怪しい中年だったテニスクラブ

いつも半分酔っ払っていながらテニスをするという不健康なテニスクラブの活動日誌

内田樹「ひとりでは生きられないのも芸のうち」

2010-08-22 07:26:17 | 
最近内田先生の本にはまっているので、ちょくちょく読んでいるのですが、この本には激しく同意の部分が多くて、内田節を楽しんで読みました。
 「公的なもの」は磐石であるから、いくら批判しても構わないし、むしろ無慈悲な批判にさらされることで「公的なもの」はますます強固で効率的なものに改善されるであろうという楽観です。
 どうして、そんなに気楽に構えていられるのか。もしかすると、この方々は「公的なもの」を支えてくれる専門家がどこかにいて、その人に宛てて改善要求をしているつもりでいるかもしれません。
 申し上げておきますけれど、そんな人、どこにもいませんよ。
そうなんです。当事者意識なく文句をつけるだけの論調の如何に多いことか。
 「誰かがちゃんとシステムを管理してくれているはずだ(だから、私はやらなくてもいい)」という当事者意識の欠如がこの「楽観」をもたらし、それがシステムの構造的な破綻を呼び寄せています。
そうなんだよな~。激しく同意です。
 マスメディアとパーソナル・メディアの根本的な違いは何か。
 それはマスメディアが「有料頒布」という形態によって、その発信する情報に「市場の淘汰圧」を受けているという点にある。
 「この情報になら対価を支払っていい」という情報消費者のニーズに配慮することで、マスメディアの発信する情報の質は一貫して低下し続けている。
 読者を増やそうとすれば、宿命的にメディアは「よりリテラシーの低い読者」に向かうしかないからである。
 「市場の淘汰圧」にさらされるということは、言い換えれば読者が「興奮する素材」絶えず提供し続けなければ生き残れないということである。
何か今のマスコミのあり様というか傾向をもたらしていることについてストンと腹に落ちるじゃござんせんか。
 「あなたがいなければ生きてゆけない」という言葉は「わたし」の無能や欠乏についての事実認知的言明ではない。そうではなくて、「だからこそ、あなたにはこれからもずっと元気で生きていて欲しい」という、「あなた」の健康と幸福を願う予祝の言葉なのである。
 自分のまわりにその健康と幸福を願わずにいられない多くの人々の有している人は、そうでない人よりも健康と幸福に恵まれる可能性が高い。それは(キャッチボールの例から知れるように)祝福とは本質的に相互的なものだからである。
 あるメッセジーを正しく受診したことを相手に伝える最良の方法は同じメッセージを送り返すことだからである。
相互扶助こそ共同体の基礎となるべきなんだろう。「その人」がいないと直接生活に支障をきたすような人をどんどん増やしていくことが大切なんて、随分気が楽になるもんです。
ほんの一部の引用ですが、呼んでいるとなるほどな~とかそうだということが多くて、是非全部通して読んでみてください。
コメント
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