西洋音楽歳時記

旧称「A・Sカンタービレ」。07年には、1日1話を。その後は、敬愛する作曲家たちについて折に触れて書いていきます。

ベルリオーズ・歌劇「ベンヴェヌート・チェッリーニ」

2007-09-10 09:16:06 | ロマン派
今日は、ベルリオーズの歌劇「ベンヴェヌート・チェッリーニ」が初演された日です(1838年、パリ・オペラ座)。
ベルリオーズは、実に特異な作曲家のように思われます。その作品を見回すとそれぞれが個性を持ったもので、2つと同じようなものがないように思うからです。後のセザール・フランクにおいてもそのような印象を受けますが。そしてその様々な分野の作品から影響を受けた音楽家として、交響詩を大成したリスト、楽劇の創始者ワーグナーがいます。彼はまた評論活動、理論書の執筆など多方面の活躍をしています。ベルリオーズをもし「幻想交響曲」しか知らないならば、ベルリオーズの偉大な部分をまだ知らないと言わなければならないでしょう。といっても、私自身その作品があまりに大曲過ぎて、なかなかそのよさを玩味するまでに至っていません。残念です。ずいぶん前にLDで「トロイ人」が出たことがありました。名前だけしか知らなかったのですが、ベルリオーズはこのような大作も書いているのだと始めて知りました。しかしそのレヴァイン指揮のメトの舞台は十分に堪能させてくれるものでした。生誕200年の頃、ほとんどの作品を網羅するCDのセット物が出ましたが、これからしっかり聴いていきたいと思っているところです。
ベンヴェヌート・チェッリーニは、実在した人物で、16世紀イタリアのフィレンツェに生まれた金工家・彫刻家です。私は、始めてのヨーロッパ旅行で、フィレンツェに行った時、ヴェッキオ橋を渡っていたら、チェッリーニの胸像があったので、驚きました。そこで写真を撮ったのを覚えています。

レオポルト・ウラッハ

2007-09-09 20:52:29 | 音楽一般
今日は、オーストリアのクラリネット奏者レオポルト・ウラッハの生誕日です(1902年)。
クラリネットを独奏楽器とする協奏曲は、モーツァルトのそれがとても有名ですが、他にウェーバーが2曲書いています。他にあるのだろうか。辞典を見ていたらイタリアの作曲家メルカダンテに1曲あるようですが。
しかし、モーツァルトのその1曲は、とても優れた作品だと思います。管楽器のための協奏曲をいろいろ書いていますが、その最後の作品です。晩年亡くなった年の作品です。このような作品を天才のものと言うのだろうか。極めて自然な旋律で始まる第1楽章。しかしこの中にモーツァルトの悲哀が隠されているように思います。静かな穏やかな第2楽章。どこかで、グラスを片手にこの第2楽章を聴きながら涙を流していた初老の紳士の話を読みました。なぜかこの話が印象に残っているのです。この楽章に、私も何かその紳士が心に思うのと共通するものを見出しているのかも知れません。第3楽章は、独奏楽器が活発に動く元気さを装うものですが、どこかモーツァルトのその明るさの裏には、悲しみが秘められているような気がしてなりません。これは多くの識者も指摘することですが。
カラヤンは、3度この曲を録音していますが、最初のものが、このウラッハとのものです。2番目がウォルトン、3番目のがライスターとのものです。管楽器の協奏曲集のセットになったもの(すなわちライスターのもの)を愛聴していますが、このような協奏曲でもカラヤンのバックは実に素晴らしいものと思います。画像は、そのセット物の曲集です。

リヒャルト・シュトラウス

2007-09-08 09:39:18 | ロマン派
今日は、ドイツの作曲家リヒャルト・シュトラウスの亡くなった日です(1949年)。
シュトラウスは、第2次世界大戦が終結した、すなわち第3帝国滅亡の4年後、85歳で亡くなった。シュトラウスほど、波瀾万丈の生涯という言葉が合う音楽家はいないのではないか。そのことは6月11日の項で記しましたが、文字通り「最後の4つの歌」を作曲した後、その第2曲目「9月」にあるように、今日9月8日に亡くなりました。
ナチスの設立した音楽院総裁を務めるなどナチスの時代を内側に身を置いて生きたシュトラウスであったが、亡くなる2年前83歳の時イギリスでのシュトラウス祭に招かれた。最後の栄光の日々であったが、心中はどのようなものであったのだろうかなどと考えてしまう。
カラヤンは、そのようなシュトラウスとは、多くの時代を共有し、戦前シュトラウスの前で、彼の歌劇「エレクトラ」を指揮し、絶大な賛辞の言葉を受けたほどのシュトラウスの良き理解者であったが、多くの作品を複数回録音している中で、どういうわけか「家庭交響曲」と「アルプス交響曲」を1度しか録音していません。私は、このカラヤンの「家庭交響曲」がことのほか好きです。LPレコードゆえ、私の持っているものは、途中で裏返しにしなくてはならないのですが、そのようなことは関係なく、気に入っています。彼の家庭を音楽で描写したこの曲は、評価に賛否両論があるようなことをどこかで読んだような気がしますが、カラヤンの演奏はこの曲が間違いなく素晴らしいものであることを教えてくれます。カラヤンは、録音をパリのワグラムザールで行いました。多くはベルリンで行うのですが。ジャケットの写真はそこでのものと思いますが、何かこの演奏とこのコンサートホールの模様とは切っても切れないような関係で繋がっています。

メンデルスゾーン・序曲「海の静けさと楽しい航海」

2007-09-07 07:51:50 | ロマン派
今日は、メンデルスゾーンの序曲「海の静けさと楽しい航海」が初演された日です(1828年)。
メンデルスゾーンは42年の短い生涯にもかかわらず、交響曲から宗教音楽の大作まで様々な分野の作品を書いていますが、序曲と題する管弦楽曲にもいくつか佳品があります。その一番有名なのは、「真夏の夜の夢」だろうか。「フィンガルの洞窟」もそれと並ぶくらい有名ですね。その他に、「トランペット序曲」「美しいメルジーネの物語」「ルイ・ブラス」それにこの「海の静けさと楽しい航海」があります。以前も書きましたが、ベートーベンもこのタイトルの作品を残しています。カンタータで合唱つきの管弦楽曲です。これはゲーテの詩「海の静けさ」と「楽しい航海」という2つの詩を合わせたものに作曲したものだ。そしてベートーベンはこれを作詞者のゲーテに献呈した。メンデルスゾーンの方は、ゲーテの詩にヒントを得たものだが、詩は採用していない管弦楽だけの作品である。
今手元に、「海の静けさと楽しい航海」がなかったので、代わりに「美しいメルジーネの物語」を聴きました。これは水の精メルジーネが人間と恋を詩、結婚をするという民話に題材を取ったものと言うが、この中のメルジーネの主題はワーグナーにより用いられ「指輪」の「波の動機」になっているということです。今、CDの解説を読んで始めて知りました。

アントン・ディアベッリ

2007-09-06 09:01:28 | 音楽一般
今日は、オーストリアの作曲家アントン・ディアベッリの生誕日です(1781年)。
アントン・ディアベッリ、who?という人が多いと思います。辞典を見ますと、室内楽曲、ピアノ曲に作品を残していて、特にピアノ曲は、練習曲として愛好されているとあります。ですから、ピアノを習う人にとっては、よく知られた作曲家なのかも知れません。そのような練習曲のことを全く知らない私にも、このディアベッリという名前は聞いたことがありました。それは、ベートーベンの大作、「ディアベッリのワルツの主題による33の変奏曲 ハ長調(通称 ディアベッリ変奏曲)」によってです。ディアベッリは作曲家であるだけでなく出版業者でもあり、1819年ウィーン在住の作曲家50人に自作による変奏曲を依頼し、ベートーベンがそれに応じたというわけです。ベートーベンは、最後のピアノ・ソナタ第32番を書いた後、ピアノは「不完全な楽器」との言葉を言い、ピアノの世界から離れましたが、やはり自分の思索を表すのにまたピアノの世界に戻ってきたのでしょうか。そのためか、この作品は33の変奏曲を伴う大作となりました。シューベルトにもこの依頼は来ました。シューベルトは、ディアベッリの主題をハ短調にしたということです。そして手元のCDでの演奏時間は1分28秒とあります。ベートーベンの1時間ほどの大作に比べると、シューベルトはあまりこの仕事に重きを置いてなかったということでしょうか。他に、この仕事を依頼された作曲家には、チェルニー、フンメル、ヒュッテンブレンナー、リスト、モーツァルトの息子、それにモーツァルトの知人のマクシミリアン・シュタードラーなどがいます。ディアベッリは、自作品によるよりも、この依頼仕事ゆえに(その多くはベートーベンの作によるが)、よく知られているように思います。



リスト「ファウスト交響曲」

2007-09-05 09:57:29 | ロマン派
今日は、リストの「ファウスト交響曲」が初演された日です(1857年、ワイマール)。
この「ファウスト交響曲」は、ゲーテの「ファウスト」に登場するファウスト、グレートヒェン、メフィストフェレスを音で描写した大曲です。これはベルリオーズに献呈されました。この作品に続きリストは「ダンテ交響曲」を同じく地獄、煉獄、天国の3つの楽章に表現しようとしましたが、ワーグナーの「天国は表現できない」との忠告(?)を入れて、結局2楽章だけの作品となりました。これは、その忠告をしたワーグナーに献呈されました。
音楽史を見ていると、このゲーテの「ファウスト」を取り上げた作曲家がたくさんいることに気付きます。少し前にも、同じゲーテの「ウィルヘルム・マイスター」にヒントを得た作品が多くあることを書きましたが、こちらはそれ以上のような気がします。何と言っても、グノーの歌劇「ファウスト」(初演1859年)が先ず取り上げられるべきでしょう。これはグノーの最高傑作であるとともに、世界の3大オペラの一つと言われる傑作です。リストから「ファウスト」を献呈されたベルリオーズにも「ファウストの劫罰」(初演1846年)があります。これは自作の「ファウストの8つの情景」(初演1829年)を拡大発展させたものです。ワーグナーにも「ファウスト序曲」(初演1844年)があり、歌劇作家ワーグナーの隠れた傑作となっています。シューベルトの「糸を紡ぐグレートヒェン」ももちろんこの作品に由来します。実は、ベートーベンにも「ファウスト」作曲の構想がありました。1825年、亡くなる2年前、第10交響曲、レクイエム、それにファウストに因む音楽の作曲を周囲の人に漏らしている。このうち、第10交響曲のスケッチは残されているが、他の2つについては何も残されてはいないようだ。もしベートーベンが「ファウスト」作曲を実現させていたら、どのような曲になっていたのだろう。それにしても、そのような小説を書いたゲーテも凄いと言わざるを得ない。

アントン・ブルックナー

2007-09-04 07:53:09 | ロマン派
今日は、オーストリアの作曲家アントン・ブルックナーの生誕日です(1824年)。
「モーストリー・クラシック」の最新号(10月号)を見ていたら、今月号からの新連載に、映画「象の背中」が問うもの、というタイトルの文が載っていました。「余命半年と言われたら、あなたは何をしますか」というわけである。その第1回にブルックナーの第9交響曲が取り上げられていた。そのような曲だと思った。別のコーナーで、あるカルテットの奏者が、ベートーベンの14番のカルテットこそ最高の作品と言っていたが、それと並べても良いのではと思っている。楽聖ベートーベンは、常に唯一トップであるべきと思いながらも、ブルックナーのこの曲を並べることは許してもらえるのではないかと、勝手に思ったりしている。この未完の曲がなぜと思われるかも知れないが、ファイァリヒ、ミステリオーゾ(荘厳に、神秘的に)と書かれた第1楽章、スケルツォの第2楽章、それにアダージョの第3楽章、これらを聴けば、自ずとそこに答が出ているように思う。
そして、この文の中で、フルトヴェングラーによる残された唯一のブルックナーの第9交響曲の録音のことが取り上げられていた。1944年10月7日の録音である。ドイツの敗色が濃くなり、フルトヴェングラーはこの4ヵ月後スイスに亡命する。フルトヴェングラーの心中はどのようなものだったのか。この曲を取り上げさせたものは何だったのか。
以前も書いたが、ブルックナーはこの曲を「愛する神に」捧げた。第8は「皇帝に」捧げたが、第9は「神に」捧げたのである。嘘偽りのない気持ちから、そうしたのである。「何のために」などという問いを人間は発することがあるが、私にとってはこの曲を聴く、それが答えの一つになるように思われる。
ブルックナーは、オーストリアのリンツ近郊のアンスフェルデンという小さな村に生まれた。最初にヨーロッパに旅行をしたとき、ハイウェーの休憩した所に、Ansfeldenの文字があった。この向こうにその村があるということだと理解したが、その看板をバックに写真を撮った。その後、いつかリンツに行き、この村を訪れることを夢想しているが、実現するだろうか。



シェーンベルク「5つの管弦楽曲」

2007-09-03 08:11:07 | 20世紀音楽
今日は、シェーンベルクの「5つの管弦楽曲」が初演された日です(1912年、ロンドン)。
今、彼の「ピアノ協奏曲」を聴いてきました。ずっと以前カセットテープに録音しておいたものです。やはり難解ですね、私には。作曲者は何を言いたいのだろう。以前も書きましたが無理に好きになることはないのだから、それならそれでいいではないかと思っています。19分ほどの演奏が終わり続いて気軽に聴ける曲が出てきました。そして自動反転し裏面のやはりシェーンベルクの「弦楽三重奏曲」が出てきました。出だしを少し聴いただけですが、こちらはもっと難解でした。芸術家は時代を先取りしている、そのように考えることがあります。今はこのような時代なのだ、モーツァルトがすべてではない、私の芸術に耳を傾けよ、ということなのかなあ、とも思ったりしますが、自然好きになるときがあればそれでよいと考えよう。
ところで、シェーンベルクの経歴を見ると、元は銀行家だったとあります。作曲は独学ということのようですね。それで音楽史上に残る作曲家になったのだから凄いと思います。同じくアメリカの作曲家アイヴズも大学で音楽を学んだ後、保険会社に勤務とあります。作曲は趣味と言うのですね。やはり2人とも音楽の天才ということなのでしょうか。だから彼らの作品を聴けば、彼らなりの時代の解釈が聞こえてくるのかもしれません。

画像は、以前にも取り上げた、70年代にカラヤンが新ウィーン楽派3人の管弦楽曲集をまとめて録音した4枚組みのセットレコードです。



ヴァーツラフ・ノイマン

2007-09-02 11:40:35 | 音楽一般
今日は、チェコの指揮者ヴァーツラフ・ノイマンの亡くなった日です(1995年)。
ノイマンは、ヴィオラ奏者として経歴を始めましたが、急遽指揮台に立ち、成功を収めました(同様のコースを歩んだ音楽家としてルドルフ・バルシャイを思い浮かべます)。そして20年以上の長きに渡り、チェコの至宝ともいうべきチェコ・フィルハーモニー管弦楽団の指揮者を勤めました。私は、チェコの作曲家の作品を、ノイマンがチェコ・フィルと組んで録音したものは、これに勝るものはないだろうと多くを集めてしまいました。チェコ・フィルでなく、プラハ交響楽団と録音したドボルザークの「テ・デウム」、これも彼の名演としてあげなければなりませんが。
ノイマンは、一時期請われて東ドイツ(消滅して、現在はドイツに組み込まれている)のライプチヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団を指揮していましたが、突如辞任して、チェコに帰りました。1968年8月20~21日のソビエト(消滅して、領土を狭め、ロシア連邦共和国として、91年12月8日に独立(国家成立)する)と東ドイツを含むワルシャワ条約機構(現在解体されて消滅)軍のチェコ侵攻に抗議しての行動です。私は彼のこのような行動に真の知識人としてのあり方を見ます。この事件は、40年ほど前のことでしたが、当時の日本の「知識人」は、ほんの少数を除いて、その名に値しないことが十分分かりました。今もってその状況は変わりませんが。
ノイマンは、マーラーの交響曲を晩年数多く録音しました。これまで聴く機会がないのですが、きっとそこにはマーラーに共感するノイマンのすべてがあるように思います。これを聴かずしてノイマンは語れないように思うこと頻りですが。



エンゲルベルト・フンパーディンク

2007-09-01 08:39:26 | 音楽一般
今日は、ドイツの作曲家エンゲルベルト・フンパーディンクの生誕日です(1854年)。
エンゲルベルト・フンパーディンクというと、イギリスの歌手にその名前の人がいて、私は最初、クラシックの作曲家にこの名前の人がいると聞いても、何かピンとこなかったのを思い出します。それにしてもなぜイギリス人が、ドイツのクラシック音楽家の名前を名のったのだろう。よくわかりません。それはともかく、以前の私のように、ポピュラー歌手の名前だと思っている人にはここに書くことが役に立つことがあるかも知れません。
エンゲルベルト・フンパーディンクは、19世紀後半から20世紀初頭にかけて活躍したドイツの作曲家で、「ヘンゼルとグレーテル」の作曲者です。この作品、「ヘンゼルとグレーテル」は、その内容からクリスマスの時期によく上演されることで有名です。フンパーディンクは、晩年のワーグナーと親密な関係になり、信頼を得て、ワーグナーの最後の作品「パルジファル」の上演の補佐をしたということです。「ヘンゼルとグレーテル」の他にも、「いばら姫」「王子王女」 などのメルヘン・オペラを作曲したということですが、私はそれらの作品は聴いたこともCD店で見かけることもありませんでした。彼も私にはオペラ1曲だけで知っている作曲者ということになりそうです。