仮面の告白『雲の上の虹』

この世の誉・不正・不道徳・破廉恥・権力者を追及し、無害なことも記録しつつ、雲の上の虹をめざす枕流亭の日記(日乘)

水谷選手の気持ちを読み取れない張本の発言に喝!

2016年08月14日 | 愚か者

 あの傲慢スポーツなんでもひょうろん家の張本氏がいちいち大げさに注意!

 五輪で卓球初の個人メダル獲得に感極まった水谷選手のガッツポーズに意見を開陳していた。

 乱闘騒ぎを毎度起こしているプロ野球のほうをまずキッチリ注意しなさいな。

 歴史的価値が違いすぎて訳が分からなくなったか?

 水谷の寝転がっての表現はしないほうがいいだろう!しかし彼はすぐに気が付いて起き上がり相手選手にちかづき挨拶と握手をしたではないか?!相手選手も水谷の肩をたたき戦いぶりをねぎらっていたではないか?!

 今回の場合、若さに免じて許容すべき事案だ。本当に張本氏はなんでもくさす方だな!自分が若いとき何をしでかしていたかよく自省してからいえ!

 まぁ、日本嫌いのサンデーモーニングだからしょうがないか!

 

 

張本氏、「あんなガッツポーズはダメ」 銅メダルの卓球・水谷に注意  サンスポ

 野球評論家の張本勲氏(76)が14日、TBS系「サンデーモーニング」(日曜前8・0)の名物コーナー「御意見番スポーツ」に登場。リオデジャネイロ五輪の卓球男子単で銅メダルを獲得した水谷隼(27)=ビーコン・ラボ=について、言及。勝利後の派手なガッツポーズに注意を与えた。

 張本氏は、水谷の個人戦、団体戦での勝利後の態度を映像でみると、「あんなガッツポーズはダメ。手は肩より上げちゃダメ。礼に始まり礼に終わる、ですから」とコメント。

 3位決定戦に勝ち、卓球の個人種目では男女を通じて日本勢初のメダルを獲得した水谷は、仰向けになって派手なガッツポーズをみせていたが、これにダメ出しした。

 負けた相手への敬意も必要という持論を持つ張本氏は、「ひとつ注意しておきます、以上」と厳しかった。

 

ikipediaから

トラブル・事件[編集]

 退場処分を受けたことは1度もないが、東映時代の1964年3月26日の阪急戦の9回表、張本は牽制球で三本間に挟まれ本塁に突入した際、捕手の山下健に体当たりした[65]。この行為で足立光宏が「ひどいじゃないか」と言うと、張本は激高して足立を数回小突いた。ダリル・スペンサーが「ノープッシュ」と言うと、張本は岩下光一からバットを奪ってスペンサーを殴ろうとした。東映ナインがなだめ、一時はベンチに戻るも、またベンチからバットを持ち出してスペンサーにめがけて走り出し、これも寸前で止められ、大事には至らなかった[65]

 日本ハム時代と巨人時代に、それぞれ1回ずつ警察の取り調べを受けたことがある。暴言とおぼしき発言をされたとして試合前に城之内邦雄(当時ロッテ)を殴った件と、1976年4月16日、宿舎に帰るために停まっていた巨人選手の乗ったバスが、試合中の判定トラブルから広島のファン500人に包囲された際、広島ファンが「張本に殴られた」と騒ぎ立てた件である[9][66]。この広島での事件は、張本がセ・リーグの巨人に移籍して最初の広島遠征だった日で、故郷に錦を飾っただけに母や兄も招待していた[8][67]。ところが故郷に錦を飾るどころか、張本は広島ファンに目の敵にされ、民族蔑視的なヤジを集中的に浴びた[8][67]。6-4と広島リードの9回表に巨人が1点を返し、なお二死一、二塁から山本功児がセンター前ヒットを放ち、同点と思われたが、山本浩二の好返球と水沼四郎の好ブロックで二塁ランナー土井正三が本塁タッチアウトになった[66]。微妙な判定に長嶋監督以下、コーチ陣、巨人ナインが本塁上の審判に詰め寄り猛抗議を繰り広げた[66][67]。それに怒った広島ファンがグラウンドに飛び出し長嶋監督に殴りかかろうとした[66]。これは張本と原田治明黒江透修コーチらがブロックし事なきを得たが、広島ファン500人が巨人の帰りのバスを取り囲んだ[66]。広島ファンは口々に「張本あやまれ!」と連呼。広島出身の張本が宿敵・巨人に移籍したのを快く思わないファンも多く、また前年球団創立初のリーグ優勝を果たした広島だったが、この年は開幕ダッシュに失敗し、この試合まで5敗2分けと低迷し、広島ファンのフラストレーションが溜まっていた[66]。張本が特に標的にされ、帰りのバスに乗り込む際に暴漢が張本を襲った[9]。相手を避けるために張本が手で払いのけたとき、後輩選手がバットで暴漢をコンと叩いたら頭が割れて血が出た。すると周囲のファンが「張本にやられた」と騒ぎ始めた[8][66]。張本は傷害容疑で事情聴取されたが自分をかばってくれた選手の名を明かさなかった[9]。母や兄も現場をしっかり見ていたから「やったのは自分じゃないとなぜ言わないのか」と責めたが「私を助けようとした後輩の名前はいえない」と頑なに話さなかった[8]。後に暴漢が槌田誠に頭を叩かれる場面を偶然撮影した写真が出て張本の嫌疑は晴れた[8][68]。しかし疑われたときに出た山のような報道に比べると真実を伝える記事はごく僅かだった。この事件で張本が最もショックを受けたのは民団の幹部が「やったんなら、手錠をかけて刑務所へ連れていけ」と発言したことだったという[8]

プライベートでは傷害罪で現行犯逮捕されている。1965年7月9日の午後10時、港区榎坂町4の溜池通りで車を運転していた張本がタクシーとぶつかりそうになり、張本はタクシーを蹴り上げて出てきた運転手に暴行を加えて1週間のけがを負わせた。後続車の飲食業の男性2人が仲裁に入ったが、張本はこの2人も殴って1週間のけがを負わせて検挙された。張本自身は相手の帽子を張っただけで手は出していないと話している[69]。この年、張本はオールスターゲームを辞退している。


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