西洋音楽歳時記

旧称「A・Sカンタービレ」。07年には、1日1話を。その後は、敬愛する作曲家たちについて折に触れて書いていきます。

ベートーベン「交響曲第5番・第6番」

2007-12-22 21:25:18 | 古典派
今日は、ベートーベンの「交響曲第5番」と「交響曲第6番」が初演された日です。
ベートーベンの今に伝わる名作中の名作が2曲同時に初演されたことに驚いてはいけない。実は、この日ピアノ協奏曲第4番とそれにピアノ独奏と合唱を伴う作品80の合唱幻想曲のあわせて4曲が初演されたのであった。この演奏会は一体どうなっているのかと思うかもしれない。そして成功に終わったのか?
プログラムによると、
第1部
 1.交響曲《田舎の生活の思い出》ヘ長調(第5番)
 2.アリア(作品65、ああ不実なる人よ!)
 3.ラテン語による賛歌、合唱と独唱を伴う教会様式で作曲
 4.ピアノ協奏曲第4番
第2部
 1.大交響曲ハ短調(第6番)
 2.ラテン語による聖歌、合唱と独唱を伴う教会様式で作曲
 3.ピアノ独奏の幻想曲
 4.ピアノのための幻想曲、次第に全管弦楽が導入され、終曲には合唱が加わる(作品80、合唱幻想曲)
ということであった。今では考えることなど出来ないボリュームの演奏会である。この演奏会を作曲家のライヒャルトが聴衆の一人として聴いていた。そして彼は、6時半から10時半まで厳寒の会場にいて、演奏の失敗だらけを辛抱しはらはらしながら、またベートーベンを気の毒に思いながら聴いていた、ということだ。4時間!に及ぶ演奏会。オペラなら勿論あるだろうが、一般の演奏会ではおそらくないだろう。
失敗だらけ、気の毒に思ってとは?
アリアの独唱に予定していた、3年前にレオノーレを歌った名ソプラノはその愛人と作曲家が衝突し巻き添えで降りてしまった。代役のソプラノはそれを気に入らず断り、3番手のソプラノは未熟で、開演前興奮しすぎで鎮静剤をうったが効き過ぎ演奏不能になり結局アリアは歌われなかった。ベートーベンも譜面台の蝋燭をひっくり返すなどして聴衆は湧いたと記録されている。それだけではない。第2部最後の合唱幻想曲で、ピアノを独奏した彼の誤りによるものか管弦楽の不正確な演奏によるものか真相ははっきりしないが、終曲の途中で彼は演奏を止め、やり直しを命じたのであった。「ダ・カーポ(頭から)」と大声で叫ぶ作曲者を背に、寒さに震える聴衆たちは帰ってしまったのであった。
本来ならば、新作交響曲2曲を従え、野心的な内容の大演奏会で、生涯で一番の新作発表会となるべきものがこのような有様だった。この演奏会の2ヶ月ほど前に、カッセルの宮廷楽長に招きたいとの話が出ていたベートーベンは、ウィーンに嫌気をさし、翌年09年の1月には移ることを考えるほどだった。これはウィーンの貴族たちの計らいで実現を見ることはなかったが。
このプログラムを見て、もう一つ注目すべきことがある。それは現在6番ヘ長調《田園》となっているものが5番、そして現在5番ハ短調となっているものが6番と書いてあることだ。出版の関係でそのように呼ばれていたのだろう。しかし実際には現在あるような番号となった。ベートーベンの交響曲は、奇数番号のものは英雄的・激情的、それに対し偶数番号のものは温和で心安らぐものと言われるが、もしこの演奏会のプログラム通りの番号だったら、この法則は言えなかったことだろう。