怪しい中年だったテニスクラブ

いつも半分酔っ払っていながらテニスをするという不健康なテニスクラブの活動日誌

玄侑宗久「桃太郎のユーウツ」

2024-06-11 13:33:09 | 
「中陰の花」で芥川賞を受賞した玄侑宗久さん。福島県のお寺の住職でもあります。
2015年から2023年までに発表されたものを書籍化したものです。

3・11以後、福島第一原発の廃炉に向けた動きは遅々延々として進まず、除染作業を進めながら処理水の海洋放出とか東北の他県と違った苦難を背負っている。
移転するなどしが地域コミュニティは崩壊してしまったこともあり、いまだ厳しい状況です。
地域コミュニティの結節点だったお寺も経営的に苦境に陥っているところも多く、そこにコロナ禍が追い打ちをかけ、以前のような葬儀、法事を行うことも出来なくなり、世俗的にはどうやって生活していけばいいのかとなってくる。お寺を維持していくには何が出来、どうすればいいのか模索の日々となります。
玄侑さんのこの連作はそんな福島の生活を背景に想像力の羽ばたきを加味したものです。
SFの趣のある「繭の家」はコロナ禍が猖獗をきたした未来に、人々は繭の家という一人用の家に閉じこもり生活する世界を描いている。一人一人が繭の家に閉じこもり孤立して暮らすのが常態になると家族とは何か、夫婦とは子育てとは?政府から支給された個人情報をもれなく把握出来る装身具をつけ、生活すべてが政府の管理下に置かれている。勝手に群れたり交流するのは不逞の輩となるのか。それでも東京では政府に従わない人々が相互扶助の精神で自由に生きている人々はいるのだがそこはある意味政府に反逆する封鎖された世界。
コロナがまだ未知の疾患で大きな恐怖の対象だったころ、家族であっても人の呼気が感じられるような距離にお互いが近づくことさえ憚られ、コロナ汚染地域と言われた都会から帰省するだけで理不尽なバッシングを受け村八分と言うか冠婚葬祭の二部さえも拒絶されると言うことは現実にあったこと。コロナに恐れおののいた人々のある意味の究極的な理想的な生きる形は繭の家かも。
「桃太郎のユーウツ」は2016年の執筆ですが、桃太郎による元総理大臣に自爆テロを敢行する設定は玄侑さんがあとがきに書いているように安倍元総理大臣射撃事件を思い起こさせる。主人公の桃太郎は幾世代にもかけてダライ・ラマの様に転生を繰り返してき、どこからか何らかの指令が届き、それを確実に実行する定めを負っている。
背景も動機も全く違うのだがユーウツな時代の雰囲気を色濃く反映していて究極としてテロの爆発まで行く展開は、文学が時代の気分を読んで先取りした予言の書になっている。その意味では大江健三郎の時代とともに疾走してる感のあった小説にも通じるところがある。
どうも閉塞感が漂う日本の今現在ですが、想像力を羽ばたかせその姿をあぶりだしている作品集です。
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