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遠い昔のTV番組を再現しようというムチャな試み

井沢元彦

2024-06-11 18:25:37 | 本と雑誌
紫式部はなぜ主人公を源氏にしたのか
確かにあんまし説得力のある解答はなかった気がする、井沢の答は「鎮魂のため」藤原道長は自分の一族が追い落とした源氏の人たち特に安和の変で失脚した源高明(醍醐天皇皇子)を慰めるべく物語の中では自分が敗者になったのだ、紫式部が書いたのは藤裏葉まで、仏教の影響を受けて因果応報を信じる別の作者が先を続けた・・・与謝野晶子と同意見だね、彼女によれば続きを書いたのは娘の大弐三位とのこと、歌詠みの見識は傾聴すべきかも、けど続きがあってよかったと誰しも思うのじゃあるまいか

ということはさておいて井沢の読み方にはいささか文句があるにゃ、源氏の勝利は冷泉帝の即位じゃない、源氏は皇子ではあっても親王じゃなくて臣下なんだから藤壺との密通がもしバレたらエラいことになる、源氏は遠島、生まれた子は仏門送りマチガイなし(死罪てのはないからね、この時代)そうならないのは僥倖としか言いようがない
幸い冷泉帝には御子がなく今上帝は朱雀帝の皇子である、源氏の幸運は娘の明石の姫君がこの帝に入内して都合よく東宮を産んでくれたことにつきる、これぞ道長の幸運だったわけでその役を道長は物語中では自分がモデルの左大臣から源氏に譲った、これが(井沢言うところの)「道長の鎮魂」だったのだ・・・

そっかねー、源高明はもう死んでたけど物語の主人公になって喜んだかしらん?道長の奥さんになってた高明の娘(こちらは健在)はだう思ったかにゃ

日本では全ての物語は鎮魂のためにある、平家、義経記、太平記から真田十勇士、忠臣蔵、果ては新撰組始末記・・・そら確かにさうだけどそれ「滅びの美学」というモノだよにゃ、現実の敗者が勝者になるエソラゴトって聞いたことないよにゃ

そも源氏のサクセストーリーを書けばよいんだったら藤壺と冷泉帝はいらないんでない?(こちら)もう一度言うけど源氏は冷泉帝の即位を手放しで喜ぶわけに行かない、にもかかわらず源氏が冷泉帝を我が子と信じてる(実際にだうであるかは知らず)という前提あればこそ若菜の事件(女三宮と柏木の不義)が生きて来るんでこれは最初からそのように構想されてたと考えるしかないんでないの?いやたとえ文章と歌を書いたのは別人だったとしてもストーリー構成は式部だった、彼女は孫世代のことまで考えてた、さうでないと説明つかない
というのは明石の姫君の出産がいかにも早すぎるのだ、作者が女ではありえないと突っ込んでたヒトが何でここに何も言ってないのか今思うと全くフシギ、11歳でもそら入内はできるかも、けど出産はムリでない?
ここは何としてでも源氏の孫(それも三男匂宮)の誕生を急ぐ必要があった、でないと末っ子(実は柏木の子=左大臣の孫)薫大将との年齢差が開き過ぎてライバルになれんくなっちゃうからだ

ともあれ井沢が言うほど話は簡単じゃないと思う、けど考えるのが面倒になったしすでに呑んだくれてるから今日はここまで

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