだったとか?それは兎も角、cornerを「領分」と訳したわけですね。「かど・すみ」と辞書に出ていて、領分という語は見つからないと思いますが、他にこの場合にピッタリな語が見つけにくかったのでしょう。娘のエマ(シュウシュウと呼んでいたらしい)のために書いたということですが、6曲それぞれに「人形のセレナード」や「雪は踊る」などそれに相応しいタイトルが付けられていますが、最後の「ゴリウォグのケークウォーク」が一番印象に残ります。特徴的なリズムからでしょうか。製品名にも使われていますが、このケークウォークという言葉、これは黒人の舞曲ということで、手元の英和辞典には「最も風変わりな歩き方の組が賞品にケーキをもらう、もと黒人の競技」(ジーニアス英和辞典)と説明が出ています。それがどんなものかみたことがないので、ピンときませんが、作曲者はどこかでこれに興味を持ち取り入れたのでしょう。
シューマンに「子供の情景」という有名なピアノ曲集がありますが、シューマンの子供に対する優しさが現れた佳品だと思います。「トロイメライ(夢)」は中でも傑作です。シューマンは他にも「子供のためのアルバム」など子供用の音楽を書いています。ロシアのチャイコフスキーにも24曲からなる「子供のアルバム」がありこれも子供用の曲集です。(この中の第16曲「フランスの古い歌」のことは以前書き記しました。)ハンガリーのバルトークにも「子供のために」という85曲からなるピアノ曲集があります。すぐれた音楽家たちは子供の感性を伸ばそうとこのような曲集を書いたのだと思います。偉大な音楽家たちが偉大である所以だと思います。



シューベルト・交響曲第8番「未完成」

2007-12-17 07:22:11 | ロマン派
今日は、シューベルトの交響曲第8番「未完成」が初演された日です(1865年、ウィーン)。
シューベルトは、おそらく彼の他のすべての交響曲と同様、これも4楽章構成にするつもりだったのだろう。しかし、完成したのは最初の2楽章だけだった。だから「未完成」というわけである。シューベルトには、前にも記したが、ピアノ・ソナタなど未完成の作品が多くある。しかしシューベルトにあっては、未完成の作品がとても惹きつける内容を持ったものが多いと私は感じざるを得ない。その代表的なものが、この「未完成交響曲」と言っていいだろう。これは確かに傑作である。これが書かれた1822年の7月に書かれた資料に「僕の夢」と言う短文がある。この中で、「そこで僕は自分の道を歩みだし、別れるものへの愛で胸を一杯にし遠くへさすらい出た。長い年月、僕は苦しみと愛とで2つに引き裂かれる思いだった。」という言葉がある。この曲の中にこのシューベルトの言葉を感じることは難しいことではないだろう。
この曲は、普通演奏されることはないが、第3楽章も9小節ほどのスコアが書かれている。スケッチはさらに先まで書かれている。第4楽章はスケッチ等もないが。シューベルトはこの曲をどのように考えていたのだろう。2楽章で完成されたものと考えたのか。形式としては完成してはないが、内容的にはもうこの曲に込めるものはないと思ったのか。というのは、翌年に友人に贈ったということだ。このことからすると、引き出しに入れていて忘れたという説は間違いということになる。兎も角、この交響曲は、その友人のもとに置かれたままになって、作曲者の死後40年近くなって初めて人々の前に姿を現したということだ。
シューベルトの作品をほぼ作曲順に番号を付けたドイッチュはこれにD.759の番号を与えた。私は、シューベルトの900番台の作品番号の付いたものは優れた作品が多いと書き、その考えは今でも変わらないが、この「未完成交響曲」が付けられた七百番台後半の作品から、既に多くの傑作が生み出されていると言うべきかもしれない。

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン

2007-12-16 11:20:24 | 古典派
今日は、ドイツの作曲家ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの生誕日です(1770年)。
私は、ベートーヴェンは人類の生んだ偉人10人に入る人物と思っています。私にとってベートーヴェンは「神様」です、間違いなく。ベートーヴェンの性格についていろいろ言う人がいます。ドイツ語でRaptusという言葉がありますが、「1.狂気の発作、2.熱狂、忘我状態」と手元の辞書には出ています。この言葉をベートーヴェンに当てはめる人がいるのをどこかで読んだことがあります。一般的には近寄りがたい感じをこのような言葉からは受けますが、何ら偉人であることに反することではないと考えます。確かに誰が何と言おうとあのような楽曲を後世の人たちに遺してくれたベートーヴェンは偉大です。私はただ平伏すだけです。そして感謝の言葉を言うだけです。
私にとってそのような人物ですから、私は彼の生涯の跡をずっと隈なく知りたいと思っています。勿論その創作した作品すべても知りたいと思っています。一般に出ている曲はこれまでにみんな聴いてきたつもりです。しかしまだ十分に聴いてない曲もたくさんあり、これからさらに深く聴いていきたいと思っています。青年時代の作品も多くあり、ピアノ曲や管楽器を伴った室内楽曲がその中心をなしているように思いますが、それらは決して一流の作品ではないですが、私はそれらの作品は後のベートーヴェンを形成する一こまをなしていると考え、疎かにはできない作品と考えます。
以前も記したかと思いますが、生誕200周年にあたる頃、グラモフォンからLP78枚に及ぶ全集が出ました。高校生の頃でした。その後ずいぶんたってCD87枚によるほとんど完璧な全集が出ました。曲数はさらに多く充実した内容になっています。ベートーヴェンは、聴いていると何か語りかけてくれるような気がしています。今日で生誕237年、一人祝いたいと思っています。



ショスタコービチ・オラトリオ「森の歌」

2007-12-15 10:27:03 | 20世紀音楽
今日は、ショスタコービチのオラトリオ「森の歌」が初演された日です(1949年、レニンフラード、現サンクトペテルブルク)。(別の資料では、初演は11月となっていますが?)
この曲は、ショスタコービチの全作品の中でも極め付きの問題作というべきだろう。置かれた時代がそうさせたのは分かるが、歌詞を見れば分かるとおり、世界をミスリーディングした独裁者スターリン讃歌となっているからだ。このような歌詞を前にしてどのように解釈すべきか。全くの無価値として退けるか。フルシチョフのスターリン批判後に、歌詞が改定されたのを受けてその内容をよしとするか。それとも純粋楽曲として、日本の有名指揮者が言うように名曲として享受するか。緑の保全運動としてはいいが、改定された歌詞でも依然コミュニズムという独裁権力集団を讃え歌い上げている。ショスタコービチは、生前ほとんど自分の考えを発言する機会を失われていた。今の日本をはじめ西側諸国の現状からすれば、全く考えられないことである。プロコフィエフについても、スターリンの誕生を祝う作品が遺されている。この曲が割りと最近蘇演された時、ハンガリーなどでは拒絶する反応が起こった。当然のことである。ショスタコービチは、どの歌詞によるのであれ、この曲の演奏に対し本来どのような考えであるのかなどと思う。

レスピーギ・交響詩「ローマの松」

2007-12-14 09:10:51 | 音楽一般
今日は、レスピーギの交響詩「ローマの松」が初演された日です(1924年、ローマ)。
レスピーギというと、「リュートのための古い歌と舞曲 第3集」が有名です。これは16~17世紀のリュート曲を弦楽合奏用に編曲したものです。カラヤンも弦楽合奏曲を集めたレコードに収めています。
交響詩「ローマの松」は、「ローマの泉(噴水という訳語を用いる人もいますが、『トレビの泉』のように使われるので、こちらで呼びたい気がします)」「ローマの祭」とともに、レスピーギの「ローマ三部作」の一つです。作曲者は、この3作をもって「永遠の都」ロ-マに対する愛着を表現したのでしょう。「ローマの松」では、「ヴィラ・ボルゲーゼの松」「カタコンベの辺の松」「ジャニコロの松」「アッピア街道の松」が取り上げられ、ローマの歴史を語っているように思います。ムッソリーニによって作られた新アッピア街道に対し、レスピーギが「アッピア街道の松」で語っているのは勿論旧アッピア街道の方で、これは古代ローマ時代の紀元前312年にアッピウス・クラウディウスにより作られたもので、名称は彼の名によっています。ローマの南にあるサン・セバスティアノ門からナポリ、カプアにまで通じ、その後さらにブリンディシへと繋がれている。今でも、シーザーやアントニウスが通ったであろうローマ時代の石畳を見ることができる。この終楽章では、エジプトやギリシアへの遠征軍がカンピドリオの丘に向かって凱旋する様子を聴くことができるだろう。



ストラヴィンスキー「詩篇交響曲」

2007-12-13 09:23:01 | 20世紀音楽
今日は、ストラヴィンスキーの「詩篇交響曲」が初演された日です(1930年、ブリュッセル)。
ストラヴィンスキーほど、多種多様な音楽を書いた作曲家はいないように思います。生涯は大きく3期に分かれるということです。「春の祭典」に象徴されるロシア民族主義とバーバリズムが融け合わさったような音楽を生み出した第1期、ジャズの手法を取り入れるなどした新古典主義と呼ばれる第2期、12音技法を用いた第3期、ということである。私は、なかなか彼の産み出した作品を十分に咀嚼できないでいるが、音楽史上重要な作曲家であるのは理解しているつもりです。彼の理解者であるアンセルメのレコードにして10枚組みの膨大なセット物が出た時、買い求めました(ただし、この中には12音技法の考えに反対のアンセルメはいわゆる第3期に当たる作品を録音していません)。また最近驚くべきことにストラヴィンスキーの全貌を示すようなCD22枚組みのセット物が出た時、これも躊躇なく購入しました。(何とこちらの方が安価。)これから少しずつ聴いていこうと思っているところです。
ところで、「詩篇交響曲」ですが、これは『詩篇』が合唱により歌われていることにより命名されていますが、このほかに交響曲と名が付けられている作品が3つあります。「交響曲 変ホ長調」「交響曲 ハ長調」「3楽章の交響曲」です。番号が付いていません。ストラヴィンスキーの作品の多種多様さを表しているようです。もうずいぶん前ですが、ニュースの開始にストラヴィンスキーの交響曲のある楽章が使われていた?というようなことを聞いたことがあります。「交響曲 ハ長調」のような気がするのですが、聴いてもこれだったと思い出すことができません。別にこれはどうでもいいことなのですが、子供の頃自然に聴いていた音楽がもしストラヴィンスキーのものだったとしたら、ずいぶん早くストラヴィンスキーの音楽に親しんでいたのだな、などと今思うのです。



バラキレフ「イスラメイ」

2007-12-12 09:07:33 | 国民楽派
今日は、バラキレフのピアノ曲「イスラメイ」が初演された日です(1869年)。
この「イスラメイ」はとても有名です。それは、これがピアノ演奏者にとって難曲中の難曲だからです。ピアノを弾けない私にはこれがどう難しいのかわかりません。また楽譜を見たこともないので判断しようもありません(見ても分からないでしょう)。と書いたあとネットで探したら、楽譜を見ることができました。確かに弾くのが難しそうです。(私には全部そう見える?)フランスの作曲家ラヴェルは、この「イスラメイ」に対抗しようと、「夜のガスパール」でもっと難しい曲を書こうとしたそうです。対抗意識を燃やさせるほどの難曲であるということです。
バラキレフは、ロシア国民楽派に属するいわゆる「5人組」の一人です。キュイ、ムソルグスキー、ボロディン、リムスキー=コルサコフが他の4人です。私は深く知ってるなどとはまだ到底言えませんが、彼ら国民楽派の音楽には、自国に対する愛着が感じられ、どの国であろうと、そのような音楽は私の好むものです。そのような心情が表れやすいのは、歌曲ではないかと思います。ずいぶん前に、他にチャイコフスキーなども含んだロシア音楽の歌曲の集大成とも言えるレコードが出ているのを知った時、私はすぐに買い求めました。ボリス・クリストフが歌ったものです。ブルガリア出身のこの歌手は、母の祖国であるロシアの作品を愛情込めて歌い遺そうとしたのでしょう。このロシア歌曲の集大成のレコードは、ロシア音楽を知る上で私にはなくてはならないものです。