函館のハム工房で「カール・レイモン」というところを知っているだろうか。美味しいのだがなかなか買えず、デパートの北海道物産展で買ったことがあるくらいです。カール・レイモンというのはドイツ人のハム職人の名前で、彼がロシア革命の混乱期にシベリア鉄道でドイツに帰った時、赤軍にスパイと間違えられて拘束されたそうです。そのとき赤軍兵士が彼の手を見て、この手はハム職人の労働者の手でスパイでは決してないと主張して難を逃れたそうです。
私の父の手も生涯しがない一介の自転車屋で、修理などのためにいつも油にまみれていました。仕事が一段落すると昔ながらの粉石けんでゴシゴシ洗っていましたが洗っても洗っても爪の中とか手のしわは黒ずんでいました。でもそんな油に汚れた手で私たち兄弟3人を大学まで出して育ててくれました。
酒を飲むぐらいしかこれといった趣味もなく、80歳過ぎても自転車屋を続け油に汚れた手をしていました。
それでも3年前間質性肺炎で倒れた時に、やっと店をたたみ家を建て直すことを決意したのですが、新しい家がまだ竣工しないうちに今度は脳溢血で倒れ、半身不随になってしまいました。要介護5となって車いす生活でしたが、結局新しい家で1年半暮らすことができました。その間にどんだけ洗っても黒ずんでいた父の手はすっかりきれいになっていました。実家に行ったときは動きのままならぬすっかりきれいになった父の手を握ってからいつも帰りました。ごつごつした職人の手ですが、きれいになった手を見て複雑な気持ちになったものです。
父は16日の土曜日に肺炎が悪化して亡くなりましたが、父の手を誇りに思っています。
私の父の手も生涯しがない一介の自転車屋で、修理などのためにいつも油にまみれていました。仕事が一段落すると昔ながらの粉石けんでゴシゴシ洗っていましたが洗っても洗っても爪の中とか手のしわは黒ずんでいました。でもそんな油に汚れた手で私たち兄弟3人を大学まで出して育ててくれました。
酒を飲むぐらいしかこれといった趣味もなく、80歳過ぎても自転車屋を続け油に汚れた手をしていました。
それでも3年前間質性肺炎で倒れた時に、やっと店をたたみ家を建て直すことを決意したのですが、新しい家がまだ竣工しないうちに今度は脳溢血で倒れ、半身不随になってしまいました。要介護5となって車いす生活でしたが、結局新しい家で1年半暮らすことができました。その間にどんだけ洗っても黒ずんでいた父の手はすっかりきれいになっていました。実家に行ったときは動きのままならぬすっかりきれいになった父の手を握ってからいつも帰りました。ごつごつした職人の手ですが、きれいになった手を見て複雑な気持ちになったものです。
父は16日の土曜日に肺炎が悪化して亡くなりましたが、父の手を誇りに思っています。